2018年5月30日水曜日

ノウハウは一般化しないと使いづらく、一般化すると盗まれる


少し前のことですが、京セラ創業者の稲盛和夫氏が考案した「アメーバ経営」に関する企業秘密を不正に持ち出したとして、子会社の元幹部が不正競争防止法違反(営業秘密の領得)の容疑で書類送検されたという話題がありました。

容疑は自宅から会社の業務用パソコンを使って会社のサーバーに接続し、アメーバ経営を活用した病院経営のコンサルティング情報を不正に取得し、秘密を得たということです。この元幹部はその後病院職員に転職しており、「医療業界に身を置きたかったので情報が役に立つと思った」と容疑を認めているとのことでした。

概略は「会社が持っているコンサルティングのノウハウを私的に持ち出した」ということですが、こういう話は私たちコンサルタントにとっては、かなり複雑な気分になる話です。

例えば、自分の持っているノウハウを無断で一方的に流用されたとしたら、これは完全な営業妨害で死活問題になりますが、その一方、自分に役立つ他人のノウハウは、可能であれば手に入れたいと考えます。
自分のレベルを上げるには、他人のノウハウを学んで参考にすることが必要ですが、それをやり過ぎると盗用になります。

コンサルタントとして、自分のノウハウがいろいろな顧客に利用しやすい形を考えると、ノウハウを定型サービスとして組み立てるなど、一般化することが望ましいですが、一般化して使いやすくすることで、今回の事件のようにノウハウを盗用されるような事態が起こります。
資料など、誰が見てもわかる一般的な形にまとめられているものを、勝手に持ち出せば犯罪ですが、頭の中に残っているものであれば、そういうことは言われません。
多くのコンサルタントは、過去の経験を今の仕事に活かしますが、やり方によっては盗用といわれてしまいます。資料などの目に見える形になっているものをそのまま使うのは良くなく、形に見えない経験や知見であれば、あまり盗んだなどとは言われません。

また、仮にノウハウが盗まれても、コンサルタント個人のキャラクターがセットでないと価値がない場合もあります。
例えば、研修プログラムは一緒でも、講師が違うと効果が変わってしまうようなことで、これは台本が同じでも、演じる役者が誰かによって、作品の価値が変わることと似ています。
こういう場合は、中身を多少真似されてもたいした被害はありません。

このように、どこまでが台本の面白さで、どこまでが役者の演技のおかげなのかを線引きできないことと同じで、コンサルティングのノウハウも、どこまでが固有のノウハウなのかという線引きは難しいです。

今回の事件は、自分の利益にするため、その会社以外の場所で使うために、形になった資料を持ち出したことで犯罪として扱われましたが、そうでなければ罪に問われたかはわかりません。
逆に言えば、私たちのようなコンサルタントは特に、こういうことの被害者にも加害者にもなる可能性が、常にあるということです。
被害を防ぐということで、ご自身のノウハウを特許や商標の形で守ろうとする人もいますし、あえて一般化や汎用化をしない人もいます。
盗用だと言われないためには、慎重に節度を持った情報収集と活用をするように、常に注意するしかありません。

様々なノウハウというのは、一般化しないと使いづらいが、一般化すると盗まれやすいものだということを、あらためて感じた一件でした。

2018年5月28日月曜日

「転勤」を強いる前提は、もうなくなっていると思うこと


ここ最近の「転勤」事情に関する記事を見ました。私は、基本的に「転勤」は本人同意なしでやるべきでないし、特に必要性もないという立場です。
ここで「転勤」といっているのは、住居の移動までが必要な勤務地変更のことで、そうではない「異動」のことではありません。

「異動」は、それによって新たな仕事の経験、今までの違う人間関係の形成など、いろいろな意味でその人の幅が広がるので、本人の職務経験とあまりに無関係な場合を除けば、キャリア形成に役に立つことがあります。
ただし「転勤」は、仕事内容だけでなく、場合によっては住居を変えなければならないということです。私は住む場所というのは、その人のプライベートまで含めた生活の中では、最も基本的な部分と考えています。ですから、仕事を口実にして会社がそこまで立ち入るのは、そもそもやり過ぎだと思っています。

特に最近は共稼ぎの家庭が多いですから、もし夫婦のどちらかが「転勤」を言われて、家族一緒に生活しようとすれば転居が必須になり、行き先によっては夫婦のどちらか仕事を辞めなければなりません。
そのせいで、最近は単身赴任を選択するケースが増えていると言いますし、仮に転居を受け入れたとしても、それに伴う転職や保育園など、問題は山積となります。
はっきり言って「転勤」は、私はもう時代に合っていないと思います。

しかし、先日お話をした会社では、本人の意志には配慮しない「転勤」を、相変わらず続けています。
今の時代、勤務地限定のような制度を導入する会社もありますし、そうでなくても「転勤」に関しては少し慎重になる会社が多くなっていますが、その会社は日本全国規模での「転勤」が頻繁にあります。多少の配慮はしているかもしれませんが、子育て世代にも介護を抱える人にも意外に容赦ないので、社員の間の不満は多く、そのことを理由にした退職者も徐々に増えています。

それでもなぜ「転勤」が必要なのかと理由を聞くと、その答えは「会社全体のことを知るため」「生活環境が変わることで人間的な幅を広げるため」「専門バカにしないため」などといいます。「ゼネラリストとして社内価値を高める」という発想です。

これはかつてのような終身雇用の時代で、一社での雇用が定年まで保障されているならまだわからなくはないですが、この会社では希望退職を募ったり、退職勧奨をしたこともあるので、そういう考え方と「転勤」との関係には矛盾があります。

「転勤」に人材育成上のメリットがないとは言いませんが、こちらも別に「転勤」でなくても、育成する方法は他にいくらでもあります。癒着や不正防止のためという人もいますが、こちらも違う方法でできることです。
結局は会社が人材配置の裁量を大きく持っておくことの都合の良さを、そのまま温存したいということで、そこで思考停止しているだけのことです。すでに過去の前提は崩れ、社会が変わっているにもかかわらずです。

最近はこういう矛盾を抱えている会社が数多くあります。「副業」しかり、「昇給」しかり、そして「転勤」もしかりです。
こんな矛盾を抱えたままの会社の特徴として、会社にとって都合の良いことを優先している傾向があります。会社の都合だけで仕組みを変えたり温存したりするので、つじつまが合わなくなっているのです。

しかし、この矛盾に鈍感な会社は、これからは生き残っていくことが難しくなるだろうと思います。明らかに働きづらい会社になりますから、評判は悪くなり、人が集まらず、業績は下がっていくでしょう。
こういうことを避けるために、前提や社会の変化に対して敏感になり、矛盾が起こっていることを放置せず、時代に合わせていろいろな仕組みを変えていかなければなりません。

私は、この「転勤」は、特に象徴的な矛盾だと考えていますが、皆さんはどう感じているでしょうか。


2018年5月25日金曜日

自分の「反対側のこと」を知る大切さ


少し前の話になりますが、こんなことがありました。
ある会社の担当者との間で、契約関係のちょっとした重要書類を郵送でやり取りをしたのですが、その会社からは契約書類だけが小さな封筒に折りたたまれて送られてきました。

こういうマナーにはいろいろな考え方があるのを承知していますが、私は特に大事な書類は折り曲げない、送る時は必ず送付状をつけるということでやっていましたし、関係先からも同じように対応されていたので、私が日ごろ接しているものとはちょっとかけ離れていて、さすがに「ん・・・」と思ってしまいました。

やり取りをしていた相手は主任クラスの男性なので、十分に社会人経験は積んできたと思われる人です。それなりに付き合いがある関係だったので、ある機会にそのことを一応確認するつもりで話をしてみました。
すると本人はちょっとバツが悪そうに、こんなことを言います。
「今まであまりこういう書類のやり取りや事務処理をやったことがなかった」
「やり方は何となく知っていたけど、相手が知り合いなので、まあいいやと送ってしまった」
というような感じでした。要は「どうすれば良いのかをあまりよく知らなかった」ということです。

こんな知識の抜け落ちのようなことは、どんなに経験豊富な人でも意外にあるものですが、この件を私自身に置き換えて、そんな書類送付のマナーをいつ誰に教わったのかと考えてみると、そういう記憶はほとんどありません。
あえてそのことを取り上げて教わったことも、どこかの研修で出てきたこともありません。実際には研修などをされていて、それを覚えていないだけかもしれませんが、覚えていなければ教わっていないのと同じことです。

ではそのマナーをどうやって知ったのかを考えると、たぶん「送られてきたものを見たことがあるから」です。「送られてきた書類を受け取る」という反対側の経験をしていたおかげで、いつの間にかそのことが知識として刻まれていて、反対に自分が送る側になったとき、それを真似することができたのです。
先方の会社の担当者が「あまりやったことがなかった」「知らなかった」といったのは、たまたま反対側の経験をする機会がないままできてしまったということでした。もう少しいうと、たぶん何かしらの書類を受け取った経験は絶対あるはずですが、その点に興味を持ってみることをしなかったので、知らないままできてしまったのでしょう。

これはどんなことでもそうですが、何か物事を知るにあたって、他人からきちんと教えてもらえることは、それほど多くはありません。意識的に勉強していることであれば別ですが、そうでないことは、自分の身の回りで起こっていることや経験したこと、他人の話や本などから、無意識のことも含めて知識を得ていることも多いのではないでしょうか。

そんな時に私が思うのは、「自分の反対側で起こっていること」に興味をもって、それを知ろうとすることの大切さです。
よく「その立場になって初めて大変さがわかる」などと言います。
生徒から教師になる、部下から上司になる、売る側と買う側、食べる人と作る人、親と子、そんな両方の立場を経験して初めて相手の事情がわかることは多いですが、「反対側のこと」がいつか自分にも関係があるかもしれないと、興味を持ってみていれば、実際そうなったときのギャップは少なくなります。

相手目線の一種かもしれませんが、自分の「反対側のこと」を知るのは、自分の視野を広げるためには絶対に必要です。特に年齢を重ねてくると、周りの人が教えてくれたりダメ出しされたりする機会はどんどん減ってきます。自分で意識して直すしかありませんが、そこで自分と対極にある「反対側のこと」を考えてみると、いろいろ見えてくるものがあるはずです。
「反対側のこと」を知ろうとするのは、意外に大事なことだと思います。