2018年4月30日月曜日

「アメとムチ」ではなく「アメと無視」が効果的という話


心理学の話が紹介されている記事の中で、「アメとムチ」ではなく、「アメと無視」の方が効果的だという話がありました。

「アメとムチ」とは、心理学でいう外発的動機づけにあたり、「手伝いをしたら欲しいものを買ってあげる」「勉強しないとお小遣いを減らす」といったものですが、これらは効果が一時的で長続きしないことがわかっています。

ここで目にしたのが「アメと無視」という話で、著名な心理学者の植木理恵さんの著作ほか、いろいろなところで紹介されています。
相手が望むようなことをしてくれた時に、褒めるなどのアメを与えることは同じですが、もし望まないことの場合は、非難したり叱責したりするのではなく、単に無視してやり過ごすというものです。

ムチの場合は、その使い方を誤ると、それを恐れて行動すること自体を放棄してしまい、「意欲がない」「自分から行動しない」という人を作り出してしまうことにもなりかねないとのことです。相手の意欲を盛り上げようとしたとき、ムチは意外に役に立たないのだそうです。

ミスや不都合があったとき、ムチによって罰や叱責を与えるのではなく、あえて無視してしまうと、人はより良い行動のためにリスクをとることができるようになるので、行動することを促すことができます。
また、相手へのアメとなる好意的な表現をあえて減らしていくと、人はさらに上の努力をするようになり、好意的な反応があったときの喜びが増すとか、そんな効果があるそうです。同じアメではマンネリ化して効果が薄れていくことを避けられるようです。

このあたりの話を会社で当てはめてみるとどうでしょうか。
例えば「仕事で頑張るとボーナスが増える」「給料が上がる」などというのは外発的動機づけですが、そのことがすぐに当たり前になってしまい、効果が続かないばかりか、逆に不満を生んでしまうこともあるという経験をしている人は多いでしょう。

最近は、特に若手社員に対して「意欲がない」「自分から行動しない」という話を聞きますが、これは決して意欲がないわけではなく、他人からのダメ出しを恐れ、失敗しないように慎重になっているということがあります。そういう教育をされてきたという本人たちの責任とは言えない面もあるでしょう。
本人たちはやる気満々で仕事の指示を待っているのに、それを受け身と捉えられて「やる気がない」などといわれてしまい、どうしたらよいのかわからなくなってしまったという話を聞いたことがあります。

ここで「アメと無視」という方法であれば、行動すること自体への恐れを軽減して、良い行動に向けた試行錯誤を促すことができます。もちろんムチが必要な場面はあり、それは度を越えた大きなミスや不注意、不正行為に関することなど、その行動自体を止める必要があることに限られるでしょう。

人材育成の場面での「アメと無視」は、十分に試してみる価値がある方法だと思います。

2018年4月27日金曜日

「自分の普通」と「相手の普通」、いろんな“普通”がずれてきている


「普通は気づくだろう」「普通やるだろう」「これくらいは普通だ」など、ビジネスの現場で、「普通は・・・」という言葉は意外によく聞くことがあります。ほとんどが自分と相手との間で考え方や態度に違いがあって、相手のことを批判的に言うときです。

「自分の普通」と「相手の普通」が食い違っていて、そこでは自分にとっての“普通”の方が正しく、それは他人が教えるまでもない、そもそも本人が身につけておくべきことだという捉え方をしていて、だいたいが解決策のない愚痴のような話になります。
似た表現では「常識」という言葉も同じような使われ方をしますし、世代の違いや時代の違いなどをいうときは、「普通」や「常識」が使われる典型的な例でしょう。

この“普通”というのは、そもそも100人いれば100通りあることで、それは今も昔も変わっていないはずです。ただし最近は価値観が多様化している流れもあり、この“普通”のバラつきが大きくなっている気がします。
昔であれば、日本人特有の高コンテクスト(空気を読むなど)の社会の中で「普通」といえば、個人差があったとしてもそこそこ一定の幅におさまったのだと思いますが、最近はそうならないことが多くなりました。

お互いの「普通」の距離が広がると、人間の取る行動は大きく二通りに分かれます。
一つは相手を「自分の普通」に相手を近づけようと働きかけることです。ただしこれは価値観の押し付けとも言え、お互いの「普通」の感覚が離れていればいるほど受け入れられないものです。表面的に受け入れられたように見えても、実際には不満を生んでいるだけであまり良い効果はありません。

もう一つは、何も言わずに「相手の普通」を受け入れるというものです。納得しないが放置するといった方が正しいかもしれません。例えば若手社員に対して「飲み会は嫌がるから誘わない」「パワハラと言われないようによけいな雑談はしない」などという人がいますが、相手の感覚に不満を持ちながら合わせているということでは同じようなものです。
こちらも相手との接点を避けているということで、あまり好ましいことではありません。「相手の普通」は多様ですから、一概に決めつけてしまうのは良くありません。

ここで、私が実際にやって見て、意外に良いと思うことが一つあります。それは「普通」や「常識」という言葉を使わないということです。
「普通」「常識」を使うのをやめると、そのことに関する背景や、だからこうしてほしいという具体的な行動を説明しなければならなくなります。確かに手間はかかるし面倒ですが、業務指示と考えればやらなければならないことです。

さらにこれを続けていると、だんだんと「チームの普通」や「会社の普通」ができてきます。それは必ずしも「個人の普通」とは一致しませんが、別のくくりで共通の価値観は作られていきます。
例えば「プライベート重視」などという価値観は、「自分の普通」の一種なので基本的に変わりませんが、ある案件に関する背景や重要性を説明して、この場面に限っては業務優先だと説明すれば、それでも断固拒否という人はめったにいません。

「普通」という言葉は一見便利に見え、みんな安易に使いますが、それはだんだん通用しづらくなっています。文脈に頼らずしっかり言葉で表現するコミュニケーションを心がけると、お互いの「普通」は違っていても、納得感はずいぶん良い方に変わっていくはずです。


2018年4月25日水曜日

ビジネスでの「苦手な人」の対応でやってはいけない一つだけのこと


程度には差があったとしても、誰でも「苦手な人」がいると思います。
先日あるテレビ番組で「苦手な人」への対処方法として紹介されていたのは、「距離を置くこと」でした。「苦手な人」と仲良くなろうとか関係を良くしようとか無理して付き合おうとせず、挨拶や最低限の礼儀、その他のコミュニケーションだけを保ちながら、あえて近づこうとしないのが対応としては良い方法だとされていました。

ただ、これがビジネスの場でのこととなると、一概に「距離を置くこと」は難しい場合が出てきます。特に上司と部下の関係でお互いもしくはどちらかが苦手と思っていたとして、ただ距離を置くという訳にはいきません。最低限のコミュニケーションも、仕事が関わるとなればそれなりの量が必要です。

先日もそんな質問を受け、それは能力は高いが態度に横柄なところがある部下に、上司が苦手意識を持っているものでしたが、私がその場で言ったのは「できるだけ一対一で向き合わないこと」でした。決められた個別面談などの特別な場面は除いても、他では自分の上司や他のリーダーなど、できるだけ第三者を交えてコミュニケーションをとることで、多少は改善できるのではないかと思ったのです。それでも難しければ、配置転換ということも選択肢ではないかと考えました。

ただ、後からいろいろ考えると、上司と部下で一対一にならないようにするのは結構難しいことですし、異動はもっと広い範囲に影響を及ぼすので、簡単にはできません。
状況に応じていろいろな手を考えなければなりませんが、特に中小企業の場合は仕事内容が特殊、代替要員がいないなどの事情で、人間関係を組み替えられないことが多々ありますし、部長はいつまでも部長で課長はいつまでも課長など、序列が固定していて下剋上はない環境であったり、営業も総務も経理も工場も、ずっと同じ顔触れであったりするので、「苦手な人」が身近に固定されやすい事情もあります。
そんな一種の閉塞感が生産性を下げたり、メンタルダウンを引き起こしたり、退職につながってしまったりします。

そう考えると、ビジネスの上での「苦手な人」への対応は、この「閉塞感を少しでも減らすこと」になります。相談先、代わりの人、逃げ場や逃げ道を作って、直接対峙し続けずに済むようにすることです。
その中には確かに「一対一にしない」「異動や配置転換」という方法はありますが、決してそれだけではありません。

ここで注意しなければならないのは、自分にとって「苦手な人」という気持ちを転換するのは相当に難しいということです。中には「付き合っていれば気にならなくなる」「そのうち慣れる」「見方を変えればいいところがある」など、苦手意識は変えられるという人がいますが、それはかなりのレアケースで多分に精神論が混じっています。

ビジネスの場での「苦手な人」への対応は難しく、状況に応じていろいろな方法を考えなければなりませんが、ここでやってはいけないことは一つだけ、それは「環境を変えずに人の気持ちを変えようとすること」です。
「苦手な人」は本人が努力しても簡単には変えられません。周りが意識して環境を変えなければ、複雑な人間関係で苦労する人が増えるだけではないかと思います。