2017年8月30日水曜日

「非喫煙者の有休増」はマイナスの強要でなくプラスを与えるとの考えだった

非喫煙者の有給休暇を年間6日増やす社内制度が注目されているという記事がありました。
社員から「喫煙者は通常の休憩以外にも1日数回業務を離れることがあり、非喫煙者との間に生じる業務時間の差は問題ではないか」という意見があったことがきっかけで、この不平等感の解消と健康増進のために制度化したということです。

喫煙休憩では移動も含めて1回20分前後つかうということで、それが1日2回と仮定すると1か月で1日分以上の時間になりますが、そのすべてを有休に置き換えると、年間12日以上となって業務がまわらなくなるおそれがあったため、半分の6日ということだそうです。

この話ではネット上を中心に賛否両論あり、「勤務時間中は全面禁煙にすればいい」などといった意見があったようですが、これに対して会社は、喫煙者の比率が比較的高かったので禁煙はさすがに酷だと考えたことと、「喫煙者に吸わせないというマイナスを強要するより、非喫煙者に何らかのプラスを与えるほうが“吸わないメリット”を考えやすいだろう」ということから、このような形の制度にしたとのことです。あわせて健康面も考えてもらえればという意図もあり、実際にこの制度をきっかけに禁煙した社員もいるそうです。

特にタバコにかかわることの扱いは意外に難しく、私は自分が吸わないのでどうしても非喫煙者の意見に偏りますし、逆に吸う人には吸う人の言い分があると思います。その折り合いはなかなかつきませんが、私はこの「マイナスを強要するよりプラスを与える」という考え方には、とても共感するものがあります。

これはある会社であったことで、「交流を深める」「コミュニケーションをよくする」といった目的で様々な制度を導入するのですが、そこには必ず罰則、ペナルティーがついていました。
その会社の社長は「強制しなければやらないから」といっていましたが、これらの制度はことごとくうまくいきませんでした。表面的には制度が運用されますが、それは罰則がつかないギリギリの線で、ただこなしているというだけで、そもそもの目的はほとんど達成されません。
そのうちに制度は徐々に形骸化して消滅し、その後また新たな別の制度が始められ、そこにはまた同じように罰則、ペナルティーがついています。

これはどんな制度でも言えることですが、「やらないと損をする」ではなく「やった方が得をする」という方が、当初の目的に達する確率も制度の定着度も高いです。
また、部下の行動改善などをしたいというようなときも、「やらないと損をする」よりは、「やった方が得をする」の方が受け入れられます。ただし、それが本当に自分にとってプラスになると納得されることが必要ですが、マイナスを強調した時よりは行動につながりやすいです。

「アメとムチ」などといい、マネジメントには厳しさやキツさと、優しさや温かさの両方が必要ですが、厳しさが前面に出過ぎると“失敗したくない”“怒られたくない”という気持ちが強まり、行動自体は抑制されてしまいがちです。「行動することを促す」「新たな行動を始める」ということを重視するのであれば、それに見合ったプラス、得、インセンティブといったものがあるとよいです。

人の行動を促す上で、「マイナスの強要でなくプラスを与える」という考え方は、とても大事だと思います。


2017年8月28日月曜日

「顧客の無理な要求」には応えなかった人の方がうまくいっている



ある新聞記事に、「顧客の無理な要求、どう対応?」というものがありました。
紹介されていたのは、昼食の弁当代こちら持ちのランチミーティングの強要と、休日のゴルフ送迎の強要ということでした。どちらも同じ会社の担当者からの要求のようで、高級な弁当を要求されるようになったり、自分が関係ないゴルフでも送迎を求められたりと、同じようにどちらエスカレートしているようでした。
どうも自社の上司もそのことを容認していたらしく、この記事では個人の判断ではなく、会社としてどう対応すべきかの指示を受けるように勧めていました。直属の上司があてにならなければ、自分であてになる人を探して処理するしかありませんから、確かにその通りだと思います。

私自身は、こういう無理な要求をしてくる顧客には出会ったことがありません。ただ、細かいことで言えば、初めの提案の時に意味なく恫喝されて無償対応を要求され、その場で断ったというような経験はあるので、いま思えばそういう顧客がこのタイプなのだろうと思います。
私の場合、自分が代表者の立場なので、そもそも自分が理不尽と思うような要求はその場で断ってしまうことができますし、そういう人とのお付き合いは続かないことがほとんどなので、たぶん出会う機会もないのでしょう。

周りの人を見ていてもそういう話はめったに聞きませんが、ごくまれに耳にすることはあります。これはずいぶん前の話ですが、ある社長が個人的なつながりがある顧客から、物品や金銭、飲食などを含めた様々な見返りを要求されていて、それに応じ続けてしまっているということがありました。

伝え聞いたところでは、社長自身は「仕方がない」「やむを得ない」と言っていたようですが、まさにありがちな形で要求はエスカレートしていて、その顧客からの発注状況に見合うものではなくなっていたようです。

こういう話で必ず共通しているのが、顧客に対する自社の力関係が圧倒的に弱いことと、自社の方で「仕事が減る」ということを極端に恐れているということです。
この「会社間の力関係」というのはどうしようもない部分があり、対処の仕方は会社全体としての判断でおこなっていくしかありませんが、もう一つの「仕事が減ることを恐れる」というのは、わりと個人の資質に左右されていることが多いと感じます。
これは経営者に限らず、「顧客数が少ない」「付き合いが狭い」「見込み顧客がいない」という人ほど、この手の筋が良くない顧客と付き合っています。「仕事が減ったら他の顧客で穴埋めする」と考えられるだけのリソースがないということでしょう。
こういう人が、たまたま顧客に弱みを見せてしまって、それを相手に握られて、それがたまたま弱みにつけ込むような人格の相手で、その人に出会ったせいで無理な要求をされるような関係になってしまったということだと思います。

私の周りには、たくさんの経営者や管理者、自営業者の方々がいますが、少なくともうまくいっている人からは、こういう「顧客からの無理な要求」の苦労話を聞くことはほとんどありません。しいていえば「あんな無理な話は断った」ということはたまに聞きます。
うまく行っている人の中にそういう話が少ないということは、やはり無理な要求に応えることにはそれほどメリットがないという一つの証明だと思います。

ただ、単純に「そんな人とは付き合うのをやめればいい」といっても、組織で働いていて一般社員に近い立場などとなれば、それはそう簡単にはいきません。すでにエスカレートした状態の顧客を引き継ぐようなこともあるでしょう。
こればかりは記事にもあったように、自分で抱え込まず、社内各署に会社としての考え方を確認していくしかありません。


こういう無理な要求というのは、得てして大きなトラブルや不正に発展することがあります。会社のコンプライアンスの面からも、できるだけ表沙汰にしていくことが必要だと思います。


2017年8月25日金曜日

「パワハラ」と言われることの本質は、今も昔も変わらないと思うこと



最近のちょっとした雑談の中で、以前経験した仕事の話をしていると、よく「今だったらパワハラと言われてしまう」という話が出てきます。
その当時の上司の言動や態度であったり、本人のことであったりしますが、「あの頃は許されていたけど、今だったらアウト」という話がたくさんあります。

特に今現在で管理職を担っている人たちは、「何かと気を使わなければならないのでやりづらい」などといいますが、では「パワハラ」と言われてしまうような行動の基準が、本当に昔の方がゆるくて今が厳しいのかと言えば、私はそうではないと思っています。

確かに裁判沙汰になって罰せられたり、社内での懲戒処分を受けたりという話は、昔はあまり聞いたことがありませんでしたが、最近はそうではありません。メディアなどを通じて事件として表に出てくることもずいぶん増えました。処分のされ方や追求のされ方は厳しくなったのだと思います。

しかし、「パワハラ」「セクハラ」といった嫌がらせにあたることというのは、その基準は相手の「嫌だ」という感情にあります。あくまで個人の主観によるものなので、例えば同じ行為をある人がやっても平気だが、別のある人がやるとハラスメントになることがあります。だから相手の感情に合わせて、自分の基準よりもさらに抑制的であることが必要だと言われます。

では、この「嫌だ」という基準が昔は甘かったのかというと、私は決してそうではないと思います。今も昔も同じように「嫌だ」とは思っていても、昔はそれを「言えない」「言わず我慢する」ということで、表に出ることが少なかっただけであり、今は声を上げられるような環境が作られたというだけのことではないでしょうか。

ですから「昔はセーフだったが、今はアウト」ということではなく、“相手が嫌だと思うこと”というハラスメントの定義からすれば、「昔でもアウトだった」ということが大半であり、それが当時の環境のために「言われずに済んでいただけ」ということではないかと思います。
「今だったらパワハラになってしまう」のではなく、「昔でも同じようにパワハラだった」ということです。時代背景として指摘されずにすんでいただけで、避けられたり嫌われたり信頼されていなかったりといったその人の見られ方という点では、たぶん今と変わらなかったでしょう。

最近は何かにつけてすぐハラスメントと言われてしまうと嘆く人がいます。確かにちょっと厳しめの言葉で指導すると、すぐに「パワハラ」だといわれてしまうなど、そういう面がないとはいいません。

ただ、「パワハラ」や「セクハラ」といったことは、決して昔は甘かったわけでも、やったことがセーフだったわけでもなく、今と同じように相手が嫌な気持ちになっていたのを、たまたま我慢してもらえる環境だっただけということは考えておく必要があります。

逆に「今はアウト」の中には、そこまで嫌とは感じていなくても、声を上げやすくなった環境に乗っかって、とりあえず言っているだけのようなものも含まれます。これに対してはハラスメントではないことを相手に毅然と伝えなければなりません。

「パワハラ」と言われるような行動や態度は、本質的な部分では今も昔もそれほど変わっていません。こういうことが起こらないための基本は、昔から言われている通り、一にも二にもお互いの信頼関係に尽きます。
そして、今の方が声をあげやすくなったということでいえば、昔以上に信頼関係が重要になっています。信頼関係とコミュニケーションの重要度が増したということで言えば、今の方がよほど大変なのかもしれません。