2019年1月17日木曜日

「リスクと取らないことこそリスクだ」という話


「リスク・マネジメント」とは、“リスクを組織的に管理して、損失等の回避や低減を図るプロセス”と定義されますが、その重要性が東日本大震災以降は、事業継続の観点から一層強調されるようになりました。

私もそれが大切だということは、それなりにわかっているつもりでしたが、つい最近専門家の方からお話を聞く機会があり、そこでの話は私自身が今まで持っていた認識とは少し違ったイメージのものでした。「リスク・マネジメント」は、ただ「リスクを避けること」だけではないという話です。

「リスク・マネジメント」は、日本語に直訳すれば「危機管理」となりますが、「危機」の“危”は文字通り危ないということと合わせ、“機”は機会の意味だといいます。
「リスク」の語源には諸説あるようですが、イタリア語で「勇気をもって試みる」という“risicare”や、アラビア語で「今日の糧を得る」といった意味の“risq”があり、まさにポジティブに何か得るための「機会」の意味です。

「リスク」には二面性があって、災害や紛争のような「ハザード」の意味で、そこから受ける被害を最小化することがありますが、その一方で、発展を目指して何か行動する際に失敗の芽を先に摘んでおくことや、実行するための安全度を増すという側面があります。リスクを避けるだけでなく、リスクをとって対処するということです。
「橋を渡らないことではなく、橋を渡るために必要なのがリスク・マネジメントだ」ということでした。

こういわれると、仕事上の行動や日々の活動が、すべてそれにつながっている感じがしてきます。
外出しなければ交通事故にあう可能性は限りなく低くなりますが、それでは経験できることがかなり限定されます。
人間関係の軋轢を避けるだけならば、他人とは一切付き合わなければ良いですが、それでは人を関わることで得られる喜びはありません。
ネットの炎上防止も、発信をやめるよりも発信のしかたや内容を考えた方が前向きです。
新規事業や起業などはまさにそうで、そんなことをしなければ失敗することはありませんが、成功する可能性もありません。

リスクと聞くと、ついつい「危険」を避けることばかりに意識が向きますが、本来はリスクをとって「機会」を作り、そこで起こる問題に向き合うことで、最終的な果実が得られます。
「リスクと取らないことこそリスクだ」という言葉も目にしました。

身の回りの「リスク」を見直し、そのかかわり方をあらためて考えると、実はもっと積極的に取り組めることがたくさんありそうです。今までとはもう少し違ったことができるのではないでしょうか。

2019年1月14日月曜日

自分で「何とかできること」と「どうしようもないこと」を区別する


ある会社のメンバー数人が、自分たちのチームリーダーに対して、「話を聞いてくれない」「指示が不明確」などと言い、「リーダーの仕事をしていない」などと不満を話しています。

その矛先のチームリーダーに話を聞くと、こちらはちょっと悩んだ表情をしながら、「メンバーたちに自分の思いが伝わらない」といいます。
リーダーが言うには、チーム内で日常業務として当然やるべきことが放置されていたり、指示したことが徹底せずにルーズに扱われていたりすることがあるそうです。メンバーを気づかっているつもりのことが、かえって裏目に出て反発を浴びたりすることもあるといいます。

チーム内のコミュニケーションに問題があるのは間違いありませんが、それぞれの立場で言っていることには、共通している点があります。それは「相手が自分の思い通りの行動をしない」と不安を言ったり批判したりしていることです。

ここで考えなければいけないことは、「他人が自分の思い通りにならないのは当たり前」ということです。相手に自分の意志を伝えて働きかけることは「何とかできること」ですが、その結果がどうなるかはあくまで相手次第で、自分でコントロールすることはできません。相手の行動は、自分では「どうしようもないこと」です。

いろいろな人に話を聞いていると、この「自分ではどうしようもないこと」に対して、いら立ったり腹を立てたり、不満を言ったり批判をしたりということは、実は思いのほか多いです。自分では「どうしようもないこと」で、よけいなストレスをためています。
ここでお勧めしたいのは、「自分で何とかできること」と「自分ではどうしようもないこと」を、しっかり区別する習慣です。このことを意識していると、特に人間関係上の他人に対する不満は、ずいぶんと軽減されます。

前述の話であれば、例えばリーダーが「話を聞いてくれない」ことは、話を聞かない相手の行動を変えることはできませんが、聞いてもらえるまでこちらから話し続けることはできます。
リーダーの「指示が不明確」なことは、相手の指示のしかたは変えられませんが、自分から指示を確認して明確にすることはできます。
「指示が徹底せずにルーズになる」というのも、自分で「何とかできる」のは、指示が徹底するように伝え続け、確認し続けることまでです。

人間には、自分の努力ではどうしようもないことがあり、それは他人の気持ちであったり組織上の制約であったり、その他いろいろあります。そんなことはいくら考えても仕方ないことで、そういうことは放っておくしかありません。

相手の気持ちや行動を変えようとしても、相手にその気がなければどうにもなりませんが、自分の行動は自分で変えることができます。
自分で「どうしようもないこと」をしっかり区別していると、逆に自分で「何とかできること」が見えやすくなります。

自分では「どうしようもないこと」に関する悩みが、意外に多い感じがしています。

2019年1月10日木曜日

「食事を共にすると親密になる」という話


最近は会社の飲み会や上司からの飲みの誘いを嫌う若手社員が増えているといいます。
ある調査によれば、「職場の飲み会に行きたいかどうか」を尋ねると、20~30代では行きたい人が47%、行きたくない人が53%と、若干ですが行きたくないと思う人が上回っています。
ただ、同じことを上司の世代に聞いても、行きたい人が52.3%、行きたくない人が47.7%と、行きたい人の割合がわずかに上回るものの、同じく2人に1人は前向きでないそうです。
どうも世代を問わずに、会社の飲み会はやりづらくなっているようです。

また、20代を対象にした別の調査ですが、「職場の飲み会のどんなところが苦手か?」という問いには、「お金がかかる」という答えが男女とも5割強あり、さらに男性ではそれと同等、女性では6割を超えて「気を使う」という回答が多かったそうです。やはり上司や先輩、その他交流がない人もいる席ではリラックスすることができず、プレッシャーを感じることが大きいようです。
たぶんこれは上の世代でも同じで、誘い方や話す内容、行く店をどうするか、お金をどうするかなど、とにかくいろいろ「気を使う」という話を聞きます。

一方で「会社の飲み会の必要性」を聞くと、全体で58.9%が「必要だと思う」と回答し、男性では全世代で64~67%が必要だと答えています。
行きたくないけど必要ということでは、仕事の一環と割り切っているのかもしれませんが、そうであればなおさら「できれば行かずに済ませたい」となってしまうのでしょう。

私個人のことで言えば、お酒はそれなりに飲めるし、食べるのは好きだし、人見知りもせず、会社や仕事関係の人との飲み会を嫌だと思ったことがないので、若い頃からその手のお誘いにはよくお付き合いさせて頂きました。
そのおかげで人脈形成できたことがたくさんあるので、飲みニケーションについては肯定的に思っていますが、これをそのまま他の人に勧めるかというと、それが苦手な人は大勢いますし、強要するものではないと思います。

ただ、お酒を飲まなくても、親交を深めるために食事の場をともにするのは、人種や文化を問わず万国共通です。
これは人間が原始時代から集団生活をしており、常に群れで行動してきたため、食事を共にするものは仲間だと思う人間に刷り込まれた本能だという話を聞きました。

また、心理学の研究によれば、食事は快楽や充実感と密接な関係にあり、それを共有する相手には好意的な感情を抱くのだそうです。これを利用した「ランチョン・テクニック」といわれる交渉の手法があり、ランチョンは本来昼食の意味ですが、それに限らず食事をしながら交渉をすると、話しの内容がポジティブになって依頼が通りやすかったりするそうです。

「食事を共にすると親密になる」がすでに備わった人間の本能ならば、それを利用しない手はありません。飲み会や食事会くらいはプライベートで、気の合う仲間同士でやりたいと思うかもしれませんが、誰でも何人かはいるはずの苦手だけれど付き合わざるを得ない人や仲良くなりたくても距離が遠い人、その他近寄りがたい人たちと、飲食の場を使って打ち解けられれば、自分にとっては得になることしかありません。何よりも自分の身の回りの環境が良くなります。

職場の飲み会や食事会に対しては、あまり身構えたり避けたりせず、もっと気楽にうまくかかわれば、結構よいビジネスツールになると思うのですがいかがでしょうか。