2019年6月27日木曜日

「身の丈の仕事でいい」という社長の話


数年前に知り合ったIT社長の話です。
社員20名ほどの小さな会社ですが、技術的に何が得意とか何が強いといったことはそれほどなく、業績も利益は出るが売上は上がったり下がったりです。堅実な会社とは言えますが、見方を変えれば、良くも悪くも特徴がない地味な会社です。

社員の皆さんの性格は何となく似ていて、あまり人を引っ張るタイプではなく、どちらかと言えば口数が少なく、アグレッシブな感じではない人がほとんどです。こう言い切ってしまうのは失礼かもしれませんが、一般的に言われる優秀な社員、できる人材という雰囲気ではありません。あまり勉強している感じでもないですし、技術的な興味も今一つ少ないように見えます。表面的には上昇志向が見えません。ただし、真面目でいちいち文句は言わず、コツコツと仕事をこなす人たちです。

社長自身もたたき上げで、それなりに苦労してきた人ですが、社長の好みなのか、そういう人から好かれるのかはわかりませんが、時折入社してくる社員も同じようなタイプです。
社長に聞くと「優秀な人が応募してくれることはあるし、こちらは歓迎だけど、なかなか入社してくれないね」と言っています。それが本心かどうかはよくわかりません。

この社長がよく言うのは、「社員の能力やレベルに合った身の丈の仕事でいい」という話です。
「“みんなが上を目指して”、“他社と競争して勝ち抜いて”、“会社を成長させて大きくして”というのは、経営者として普通の価値観かもしれないが、うちの社員たちはそういう性格でないし、それをやったら苦痛だろうし、たぶんみんなつぶれてしまう」
「この人たちに見合った仕事を探して、ちゃんと生活できる収入を得られるようにして、そこで会社が存続できる程度の利益が出せればよい」
「やれる仕事を見つけてくるのが経営者の仕事」
とおっしゃっていました。

私は人事という立場で、「どうやって優秀な人材を集めるか」「どうやって社員の能力を高めるか」「業績を高める人事戦略は」などという視点で考えることがほとんどですが、実際にはそんなに都合が良い人材ばかりがいる訳もなく、みんなが勉強家で上昇志向にあふれている訳でもありません。こちらの一方的な都合だけで社員をあおっても、それがつらい人や苦痛な人は大勢いるでしょう。

最近読んだあるコラム記事でも、同じような話がありました。
「自分たちの仕事はそれほど難しいことでなく、決められた作業の繰り返しで、しかも拡大志向ではないので、それでは絶対に物足りなくなるような優秀な人材は採用しない」といいます。

会社として成長、上昇,拡大を目指すのは、一般的なことのように思えますが、今いる人材の「身の丈に合った仕事」を探して、仕事をする場所を作るというのは、こういう志向とは異なる、しかし一つの大事な見方だと思います。
例えば、次から次へと新しいことに興味を持ち、自分で学ぼうとするような優秀な人にとっては、同じことの繰り返しで、退屈すぎて続けられないような仕事でも、コツコツ地道にコンスタントに継続することができるのは、その人材の強みと言えます。
また、続けることによって、どんなに速度が遅くても、徐々にその仕事に慣れて中身に詳しくなることができます。大きな変革はできなくても、中身がわかってくれば、身近のちょっとした改善はできます。

「身の丈の仕事でいい」という話を聞いて、あらためてみんなが同じ高みを目指す必要はなく、すべての人にそれぞれふさわしい持ち場があるのだと思います。


2019年6月24日月曜日

「低い離職率」にもデメリットがある


このところ、いくつもの会社で取り組み課題としてあげられるテーマに、「退職者対策」があります。「人材不足」「採用難」の環境があるので、人材が完全充足しているなど、よほどの安定企業でない限り、どの会社でも多かれ少なかれ、「離職率」については何らかの施策に取り組んでいます。

採用活動をしている中でも、応募者から「御社の離職率を教えてください」などという直球の質問を受けることが時々あります。「離職率が高いこと」イコール「ブラック企業」の発想があるから、そんな質問が出るのだと思います。

ただ、「低い離職率」にも、デメリットがあります。
一番は、人材が固定化して、様々な部分で環境変化が起こりづらいことです。
例えば、組織内のポジションが空かないため、昇進がしづらくなります。一度偉くなった人はいつまでも偉いままで、社内の序列が固定化されます。これを防ぐために役職定年制などを取り入れる会社がありますが、社内に軋轢を生んでしまったり、人材不足で後釜がおらず、制度自体が機能しない会社の話も聞きます。

また、自身の社外価値を意識しないので、一般的な知識を増やそうとか、世の中で通用するスキルを身につけようとか、そういう発想自体がなくなります。自社の業務に通用するスキルさえあれば良いと考えるので、知識を得ることに意欲的な社員が少なくなります。

俗に「ぶらさがり社員」などといわれる、最低限の仕事しかせずに会社にしがみつく社員が出てきて、意欲的な社員のモチベーション低下を招きます。
組織の変化、改革が起こりにくく、時代遅れなことをいつまでも続けていたり、そもそも何かを変えようという問題意識や実行力がありません。
交友関係は、社内と一部の関係先に閉じられ、人脈に広がりがありません。
社外の一般的な標準からかけ離れてしまう、いわゆる「ガラパゴス化」が起こりやすくなり、そうやって世間の動きから離れてしまうことで、生存競争に弱くなります。

採用や教育コスト、会社への帰属意識、仕事への慣れ、企業ブランディングとしての見られ方など、「低い離職率」のメリットはたくさんありますが、その比率は徐々に低下しているように感じます。
それは「低い離職率」が、「終身雇用」の考え方に近く、最近はその継続の難しさが、多くの人から語られていることとも共通しています。

少し前の話ですが、ある会社で「高い離職率」を、成長途中の一時的プロセスと捉えて、人材の新陳代謝を進めたところがありました。
急成長するような会社では、後から入社してくる人の方が優秀とのことで、その優秀な人材にあおられて、居づらくなって辞めていく人も多かったそうで、そうやって現在の組織の基礎を築いたそうです。
今のような「採用難」の時代では難しいでしょうが、視点を変えるとそういう考え方もあるということです。

私自身のことで言えば、以前いた会社から転職していった人たちや、組織や仕事の枠を超えて出会った様々な人たちのおかげで、自分の人脈が広がったという意識があります。人材の流動化は、今の私にはメリットとなりました。
円満退職なのに裏切り者のように非難する人がいますが、私にとってそういう発想は論外です。転職などの変化があっても縁を切らずにいれば、人とのつながりは、どこかで必ず広がっていきます。

安心して勤め続けられる会社が素晴らしいことに異論はありませんが、その一方で、人が入れ替わっても多くの人とかかわれる会社、どんどん変化を重ねて成長していく会社にもまた価値があります。
物事にはすべて裏表があり、一面だけを見てもわからないことがたくさんあります。すべてが善のように見える「低い離職率」にも、そんなところがあります。


2019年6月20日木曜日

「世代の違い」を理由にすると思考停止になる


部下や若手社員の指導、育成に悩んでいるマネージャーは多いですが、そういう時にわりと高い確率で「世代に違い」の話になります。
つい先日も、ある会社でそんな話になりました。

その会社では、年令的には50代以上の人がほとんどで、「仕事に向き合う姿勢が甘い」などと言い出したので、そもそも建設的な話にはならないパターンです。
なぜかというと、この手の話の展開は、自分たちと「違っていること」ばかりが強調され、それが「良くないこと」だと決めつけられ、さらに解決や改善のための具体策は見つからないままで終わるからです。
あたかも具体策のように、「もっと厳しく指導する」などの話が出て、そういう研修に行かせるなどと言う会社がありますが、それは根拠がないただの精神論で、解決策でも改善策でもありません。

世代の違いと語るとき、こんな話を聞いたことがあります。
それは、自分の10代後半から20代の、俗にいう青春時代に接した文化や社会背景を、年令を重ねても引きずるものだという話です。その当時に聴いていた音楽や、流行っていたファッションなどは、時代が変わっても何となくそこから離れられないといいます。そう言われると、自分にも思い当たることがたくさんあります。
人間の気質にも、同じくそういうところがあって、バブル世代や就職氷河期世代など、みんな時代背景それぞれの気質があり、それは教育などで簡単に変わるものではありません。世代間で「違っていること」に注目すると、こんなことから解決の糸口が見つけづらくなります。

ここでちょっと見方を変えて、「世代が違っても共通していること」に注目してみます。
例えば、「きれいな景色」は世代を問わずに共通ですし、「おいしい食べ物」は確かに時代のはやりはありますが、世代というよりは個人の好みの違いです。
人とのかかわり方でも、「褒められたり認められたりするとうれしい」とか、「他人にやさしくすると良い」」とか、世代を問わずに共通する気持ちがあります。

こういったことで、世代によって違うのは、その「基準」とそこに至る「道筋、やり方」です。
例えば「顧客満足」のとらえ方のレベルが低いとすれば、その基準が違っているということなので、そこに対する指導や働きかけはできます。ちなみに年長者ほど意識が高いとは限らず、「そんなことは適当でよい」などと言って若手に幻滅されることもあるので、注意しなければなりません。

例えば「他人にやさしく」は、どんな形で接するかは人によって感じ方が違い、そこに世代の差はあります。しかし、こんな方法がある、こんなことを気にする人がいるなど、違っている基準ややり方をはっきりさせれば、お互いに認識して歩み寄ることができます。

これらはあくまで一つの考え方で、実際にそう単純でないことはたくさんありますが、人材育成などの場面で、うまくいかない理由を「世代の違い」に求めてしまうと、そこにステレオタイプなイメージが重なって、それ以上の思考が止まってしまいます。

部下が報告したいことがあっても、忙しそうな上司を邪魔してはいけないと気をつかって、話しかけるのを躊躇していて、その上司は「なぜすぐ報告しないのか」と部下を叱責し、「今どきの若いものは責任感が足りない」などと怒っていたりしますが、これは報告する基準ややり方をはっきりさせれば済むことで、「世代の違い」による問題ではありません。

世代が違っても、実は総論では共通していることの方が圧倒的に多いです。確かに「世代の違い」と言える感覚の違いはありますが、根本の価値観の違いに原因を求めても、そこに解決策はありません。そこで、「基準」と「道筋、やり方」の違いを見つけて調整すれば、思考停止に陥らずに済みます。
「世代の違い」を理由にしてしまうことには注意が必要です。