2012年8月31日金曜日

「和」の功罪

日本は「和」を重んじる文化といわれます。行き過ぎた成果主義を見直す中で、やっぱり組織の「和」が大切だというような言い方もされてきました。

私がずいぶん前に聞いた講演で、「和」には、「積極的な和」「消極的な和」があるというお話をうかがったことがあります。

「積極的な和」とは、文字通りチームワーク、協調性、他者へのリスペクトといった、一般的な「和」として言われるところですが、負の要素ともいえる「消極的な和」があって、これには隠蔽体質、非効率、競争を避けるといったものがあるとのことです。

欧米や中国などの諸外国は、程度の差はあれ個人主義、多民族、争いの文化であり、そのような文化的背景の中で社会や組織の統制を保つためには、法令やルールの整備、情報公開、他管理システム作りという形がとられてきているので、「消極的な和」に見られるような事象は必然的に排除されているが、日本は「和」の文化ということで、「消極的な和」のような負の要素が温存されがちな文化的背景がある、ということでした。

その方は「和」の維持と「和」の転換の両面が必要とおっしゃっていました。

私は「和」という言葉は好きでしたし、その当時は、「和」は全面的に維持しなければならない大事なもの、という捉え方をしていましたが、このお話を聞いて、たとえ原則と思われているようなことであっても、一方的な視点だけに固執せず、バランスが取れた見方をすることが重要だと強く思った記憶があります。

こんな見方で見直す必要がある事柄は、案外たくさんあるのかもしれません。

2012年8月30日木曜日

「能力不足」を責めてはいけない

いつもいろいろ教えていただく知り合いの社長さんが、とても興味深いことをおっしゃっていました。
「なぜできない」と他人の能力を責めるのはイジメと一緒だと…。

その方曰く、
「例えば体に障害があったり、能力的にできないことが目で見てわかれば、その人ができないことを責めないでしょ?
でも仕事上の能力は内面にあって見えづらいから、自分の基準でできると思ってやらせ、それができないと責めてしまうが、これって手が不自由な人に何で字が書けないんだって責めているのと一緒じゃない? だって出来ないことは出来ないんだから。
これってイジメと同じでしょ。だから責めるんじゃなくて、どこまでなら出来るか、どうやったらできるか、相手の能力を考えて、相手目線で指導しないといけないんだよ。」ということでした。

私の価値観とフィットしたこともありますが、妙になるほどと納得してしまいました。他の皆さんはどう思われるでしょうか?
「そんなの甘い!」と思われるのでしょうか…。
それとも私と同じで同感でしょうか…。

少なくとも「目標達成のためには、現有戦力の能力を最大に発揮させる必要がある」と考えれば、相手目線での指導はとても大切な事だと思います。

2012年8月29日水曜日

満員電車にて

会社を辞めて独立してからは、通勤時間帯に電車に乗る機会は減りました。

私は電車に乗っている時は、あまり本を読んだり音楽を聴いたりすることもなく、携帯電話もメールやフェイスブックを見る程度、何もしないで単にボーっとしていることが多いタイプで、しいて言えば周りに乗っている人の人間観察をしているという所なのですが、ときどき満員電車に乗ると、観察の感度が高まるせいもあって、「えっ」とか「あらー」というような事に多々遭遇します。

例えば、車内で化粧したり飲食したりするのはもう当たり前かもしれませんが、それが立っているのも結構大変なくらい混雑している車内でも行われています。
つい先日も、私のすぐ横で、人に押されて両肩をつぼめながらおにぎりをほおばる女性に遭遇しましたし、少し前には同じような混雑の中でマスカラを付けている最中の女性がいて、よくできるなと感心し、周りの人を汚してしまったりしないのかと心配になってしまいました。

たぶんつり革につかまろうとしたのでしょうが、いきなり顔をつつかれて、その先を見るとそっぽを向いて携帯画面に夢中な人、大きなリュックを背負ったままで荷物が人にぶつかっていても知らん顔という程度のことはしょっちゅうあります。
混んでいるから仕方がないとは思うものの、自分の振る舞いが他人に影響を与えていることに気づかない、わからない、自分以外の周りで起こっている事に関心を持たない人が増えているように感じてしまいます。(こんなことを感じるのも、私が年を取ってきた証拠かもしれませんが・・・)

なぜそうなってしまうのかをいつも考えるのですが、一つには「便利になりすぎて何でも一人でできる世の中になってしまっているせい」と思っています。自給自足で集団で協力しなければ食べることもできない時代なら、必然的に他人との関係を考えて気を配るのでしょうが、やっぱり今はそんな風にはいきません。
もちろんよく気が付いて礼儀正しい方もたくさんいて、そのおかげで晴れやかな気持ちになることもたくさんあるのですが、一方で感じる最近の風潮には少し悲しい気分になります。

私に出来るのは、せめて関係した会社の中だけでも、研修やコンサルティングなどを通じて、人との関わりや気配りの大切さを伝えていくしかないのだと思っています。

2012年8月28日火曜日

採用の応募書類を見ていて・・・

少し前に、ある会社の営業職の採用業務をお手伝いしていた時のことです。

応募数は非常に多く、年齢層は40代、50代がほとんどでした。やはりそのあたりの方々が応募できる求人件数は少ないのであろうということが感じられました。

もちろん頂いた書類は、すべての内容をできるだけしっかり拝見するようにしていますが、多くの応募書類を一斉に見ていると、どうしてもいろいろな面で比べるようになってしまいます。

郵送方法だけを取っても、小さな封筒に履歴書だけを詰め込んでこられる方から、大きな封筒でホルダーに入れて、丁寧なカバーレターを付けて来られる方まで様々です。
封筒の糊付けで書類まで張り付いていたり、どう見てもコピーして使いまわしている書類だったり、一方では手書きでとても丁寧に書かれたものだったり、まとまっていて一目で経歴がわかるような見やすいものだったり、人によって本当にいろいろです。

些細なことであっても、やはりその方の人となりは出ていると考えていて、わざわざ応募して頂いているとは言え、見る気になれないような書類があるのも事実で、それが書いてある内容以前の問題であることも多々あります。

40代、50代といえば、それこそ面接を行う側の経験をされた方もたくさんいらっしゃるでしょうし、その他の経験も豊かな方々のはずですが、鈍感になっているのか、気遣いの余裕がなくなっているのか、どうもそのあたりで横柄、不遜、雑、という感じを受けることがずいぶんありました。

お会いすればそんなことは全く無い方なのかもしれませんが、限られた時間で限られた方としかお会いできないとなれば、書類上だけで取捨選択をせざるを得ませんから、些細なことでご縁がなくなってしまう方も残念ながらいらっしゃいました。

採用不採用の境目というのは、本当に些細なことの積み重ねだったりしますが、初期段階でのちょっとした気遣い不足でチャンスを逃しているとすれば、こんな不幸なことはありません。

なかなか思うようにいかないなどと感じている方は、ご自身のキャリアの問題だけでなく、そんな周辺事情にも心を配ってみると、案外うまくいくこともあるのではないかと思います。
同世代である自分自身への自戒も込めて、そんなことを思っています。

2012年8月27日月曜日

心の余裕

以前、カウンセリングやコーチングといった分野の専門家の方の講演で、「自分が仕事に追われて心の余裕が無いようでは、他人のことを親身になって考えたり適切なアドバイスをしたりすることは出来ない」というお話を聞いたことがあります。

確かに自分が自分のことに精一杯では、他人の事などかまっている場合ではありません。企業内での人間関係が希薄になった、人材育成がおろそかになったなどと言われますが、一つの業務に関わる人員は減り、経験を積ませたくても作業効率が落ちるからとOJTの機会すら与えられず、一人ひとりの負荷が高くなっている現状では、「心の余裕」が失われてしまうのも当然の結果なのかも知れません。
この点からいえば、組織内の人間関係や人材育成の立て直しのためには、いかに「心の余裕」を生み出すかということもいえるように思います。

「心の余裕」というのは、個人の主観的な受けとめの部分も大きく、個々のキャパシティや能力差、経験差、性格にまで左右されるので、一概に何をすると言うのはなかなか難しいと思います。

ただ、「心の余裕」につながる事柄というのは結構たくさんあって、単純に
「休みを取らせる」
「悩みを聞く」
「アドバイスをしてあげる」
といったことだけでなく、

「知らなかったことを知る」
「新たな経験から自分なりの物差しを持つ」
「面識が無かった人と話せるようになる」
などということも広い意味では「心の余裕」につながります。

そうだとすると、企業内で出来る施策としては「研修などを通じて知識を与える」「新たな業務経験をさせる」「日々のコミュニケーションでお互いをより深く知る」「オフタイムでのパーティーや飲み会、その他の交流機会などでいろいろな人と接する」など、非常にオーソドックスな方法になります。

「心の余裕」を取り戻すために企業ができることというのは、結局今まで当たり前に行われてきたこれらの事に、改めて価値を見出して取り組んでいくことに尽きるのではないかと思っています。


最後に心の余裕とは少し違うのかもしれませんが、前に見たテレビ番組で、ホームレスの方が病気になった他の仲間の事を心配して、相談機関を訪ねたりカンパを集めたりしている姿を見たことがあり、自分も極限に厳しいはずなのに、そんな中でも他人を気遣うことができるということに、とても感銘を受けたことがあります。

「心の余裕」の本当の根本は、施策とか仕組みではなく、個人個人が持つ気持ち次第ではないか、とも思います。

2012年8月26日日曜日

まずはできる所から・・・ワークライフバランスの話

やりがいのある仕事と充実した私生活を両立させる、仕事と生活の調和という考え方である「ワークライフバランス」が言われて久しいですが、残念ながら実現しているとは言い難い状況です。

「ワークライフバランス」を口実に、残業時間数だけを規制している会社があります。仕事量の調整をしていないので、サービス残業の温床になっていたり、社員同士の繁閑に大きな格差があったりします。

社員の側にも、残業代で稼ごうと、やたら労働時間が長い人がいます。他人の働きぶりを見て「あれは生活残業だ」と言い、自分の事では「必要な残業だ」と言ったりします。
(残業しなければ生活できない待遇自体にも問題があると思いますが・・・)

会社にも社員にも、長時間労働を美徳とするような日本人的感覚が、まだまだ残っているところもあると感じます。

社会全体で見ても、仕事に就けない方々がたくさんいる一方、定時に帰れないのは当たり前、毎日深夜まで働いて過労死寸前のような方々もいます。正社員と非正社員の格差の問題もあります。すべての事柄においてバランスを欠いているように思います。

ではどうすれば解決に向けられるのか・・・。私に明確な答えはありませんが、少なくとも自己管理、自由競争の世界だけでは、実現は難しいと思っています。そもそもバランスを欠いてきた原因も、この辺りにあるのではないでしょうか。

働き方や働かせ方に関する規制、産業政策や雇用政策、その他いろいろな面でバランスを取る取り組みが必要だと思いますが、そのためには多くの時間も労力も必要でしょうし、一見労働者を優遇するだけの内容と取られがちなので、企業経営の立場からは反対も多いようです。なかなか一筋縄ではいかないでしょう。

結局「ワークライフバランス」に関しては、問題意識を持った経営者が、自分の会社の中でできることから取り組んでいくのが、今のところは一番早道のように思います。実際に、中小企業であっても、一部の経営者は自社内での取り組みをどんどん進めています。

うまくすれば、生産性の向上にも大きく貢献するのではないかと思うのですが、それは甘い考え方なのでしょうか・・・・。

2012年8月25日土曜日

「勤怠が良好な人」という要望

私が専門としているIT業界は、新しい先進的な業界と見られがちですが、特に請負でサービスを開発、提供している会社は、実は建設業界などと似た階層化された下請け構造になっています。

技術者を探している元請企業から様々な案件情報が流れてくるのですが、そこには時々「勤怠が良好な人」という条件が付いています。ここで言っている「勤怠」とはほとんどが遅刻、突発や無断の休みを指しているようで、裏を返せばそんな条件をつけなければならないほど「きちんと会社に来られない人が多いということのようです。

どこのIT企業に聞いても、多かれ少なかれ問題のある人を抱えていることが多いですし、「勤怠不良者をどう扱えばよいか」ということで相談されることもよくありますから、どうも他業界に比べると「勤怠不良者」が多い印象で、IT業界特有の何かがあるように思います。

私が今まで見てきた印象では、新入社員や入社したての者は問題ないのに、時が経つほど徐々に崩れているように感じています。

連日深夜になる長時間労働が翌日に影響する悪循環になっていったり、客先常駐が多くて管理者の目が届きづらいので徐々に時間にルーズになっていったり、他のメンバーに影響されて徐々に崩れて行ったり、そもそも夜型人間が多くてそれに合わせた仕事リズムになっていたり、ちょっと思いつくだけでも業界特有のいろいろな要因が思い浮かびます。

もちろん元々本人が持っている資質もあるでしょうが、これらの要因を考えると、どうも職場での環境要因が多いように思います。

人間一度ルーズな癖が付いてしまうと、なかなか元に戻れないものです。要は「最初が肝心」ということで、そのためには職場全体の環境づくりが大事だということです。結局は当たり前のことを当たり前にやらせる、地味な取り組みの積み重ねだと思います。

「勤怠が良好な人」という条件をつけている一方で、「勤怠不良者」を作り出しているのは、実は自社の環境だったなどということにならないように、今一度自分たちの足元を見つめ直す必要があるように思います。

2012年8月24日金曜日

コミュニケーションギャップ解消の取り組み

以前、ある会社で企業風土把握のために社員ヒアリングを行っていた時のことです。

そもそもの課題としては、上司と部下、会社と一般社員の間の意識ギャップ、コミュニケーションギャップということで、その会社の社長曰く、「現場の意識が幼稚で低いんだよ」とのことでした。

ヒアリングを進めていくと、確かに課題の通りのギャップはあるのですが、どうもその原因は単に意識の問題では無さそうでした。
現場の社員に話を聞くと、みんな何らかの問題意識や不満や、改善に向けた方法論は語るのですが、その前提となる会社状況や考え方を余りにも知らないのです。それぞれの社員は自分たちの見える範囲、知っている事柄だけでいろいろな事を想像し、こうしたら良い、ああしたら良いと言っていたり、勝手に不満を持っていたりしました。

要は必要な情報共有が出来ておらず、双方が違う前提で話をしていた訳で、これではコミュニケーションにギャップが生じるのは当然です。
その後この会社では、会社状況や社内情報の「見える化」に取り組み、それが浸透するとともにコミュニケーションギャップは少なくなっていきました。

特に教育をした訳でもなく、今の状況を「知らせる」、「わかるようにする」という取り組みをしただけです。社員が自分たちの状況を自分たちで認識、判断できるだけの情報を与えれば、案外社員は同じ目線で話せるようになるものです。

「社員間のコミュニケーションが悪い」、「意識が低い」などの課題があると、単に能力、スキルの問題としがちですが、この会社での「情報格差」のように、それ以外の部分が原因となるケースが多々あることも、心に留めておくと良いのではないかと思います。

2012年8月23日木曜日

身近な目標

最近は、新人や若手社員に仕事を教えていく体制が作りづらくなったと、いろいろなところで聞きます。身近なリーダー、マネージャーは自分の仕事に忙しくて新人や若手を教える余裕が無く、また新人や若手社員であっても、会社や顧客からすぐに結果を求められる傾向だということもあるでしょう。

一人のリーダーやマネージャーが面倒を見なければならない人数が多くなって、教える頻度や密度が希薄になってしまったり、本来教える立場として望ましい人が忙しく、やむを得ず部長や役員クラスなどの立場がかけ離れた人が指導しているケースもあります。

自分の経験として思い出すのは、良くも悪くも自分の数年後の立場が想像できる人に関わってもらえたことが、今になって思えば良かったという事です。(もちろん“こうだけはなるまい”などの反面教師としての部分も有ります) 当面の「身近な目標」を見ながら仕事をすることが出来ていたということだと思います。
もちろん部長クラス、役員クラスでも若手に向けて適切な指導をしてくれる方はたくさんいらっしゃると思いますが、新人や若手社員からすると世代も違いますし、当面の身近な目標とはなりづらいでしょう。

今のように先行きが不透明な時代、10年後の自分といっても、夢や希望、願望の世界でしかないでしょうが、3年後5年後といえば、まだ何となく想定できる範囲ではないかと思います。

以前は新人や若手社員の身近に「少し年上」「目標になりそうな先輩」がいて、みんな何となくその背中を見ながら仕事を覚えていったのだと思います。あえて意識しなくても、数年後の自分を想像できそうな人が身近にいたのだと思いますが、最近はなかなかそのようには出来なくなっているということなのでしょう。

やはり仕事を身に着けていくためには、「身近な目標」はとても大切だと思います。最近の傾向は「身近な目標の実物」を見せることが難しくなっているということでしょうから、それに変わる「身近な目標」を見つけてあげる工夫が必要ではないかと思います。

2012年8月22日水曜日

法律を知らなかったとしても・・・

先日、お手伝いをしている会社の社長様から労働法に関わる事柄を質問されたのですが、いくつかのわりと基本的な内容について、「そんな事知らなかった・・・」と言われることがありました。それなりに経験を積まれてきている経営者の方ですが、そんな方でも抜け落ちている部分があったということです。

最近は、働く人に対する不当な行為が増えているといわれますが、法律知識に疎く、法令違反の意識が全く無いために、そのような扱いを平気でしてしまっているケースも多いと聞きます。要するに悪気がないのです。そのせいで問題がこじれてしまっている例も多々見てきました。

「会社経営をする中で最低限の法律は知っておくべきだ」と言ってしまえばそれまでですが、経営者の仕事はそれだけではないですし、全ての事柄にアンテナを張っておくことはなかなか難しいものです。
これを補完するために、私たちも含めた外部の専門家がいる訳ですが、表に出てきていない問題や社内に問題意識が無い事柄を外部から指摘するのは難しい面もあります。やはり初めの部分は、社内の人間が「これってどうなの?」、「本当にこれでいいの?」という問題意識を持つことが必要であろうと思います。

問題意識を持つために必要なのは、私は「常識的な感性、感覚」だと思います。法律的にどうこうというより、自分の肌感覚に照らして「おかしいのでは?」と感じ取れるかどうかです。これを磨くには、結局多くの人、事柄、価値観に触れ、バランス感覚を養うことに尽きると思います。

バランス感覚に完璧はありませんが、少し意識するだけでも結果は随分違ってくると思います。

2012年8月21日火曜日

厳しい就職活動の中でも

もうずいぶん前の話になりますが、就職氷河期といわれる時代に、企業で新卒採用をしていた頃の事です。
当時も全体の採用数が激減していて本当に厳しい時期でしたが、面接した学生さんに対して「今年の就職活動は厳しくて大変でしょう」と聞いた時の、ある学生さんの答えがとても印象に残っています。

その人は、「皆さんからそう言われますが、自分は就職活動を経験するのは初めてで、比較対象も無いですし、就職活動はそもそもこういうものだと思っているので、あまり厳しいと実感したことはありません。去年から続けてやっていれば違うかもしれませんが・・・」と答えていました。

自分の置かれた状況を悲観し過ぎず、かといって楽観もせず、現状を肯定的に捉えて出来ることを前向きにやっていこうという気持ちが感じられて、単純に「今年は大変でつらいだろうな」などと考えていた自分は、「物事の感じ方や捉え方は、その人の立場や気持ちの持ち方で全く違うんだ」と感じ、その学生さんの言葉にとても感銘を受けた記憶があります。

今も何かと厳しい状況では有りますが、何事も自分にとって良い捉え方をして、良い精神状態を維持しながら取り組むことが何より大切だと感じた当時の出来事を、また改めて思い出している所です。

2012年8月20日月曜日

「評価」や「営業成績」を公開すること

以前、ある地方の市長が、全職員の給与明細を市のホームページで公開したという話を見ました。職員からは「説明もなく唐突すぎる」と不満の声も上がったそうです。

会社においては、さすがに給与まではないにしても、「人事評価」や「営業成績」などを社内で公開しているという所はたくさんあると思います。

これらを公開することの是非にはいろいろな議論があると思いますが、こういう手法を取るにあたっての注意点は、その目的が「ただの魔女狩り(プレッシャーをかける)になっていないか」ということです。
もう少し言えば、「あまり良くない成績をみんなに見せられた時、果たしてその人はやる気になるのだろうか」、また「アイツはダメだと言うレッテル貼りにならないか」ということです。

「評価」や「営業成績」を公開することは、その取り上げ方、活用の仕方、演出の仕方に注意して行えば、お互いを認め合い、成果を賞賛する文化になり、組織の一体化につながります。一方で使い方を誤ると、全く逆の方向に進んでしまいます。うまく使わないと「諸刃の剣」といえる部分があります。

ある会社では、定期的に「評価できる行動をした人」を社員同士で投票し、これをみんなの前で発表して表彰しているそうです。
選ぶ理由は「笑顔が良い」でも「おごってもらった」でも「いつも早起き」でも何でも良いそうですが、選ばれた人はみんなに認められたことで、うれし涙を流すようなこともあるそうです。
このようなうまいやり方ができれば、組織上のいろいろな面で良い効果を得られるのではないかと思います。

ちなみに前述の市長は、公開した理由を「比較的高待遇の職員も多く、市の将来は人件費を適正化できるかどうかにかかっているので、問題提起した」と述べたそうです。
ただ、職員は自分たちで給与を決めている訳ではなく、給与が高いのはそういう制度が問題なのだと思うのですが、給与額を公開して非難の矛先を職員たちに向けるようなやり方は、組織内の信頼関係で考えるとあまり好ましくないように思いました。働く場としてどうなってしまうのか、とても心配になります。

2012年8月19日日曜日

「若手社員を誘うには」の一例

最近は上司や同僚の飲みの誘いを断る若手社員が増えているといいます。

私も社会人になり立ての頃は、会社の飲み会と聞くと酔っ払った上司の横に正座して説教されている部下、建設的でない会社のグチの言い合いなど…、あまり楽しそうではないイメージでした。

しかし、実際に行ってみるとイメージのような光景はほとんどなく、知らなかった人と仲良くなるのはそれなりに楽しく、いつの間にか馴染んでいったように思います。「イヤイヤでも一度行ってしまえばどうにかなるし、無理やりでも一度来させてしまえばどうにかなる」などと思っていたものです。

ただ最近の若手社員は、人に対してナイーブです。むやみに自分の内側に入ってこられるのは拒みますし、相手の内側に踏み込むことも避けます。その一方で、ほんのちょっとした事でこの人はいい人、わかってくれる人などと捉え方を変えるところがある感じがします。
ですから関係作りのためには、相手の距離感を考えながら少しずつ距離を縮めていく必要があります。「とりあえず連れて行けば」では、いきなり踏み込んできたと感じ、かえって遠ざけてしまうことになりかねません。

私が気をつけていたのはそれほど特別なことはなく、初めは仕事の中でコミュニケーションをとり、相手の都合を聞きながら来やすいタイミングで誘い、説教するのではなく相手の話を聞き、自分のテリトリーに引き込むのではなく相手のテリトリーに入っていく。そうすると思いのほか心を開いてくれて、うまくコミュニケーションが取れるようになっていったように思います。(もちろんそうでない人もいましたが・・・)

「最近の若い奴らは上司が誘っても平気で断る!」なんて憤っている人ほど、日常のコミュニケーションもあまり無いままに、いきなり当日誘って自分の馴染みの店に連れて行き、自分の話したいことばかり話す、などということを案外やっているのではないでしょうか。

私が思うのは、「気になる異性をデートに誘うにはどうするか」を考えるのに近いということ。
「同性相手じゃそんな気にならない」とか「アイツは自分の趣味じゃない」などと言わず、発想を切り替えてみると、実は案外うまく関係作りができるのかもしれませんね。

2012年8月18日土曜日

年功序列は悪いのか?

年功序列の賃金体系は、時代遅れの扱いがされがちです。
私がいたIT業界の技術者などは、技術の進化が早いために自分の知識や技術がすぐに陳腐化してしまう傾向があるので、確かに年齢や経験年数と実務能力が比例しない部分も多くあります。

しかし製造業などで熟練を要する現場の職人さんなどは、経験が長いほど能力が高いでしょうし、どんな仕事であっても年齢とともに重ねた経験は、能力や貢献度に一定の比例関係でも影響することは間違いありません。その程度によっては、年令で賃金が決まることにも納得性があるはずです。

にもかかわらず年功序列が一律に否定的に扱われたのは、年令とともに賃金が上がる、イコール人件費を硬直化させるので好ましくないという経営的事情が大きかったように思います。
このために、本当は年功序列が理にかなっていた業種や職種でも年功序列的な制度は排除されていき、結果として熟練者、年長者から技術伝承していく風土や風潮が失われて現場の効率や品質に悪い影響を及ぼしてしまったようなところがあると思います。

以前読んだ新聞記事で、「うちの給料は100%年令給です」とおっしゃる社長様の話が出ていました。
自分のポリシーに基づき、自社の状況を踏まえて考えられている様子がとても印象に残り、会社の仕組みも安易に流行に流されないことが大切だと改めて感じました。やはり「自分の会社に合っているのか」が人事制度の基本なのではないでしょうか。

2012年8月17日金曜日

帰属意識

以前、あるIT関連企業に属しているコーチングの専門家の方とお話しした時のことです。

某大手食品飲料メーカーで、全社的にコーチングの手法を取り入れ、社長から率先して研修を受けるなどトップから率先して取り組んでいる企業があるそうです。今の環境下でも堅調な業績の超有名企業ですが、その方曰く、「このような会社の取り組みが確実に業績向上に貢献している」とのことでした。

しかし同時に、「自分の会社で同じ事をやっても、これほど浸透して良い結果にはならないと思う」ともおっしゃっていました。その方がいろいろな話を聞く中で、一番感じた違いというのは「会社への帰属意識」だそうで、その某大手企業では、自分の会社や作っている製品など、自社が大好きな人がとても多く、帰属意識が高いと感じたそうです。

これに対して、特に受託ビジネス中心のIT企業というのは、一般的に客先での作業が多かったり、少人数のプロジェクト制だったりと、会社とのつながりが希薄になりがちな業務形態が多いので、会社への帰属意識は下がりこそすれども、高まる要素は少ないという環境です。
こんな中で、仮に同じようにコーチングの手法を入れようとしても、なかなか定着せずに同じような成果を得ることは難しいと思う、とその方はおっしゃっていました。

私も「他社の成功事例を持ち込んだからといって、必ずうまくいくとは限らない」に関しては全く同感で、その要素として「帰属意識」の問題があるというのは、それなりに納得がいく部分です。帰属意識が低い状況では、会社主体の取り組みに積極的にかかわろうとするはずも無いでしょう。

「帰属意識」というのは、言い換えれば「愛社精神」とも言え、人の心の中での感じ方の問題なので、何に魅かれるかは人それぞれ、周りからコントロールするのは難しい部分です。
関係する要素として、事業内容、職場環境、人間関係、給与などの処遇、自社のブランドイメージ、社会的ステータス、その他考えられることはそれこそ際限なくありますが、「帰属意識」を高めていくには、これらすべてに関して原理原則に則って少しずつ向上させていくしかありません。

ただ、私は「帰属意識の落差」という問題も感じています。みんな初めは「この会社なら・・・」と思って入社するはずなのに、それが入社後に大きく落ちてしまうというケースです。

私の経験では、この場合、採用活動の進め方に問題があることが多いと感じます。入社前の情報提供が不足していたり不適切だったり、自社の価値観に共感してくれるか、入社後のイメージ違いが許容できるかどうかなどの、自社との相性の判断が甘かったり、「この仕事に就けられる」などと目先の皮算用で判断して本来の資質を見誤っていたり、いろいろなケースがありますが、やはり入り口はとても重要です。

やはり人間は感情の動物であり、感情にはすべての事柄が影響しますから、もしかすると採用活動を見直すことで、会社への帰属意識が高まり、様々な施策の効果が得られやすくなったりするかもしれません。

2012年8月16日木曜日

マネージャーは「管理」してはいけない

最近読んだ書籍や雑誌記事、講演で聞いたお話で、共通するニュアンスとして感じたことがあります。それは「リーダー、マネージャーが管理に走ると、モラルやモチベーションが下がり、生産性も落ちる」というものです。

ここで言っている「管理」とは、状況を的確に判断し、的確な指示を出し、仕事の進み具合をチェックするというようなことで、これがきちんとできるということは、マネージャー、リーダーとしてはとても優秀なのだと思います。

ただ、いろいろな方が異口同音に語られていたのは、これをやられる側の部下、メンバーにとってはどうなのかということでした。
もし、自分で判断する要素も場面もなく、言われたことを指示通りにこなすことが要求され、場合によっては作業手順も指示され、それに則っているかを報告してチェックを受けるという仕事になったとしたら・・・。たぶん部下やメンバーに、やる気が出るはずがないと思います。

これを解消するには「管理」という名のもとに発揮される、判断力、決断力、統率力など、俗に言われる狭義のリーダーシップだけでなく、アドバイザー、ファシリテーター、モティベーターといった総合的な役割を駆使する事が必要で、本人に考えさせる、判断させるというプロセスが大事だということでした。

もちろんこういったことは、すでに多くの人が理解しているはずですが、実際の仕事の中では人間の気持ち、心理といったものの優先順位はどうしても低くなり、これらを理性で押さえつけようとしている事が多いのではないでしょうか。
上司は理性、理屈で説得し、部下は表向きには従うが心の中では納得していないという構図はよくあることですよね。

この見方を変えて、人間を気分よく働かせることを最優先して考えた方が、短期業績であっても好影響を及ぼすとの話を、偶然いろいろな方面から見聞きし、あらためてなるほどと思った次第です。

私は「マネジメント」という言葉が、今でも単に「管理」と訳されてしまうような所にも問題があるのではないかと感じています。「管理」という言葉のニュアンスが私はどうも好きになれません。

2012年8月15日水曜日

ブレる?ブレない?

「ブレる」とか「ブレない」とかいう話、ちょっと前の某首相が良く言われていたと思いますが、これは会社の中でも良くある話のような気がします。

「うちのA社長は何でも思いつきで動くので、振り回されて困る」
「うちのB部長は一度決めてしまうと、なかなか変えようとしない」など。

どちらも批判的なコメントですが、これを良い意味で言い換えれば、
「A社長は臨機応変で柔軟性がある」
「B部長は一貫性があって揺らがない」とも言えます。

結局、柔軟性と一貫性は、長所、短所などと同じで表裏一体ですから、結局はその時の状況に合わせてどう使い分けるかということで、そのバランスを欠くと批判的に捉えられてしまうのだと思います。
もう少し言うと、相手が変えて欲しくないことを変えると「一貫性が無い」変えて欲しいことを変えないと「柔軟性が無い」となるのではないでしょうか。
全体の意見や空気感、バランスを感じ取るということは、リーダーとして重要なことだとと思います。

一方で、組織を動かす上では、相手が変えて欲しくないと思っていても変えなければならないことがありますし、変えて欲しいと思っていても変えられないことがあります。全体の意見とは違う方向に向かわねばならない時が必ずあります。

そんな時にメンバーの納得を得るためには、やはりそのリーダーが信頼されているかどうかにかかっています。
戦略や戦術がどんなにすばらしくても、それを説くリーダーが信頼されていなければ人は動きません。そしてその信頼感とは、日々のコミュニケーション、これまでの振る舞い、その人の人間性など、小さな事の積み重ねです。

「ブレている」などと言われないために必要なのは、結局「日頃から相手と誠実に向き合っているか」ということに帰結するような気がします。

2012年8月14日火曜日

「クレーム」には良いこともある

少し前ですが、後輩二人と飲みに行った時のことです。

私の所に運ばれてきた飲み物に小さな虫が入っているのを後輩が見つけ、「取り替えてもらいましょう」と言います。
私はその手のことは全く気にならないタイプで、「平気だし、面倒だから別にいいよ」と言ったところ、後輩は二人そろって「言った方がお店のためになりますから」と言います。

なるほどそんなものかと思い、後輩のする通りに任せたところ、クレームを言われた店員さんはすぐに店長さんに伝え、店長さんはまず飲み物を提供した人に確認を徹底するように叱り、すぐに私たちのところに新しい飲み物を持ってきて謝罪、この分の料金はいらないとのことでした。
教科書通りの対応なのかもしれませんが、少なくとも関係した店員さんたちは、自分たちも謝罪しながら、その対応の様子を見ていました。

私は「クレーマー」に嫌悪感が強い事と、いちいち言うのが面倒という事の両方で、よほどでなければクレームは言わない主義だったのですが、それをきちんと伝えれば、指導された店員さんにとっては小さな失敗体験として活かされ、その後の接客の質を上げることにつなげられるでしょう。

また、クレームや苦言を言うのは、結構面倒で労力もいりますし、波風が立つ事を避けたい心理であえて言わない事も多いはずです。一つのクレームや苦言は、同じことを思った人がその何倍もいたのかもしれず、非常に大きなものだと考えられます。

そうだとすれば、お店の責任者は不手際があれば指摘して欲しいだろうし、伝える意味は確かにあるのだと思います。

人間である以上、間違いや過ちは必ずあります。それらに常に自分で気づくことができれば良いですが、なかなかそうは行きませんから、他人から指摘してもらうことも必要になってきます。
この伝え方を間違えると、お互いの関係が悪くなったり信頼感を損なったりしますから、指摘する側もされる側も言い方や態度を意識する必要がありますが、言いにくいことであってもお互いにきちんと伝えあうことは、とても重要なことではないかと思います。

自分たちの仕事においても、まずは日常の仕事など身近な所から、面倒がらずにお互いに指摘しあうことを始めてみるのも良いのではないかと思います。もちろん相手の立場や言い方を考えてですが・・・

2012年8月13日月曜日

社内研修の環境づくり

ある会社で社内研修をやらせて頂いた時のお話です。

研修を行うにあたって、社内でのスケジュール調整が難しかったようで、調整された実施日が日曜日でした。
私の経験では、日曜日に研修をやるような場合、大体が会社の一歩的な都合で、参加する社員もおおむね強制的、そうなればそれだけで不満タラタラ、効果半減ということも多いものです。

その旨をご担当者にお話したところ、「これは社員にスケジュールの希望を取った結果での設定で、平日は業務で抜けづらいし気が散ることもあるから、との意見が大半だった」とのことでした。
「うちの会社は、休日の研修などには全く抵抗が無いので、全然問題ないですよ!」と言われ、本当に社風によっていろいろな捉え方があるものだと思ったのですが、前提にはやはりそれなりの環境づくりがあるのだと思います。

この会社の皆さんにお話を聞いていると、社員は研修は自分のためと考え、会社が自分に投資してくれていると捉え、会社も常に社員教育についての考え方や、社員に成長して欲しい旨を伝え、実施にあたってもいろいろな配慮をしています。お互いの信頼関係があるのです。

まだ小規模の会社なので、少人数ならではという部分もあるのですが、研修を成功させるためには、その内容やカリキュラムだけでなく、広い意味での環境づくりも大切だと感じた体験でした。

2012年8月12日日曜日

少数精鋭

「うちは少数精鋭主義」という言い方をする会社に時々出会います。

概ね中小零細といわれる規模の会社であることが多いです。そういう会社の社員たちに聞いても「どんどん規模拡大してほしい」という意見よりは「会社規模より中身が大事」と言います。

これが本当に「少数でも精鋭」ならば良いですが、実際にそう言い切れる所まではなかなかいきません。

やはりある分野においては、優秀といわれる人とそれほどでもない人は存在しますし、それはある一定程度の比率でしょうから、大人数でも少人数でもみんな優秀ということはありません。(何を持って優秀かという定義はいろいろと思いますが・・・)


どうも「少数精鋭」という言葉の裏には、

 「大組織の歯車」的な感覚への反感、
 「どうせそんな大きな会社になりっこない」というあきらめ、
 「組織化された大企業より多くのことに関わらなければならない」と思うプライド

 など、いろいろな感情が存在するようです。

「少数精鋭」を掲げるならば、社員の職務能力向上に向けた取り組み、採用基準や採用戦略、教育研修といった所でも、一貫した具体的な取り組みが必要だと思います。そうでなければ、自分たちが今置かれている状況に対するただの言い訳になってしまう危険性があります。

「少数精鋭」という言葉が、中小零細企業の負け犬の遠吠えにならないようにする必要があると思います。

2012年8月11日土曜日

人手不足という一方での就職難

少し前になりますが、読んでいた新聞の記事に、ある企業の人事担当の方の投書が載っていました。

20名弱の企業で、8年間ずっと事務系正社員の求人を出し続けているが全く応募者がいないとのこと。
業績は安定していて、給料や休日の待遇も一般以上であるのにどうしてなのか、「“正社員になれない”という話を聞くが、知名度などで会社を選びすぎているのではないか。もっと視野を広げては」との内容でした。

この話をそのまま求職中の人にぶつけても、たぶん「知名度なんかで選んではいないけど、思うような求人はなかなか見つけられない」というのではないかと思います。

確かに求人情報は情報量が膨大で、肝心なものはなかなか目に留まらないですし、仮に見つけたとしても、それだけで仕事内容やどんな企業かを読み取り、自分にできる仕事、希望に合う仕事なのかを判断し、応募まで決断するのは案外難しいことです。
選り好みや視野が狭いというだけでは片付けられないことも多いでしょうし、制約条件がある人もいるでしょう。

どんなに不景気でも、人材を募集している企業は必ずある訳ですし、小さくても優良な企業はたくさんあります。
ただ、小さい企業であれば求人一件あたりの採用数は当然少ないですし、予算も潤沢ではありませんから、求人情報としての認知度は低くなり、結果として埋もれてしまいます。
このような求人情報をうまく表に出すことや、内容をわかりやすくすることができれば、多少なりともミスマッチ解消につながるように思います。

「人材を求めても採用できない企業」と、「思った仕事に就けない求職者」という雇用のミスマッチは、今に始まったことではありません。この解消に向けて、採用イベント、ウェブの求人情報、雇用助成、職業訓練、その他いろいろな取り組みがされていますが、マッチングそのものを支援する活動で、効果的に行われているものは意外に少ないような気がします。

このあたりにも対策のヒントがあるのではないでしょうか。

2012年8月10日金曜日

社長には向いていない・・・?

もう数年前の話になりますが、私の先輩が会社を興そうと考えて、その当時いろいろな方々にアドバイスを求めて相談していた時、ある方から「お前は社長に向いてないからなぁ」と言われたと、少々気にしていたことがありました。

これから船出しようという人に、そんなことを言うのもどうかとは思いましたが、そもそも“社長に向いている”とはどういうことなのでしょうか。
「決断力がある」「リーダーシップがある」「コミュニケーション能力が高い」「人望がある」「人脈が広い」「数字に強い」、その他諸々あると思いますが、世の中の社長がみんなそうかというと、それは違います。

私は先輩に、「社長に向いている人がやっている会社の方が少ないし、向いているから成功するとも限らないし、そもそも何をもって向いているというのかわからない」と言ったのですが、物事に対する向き不向きというのは、誰にとっても永遠のテーマで、判断するのは難しいことだと思います。
「今の仕事が自分に向いているか」を考えたことは、誰でも一度や二度は必ずあると思いますし、私自身も、自分が今やっていることに本当に適性があるのかは時々考えます。

人の適性についての考え方で、私が確実にいえると思っているのは「向いているかどうか、最後に決めるのは自分だ」ということです。

もちろん適性テストや第三者の指摘など、周りからの見え方はいろいろあるでしょうし、その意見をよく聞く必要はあると思いますが、特に経営者のように総合力が問われる場合、その適性というのは、実は自分自身の主観による部分が多いのではないかと思います。自分で向いていないと思ったら向いていないし、向いていると思わなければやって行けないのではないでしょうか。

「自分は何でもできる!」なんて極端なのはどうかと思いますが、少なくとも勝手な思い込みだけで「○○には向いていない・・・」というのは止めてみた方が良いのではないかと思います。

2012年8月9日木曜日

なぜ、言われなければやらないのか

いろいろな社長さんから、「うちの社員は、人から言われないとやらないんだよ」という愚痴を聞くことがあります。「昔はもっと自分から進んでいろいろやったものだ」とその方々はおっしゃいます。
でも、実際に人材の質が落ちているのかというと、私はそうではないと思います。

今の世の中で、もし言われていないことや指示されていないことをやろうとしたら、多分止められることが多いでしょうし、それをもし失敗でもしたら、それこそただでは済まないくらい怒られるでしょう。
一方、指示されないからと行動しないことに対しては、それほど糾弾されないのではないでしょうか。

最近は、例えばアルバイトなどでも、作業が細かく分業化、標準化され、「自分の担当以外には手を出すな」ということも多いと聞きます。結局は世の中全体が、「言われていなくてもやる」ことを結果的に排除していることが多いのではないでしょうか。

こういう世の中で教育を受け、人生経験を積んできた人たちに、いきなり「言われなくてもやれ」と言ってもそれは無理というものです。

指示待ちでない行動を奨励する雰囲気作り、仕組み作り、どこまで許されるのかというさじ加減の指導など、環境も合わせて作ってやらないと、なかなか改善しないのではないかと思います。

 「そんなことは個人個人が考える問題だ!」と言われるかもしれませんが、社員を求める姿にするためには、必要なことなのではないかと思います。

2012年8月8日水曜日

「私にリーダーは無理です」という気持ち

私はずっとIT業界にいましたので、周囲の人の多くは、システムエンジニアなどのコンピュータ技術者でした。
多くの会社がそうだと思いますが、一定の経験年数を積んだ者には、プロジェクトをまとめる「リーダー」になっていくことを求められます。(もちろんその規模や人数はまちまちですが…)

そうは言っても、俗にいう「リーダー」的ではないタイプの人はいます。
表題のように「私にリーダーは無理です」とまでハッキリ言う人は、それほど多くないかもしれませんが、「リーダーを求められる立場なのはわかっているが、なかなかうまくできないし、どうしたら良いのかわからない」という人はたくさんいます。
リーダーになったことをきっかけに、「自分の力が足りない」「責任を全うできない」と悩み、メンタルダウンに至ってしまう人もいます。


そんな悩みの相談を受けることもあるのですが、私はいつもアドバイスとして、「自分らしさの範囲で可能なリーダーを目指しては・・・」と言います。

この手のことで悩んでいる人というのは、大体が自分にできそうも無いステレオタイプなリーダー像(カリスマ、スーパーマン、スペシャルなキャラクターなど)をイメージしています。手本になっている人やインパクトを受けた人がいたのかもしれません。

しかし、実際の「リーダー」には、いろいろなタイプの人がいます。先頭に立って旗を振る人、みんなのサポートに徹する人、何も言わず背中で見せる率先垂範の人、放任の人、管理の人、技術で頼られる人、人間性で信頼される人、友達感覚の人、などなど。

その複数の要素を、人それぞれのバランスで持ち合わせています。どうも「リーダー」が苦手と思っている人は、リーダーはこう在らねばならないという強迫観念が強いように思います。

人間が元々持っている特性は、そう簡単には変えられません。自分が進歩する努力は必要ですが、その時点では自分にできることしかできませんし、自分にできないことは他人に助けてもらうしかありません。

もしも自分の「リーダー」適性に悩んでいるようならば、自分にもできる自分なりのリーダー像をもう一度見つめ直し、他人の助けを借りながら、自分の特性を活かした「リーダー」を目指して見てはいかがかと思います。

2012年8月7日火曜日

異なる世代とのコミュニケーション

年配者は「今時の若い者は・・・」と言い、若者は「考えが古い」「時代が違う」と言う・・・。異なる世代間でお互いを表する言葉は、いつの時代でもそれほど変わらないように思います。

“世代の違い”っていったい何なのか、一言で言ってしまえば、私は“文化の違い”なのだと思っています。

なぜそう思ったかにはキッカケがあって、それはいろいろな国の人が、他の国を批判する時に言うことが、自分と違う世代を批判するときの言い方とそっくりだと感じたからです。国の違いは文化の違いが大きいと考えると、結局そういうことなのかなと思ったわけです。

他の国の人と付き合うには、相手の文化を理解するところから始めると思いますが、世代のギャップを縮めることも、これと同じように思います。

異なる文化の人と接する時、お互いの違う点ばかりに注目すると、なかなか付き合いづらくなりますが、冷静に見ると実は結構同じところが多いことに気づいたりします。

自分と違う価値観は相手の文化として認め、違う点ではなく自分と同じ点を探して見ると、国の違いであっても世代の違いであっても、それを乗り越えて案外うまく付き合っていけるような気がします。

「違うということ」を嘆いてばかりいても、結局は何の解決にもならないと思います。

2012年8月6日月曜日

子供っぽい社員

最近、「うちの社員はみんな子供っぽくて困る」という話をあちこちでされます。具体的な中身を聞くと、確かにそう感じても仕方ないことばかりです。

ではどうすれば良いのか・・・。
子供なのだから大人に育てるしかありませんが、会社という場である限り、「なぜそこまでしなければならないのか」という気持ちはどうしても残ります。そう感じる理由は二つあると思います。

一つ目は、自分は上司であって親ではないということ。
子供を一人前に育てるのは、親の責任として無意識であってもその責任感を持っていますが、相手は“子供っぽい社員”です。やはり社員に対して、そこまでの気持ちにはなかなかなれないということでしょう。

二つ目には、相手の見た目や年齢的には、十分な大人であるということ。
身体的、精神的、社会的に、これから成長しなければならない本当の子供なら、「子供っぽくて困る」とは誰も言いませんが、中身だけ子供というのは、「いったい今まで何を学んできたんだ」という気持ちが拭えず、自分がそこまでかかわらなければならない事への葛藤があるからではないでしょうか。

本来は大人であるべき社員が、自分にとって常識である当たり前のことができないとなると、こういう気持ちになるのは仕方がないと思いますが、ちょっと厳しい言い方をすれば、「自分の責任でない過去に原因があることを、いまさら責任を取るのは嫌だ」と言っているのと大差が無いように思います。
業務遂行のために必要であれば、こういう指導もやはり仕事の一環として取り組まなければならないのだと思います。

子供に対して、ただ「お前は子供っぽいから大人らしく振舞え」と言うだけでそのまま放っておいても、そう簡単に成長するはずはありませんが、“子供っぽい社員”に対しては、そんな扱いをしていることが案外多いように思います。

結局は子育てと同じで、本人のレベルに合わせて、初めは出来そうなことから手取り足取り、徐々に自分でやらせながら一人前にしていく、ということをしなければなりません。

今まではいちいち教える必要の無かったことでも、教えなければ成り立たなくなってきたということで、上司にはそれなりの覚悟が必要になってきたのかもしれません

2012年8月5日日曜日

部長、課長になる方が難しい

これからの話は、決して世の中の経営者の方々を馬鹿にしているわけではありませんので、くれぐれも誤解されないようにということでお願いします。

いろいろな会社の部長さん、課長さんといった中間管理職やマネージャークラスの方々とお話しすると、ほとんどの方がたくさんの葛藤を抱えています。
上からは突っ込まれ、下からは突き上げられ、誰からも大して褒められず、自分の仕事が役立っているのかはよく見えず、自分の存在意義や立場の意味を感じられなくなっていることが多く見受けられます。

私はそんな方々によく「社長は誰でもなれるけど、部課長は認められた人しかなれない」という話をします。

「社長になりたければ、会社を興せば明日からでもなれるけど、部課長にはなろうとしても、他人に認めてもらわなければなれない。だから皆さんの立場になる方がよほど難しいし、なったということは認められて選ばれた人物ということで、それだけ価値がある」と言います。

もちろんこれは極端な言い方で、実際にそんな単純な話である訳は無いのですが、こんな話で目の輝きが変わる人がいるのも事実です。何が変わったかといえば、自分の立場の意味を何となく見直して、本人の気分が変わったのです。

マネージャークラスというのは会社にとってはキーメンバーです。簡単な声かけや少しの言葉で、その人達が気分よく仕事をしてくれるなら、こんな良いことはないのではないかと思います。言葉の力は大きいし、言い方は大切だとつくづく思います。

2012年8月4日土曜日

「何が一番重要か」を考える習慣

先日、ちょっとした手続きがあって郵便局へ行きました。多少面倒なことはわかっていたのですが、古い通帳からの切り替えが必要などと言われ、同じような伝票を何枚も書かされて、やれ本人確認だの印鑑だのと、思いのほか時間がかかってしまいました。

担当の方は一生懸命作業をされていますし、手続き上いろいろな書類が必要な事はわかるのですが、「あまりにも無駄が多いなぁ」などと思いながら待っていた時、ふと窓口の横の壁を見ると「・・・のため、お待たせすることがありますが御了承下さい」と書いてあります。要するに“待つのは仕方ないから我慢してね”ということです。

それを見て思い出したのですが、ある大手宅配運送会社で、お歳暮時期の受付窓口に同じような張り紙を出そうとしたところ、社長さんが「忙しいのはこちらの都合で、年末に忙しいのは事前にわかっているのだから、お客様を待たせないためにどうすればよいか考えろ」と張り紙を出すことを許さなかったそうです。

またディズニーランドでは、成人式の際に晴れ着で来場する女性に、水に濡れるアトラクションには乗れないからと、お詫びの記念品を出そうと考えていたところ、「せっかく乗る事を楽しみにしてきたお客様を、なぜ乗せないようにすることばかり考えるのか」と指摘され、濡れずに乗れるようビニール製のコートを用意するようにしたという話を聞いたことがあります。

どちらも顧客にとって一番重要な事は何か、それを実行するためにどうしたらよいかを考えたという、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、自分たちの一方的な都合を優先していたり、初めからできないと決め付けていたりすることは多いと思います。思考が固まっていると、そんな状態に陥っていることに気づいていないことさえあります。

人間は何事も自分たちの価値観に合わせて判断しがちですから、意識していてもなかなかできません。
ではどうすれば良いか…。常日頃から、「今の状況で一番重要なことは何かを考える」ということが大切ですが、まずは「決め付けずに前提から考える」という思考パターンを習慣付けることだと思います。

今まで「当たり前の前提」としていたことを、今一度見直すことから始めて見るのがよいのではないでしょうか。

2012年8月3日金曜日

注意の後の絶妙な褒め方(病院の待合室にて)

ある病院の待合室でのことです。

小学校低学年くらいの男の子が中を走り回って騒いでいます。母親らしき人は見てみぬふりなのか、携帯メールに夢中で何も言いません。

同じく待っていた初老の男性がその子に注意しました。
「こういう所で騒いではダメだよ」

しかし、その子が男性に向かって口走った言葉は
「くそじじい!」

母親らしき人はようやく気づき、ビックリして男性に謝り、その子を叱りつけて静かにさせました。子供は明らかにふてくされています。

注意した男性は、自分の診察が終わったようです。
男性は帰りがけに、注意した子に向かって声をかけました。
「君、ちゃんと静かにできるじゃないか。やればできるじゃないか。すごく偉かったぞ」

子供はキョトンとしています。まさか褒められるとは思っていなかったからでしょう。でもふてくされていた表情からは、見る見るうちに様子が変わっていきました。

以上、身近に出会った小さな出来事ですが、この男性が実行した「一方的に注意するだけでなく、その後改善されれば具体的にタイミング良く褒める」ということ。マネジメントの中ではよく言われることですが、なかなか実践できないことです。特に注意して反抗的な態度でもされれば、腹が立って「この野郎・・・」と思うでしょうし、そういう相手と積極的には関わりたくないと思ってしまうのが本音でしょう。

人を動機付けるための基本は、大人でも子供でも変わらないな」と感じ、注意した男性の度量の大きさや態度に感心したというお話でした。

2012年8月2日木曜日

自己主張と自分勝手の差

自分の意見をきちんと伝えることは重要なことです。日本人は自己主張が足りないなどと言われますし、組織で仕事をするためには、お互いの意見をぶつけながらより良い物を見つけ出していくことが、組織の生産性や効率をあげていくことに繋がり、チームワークを生み出します。
しかし一方で、自分の意見に固執したり、強く主張しすぎると自分勝手といわれます。

この違いは何かと考えると、自己主張の中に、相手側の視点が考慮されているかどうかにかかっているように思います。お互いにWin-Winの関係を作れる内容なのかということです。

最近、一方的に自分の都合だけ主張する人が増えているように感じます。クレイマーやモンスター××と言われるような人たちは典型ですが、会社の中でも、自身や自部門がメリットを得るために、他にシワ寄せを求めてくるようなケースが結構あります。
「自分たちはギリギリまで頑張っているんだから、そっちが何とかすべきだ」などと言ってくることが多いですが、たいがい相手側の仕事の状況などは理解しておらず、一方的な話のことがほとんどです。

もちろん対決姿勢で徹底的に、自分たちの主張を展開するような交渉が必要な場合もありますが、同じ組織やチーム内での意見交換はそうではないはずです。やはり相手の立場を知り、お互いにメリットがある話にしなければ、“自己主張”は単にチームワークを悪くするだけの“自分勝手”になってしまうのではないかと思います。

ただこれも、他人のことまで考える余裕がどんどん無くなってきているということが、一番の問題なのかもしれません。

2012年8月1日水曜日

飲み会でなければわからなかったこと

以前、「業務外のコミュニケーションを飲み会だけに頼ってはダメですよ」ということを書きました。
逆に今回は、飲み会でなければわからなかった事もあるという話です。


ある会社の部長さんでしたが、その部下であるAさんの様子がおかしいと、他の部下から相談を受けたそうです。最近、特に午後になると落ち着きを無くして仕事のミスも多い、一種の心の病気ではないかと部下たちは言います。

しかし、その部長さんには思い当たることがあったそうです。それは以前Aさんと飲み会で話していて、その時Aさんから「自分の子供のことでいろいろ困ったことがある」と言う話を聞いたことがあり、何かプライベートな問題が関係あるように感じたのだそうです。

改めてAさんに話を聞くと、初めは口が重く、あまり話してもらえなかったそうですが、以前の飲み会の話題を糸口にして聞くと、実はAさんのお子さんに家庭内暴力という問題があり、最近エスカレートしてきて非常に悩んでいたということでした。
お子さんが帰宅する頃になると、家に一人でいる奥さんが暴力を振るわれて怪我をしないか、何か壊されているのではないか、大変なことになってしまわないか、心配で仕事が手につかなくなってしまうのだということでした。

この部長さんは、Aさんの家庭の問題が落ち着くまでの間、早めに退社する短時間勤務を勧め、お子さんの帰宅時間にAさんが家にいられるようにする措置をとったそうです。もちらんそれ以外もいろいろな面でフォローし、その後しばらくの期間を経て、Aさん宅の家庭内暴力も落ち着き、Aさんは通常の勤務に戻ることが出来たそうです。

これは極端な例かもしれませんが、プライベートな問題が仕事にも影響を及ぼし、その原因を知るには、仕事上の普通のコミュニケーションだけでは発見しづらいこともあるのだということです。
この話を、事前に何の心当たりもないまま、会議室で面談して本人から聞き出そうとしても、なかなかうまくいかなかったのではないでしょうか。たぶんAさんに通院を勧めるくらいで終わってしまったのではないでしょうか。

業務外のコミュニケーションとして一番手っ取り早く、多くの人を対象に出来るのは、実は飲み会であるのかもしれません。
少なくとも、「いろいろな場を使い分ける」ということが、コミュニケーションにおいて大事なことだけは確かです。