2023年3月27日月曜日

「ゆるんだ雰囲気」とは何を指すのか

 ワールドベースボールクラシック(WBC)は、日本が優勝して幕を閉じました。私は最近あまり野球を見ていませんでしたが、久しぶりにレベルが高い良いゲームを見て、あらためて野球の面白さを感じました。

 

大会が終わり、監督がどんな考え方で、どんなアプローチをしてチーム作りを進めていったかというエピソードもいろいろ聞こえてきて、「選手を信頼する」という姿勢が成功要因として挙げられています。

メジャー組が中心になって、適度なリラックスと一体感が両立するような、良い空気感をチームにもたらしていたと思いますが、それを必ずしも良しとしない意見もあったという話を聞きました。

特に直前の国内での練習試合であまり調子が上がっていなかったころに、チーム内のコーチ陣などからも「雰囲気が緩すぎる」「締め直さないと勝てない」「このまま選手任せでいいのか」という声があったそうです。

監督は「選手に任せるところはしっかり任せる。選手の力を発揮させられれば勝ち切れる」と言って、そのままの方針を貫いた形で結果を出しましたが、チーム内外には規律や体育会気質を好む人間もいて、この方針には賛否があったようです。

 

WBCの代表チームとは、異なるアプローチをした例で思い出すのは、かつてラグビー日本代表を率いたエディー・ジョーンズ氏です。選手とのあつれきを恐れず、厳しい言動と自らの率先垂範で選手を追い込み、常に緊張感を持続させて、負け癖がついたチームの意識変革を進めて結果を出しました。

監督から選手への信頼やリスペクトはあったでしょうが、その関係性は常に緊張感を伴うもので、「厳しすぎる」とは言われても、「ゆるんでいる」といわれることは一切なかったでしょう。

 

こうやって見ると、チームの雰囲気づくりというのは正解がなく、チームが置かれた状況によって様々だと言うことができますが、一つだけ気になるのは、そもそも「ゆるんだ雰囲気」とはどんな状態を指しているのかということです。

例えば、軍隊のように「上からの命令は絶対」という組織をゆるいということはないでしょうが、上からのいじめやパワハラのようなことがおこなわれていれば、そのチームの規律は「ゆるんでいる」といえます。

一方で、上下関係が「ゆるんだ雰囲気」だったとしても、上下に関係なく、その時々で最善の指示や意見がお互いに交わされるような状況であれば、建設的で生産性も高まることが期待でき、決して「ゆるんだ雰囲気」のチームではありません。

 

今回の野球と、以前のラグビーでのアプローチの違いは、選手の意識改革が必要だったか否かによるものだと思います。みんなプロ意識が高い大人の選手たちにあえて意識改革を求める必要はなく、一方負け癖がついていて甘さがあるプロ意識が低い選手たちには、厳しさを求めて意識改革をしなければ目標達成はできなかったという違いです。ただし、ここでの厳しさとは、接し方や威圧感、精神論のような厳しさではなく、目標設定と取り組みプロセスに関する厳しさです。

 

何が「ゆるんだ雰囲気」にあたるかは、メンバーがどのくらいのレベルに達しているかで異なります。自己管理ができて意識が高いプロフェッショナルならば、リラックスはしてもゆるむことはなく、まだ未熟さがあるメンバーであれば、規律やルールで枠にはめて管理することも必要です。どちらの場合も適正なバランスを取る必要があり、それを見極めるリーダーの力量が問われます。

どちらかというと、規律を好んで枠にはめたがるリーダーが多いと感じる日本では、それが行き過ぎてメンバーの力を発揮させられないことが大いにあると感じます。指導者やリーダーたちの意識改革も、合わせて必要かもしれません。

 

 

2023年3月20日月曜日

「パワハラ上司あるある」という記事を見て思うこと

ここ最近、いくつかの会社でパワハラにかかわる話を耳にしました。

「それを理由で辞めた社員がいる」「注意されても直す気がない上司がいる」「パワハラと言われることを恐れてコミュニケーションを取らないマネージャーがいる」などの直接的な問題から、パワハラにあたるとは思えないことへの過剰反応、パワハラと主張することでの上司攻撃など、逆パワハラと言えなくもないような事例まで、起こっていることは様々です。

「相手が嫌だと感じれば、それはハラスメントに該当する」という話はあるものの、状況は本当に様々で、かなり悪質と思えるような典型的なものからどっちもどっちと思ってしまうようなもの、さらに明らかな言いがかりのようなものまで、とても大きな幅があります。

ただ、表面化していることの多くは、どこか共通点があるように感じる事象です。

 

そんな中で目にしたのが、「パワハラ上司あるある」という記事でした。

パワハラに陥りやすい上司の特徴として、以下のようなものが挙げられていました。

・言葉遣いが荒い

・上から目線で偉そう

・怒りっぽい

・自分の機嫌で態度が違う

・他責思考でミスや失敗を部下のせいにする

・責任感がない

・常にイライラしている、ストレスをためている

・嫌なことを部下に押し付ける

・プライドが高い・自己顕示欲が強い

・自分の上司には従順

・自己中心的

・支配欲、権力志向が強い

・完璧主義

・神経質、心配性

・臆病、小心、コンプレックスを抱えている

・朝令暮改で話に一貫性がない

・人格軽視

など。

違う資料を調べれば、さらに多くのものが挙がってくるのではないでしょうか。

 

一通り見たところでは、典型的なパワハラ上司が思い浮かぶ一方で、この中の一つや二つの項目は、誰でも多少なりとも当てはまってしまうのではないかということを思います。

私自身を振り返ってみても、ある部分では自己中心的になることがありますし、特定の状況に陥った時には神経質になったり心配したりすることがあります。言葉遣いなど自分では問題ないと思っていても、相手の基準では荒さを感じるかもしれず、やはり注意をしなければと思います。

 

ここで挙げられた項目には、周りの人の気づきやフォローで状況を改善できることと、本人が直さなければどうしようもないことの二通りのものが含まれています。

例えば、「上司に従順」という人は、自分の態度や行動について、上司から叱責されたり釘を刺されたりすると、結構な割合で改善することがあります。

「ミスを部下のせいにする」であれば、上司をはじめとした周囲の人が、きちんと状況を把握すれば実態はわかりますし、「嫌なことを押し付ける」も業務指示のしかたの問題なので、周りから指摘したり正したりすることはできます。

 

問題なのは、本人の性格や資質、態度に起因するようなパワハラ行為の場合です。

「言葉遣いが荒い」「偉そう」「怒りっぽい」「自分の機嫌で態度が違う」「自己中心的」といったことは、そもそも本人がそのことに気づいていなかったり、問題と思っていなかったりすることが多くあります。また、それを誰かから指摘されたとしても、自分ではなかなか直すことができません。本人の感情に由来するパワハラなので、その時の気分次第で突発的に起こるため、その人のさらに上位の人が常に見張ってでもいない限り、行為を止めることができません。

実際に起こっているパワハラ問題で、解決が難しいもののほとんどがこのパターンです。

 

こういう時の対応策を相談されることがありますが、私からの答えはいつも同じで、「この人と部下との接点をなくすこと」です。組織変更、役職降格、一人部署への異動など、方法はいろいろありますが、基本的には部下を持たせず、仕事で誰かに指示命令をする機会をなくすように進言します。そういう対処はなかなか難しい場合があるのは確かですが、「それができなければ解決することもできない」と伝えます。

もしかすると長い期間見守れば、少しずつ改善することはできるかもしれませんが、それまでの間はパワハラ被害者が増え続けるわけで、その状況を放置することはできません。

 

現場を見ていて思うのは、特に感情によるパワハラだけは、会社が毅然とした態度で対応する以外に解決する方法はありません。「パワハラ上司あるある」も、その項目によってとらえ方はまちまちのように感じます。

 

 

2023年3月13日月曜日

「令和5年」の会社と「昭和98年」の会社の働き方

今年は令和5年ですが、もし元号が昭和のままだったとしたら、昭和98年にあたるそうです。そんなことにあやかったのか、女性活躍や働き方に関して、今と昭和を比較した様々な記事を目にします。

一つは、女性の働き方がほぼ昭和の感覚のままで塩漬けされた会社が、まだまだたくさんあるということです。専業主婦の家庭環境が当たり前に染みついた経営者や役員、幹部社員が、その感覚のままで女性社員たちに接するため、女性活躍の機会が失われているとのことです。

表向きには女性活躍の事例や子育てとの両立、働きやすさなどをうたっていても、実態は違っていることがずいぶんあるといい、先進的な女性活躍の取り組みをしているとして紹介されるような有名企業でも、同様のことがあるそうです。育児休業を取れば昇進候補から外されて元に戻ることはなく、管理職になったとしても昭和のような長時間労働を求められ、家事や育児を他の家族に任せてそれに対応できる男性社員とは差をつけられるといいます。

 

もう一つは、以前からの働き方を、頑固なまでに変えない会社の話です。

コロナ禍によって、在宅勤務をはじめとしたテレワークの導入など、働く場所や時間の多様化は進みましたが、そこには乗ろうとしない会社が数多くあります。

業態としてどうしようもない場合もありますが、その気になれば改革できる業種や職種の場合でも、9時始業の定時勤務のみで全員出社が必須としているところや、その他の企業風土や働き方としても、業務の本人希望が通ることはなく、会社都合の転勤は当たり前、有休は取るな、副業なんてもってのほか、IT化が進んでおらず紙とハンコの文化、あいまいな指示とよくわからない責任の所在、上意下達の命令文化、男尊女卑の雰囲気など、まさに昭和のままという感じがする会社があります。

伝え聞いた話ですが、先進性を売りにしている大企業でも、毎朝朝礼で社訓を全員で唱和するようなところがあるそうで、良し悪しはともかく「感覚の古さ」を感じたことがありました。

 

この「令和5年」の会社と「昭和98年」の会社のどちらが伸びるか、生き残るかと考えれば、間違いなく前者の「令和5年」に違いありません。

なぜ「昭和98年」のような古い形にこだわるのかを考えたとき、私は個人的なノスタルジーの感覚でしかないと思っています。そこには取り立てて合理的な理由はなく、「昔はこうだった」「それが自分にとって当たり前」というだけのことでしょう。

 

もちろん、古いものがすべて悪い訳ではなく、若い世代でもそのことを認めていることが多くあります。例えば「やっぱり手書き文字の方が温かみがある」とか、「直接声が聞けた方が落ち着く」といった感覚です。こういう気持ちは、世代を超えて同じものがあります。

ただし、そこから「手紙」と「電話」に戻るかといえば、そうではありません。手書き文字を画像化してネットでやり取りしたり、相手の都合に合わせて聞けるボイスメッセージなどを使ったり、具体的な方法は進化しています。

 

「昭和98年」と言われてしまうような会社は、古くても守るべき普遍的なものと、変化や進化、改革して新しくしなければならないこととの切り分けができていないと思われます。それはそのまま会社の衰退を意味します。

あらためて今、「令和5年」のあるべき会社の姿、働き方を考える必要があります。

 

 

2023年3月6日月曜日

今どきの高校応援部の自然体の上下関係

 ある高校の応援部に密着したテレビ番組があり、それを見ていて思ったことです。学校としても部活動としても、歴史があるとのことでした。

 

私自身の応援部に対するイメージは、理不尽とも思える厳格な上下な関係と、時には体罰もあり得るようなパワハラ的な体質です。

それを経験してきた人たちにとっては、その環境で鍛えられたことが大切な思い出と経験になっているのでしょうが、今となってはあまり良いとは思えない昭和的な組織といえるでしょう。

 

そんな先入観で見ていたせいもありますが、先輩後輩をはじめとした部内での上下の関係性は、ずいぶんイメージとは違ったものでした。

練習中の雰囲気は、昔のそれと同じでとても厳しいものでしたが、違っていたのは上級生からの威圧するような言葉や暴力的な態度が一切ないことでした。そして練習が終わると、学年関係なく仲良く談笑しています。けじめをつけるときはきちんとつけ、そうでないときは和気あいあいとしたメリハリがあります。

団旗を神聖なものとして厳格に取り扱うことなど、昔からの数々の伝統は守りながら、上下関係に関する部分はずいぶん変わってきています。

 

ある日の練習ですが、OBの先輩が指導しに来ました。現役学生は当然のように緊張していますが、それは私が思っている昔のイメージのような怖さや威圧感によるものではなく、実力がある人に見られて指導されることへの緊張のようでした。あこがれのプロ選手から手ほどきを受ける緊張感と同じです。

また先輩OBの接し方も私の先入観とは違っていて、威圧的なところは全くなく、「ここに気をつけるときれいな姿勢に見える」などと技術的な指導をしていて、褒めるところは褒め、直すべきところは指摘をしています。最後に全員の取り組み姿勢を褒め、頑張れと励まして帰っていきました。

 

もう一つ紹介されていた別の高校では、次期応援リーダーは女性でした。その引き継ぎまでの男性の現リーダーとの接し方は、苦言も伴う厳しさがある熱血なものでしたが、上下関係はあってもお互いがリスペクトしている様子がとてもよくわかるものでした。

どちらの学校にも共通して感じたのは、お互いが信頼感を持って尊重し合う自然体の上下関係です。

 

最近私が多く接する企業内の問題に、パワハラに関わるものがあります。典型的なことが当事者は無意識のままで行われていたり、果たしてそれがハラスメントと言えるのかが微妙と思えるものがあったり、その内容は様々です。

当然ですが、そうなれば上司と部下など当事者同士の人間関係はぎくしゃくします。変によそよそしくなったり、必要以上に距離を取っていたり、ご機嫌取りや無視といったことも起こります。そしてこれらはすべて、前述の高校応援部のような「自然体」とはかけ離れたものばかりです。

 

こういう話をすると、「部活動と仕事は違う」「OBよりもさらに年齢差が大きい」など、いろいろ反論があると思います。しかし、反論してくる人ほど、自分の価値観にこだわって違うものを認められず、相手の考え方を尊重できず、フラットに話し合える関係を築くことができていません。これはもちろん、部下をはじめとした相手側にも、同じような問題が見られることがあります。

 

ただ、人間関係の作り方を見ていると、若い世代の方が「自然体での上下関係」を作ることには長けているように感じます。応援団のような古いスタイルを踏襲していそうな団体でさえ、時代に合わせて合理的に変えるべきところは変えています。高校生ができていることを、大人たちの組織である企業では、まだまだできていないことがあるように感じます。

 

自分と異なる価値観であっても、一度それを認めて受け入れて、その上で関係づくりをしていくという点では、若い世代を見習わなければならないことがあるように思います。