2016年1月29日金曜日

「環境先行型」と「事前準備型」のそれぞれの接し方



以前、サッカー日本代表の本田圭佑選手が、「僕は特に環境先行型で、自分よりレベルの高いところでやることで、いろんなものを吸収することができる」ということを話していました。
「良い環境に身を置けば、それに応じて自分もレベルアップできる」という意味だと思います。

私もどちらかといえば同じような考え方で、例えば「言葉を覚えたければ、とりあえずその国に行ってしまえばどうにかなる」とか、「やらざるを得ない環境に置かれれば、必要なことは身につく」などと考えるところがあります。本田選手のような高い意識というよりは、「切羽詰まればどうにかなる」「その場にならないとわからない」というような、ちょっと行き当たりばったりな感じでもあります。

こんな私とは逆のタイプになるのだと思いますが、何事も事前にしっかりと準備をしようとする「事前準備型」と言えるような人がいます。
「海外に行くなら、先に語学学校に通う」とか、「必要と思われることは事前にリストアップして、計画的に準備をする」というような人です。私のような考えの者がこういう人たちを見ると、「そんな計画通りにはいかない」「前もって準備しても、思い通りにはならない」などと思ってしまいますが、反対にこういう人たちが、私たちのようなタイプを見れば、「計画性がない」「準備が足りない」などと思われるのでしょう。

この「環境先行型」も「事前準備型」も、どちらが良いとか悪いとかいうことはなく、望ましいのはこれらを両面とも持っていて、その場に応じて使い分けられるような人だと思います。ただ、そうなるのはなかなか難しいと思うので、同じチームや人の組み合わせの中で、両方の特性を持った人がいるということが良いのだと思います。

こんなことを考えている中で、それぞれのタイプとの接し方ということで、少し注意しなければならない場面が、二つほど頭に浮かびました。

一つは、顧客に対して業務提案などをする場面で、相手がどちらのタイプかによって、対応を変えなければならないということです。
相手が「環境先行型」であれば、あまりにも緻密な計画は「細かすぎる」「現実性がない」などと捉えられがちでしょうし、いくら説明しても、あまり興味を持ってもらえないと思います。
逆に「事前準備型」の相手であれば、おおざっぱな話では、「無計画」「雑」などと捉えられてしまうでしょう。どちらの場合も、せっかくの商談がうまくいかなくなってしまいます。

そしてもう一つは、人材育成の場面です。
「環境先行型」の人に対してであれば、事前に事細かにレクチャーするよりは、どんどん実体験をさせた方が本人も納得するでしょうし、身につくのも早いと思います。あまり事前準備を強いると、たぶん飽きてしまいます。

これが「事前準備型」の人であると、事前にある程度の準備期間をとり、必要な知識や技術を教え、多少は練習を積ませる必要があります。例えば「見て覚えろ」「とりあえずやってみろ」では、本人たちはまったく納得できませんし、実際について来るのも難しいでしょう。デビューさせる前には、それなりの時間が必要です。

特に二つ目の人材育成に関しては、新入社員や若手社員が辞めていってしまう一つの原因として、この「環境先行型」と「事前準備型」のタイプを見誤った指導があるのではないかと思います。
これはあくまで私の主観ですが、上司など教える側には「環境先行型」が多く、新入社員や若手社員などの教えられる側では、特に最近は「事前準備型」が増えているように感じます。

タイプ分けの視点としては、ほんの一面的な切り口ですが、人のタイプに合わせた接し方が大事だということをあらためて感じているところです。


2016年1月27日水曜日

「複数の人の目で確かめる」が大切だということ



個人的な話で恐縮ですが、ここ最近、いろいろなメディアで原稿を書かせていただく機会が増えてきました。文学的な才能もなく、子供っぽい文章しか書けないにもかかわらず、そのような依頼を頂けるのは、とても光栄なことだと思っています。

ただ、そんな中、少々反省しなければならないことがありました。
まったく別々の媒体で、内容も異なる記事ですが、その文章を確認していただいたご担当の方から、それぞれ文章の中に誤解を生むかもしれない表現があるので、その部分を直してほしいと指摘をされることが、二度ほど続けてあったのです。

一つは目次レベルの確認段階でのこと、もう一つは掲載前でのことだったので、実害があったということではありませんでしたが、迷惑をおかけしたことには変わりはなく、反省することしきりです。

ここで指摘されたことは、それぞれ自分としても表現の仕方をどうするか考えたり迷ったりしたところで、このくらいのニュアンスなら大丈夫だろうと自己判断をしたところでした。

自分として、何か文章を書くときに常に心掛けているのは、見えている事象だけでただ一方的に批判したり、誰かを傷つけるような文言だったり、不快な感情を抱かせてしまうような表現だったり、そういうことは絶対に避けるということです。
ただ、その自分のさじ加減では、読む人によっては十分ではなかった訳で、指摘されて初めて「なるほどそうだな」を気づいたということです。

私のように組織に属さず、個人をベースに仕事をしていると、何でも自分の考えで決めていかなければならないので、なかなか誤りを指摘していただける機会がありません。自分なりにそういう機会を求めていかなければなりませんが、そもそも意見を求めるかどうかの判断も、結局は自分が決めますし、自分だけの判断は、慣れなどに伴ってどうしても甘くなりがちです。

これが会社などの組織に属していれば、一つの仕事を他の誰の目にも触れさせずに完結させるようなことはまずあり得ませんし、よほど不正なことでも考えない限り、そんな行動はできないでしょう。

会社という組織の中では、一つの仕事を複数の人の目で確かめ合ったり、考えを述べあったりすることができます。組織で仕事をすることが当たり前になっている人にとっては、逆にそれが面倒だったり、うっとおしかったりするのかもしれませんが、そのおかげで個人の甘い判断が正されたり、誤りを見つけることができます。

「複数の人の目で確かめる」は大切なことであり、組織に属しているならば、お互いの仕事に関心を持って確認しあうことを嫌がらず、属していないならば、なおさらそれを自覚して行動しなければならないと感じた一件でした。


2016年1月25日月曜日

「管理職をやりたくない」というのはそんなにダメなことなのか?



「女性活躍推進法」という法律が成立し、301人以上の社員を雇用する事業主は、女性社員比率の向上や女性管理職の比率向上など、行動計画の策定が義務付けられることとなりました。

これで良い方向に進むならばいいと思いますが、私はこの件については、従来の男性中心の社会を温存したまま、そこに女性を巻き込む要素が強いと感じること、女性に対する逆差別と感じてしまう部分があること、そもそもは企業がそれぞれの経営判断のもとに行うべき内容ではないかと感じることなどから、あまり前向きな捉え方ができていません。
女性の活躍を成長戦略と結びつけてしまうなど、政治的な意図が少し強すぎて、果たして実効性があるのだろうかと心配しています。

それはさておき、この法律と関連したある記事に、気になる内容のものがありました。
日本生産性本部が2015年春に実施した新人研修プログラムの参加者を対象とした調査によると、「管理職になりたい」と回答した女性社員は53.5%、逆になりたいとは思わない女性は46.5%だったそうですが、その半年後にも同じ調査を実施したところ、今度は「管理職になりたくない」という女性社員が73.0%に増加し、なりたい女性は27.0%に減少していたそうです。

近年、若手社員の間では、男女を問わず「管理職になりたくない」という人が増える傾向にありますが、希望を持って社会に出てきた新入社員の女性が、わずか半年の間にこれほど気持ちが変わってしまうことは、ちょっとショックな感じがします。

理由はこれまで若手社員全体の間で言われてきたこととほぼ同じで、「過大な責任を負いたくない」「現場で専門性が高い仕事をしたい」というようなことですが、要は半年間で見てきた管理職たちの様子が、自分にとって魅力的ではなかったということで、現実を知ってしまったということでしょう。
ここから「女性の管理職比率30%」などと決められ、「数値目標を作れ」などと言われても、相当に先が思いやられるという気がします。

ただ、私はその一方で「管理職になりたくない」というのが、そんなにダメなことなのか、とも思っています。
私自身のことで言わせてもらえば、入社したての若手の頃も、それからしばらく経験を積んでからも、取り立てて「管理職になりたい」と思ったことはありませんでした。それでも結果的には管理職になった(してもらった?)わけですが、それは組織の中で自分の仕事をやりやすくするためには、管理職の方が都合が良いと、自分なりにも思ったからです。

「管理職になりたくない」という心理は、私はある意味当たり前ではないかと思っています。報酬に見合った仕事ではないと思ったり、ただ大変そうなハードワークに見えていたりすれば、あえてそんな仕事をしたいとは思わないでしょう。
その反対に、管理職であることのメリットを知り、管理職の人たちがイキイキと仕事をしている様子が見られれば、その考え方は変わっていくでしょう。

管理職などというものは、やりたくない人に無理やりやらせるものではありません。反対に、やりたくて仕方がない人がいたとしても、その人が適任とは限りません。

「女性管理職比率」の件は、法律で決められたことではありますが、管理職になる、ならないなどというような、会社の事情と個人のキャリアに関することで、数値目標などを要求されるのは、あまり気持ちが良いことではないと感じています。

組織の中での役割というものは、それぞれ構成する人たちが、意外にうまく分担していくものです。その点で、今は「管理職になりたくない」という人が増えているとしても、その後の立場によって気持ちは変わっていくものだと思います。そういう意味で、私はあまり心配していません。