2019年12月26日木曜日

「変えられない組織風土」を変える方法はあるか


広告大手の「電通」で、新入社員が長時間労働やハラスメントによって自殺に追い込まれた事件が4年前にあり、その時は社長が引責辞任までして、会社としても残業時間の上限削減や、22時全館消灯などのルールを策定して長時間労働対策を行っていましたが、ここへ来てまた、社員に違法残業をさせていたことが発覚しました。

前の事件で会社は2017年に有罪判決を受けていますが、その翌年の2018年に、営業関連の部署に所属する4人に、36協定で定めた上限時間を超える残業をさせていました。最長は過労死ラインである月80時間の2倍にのぼっていたそうです。事前申請をせずに上限を延長した例もあったといいます。
4年前に過労自殺をした新入社員の遺族は、怒りと失望のコメントを出しています。

「組織風土改革」というのは、企業人事の中で課題に挙がることが多いテーマで、私のような人事コンサルタントがたずさわることも多く、私も今までいろいろな会社で取り組んできましたが、「組織風土」というのは、言葉でいうほど簡単に変わるものではありません。それは、会社の「個性や性格を変えろ」ということに近いものだからです。

ただし、これが人間個人の場合はその人の自己改革に委ねるしかなく、できたとしても時間がかかるものですが、組織の場合はもう少し早く進められる可能性があります。
そのための方法は、大きく二つあります。

一つは「組織の仕組みを変えること」です。事業スタイル、仕事自体の進め方、手続き、マネジメント、相互チェックの体制、その他範囲は多岐にわたりますが、対象が長時間労働対策であれば、残業すると損をする、ペナルティーがあるなど、インセンティブが働かない仕組みを作ってしっかり運用することで、組織風土は確実に変わっていきます。

もう一つは「人を入れ替えること」です。マネージャーが代わる、メンバーが代わる、人の組み合わせが代わるといったことで、組織としての動きが変わります。リーダーが代わると、その変化の度合いは大きく、変化の速さも増します。安易に人を辞めさせるというようなことでなく、採用、異動、役職任命などの一般的な人事施策によって、役割や組み合わせを変えることで進められます。

しかし、それではうまくいかない会社がたくさんあります。
理由は単純で、決めた仕組みを守らないか、入れ替わった人が本来の役割を果たそうとしないかのどちらか、もしくは両方です。
仕組みでは、相互チェックが機能するかが特に重要であり、人の入れ替えでは、特にリーダーの姿勢が大きく影響しますが、これは少人数チームが多いような組織では、リーダーの力が及ぶ範囲が小さいため、影響度も小さいということがあり、その場合は一人一人の当事者意識が重要になります。

電通のケースがどれに当たるか、詳細は分かりませんが、報道その他を見ていると、「長時間労働は当たり前で、別に問題とは思わない」という考えのリーダーが、まだまだ多いように見えます。
こういう場合は、仕組みでリーダーの行動を縛りながら、教育等で意識改革を図り、それでも行動が変わらないリーダーは、その立場や役割を変えていくなど、いくつかの施策の組み合わせでおこなうことになります。
いろいろ理由はあったでしょうが、経営トップを含めた主管部署の取り組みが甘かったことは、間違いないでしょう。

「組織風土」を変える方法はいくつもありますが、結局は「決めたことをいかにきちんとやるか」ということに尽きます。「組織風土」の改革は難しいことですが、その成否は意外に単純なところにあるのではないでしょうか。


2019年12月23日月曜日

「記述式入試見送り」の話で気になった「エントリーシート」のこと


2020年度の大学入学共通テストで、導入予定だった国語と数学の記述式問題について、実施を見送って導入の有無を含めて再検討することになったという話題がありました。

採点は委託を受けた民間会社が、約8千~1万人ほどの学生などを集めておこなう計画でしたが、質の高い採点者を確保できない恐れがあること、採点者による採点のブレやミスが避けきれないこと、出願先を決める際に必要な自己採点と実際の採点との不一致が多発する懸念があることから、「安心して受験できる体制を整えることが現時点では困難」とのことでした。

昨今は思考力や判断力、表現力の学力低下が指摘されていて、これらを試す狙いでの導入はわからなくはありません。しかし、50万人以上が受験して、その人生にかかわるようなテストにもかかわらず、話を聞けば聞くほど、制度設計や実施方法に見切り発車やずさんなところが見えて、よくこのまま実施しようと考えていたものだとあきれてしまいます。

記述式テストの採点は、どんなに細かい基準を作っても、正解不正解を白黒はっきりつけるのが難しいことは必ず出てきます。採点者によって判断の違いが出るのは当然で、それを抑える対策がないようでは、見送りの判断も当然でしょう。

この話をきっかけに考えたのは、企業の新卒採用で使われる「エントリーシート」のことです。今は多くの企業で提出を求められますが、書くことにはかなり時間がかかる「記述式」なのに、それだけの意味があるのだろうかということです。

「エントリーシート」の扱いというのは、会社によって本当に千差万別です。面接前の書類選考と面接時の資料として使う会社が多いですが、はっきり言って、中身はほとんど読んでいないという会社がたくさんあります。目的は応募者を絞り込む「足切り」のためで、見ているのは誤字脱字、文字数、おかしな日本語表現だけというところもありました。

もちろん企業の人事担当は、エントリーシートの中身を熟読して、きちんと選考した方が良いのはわかっていますが、応募者が多い企業では担当者がそれだけの時間を取れません。
最近はAI採点を利用する企業も出始め、一応表向きには「必ず人の目も介している」と言っていますが、何をどこまでやっているかははっきりとはわかりません。

私が採用担当をしていたとき、「エントリーシート」は面接で質問する際の資料にしていて、よほどの手抜きでもない限りは、それだけで不合格にすることはありませんでした。
その応募学生のことを、できるだけ深く知りたいと考えれば、「エントリーシート」はあった方が良いですが、もし書類選考するだけが目的なら、学校の成績や適性検査の結果などで判断できることなので、エントリーシートにいろいろ書かせるのは不要です。提出を求めることもしなかったでしょう。

今回の「記述式テスト」の話と、「エントリーシート」の話が似ていると思ったのは、本来の目的と実際にやらせていることが、かけ離れてしまっていることです。
「記述式テスト」の導入は、思考力や判断力、表現力の向上が狙いで、入試に取り入れればみんなが取り組むようになるという話だと思いますが、一方で入学試験の本来の目的は、「学生の学力を見極める選抜」です。目的が入れ替わってしまったことで、入試で最も重要なはずの「採点基準」があいまいになってしまいました。

「エントリーシート」も同じで、応募者の理解を深める目的が、書類選考をする目的に入れ替わってしまっている会社があります。ただ書類選考だけが目的ならば、「エントリーシート」は別に必要ありません。また、あれほど手間がかかるものを書かせておいて、「忙しくて読む時間がない」では、書いてくれた人に対してあまりにも失礼です。
「エントリーシート」を丁寧に扱って活用する会社がある一方、その内容に見合った目的を見失っている会社があります。

何事でも、本来の目的を間違うと、多くの無駄や理不尽が起こることが、あらためてわかります。


2019年12月19日木曜日

「人が人を評価すること」はどこまで必要か


どこの会社でも当たり前に行われている評価制度ですが、最近は本当にこれの意味はあるのかという疑問の声が多々あります。
その結果として、成果主義の見直しがあったり、評価制度そのものをやめたりする企業も出てきています。大きな動きは、外資系企業をはじめとした「ノーレイティング」といったものです。序列付けの年次評価をやめて、その労力をもっと個人面談などに振り向けて、一人一人の能力伸長につなげようという主旨です。

そもそもなぜ評価制度が必要なのかを考えると、「自分の身の程を知るため」と、「給料を決めるため」です。「身の程を知る」というのは、他人からの評価で自分の能力を客観視して、そこから課題を見つけたり、目標を立てたりするという意味です。評価制度の中では「フィードバック」などと言われるものです。

評価制度で常に課題になるのは、「評価基準」についてです。
評価には評価する者による個人差があり、100%同じ尺度での公正な評価というものはあり得ません。これはどんなに基準を設けても、評価者がどんなに熟練しても、差は絶対にあります。

フィギュアスケートのプロフェッショナルな審判であっても、それがまったく同じ演技を見た結果であっても、採点には差が出ます。「こういう演技をします」とわかっていても、差は出てしまうのです。
差が出ることが前提にあるので、複数の審判で採点したり、最高点と最低点を除外したりして、より公正になるように調整する仕組みがあります。必ず試合の事前と事後にミーティングをして、常に判定の目線合わせをしていると聞いたこともあります。

一方で、会社の評価制度は、それぞれの評価者から、それなりのきちんとした評価があがってくることを前提にしています。二次評価のように調整する仕組みはありますが、もともとの評価者は一人なので、極端なずれがあると修正することが難しくなります。
私はまだ見たことがありませんが、気に入らない部下を上司が徹底的に低く評価するなんていうことは、やろうとすればできてしまいます。「そんな評価ではないだろう」と調整しようとしても、評価した上司が強く主張し続けたとしたら、それを覆すことはかなり難しいです。調整する二次評価者は、その部下の仕事ぶりを、直接観察していないことがほとんどだからです。


私が思うのは、多くの人が割と簡単に「評価する」と言いますが、人が人を評価するということは、実はかなりの危うさを含んでいるということです。相当な真剣さでやらなければ、おかしなことが起こる可能性があります。
どんなに厳密な基準を用意しても、必ず主観による格差が出ます。はっきり言って公正な評価は無理なのです。

ある記事で最近見た言葉で、「人が人に値段をつける仕組みは絶対に不満が出る」「人を支配で動かせる時代は終わった」というものがありました。「会社の民主化」という動きだそうです。

確かに最近の給与の決め方の中には、自分の言い値を周りがOKすれば良いとか、転職者の市場価格を基準に決めるとか、ちょっと違う考え方が出てきています。
評価制度に「給料を決める」という役割がなくなったとすると、あとに残るのは「身の程を知る」ということですが、これは別に評価表で点数にしなくてもできることです。フィードバック面談を重視するような流れも、こんなところから生まれています。

その方向性はともかく、これから会社の人事評価の仕組みは間違いなく変わっていきます。
少なくとも、「人が人を評価することの難しさ」は十分理解しておかなければなりません。