2021年10月25日月曜日

経験が「役に立つこと」と「邪魔になること」

ある女性アナウンサーのインタビュー記事が目に留まり、その内容に共感するところがありました。

その方は、若い頃にはなかなか思ったような仕事のオファーがもらえず、腐ったり空回りしたりしながら、徐々に自分をさらけ出した自然体で仕事ができるようになったと言います。

 

かつては自分の個性をどう出すかを悩んでいたが、「個性は自分が見つけるものではなく人に見つけてもらうもの」だと思うようになったと言い、若い頃に適度な飢えとくすぶりがあったから、もらった仕事を大事に思う気持ちが生まれたと言い、経験するいろいろなものがいつか何かにつながるのではないかと思えて、今は自分が遅咲きで良かったと思っているそうです。

東京五輪の取材で、ソフトボールの上野由岐子投手が、「過去の自分が全て助けてくれている」というのを聞いて、身を持って強く共感したとのことでした。

 

過去の経験が今の自分を助けてくれるというのは、私自身も同様に共感します。「あの時経験せずに、今もそのままだったらどうなっていたか」と思ったことは、一度や二度ではありません。年齢を重ねてくる中で、「あの時の経験」が活きていると実感することは少しずつ増えてきている気がします。

ただ、その反面で良くないことだと反省する機会も同じように増えています。過去の経験から、「これはこういうこと」などと簡単に決めつけて判断してしまうことがあるからです。

 

過去に何らかの形で経験していることの場合、「それはこうなる」などと条件反射的に判断してしまいがちですが、実際には社会状況の変化や新しい理論、人間の気質の変化、世代の違い、その他さまざまな変化があり、そういった変化に向き合う際に、過去の経験がかえって邪魔をする場合があります。

 

私が専門とする人事の話であれば、新しい理論や用語、その他注目される考え方が現れてきますが、その中身をよく見ていくと、昔からあった考え方を新たな言葉で表現しているだけであったりすることがよくあります。

ついすべてわかったつもりになってしまいますが、やはり環境はさまざまな形で変わっており、かつてはセオリーのように言われていたことのニュアンスや優先順位が変わっていたりします。

このあたりは、自分が適切にアンテナを張って情報を得ていれば対応できるはずのことですが、自分が経験してきたことへの確信が強ければ強いほど、条件反射で決めつけることが増えてしまいます。

 

また、一般的に年齢を重ねるほど変化に対応する力は衰え、「自分が経験してきたこと」の範囲内で物事を解決しようとします。その経験の中で完結できれば良いですが、変化が激しい昨今は、それでは足りないことが多々あります。

私自身も以前、自分より先輩の人から「パソコンなどに頼らず、書類を手書きした方が早く仕事を覚える」などと言われたことがありますが、そういう部分がないとは言わないものの、パソコンほかITを使わない事務仕事はあり得ない環境となった今では、そんな手作業にこだわる意味はありません。

昔は普通に必要だった知識でも、今はまったく意味をなさなくなったことは無限にあります。それを「知っておいた方が良い」と言われても、もう時代が違うとしか言いようがありません。

 

このように、経験が時代錯誤に陥っていることはたくさん考えられます。「過去の経験」がただの「知ったかぶり」にならないように、注意しなければなりません。

 

2021年10月18日月曜日

「テレワーク」のとらえ方いろいろとこれからのこと

最近、テレワークについての調査結果で、いくつか目についたものがありました。

 

一つは20代の転職意識や職業観の意識調査で、それによると「転職活動において、“テレワーク”の制度があると志望度が上がるか?」という設問に対して、「上がる」が50.8%、「どちらかと言えば上がる」が30.5%で、合わせると8割以上の転職希望者は「テレワーク制度で志望度が上がる」としています。

 

テレワークをしたい頻度に関する設問では、「週に3~4回」が27.1%と最多で、次が「週に1~2回」で21.8%、「毎日」が11.6%となっています。

ただ、2か月前に同じ調査をしたところでは、「毎日」が18.2%で、新しい結果より6.6ポイント多かったそうです。最新結果で変化した分は「テレワークを希望しない」が3.3ポイント増、「天候不良など不定期」が1.9ポイント増など頻度を減らす方向に希望がシフトしており、その理由としては「チームで情報共有する時間が欲しい」「直接のコミュニケーションも大切」「週1回でも出社したほうがメリハリをつけられる」「テレワークと出社の組み合わせで、対面でやり取りをする機会も確保したい」など、実際にテレワークを経験したせいもあるのか、出社して顔を合わせなければできないことがあるとの認識が増えてきているようです。

 

テレワークが可能な職種にもかかわらず、その制度がないのは許容できないが、実務上では適切な使い分けが必要で、チームで取り組む仕事やお互いの信頼関係作りは、テレワークでは難しさがあると感じている様子がわかります。「出社にこだわる上司との衝突」などの事例を耳にしますが、この結果からは、若い働き手たちがとても真面目で良識あるとらえ方をしていると感じます。

 

もう一つは来春卒業予定の学生を対象にした「テレワークと給与」に関する調査で、「“月収25万円で出社勤務”と“月収18万円でテレワーク勤務”でどちらを選ぶか?」を聞いたところ、「25万+出社」「どちらかといえば25万+出社」の合計が84.9%で、「18万+テレワーク」「どちらかといえば18万+テレワーク」の合計15.1%を大きく上回ったとのことでした。グーグルが「テレワークを継続する社員の給与を、最大25%削減する方針」と発表したことから、学生の考えを調査したとのことで、結果としては圧倒的に給与重視ということでした。

ここでのコメントとしては、「同じ仕事で給与が違うなら高い方を選びたい」「給与に差が出るのは出社のほうが重要な仕事ということで、自分の成長を考えると出社したい」「通勤がないから妥当」「給与が減るのか仕方ないが、その分副業を認めてほしい」などとありました。

 

この2つの調査は、どちらも若い世代を対象にしたものですが、意外にテレワークの本質をついているように感じます。すべての職種で毎日出社する必要はなく、かといってすべてテレワークで完結するのは、人の心理的、感情的な面を含めて難しいでしょう。

この1年半から2年の間、多くの企業でテレワークが実施され、できること、難しいこと、その影響などがかなり明らかになってきました。「生産性を下げることなくできている」という話がある一方、それが上がったという話はあまりなく、逆に「業績に悪影響が出始めた」という会社もあります。会社としては通勤費やオフィス経費は下げられたが、それ以上の大きなメリットは見つけられず、社員は通勤がなくなって可処分時間が増えるメリットはあるが、経費面、孤独感、作業効率など、細かな負担として増えたものがあります。

 

技術革新などで環境は変わっていくと思いますが、これから当面の間のテレワークは、この調査で割合の高かった意見が、その進め方の一般基準になっていくのではないでしょうか。

 

2021年10月11日月曜日

人事制度でも同じ「成長」と「分配」の話

あるテレビ番組を見ていて、「努力は報われるのか」という話題が取り上げられていました。

当初は虐待などがある好ましくない家庭環境について、「子供は親を選べない」というニュアンスで、何が出るか選べない「ガチャガチャ」と呼ばれるカプセル玩具の自動販売機を語源にした「親ガチャ」と言う言葉から、最近は経済格差など産まれた家庭の運次第で、努力しても報われないと考える若者が増えているとのことでした。

 

実際に格差が広がっていることと、特に収入面で努力しても変わらないばかりか、逆に悪くなっていく経験を多くの若者がしていること、SNSなどで他人の生活環境が垣間見えやすくなっていることなどが、この理由として考えられるそうです。

若者の間で、将来に向けた希望が薄れてあきらめている様子が見えるのは、非常に良くないことです。

 

この「努力は報われるのか」ということに関して言えば、今も昔も変わらず「報われない努力はある」と思います。ただ、それをより多くの人が感じてしまうのは、やはり日本全体が将来に希望を見出しづらい環境だということは間違いありません。

 

この「努力に報いる」ということは、企業の人事施策の中でも言われます。ただ、実際にそれが実現できている企業は、決して多くはありません。

企業の中で「努力に報いる」というと、評価が上がってそれが報酬に反映されることが基本になりますが、成長している企業とそうでない企業では、内容に大きな違いがあります。成長企業では、業績向上によって資金的なパイが広がり、給与アップなどでの相応の見返りとしての分配を、社員みんなにおこなうことができます。

これに対して成長していない企業では、評価されても原資が少ないために分配が相応とはいかなかったり、場合によってはそれ自体がほとんどなかったりすることもあります。

また、分配というのは決まった原資を社員同士で奪い合うことでもあるため、自分の評価を上げて分配を増やすには、他人との評価序列が入れ替わる、もっと言うと誰かを蹴落とさなければなりません。

こういう競争に執着する人もいますが、最近はそのことに意義を見いだせず、競争自体を避けるような人が増えています。出世を拒む、給与にはこだわらない、社会貢献を重視するなど、経済的なメリットを求めなくなっています。

いずれにしても、成長がなければ分配も難しいのは確かなことです。

 

一方、分配自体に問題がある場合もあります。一部の人にそれが偏っているような場合です。

例えば、個人的に好き嫌いやえこひいきを感じてしまう納得性の低い評価がおこなわれていると、努力が報われることとはまさに正反対のことが起こります。「努力するだけ無駄」となってしまうのは当然で、それは親ガチャと言っている若者たちの感覚と同じものとなります。

 

国全体で「成長か分配か」といった議論がされていますが、これは企業の人事制度でも同じです。

分配するにはその原資が必要で、それを生み出すには成長が必要です。ただ、成長すれば分配の問題が解消されるところは確かにあるものの、今はそう簡単に成長できる環境ではありません。

一方、分配の偏りや不公正があるならば、それは正していかなければなりません。ただ、公正な評価をすれば問題が解消されるかと言えば、そこには難しさがあります。かなり努力したが売上にはつながらなかったなど、「報われない努力」はどうしてもあるからです。企業全体が成長していれば、そんな努力やプロセスを考慮した報酬アップをする余裕がありますが、成長がなければ評価されても見返りがないといったことが起こります。みんなを正当に評価して結果に反映することはしづらくなります。

 

結局は、「成長」と「分配」はにわとりと卵の関係であり、両方とも大事であり、どちらも並行して取り組んでいかなければなりません。報われる努力を少しでも増やして、将来に希望が持てるようにするには、それを実践していくしかありません。