日大アメフト部の危険なプレーの問題で、加害側の選手の記者会見を見ました。謝罪したい意向を監督やコーチからとめられ、真実を話すことが謝罪につながると考えたこと、顔を出さない謝罪はあり得ないと考えたことが、今回の会見に臨んだ理由とのことです。
実際にあったことの経緯説明、監督やコーチのせいにせず、正しい判断ができなかった自分の責任だと誠実に話す態度などを見て、私はよくこの場に出てきて話す決断をしたと、その勇気を含めて感銘を持ってみていました。
結局、監督やコーチから、「やる気がない」などのあいまいな理由で練習から徹底して外され、せっかく選ばれていた代表を辞退するように言われ、それを避けるためと称して何度も執拗に反則行為を強要されていました。そして本人はやるしかないということしか考えられなくなり、当該行為に及んでしまったということでした。
コーチから「やるしかない」「自分から言いに行け」「相手が怪我をすればこっちの得」など、精神的に追いつめられるようなことを言われ続けていました。
本人は「指示に対して正常な判断ができなかった自分の弱さ」と言っていましたが、体育会の強い上下関係という組織体質から考えれば、ここまでプレッシャーをかけられてなおかつそれをはねのけるのは、かなり難しいことでしょう。「もうアメフトをプレーすることはない」とも言っており、有望な選手の将来をつぶす結果となってしまいました。
監督やコーチは、もしかするとこの加害者となってしまった選手のレベルアップのための「指導」のつもりだったのかもしれませんが、問題はその方向とやり方を大きく間違ったことにあります。
私は一連の話を聞き、これは「指導」ではなく、一種の「洗脳」だと感じました。
「洗脳」とは、強制力を使ってその人の思想や主義を根本的に変えさせて、こちらの思う通りの行動、思考を持たせることを言いますが、その強制力には必ず暴力的な言葉や行為が含まれるのだそうです。
今回の件はまさに当てはまりますが、これと似たようなことは企業の中でも起こり得ることです。パワハラなどはただの嫌がらせも含みますが、思想や行動をネガティブな方向に無理やり変えさせたとすれば、それは「洗脳」と言ってしまってよいでしょう。そしてそのことを「指導」と称しているケースは数多くあるのではないでしょうか。
「洗脳」には「罪悪感を植え付ける」「精神を崩壊させる」「支配する」といったネガティブな要素があり、ここから見れば「指導」と「洗脳」は、大きく根本的に違いますが、「人の行動を変えさせるように導く」という結果だけにフォーカスすると、それはどちらにも当てはまります。
それは、結果だけを見てプロセスを間違うと、「指導」が「洗脳」になってしまうことがあり得るということです。
あらためて「指導」の難しさ、そして「指導者」と言われる人たちの人格の重要性を強く感じているところです。
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