2013年6月29日土曜日

「優秀な人」ってどんな人?


企業の採用活動の現場にいると、「優秀な人を採用したい!」という言葉を必ず耳にします。どんな会社でも共通の想いということでしょう。
経営者も管理者も採用担当の人たちも、みんなこの「優秀な人」をいかに自社に入社させるかということに一生懸命取り組んでいる訳ですが、こんな企業側の皆さんに「優秀な人ってどんな人ですか?」と尋ねると、意外にはっきり答えて頂けないことが多いものです。

だいたい出てくるのは「リーダーシップがある」「コミュニケーション能力が高い」「協調性がある」「積極性がある」「打たれ強い」・・・、時に「有名大学出身」「○○資格を持っている」「テストの点数」「学校の成績」などといわれる方もいらっしゃいます。すべてそれなりにうなずけるところではありますが、前段部分は抽象的、後段部分は過去の成果やブランドなので、これだけで優秀と言い切るには不確実でしょう。

このようにかなり感覚的なところが多い「優秀な人」ですが、私がこれを定義する時には「自社の事業内容、仕事内容に親和性が高く、これを発展させられる人」と言っています。

例えばハーバード出身のMBAホルダーは、世間一般から見ればものすごく優秀な人ですが、零細企業の町工場などからすれば、何をやってもらえばいいのかわからない人、あまり活躍の場を与えられない人になることが多いでしょう。ということはこの町工場にとって、有名大学出身の有資格者は必ずしも「優秀な人」ではないということになります。

研究職の個人作業が中心の仕事であれば、コミュニケーション能力はそんなにいらないでしょうし、人見知りのあがり症に飛び込み営業などさせても、なかなか成果は上がらないし本人は相当につらいし、うまくいくにしても相当の時間と労力が必要でしょう。

採用のミスマッチというのは、実はこんな単純なところに原因があるものです。世間一般でいう優秀さをそのまま自社に持ち込んでしまい、実際の仕事内容と本人の特性が合っていないということです。
明るく快活な性格と行動力に魅せられて採用したが、自社の仕事は単調で地味なことがほとんどだったとしたら、見込んだ長所を活かす場は少ないし、何よりも本人がやりがいを見出せないでしょう。過去の経歴やその人のブランドばかりに注目してしまった場合も、往々にしてミスマッチが起こりがちです。

「優秀な人」を明確に答えられないとは言いながらも、ほとんどの会社は自社に合った人材をおおむね適切に採用しています。具体的な人が目の前にいれば、判断基準はお持ちであるということです。こういう会社であれば、一度みんなで自社にとっての「優秀な人」の認識合わせをすれば良いでしょう。

そして、もしも早期離職や入社時の過大評価、仕事上のミスマッチが見受けられるなら、今一度自社にとっての「優秀な人」はどんな人なのかをしっかりと見直す必要があると思います。


2013年6月28日金曜日

内向きの意識にもかかわるブランディング


ある著名な経営者の方の講演を聴講した中で、印象に残ったことがあります。

その方は、事業発展を考える中で、優秀な人材獲得や顧客への説得力向上が必須要件で、そのためには会社の知名度を上げることが最も重要だと考え、会社のブランディングにとても注力されたのだそうです。
外向けには少し極端な表現をするなど、注目を浴びるような仕掛けを様々おこなって、結果として会社の知名度は上がり、それに伴って業績も伸びていったそうです。

ただ、そんな形で世間から認められていく中で、内向きには社員が勘違いしてしまうような状況があったのだそうです。要は「俺たちの会社ってすごいよね」「俺たちイケてるよね」というような、たぶん天狗になったような感じだったのだと思います。経営者自身はそれを戒めていても、社員の中にはそういう空気が漂っていってしまったようです。

ブランディングというと、外向きにどうアピールしていくか、外からどう見られるかということが主体ですし、私などもブランド力が高まれば良いことしかない程度の意識しか持っていませんでしたが、外からの見られ方が変わると内側にいる社員の意識も変わっていくということ、外向きのブランディングがうまくいけばいくほど、内向きにもいろいろな影響があるのだということです。

その影響が、「帰属意識が高まる」「愛社精神が増す」「仕事のやりがいを感じる」といった事ばかりならば良いですが、「調子に乗りすぎる」「天狗になる」「上から目線になる」「偉くなったと勘違いする」など、実はデメリットもあるのだということを知りました。

こう考えると、ブランディングというのは、外向きの宣伝や広報だけでなく、企業風土づくりの一部ということもできます。外向きには外向きのメッセージを、内向きには外に発したメッセージの意図の説明や引き締めが必要になるということです。

広報、宣伝、ブランディングといった、一見外向きの発信だけに見えるところまでが、実は内部の組織作りにもつながっていると意識できたことが、私にとっては大きな収穫でした。


2013年6月26日水曜日

通勤電車で思った「毎日通うのって当たり前?」


私の場合、毎日の行先が違うのでいつも同じ電車ということではありませんが、もちろん通勤時間帯の電車は利用します。やはり座って落ち着けることはほとんどなく、混んでいて身動きは不自由だし、昼間よりも時間はかかるし、決まった時間に多くの人が一斉に移動しなければならないことを、ついつい無駄だなぁなどと思ってしまいます。

今はパソコンでの作業は、それこそどこでもできる環境が整ってきていますし、モバイルワークや在宅勤務など、働く場所の制約もどんどんなくなっていますから、そのためだけにわざわざ出かけていく必要はなくなってきています。ついつい「必要な時だけ行けばいいじゃないか」などと思ってしまいます。

一方で、私は人事の専門家として、「組織で仕事をする中で同じ場を共有すること」「直接顔を合わせること」重要性もわかっています。一人でできる仕事でも、仲間が集まってやる事自体に意義があることもあります。時間効率さえ良ければそれで良いというものではありません。

以前、在宅勤務に関するセミナーを行ったとき、積極的にやりたい人がいる反面、やりたくないと考える人も一定数がいらっしゃいました。「家でまで仕事なんかしたくない」「直接会わないで仕事するなんてやりづらい」と思われるようです。
これは個人の職業観にもかかわることで、何を優先するかで答えは大きく違います。何を優先するかは、その会社の業種や仕事の中身でも変わりますし、何が良いと一概に言えることではありません。

私自身、毎朝通勤している頃は、通勤時間をそれほど無駄だとは思わなかった気がします。電車に乗っている時間が仕事に向かう気持ちの切り替えになっていましたし、それが習慣で当たり前だったので、そもそもそんなことを考えていなかったかもしれません。

ただ、仕事をする環境が大きく変わってきていることは間違いありません。新しいツールもインフラも、安価で効率的なものがどんどん整備されてきています。そういう環境の中で、「今までそうやってきたから」という理由だけで、場を共有することや、顔を合わせることばかりを優先するのは、やはり好ましくありません。どうも、習慣で当たり前になっていると、周りの環境が変わってきていることに気づけなくなりがちではないかと思います。

今当たり前のことが本当に当たり前なのか、たまには考えてみることも必要ではないかと思います。 常にそういうアンテナを張り、感度を高める中で、変えるべきものと守っていくべきものを見極めていく必要があるのではないでしょうか。

混んだ朝の電車の中で、そんなことを考えてしまいました。


2013年6月25日火曜日

アンケート記名を嫌がる研修受講者


少し前の話ですが、ある企業で若手社員向け研修を行ったときのことです。
一人の方に何度か受講してもらう内容のものだったので、同じ受講者と何度か顔を合わせます。多くの研修と同じく、私も毎回の終了時には受講された方々にアンケートを書いて頂きますが、ある受講者がそのアンケートに自分の名前を書くことをやたらと嫌がるのです。

初回は無記名で、なぜアンケートに名前を書かなければならないのかという苦情がつらつらと書いてあります。ただ、私から見ると、他の方はみんな記名されているので、結局誰かはわかってしまいます。
2回目はアンケート記入の時に、私の方から「会社の上司などに提供するわけではないので、おかしな被害が及ぶ懸念はないこと」「そうは言っても記名がない意見では責任ある意見にならないし、検証のしようがないので記名が必要であること」などを説明したところ、しぶしぶ名字だけ書いてありましたが、中身の記述はあまりありませんでした。
3回目には、やっぱり逆戻りで無記名のまま、この活動に意味があるのかなどという否定的な意見が書いてありました。

最近はネットなどで匿名性を利用して、暴言に近い内容や他人の中傷めいた書き込みをしたりする話をよく聞きます。そういう人に限って、実際には寡黙でおとなしい人だったなどということも聞きます。記名を嫌がるこの方とは、その後ヒアリングなどでお話をうかがう機会もあり、それなりに能力もあってしっかりした方でしたが、会社に対する不満が強かったようでした。

もしかするとこの方は、自分が意見を述べることで何か中傷があったり、実害があったりしたのかもしれません。会社の対応にも何か問題があったのかもしれません。ただ、だからといって名前を伏せて発言すれば解決するという問題ではありません。
意見を言う側は、建設的に、攻撃的過ぎず、相手の納得が得られるように伝える努力が必要だし、意見を聞く側は、受け入れるべきものは謙虚に受け入れ、そうでないものは毅然とした態度で、やはり相手の納得が得られるように対応する、ということが大切です。

もちろん、被害者と加害者がはっきりしている場合や、片方に何らかの被害が及ぶ恐れがある場合などは話が別ですが、そうではない組織内での一般的なやりとりの中で、匿名のままで意見を言い合うということは、基本的にはあり得ません。
匿名にしたいということには、反論されるのが怖い、相手の反応が予測できない、思っていることを表現できないなど、いろいろな理由があるのかもしれませんが、結局はうまくコミュニケーションが取れないからということだと思います。

「コミュニケーション能力の低下」などと言われますが、現象として実はこんな形でも出てきているのかもしれないなどと感じた体験でした。


2013年6月22日土曜日

システムのせいで人事制度が変えられない?


ある上場企業の人事の方と情報交換をさせていただいた中で、人事制度の話題になりました。

全面改定してから数年たつそうですが、当初のコンセプトからずれてきていることがいろいろあるそうです。制度の見直しや改訂の検討がそろそろ必要になってきているとのことで、ここまでは良くある話でしたが、「実は社内システムとの兼ね合いで、そう簡単には制度を変えられないんです」とおっしゃいます。

よくよくうかがうと、グループ内の子会社が社内システムの開発、運用、保守を行っているそうですが、人事の面からは何かと使い勝手が悪く、小手先のつぎはぎでいろいろアレンジしているのだそうです。(他にも細かいことはいろいろあるようです。)
そんな中で人事制度の改訂までとなると、いよいよ小手先の対応では立ち行かなくなるが、システム変更となると、そのコストがあまりに膨大になることが明らかであるため、人事制度うんぬんという理由では、とても手をつけられないのだそうです。人事制度上の課題はある程度明らかで、やりたいことの方向性ははっきりしているが、社内システムとの兼ね合いでそれができないとのことでした。

「それって人事制度を主幹する立場としては気持ち悪いですね・・・」と同情するしかありませんでしたが、企業の規模がそこそこ大きくて、社内のIT化が進んでいるような企業であればあるほど、人事制度のことに限らずこんな悩みがあると聞きます。応用が利かないシステム側の作りにも大きな問題があると思いますが、すべての業務を把握しているわけでもないシステム開発技術者が、そこまで何でも見通して開発するのも難しいことは確かです。

中小企業で人事制度を扱う場合、どちらかというと制度上の課題がほとんどで、こんな制約にハマることはめったにありませんが、企業のステージが違うと悩みどころも違うものです。これを解決するには、人事の専門性というよりは社内の政治力になってしまいます。

こうなってしまうと、さすがに私が直接ご支援する世界ではありません。もう影ながら応援するしかなさそうです。


2013年6月21日金曜日

経営者や著名人の異口同音


私が人事の仕事に関わるようになってから5,6年経ったころ、自分の立ち位置がどうあるべきなのか、何を基準にすればよいのか、自分の中でもあいまいで迷っていた時期があります。

人事の仕事は相応の経験や専門性が必要である一方で、多くの人に関わることですし、専門家でなくても何となく感覚的に見えるような部分もあります。一概に正解がないということもあり、一言言いたい人はたくさん出てきます。その結果、周りのいろんな人たちからいろんなことを言われ、収拾がつかなくなってしまって、企画していたことが進まなくなったり頓挫したりという経験は、企業で人事に関わったことがある方であれば、多かれ少なかれあるのではないかと思います。

いろんな人からいろんなことを言われれば当然迷います。私の人事経験5,6年目ごろはそんな時期だったのだと思いますが、その頃のお付き合いの中で、外部のイベントに参加する機会が結構あり、そのイベントの中で、多数の著名な経営者、大学教授、スポーツ選手などから、人や組織のマネジメントに関わるいろいろなお話を聴く機会がありました。

皆さんご自分の経験や価値観から、「こういう考えのもとにやっている」というお話をされるのですが、たくさんお話をうかがっていると、言葉も表現方法も違いますが、言いたいことはかなり共通していると感じるようになりました。
「結果は大事だけど、プロセスはもっと大事」「個人個人に注目し、その人の心を理解しながら対話する」「お互いが納得しながら取り組む」「押しつけでなくサポート」など。他にもなるほどそうかと思うことがたくさんありました。

お話をうかがった方々は、分野は違っていてもその分野で認められた一流の方ばかりでしたが、そんな方々が異口同音同じニュアンスを語られるということは、何らかの原理原則があるということと感じ、これを肌感覚で知る事ができたことで自分の立ち位置価値観が定まり、迷いもなくなっていきました。
その頃うかがったお話が、今の仕事を進めていく上での考え方の基礎になっていることもたくさんあります。

よく事情を知った周りの人たちへの相談で解決することもありますが、考え方の基本や自分の方向性など広い視点が必要な時には、直接関係がなくても多くの人の話を聴くことが良い場合もあります。私の場合は偶然の役得でしたが、「その道を極めた人たち」のお話をたくさん聴けたのは、とても大きい事でした。

私は単なる結果オーライでしたが、もしも皆さんの心の中に何か迷いが生じた時、こんな取り組みが何か解決につながることがあるかもしれません。


2013年6月19日水曜日

見えやすい「形式知」ともっと大事な「暗黙知」


ある新聞に、「形式知」「暗黙知」について書かれた記事がありました。

「形式知」とは、知識、学問などから得られ、言葉にして説明可能な、言語化できる知識のこと、「暗黙知」とは、現場経験などから得られる、言葉で表しづらい、言語化しづらい知識のことで、最近は多くの組織で「形式知」に長けた人の方が重用される傾向にあり、結果として現場が軽視されるような組織が増えてしまっているということでした。

私の感じるところでも、「理屈が通っている」「弁が立つ」「数字を上げている」といった目に見える部分ばかりが重視され、現場で培ってきた「経験」「ノウハウ」などは、目に見えづらいためか、軽く扱われているように感じます。
人件費の削減、コストカットの名目で雇用調整が行われたりしますが、多くの「暗黙知」を持った人材まで放出してしまうために現場が弱体化し、その後の業績回復が難しくなっている企業も実は多いのではないかと思います。

「形式知」に長けた人というのは、俗にいう頭の良い人です。表現力も説得力もあって、理屈も通っているということになれば、そういう人たちが言う事の方が取り上げられやすいということはあるでしょう。ただ、そうやって目に見える事ばかりで物事を判断していると、「暗黙知」というような、大事なものを見失ってしまう危険性があるのだと思います。

結果も成果も数字も理屈もみんな大事ですが、それだけでは表現しきれない大事なことがあります。経験、ノウハウ、人の気持ち、過去の経緯、義理、人情、文化、モラル・・・
見えづらい事にもしっかり目を向けて、両方をそれぞれバランスよく考えることが、今の企業や組織に問われていることなのではないでしょうか。


2013年6月18日火曜日

「隠す」より「どうやって伝えるか」


日本野球機構が統一球の仕様を変更したことを隠していたことが批判を浴びています。単に隠していたというより、関係者に口止めしたり、変えていないとを言い続けたり、この期に及んで知らなかった、不祥事ではないなどと言っているので、さらに始末が悪いと感じます。

「混乱を避けるために隠した」とのことですが、この論法は一般の企業の中でも見受けられることがあります。
正真正銘の不祥事や不正を隠すようなことは論外ですが、「どうせ言ってもわからない」「どうせ反発するだけだろう」「どうせ会社の立場は理解できないだろう」など、“どうせ・・・だろう”との言い方の中で、だからあえて説明しない、伝えないという選択をしてしまいます。

隠そうと考える側は、「混乱させたくない」「不安を与えたくない」「反発を買いたくない」などと言いますが、だいたいにおいて、隠したことによって混乱し、不安を与え、反発を買います。
また、「この人、隠されたら怒るだろうな・・・」という経営者や管理者に限って、隠して公にしないということを考えがちです。自分目線ばかりで、その行為が相手にとってどうなのかという視点を見失っています。

企業の中では、「隠す」ということより「どうやって伝えるか」を考えるべきです。当然個人によって理解の程度も違うでしょうし意見も違うでしょう。反発が表面化するかもしれません。だからといって隠したとしても、問題をあいまいに先送りしただけで、改善にも解決にもつながりません。

個人的な隠し事は誰でもあるでしょうし、そんなものだと思います。しかし、会社組織の中で「隠す」ということをする限り、ともにビジネスに取り組む仲間としての信頼関係は築けません。結局は業績が上がらない組織になるだけではないかと思います。
「隠す」のではなく、できるだけ混乱させないように、できるだけ不安を与えないように、できるだけ反発を買わないように、そういうことに配慮して、「どうやって伝えるか」が大事です。


2013年6月15日土曜日

モラルとルール、ガイドラインとマニュアル


「○○をマニュアル化してほしい」という依頼を受けることは結構多いです。「人によってバラつきが出るのを防ぎたい」「基準を決めて一定の質を保ちたい」などが目的です。

組織を統率するために一定のルールは必要ですが、私は正直、あまり細かいルールは好きではありません。自分が状況判断したり、工夫したりする余地がなくなってしまうからです。
しかし、経営者や上司など、組織を束ねる立場の人は、きちんとルールを決めたがることが多いようです。すべての人がそれに従って動けば、それが一番効率的で、良いことのように感じるからかもしれません。

でも本来ならば、会社から見て信頼でき、仕事を任せられる社員というのは、マニュアルに依存しない、適切な状況判断、自己判断ができる社員のはずです。こういう人をマニュアルで縛ってしまっては実力を発揮しづらいはずですし、こういう人を育てたければ、マニュアルはほどほどの方が良いはずです。

あるところで読んだコラム(「ビジネススキル・イノベーション」:プレジデント社から抜粋したもの)にこのあたりのことが書いてあり、私の考え方とも合致したのでちょっと紹介すると、

組織を動かすには「モラル」「ルール」の問題があり、「モラル」は目指すべき中心点(近ければモラルは高く、離れれば低い)、「ルール」は中心点からこれ以上離れてはいけないという限界の境界線(これを超えたらアウトという一線)という違いがある。

ルールを設けると、その境界線ぎりぎりで動く者が多くなり(モラルからかなり離れていたとしても、「ルールを守っていれば問題ない」となる)、ルールを強調するとモラルを軽視し始め、ルールが増えると手続きも増え、組織の効率が落ちる

ということだそうです。

そして、

●「ルール」を文書化したものが「マニュアル」「モラル」を文書化したものが「ガイドライン」である。

●「マニュアル」は社員の制御性を育てるので、仕事の「量」を追求するときに能力を発揮し、「ガイドライン」は、社員の自発性を育てるので、自由な発想を呼び込み、仕事の「質」を高める。

社員には、自発性も制御性も両方が高いことを求めがちだが、実際に仕事の質を高め、価値を産むのは自発性が高くて制御性が低い場合である。

ということでした。

仕事の質を高め、不測の事態に頼れるのは「ガイドライン」であり、これで動けるようにするためには、日頃からそれに基づいて判断をする訓練が必要です。ということは、ルールよりモラルを優先すべきということになります。

「ルールが決まっている」というのは一見良さそうですが、何でもルール化、マニュアル化でどうにかしようというのは、仕事の質や効率を考えても、やはりあまり得策ではなさそうです。


2013年6月14日金曜日

覚えていればやっぱり得をする


私の周りに、「人の顔や名前を覚えるのが苦手なんだよね」とおっしゃる方が結構何人もいます。日頃から多くの人を相手にしているような方であれば、やむを得ないところもあると思います。
ブラッド・ピットが、「失顔症」という人の顔が覚えられない病気だと告白しているのを聞き、あまり失礼だなどと非難してはいけないこともあると知りました。
ただやはり、人の顔を覚えるということが、何かと大事なことには変わりないのだろうと思います。

私自身のことでいうと、人の顔と名前を覚えるのが実はまあまあ得意です。一生懸命覚えようとしている訳ではありませんが、一度の名刺交換だけであっても、その時の印象、空気感、ちょっとしたやり取り、場所、季節、時間帯などが絡み合って、何となく覚えています。
「こんな話をしていた」とか「食べ物はこれが好きと言っていた」とか、他愛ないことも多いですが、後日お会いする機会があった時にそんな話をすると、「そうだったね」とか「よく覚えているね」などと言われ、これが意外に喜ばれたりします。その後のお付き合いにつながったりして、圧倒的に良いことが多いので、「人を覚えるのが得意で良かった」といつも思います。

有名なところでは、故田中角栄氏が大蔵大臣に就任したとき、大臣室に来た官僚一人ひとりの名前をフルネームで呼んで、相手を感激させたという話があります。名前を忘れることがあっても、握手をしながら「君の名前はなんだっけ?」「名字はわかっているよ。下の名前はなんだっけ?」と、うまく聞き出していたそうです。

私も、久しぶりに訪ねたお店などで自分のことを覚えていてくれると、何となくうれしいものです。何年かに一回くらいしか行けないような高級レストランで、「お久しぶりです」と言われて、「いやぁ覚えてないでしょう?」と聞いたら、「前回は○年の○月○日にお見えになって、○○を召し上がりましたよ」なんて言われて驚いたことがあります。お店で来店の記録をしていて、それを確認しているのかもしれませんが、そうだとしてもやっぱりうれしいです。

顔と名前を覚えないままでいると、自分にはそんな気持ちがなくても、「あなたには興味がありません」と言っているようなものです。相手へのリスペクトを欠いているとも取られても仕方ないかもしれません。

「顔と名前を覚えるのが苦手」とおっしゃる方でも、その大切さを理解している方は、その時その時に会った人のことを自分なりに記録したり、人に会う前にその記録を確認したりして、自分でできる努力をしています。それは損とか得とかいう気持ちより、相手に失礼が無いようにというところの方が強いようです。私が思うのは、記憶力うんぬんよりも、結局「人に対する興味」「相手への敬意」があるかどうかということです。

会った相手を覚えていることで損することは一つもありません。少なくとも私の経験では得することばかりです。相手に喜ばれてその後の関係を深めることができるなら、いくら苦手であってもやっぱり人の顔も名前も覚える努力をするに越したことはないと思います。


2013年6月12日水曜日

みんなプロのはずなのに!


つい先日、仕事の移動中で都内を歩いていた時、小学生の女の子二人が小走りで横断歩道を渡ろうとしたところへ、2トントラックが左折してきました。一瞬危ないかと思いましたが、女の子二人が気づいて立ち止まったので、何事にもならずにすみました。

トラックの運転手さんを見ると、携帯電話片手で話していて、歩行者には全く気づいていません。一歩間違うと事故になるところです。「ドライバーさんは運転のプロであるはずなのに!」と怒りの気持ちになりました。

プロとか専門家というと、「私はそんなレベルではありません」とおっしゃる方がいます。しかし、仕事としてお金をもらっている限り、私はその全員がプロだと思います。経営者だろうがサラリーマンだろうが自営業だろうが、どんな職種でどんな役職だろうが、自分が発揮した能力報酬を得ているということは、プロであるということです。異動で仕事が変わったって、会社を転職したって、やっぱりプロはプロです。
「自分の営業スキルなんて、この会社でしか通用しませんよ・・・」などと言っている人もその会社では営業のプロですし、「まだまだできない事ばかりで・・・」なんていう新人レベルでも、できる範囲のことではプロのはずです。

ただ、仕事というのはだいたい日常生活の中で習慣化しているものですから、よほど意識していなければプロ意識を持つ機会なんて無いかもしれません。毎日同じような仕事で、毎月だいたい同じ頃に同じ給料がもらえるとなれば、よけいにそうなってしまうでしょう。

そうだとしても、無責任、人任せ、やる気のなさ、不正行為、その他仕事上で起こるミスなどの大きな原因の一つは「プロ意識の欠如」ではないかと思います。「まだまだそんなレベルでは・・・」という発言には、自信のなさも謙遜もあるでしょうが、プロであるという責任から逃げているところもあるように思います。

「職業人はみんなプロである」ということを、もっと意識してもよいのではないでしょうか。そうすれば、今回偶然見かけたような光景もなくなっていくのだと思います。


2013年6月11日火曜日

またチヤホヤする気? の新卒採用


先日ある都内の交差点でのこと、近くで合同企業セミナーのような就活イベントがあったようで、リクルートスーツの学生さんが大勢歩いていました。
その交差点で、たぶん企業側の関係者と思われる人が、通りがかる学生さんたちに声をかけています。パンフレットを配り、結構長い時間引き留めて何かいろいろ話しています。学生さんだって企業の人と思えば邪険にできないでしょうから、足を止めて話を聞き、にこやかに応対しています。どうも自社説明会への勧誘か何かをしているようです。

その後ちょっと時間があったので、近くのカフェに入ったところ、あとから学生さんらしい二人を引き連れた、人事部長っぽい人と担当者かリクルーターらしい数人のグループが入ってきました。聞こえてきてしまった話では、そのイベントに出ていた某有名私大の学生さんを連れてきて 自社の会社アピールをしているようです。もしかすると囲い込むことが目的かもしれません。

私は企業の採用活動のお手伝いもしますが、こういうキャッチセールスまがい、ナンパまがい、勧誘まがいの活動は絶対にやめて頂くようにお願いしています。ミスマッチを助長しがちなこと、会社の評判を落とす恐れがあることからです。

どんな人でもチヤホヤされれば、何となく舞い上がってしまうことも少なくないと思いますが、採用活動の場面で学生さんに対して行うと、学生さん自身は冷静な判断がしづらくなります。面と向かってラブコールされれば悪い気はしませんし、「この人は良さそうな人だから・・・」などと会社自体とは関係ないことが判断基準になったりします。「いろいろ考えさせないことが狙いで、入社させてしまえばこっちのもの」なんて会社もあるようですが、これはまさにミスマッチの温床です。

また、チヤホヤしたからといって、会社は全員を入社させようと考えているわけではありません。さんざんチヤホヤされたあげく、「あなたは不採用でした」と事務的な通知が一通届いたとしたら、これを学生さんからみれば、あの時言われたことは何だったの?不信感を持ってもおかしくはありません。その会社に対して良い印象を持つわけはありませんから、広い意味での企業イメージに悪影響を及ぼします。今はネットなどを通じて、悪い噂はあっという間に拡散します。

ここのところ、雇用環境が劇的に良くなっているとは言えませんが、多少変化の兆しが見えるということで、こんな焦ったような動きをする会社が出てきているという話を聞きます。ただこれは、学生さんを勘違いさせてしまったり、冷静に考えさせたりする機会を奪うから良くないことだと、過去に学んだのではなかったのだろうかと思います。やはり需給バランスが崩れると、同じことを繰り返してしまうのでしょうか。

過去を教訓にして、学生の親身になって良識ある採用活動をしている企業はたくさんありますし、こういうアプローチには振り回されずに活動している学生さんもたくさんいると思いますが、流されてしまう人が増える危険が高まるのも事実です。

採用活動、就職活動は恋愛、結婚と似たところがあります。双方にとって良い結果になるためには、駆け引きではなく、お互いの相性と信頼関係です。
できるだけ多くの人が自分に合った仕事にめぐり合える、企業にとっての良い採用活動、学生にとっての良い就職活動になることを願って止みません。


2013年6月8日土曜日

感じが悪かった名刺交換


いろいろな方々とお会いしてお話をさせていただく目的で、異業種交流会にときどき参加します。
参加する方々の大部分は、自分のビジネスに前向きで、新しい人脈や出会いを求めている人達ですが、ごくたまに、自分の都合ばかりで一方的にアプローチしてくる人がいます。

ある交流会で、お相手は40代から50代くらいの女性でしたが、名刺交換をしたとたんに私の名刺には目もくれずにバッグにしまい、自分の商材のパンフレットを渡され、一方的に自分の話をして去っていきました。

さすがにこれはないなぁと思いながら、その人の様子をついつい見てしまいましたが、やはり誰に対しても同じ態度です。商談につなげようという行動にはとても見えませんでした。

ここまでの話で大部分の方々は、「そんなことで商売になる訳がない」「失礼にもほどがある」などと思われるでしょうし、私自身も「どんなに良い商品やサービスでも、アンタからは買わない!」と思ってしまいますが、ごくまれではあってもやっぱりこういう方はいらっしゃいます。

多くの人がNGと思ってしまうような行動を、なぜ取ってしまうのでしょうか。私がいつも考えていることは2つです。
「せっぱつまっていて余裕がない」「相手を気遣う感性がない」などの自己中心型
「売れても売れなくても関係ない」「続けて交流する気がない」などの当事者意識欠如型

未知の方との人間関係を作ろうとした時、自分と相手の双方がWin-Winになれるように、相手の立場も考えながら交流することが重要だと思いますが、これを妨げる意識として、よく言われる「自己中心」ということとともに、「当事者意識のなさ」ということもその要因になります。「どうせ二度と会わない」とか「旅の恥はかき捨て」のような心理があると、相手に対して雑な対応、失礼な態度をしがちになります。当然良い人間関係は作れません。

そう考えると前述の女性は、何とか商談につなげようというよりは、名刺とパンフレットをバラまくことが目的のようでした。上司か誰かに指示されるまま参加しているだけで、その場にいる人と自分が引き続いて付き合う必要もなく、言われた事だけを事務的にこなしていたのかもしれません。当事者意識がなかったように見えました。

商談やビジネスの人脈作りだけでなく、友達作り、仲間作り、そして私が関わるような会社の組織作り、その他人間関係を構築するすべての場面において、やはり「相手目線」「当事者意識」必須事項であるということを、あらためて感じた出来事でした。


2013年6月7日金曜日

「協調」を“強調”しすぎる落とし穴


日本の会社では、強い個性自己主張を好ましく捉えないところがあると思います。「協調性がない!」と言われれば、良い意味であることはほとんどないでしょう。周囲の人と合わせない、話を聞かない、自分勝手・・・。そんな文脈での批判的なニュアンスであることがほとんどだと思います。

組織の中で、協調性はもちろん大事ですし、チーム力の向上を考えれば不可欠です。日本人的な強みとして、協調性が語られることも多いように思います。

ただ、協調ばかりが行き過ぎになることでのデメリットもあります。よく言われるのは、責任を取らない(または責任の所在を明らかにしない)、なれあい、個々の向上心の欠如などですが、ある会社のITプロジェクトチームでこんなことがありました。

30代のリーダー、20代後半のサブリーダー、入社3年目が2名と新人1名の5名のチームでしたが、リーダー、サブリーダーは非常に部下の面倒見がよく、常に教えたり様子を気にかけたりしています。チームの和を重視し、全員とても仲が良く、お互いにいろいろ話し合っていてコミュニケーションも良好でした。
これだけ見れば何の問題もなさそうですが、なぜかこのチーム、すべてにおいてレベルアップしないのです。もちろんそれなりに経験を積んではいますが、誰かがぐっと伸びるとか、チーム力が上がって顧客の評価が増すとか、そんなことはほとんどありません。特に技術的なスキルの面でそんな傾向がありました。

このチームのリーダーとサブリーダーは、部下にいろいろ教えてはいるのですが、それは部下が困ったり立ち往生したりしないように、わからないことの答えを教え、具体的なやり方をいつも指示しています。相手の成長育成を意図して、教育しているとはいえませんでした。
またリーダー、サブリーダー自身も、自分たちのレベルアップ、スキルアップにはあまり取り組んでいません。突き上げてくる人がいる訳でもないし、身近に手本がいる訳でもありません。今のままでも当面の業務には何の支障もありません。要はスキルアップしなくてもそんなに困らない状況だったということです。チーム全員が仲良しの裏返しで、あまりお互いに競争心もありません。
結局、過度に協調している結果として、チーム全体の平均値よりも、さらに低いレベルで横並び、平準化されてしまっていたということです。

どうも、お互いの人間関係に波風を立てず、平穏でいられるという意味での「協調」を最優先にしてしまうと、こんなことが起こってしまいます。
どんな事でも結局バランスですが、“協調”とともに“競争”“向上”“衝突”もなければ、本当のチーム力向上にはつながりません。

「協調」“強調”しすぎると、「全体のチーム力がレベルダウンする恐れがある」ということは、肝に銘じておく必要があると思います。


2013年6月5日水曜日

よく道を尋ねられる人


「私って、よく道を尋ねられるんですよね」という人に、ときどき出会います。
そういう私自身も、外を歩いているときによく道を聞かれます。周りに他の人が大勢歩いていても、私が声をかけられるので、たぶん自分の思い込みだけではないと思います。
もちろん、できるだけきちんと教えますし、一緒に地図を見たり、わかりそうなところまで案内したこともあります。

以前、採用活動をお手伝いしているクライアントの会社説明会をある公共施設で行ったときのことですが、その施設では他にも多くの会合があったようで、説明会場の案内役をしていたある男性社員に、いろんな人が全然関係ない会合の場所を次々に尋ねていました。

その男性社員は、ちょっとおとなしい感じですが、真面目な優しい方で、本来ならば関係ない人から関係ないことを聞かれているのですが、「それはここの会場みたいですよ」などと真面目に案内していました。(他の社員からは、「この施設の係員と間違われているんじゃない?」なんてからかわれていましたが・・・。)

道を尋ねられる人と、尋ねられない人の違いが何なのかと考えてみましたが、結局は見た目や雰囲気、第一印象しかないはずです。
私は具体的な分析はできませんが、たぶん声をかけやすいと感じる、答えてくれそうと感じる何かがあるのだと思います。また、よく聞かれるということは、多くの他人がそう感じるということです。さらにその見た目の感覚というのは、意外に合っているように思います。一人ひとりは感覚でも、数が重なれば客観です。

他人がその人に対して持つ何らかの印象というのは、自分が意識していないこと、気づいていないことも多いはずです。他人の第一印象に影響することというのは、やはりその人の日々の行動や考えていることなどで、その人の内面が見えてしまうということなのだと思います。
自分の第一印象をよくしたいと考えるならば、結局は自分の内面を磨く事しかないように思います。

そんなことを考えていたら、「道を尋ねられるのは、意外にいいことかも」と思っています。


2013年6月4日火曜日

オフィス環境から見える会社の風土


久しぶりに一部上場企業のオフィスにうかがう機会がありました。
受付にはタッチパネルPCとつながった電話があって、訪問先を部署名でも内線番号でも個人名でも検索ができて、検索結果に直接内線が発信されるシステムでした。
今はそんなの当たり前と言われるかもしれませんが、私はここまでの感じは初体験で、部署名や役職名などを忘れてしまっていても通じるので、よくできていると感心していました。
通されたのは普通に社員が使えるらしい応接でしたが、机も椅子も立派だし、上層階で眺めもいいしと、やっぱりオフィス環境への投資の仕方が違うなぁと思いました。

私もいろいろな会社におうかがいしますが、オフィス環境には経営者の考え方や社風が結構はっきり見えるものです。
業種によってもずいぶん違いますが、例えば社員が増えて伸び盛りのITベンチャーなどだと、デザインがおしゃれで開放的な作りだったり、逆にファッションに頓着がなく、赤ちょうちんが好きそうな社長さんの会社では、やっぱり地味で質素だったりします。体育会的な営業会社だと、なんとなく部活の部室みたいだし、クリエイティブワークの会社だと、仕事に関係ない遊び道具があったりします。
オフィス環境がどんな作りになっているかは、一つは社外の人からどう見えるか、もう一つは社員がどう感じるかを、それぞれどんな風に意識しているかによって、大きく差があるようです。

オフィス環境について私が言いたいのは、決してお金をかけて豪華にしろということではなく、今ある環境や社内風景は、経営者と社員の総意でそうなっていることを認識すべきということです。
特に散らかっていたり、何となく雑然としているような会社は、やはり仕事の進め方もそうなっていることが多いです。

ある会社で応接に通されたとき、前の来客の茶器がそのまま置いてあったことがありました。イスがバラバラになっていたり、机が汚れていたりということもありました。
そしてそういう会社にお話をうかがうと、チームワークが良くない、お互い周りを気にしない、挨拶をしない、礼儀がなっていないなんていう話が必ず出てきます。組織風土がオフィス環境に表れているということです。
また、会社として欲しいと思う人材タイプがあったとして、もしもそういう人が好まないオフィス環境になっていたとしたら、採用活動にも悪影響があるでしょう。

組織風土改革の一つの方法として、オフィス環境を変えるということがあります。
机やイスが新しくなれば大事に使うようになるし、みんなの机が片付いていれば自分だけ書類を積み上げてはおけないし、応接の管理を徹底したら、後に使う人への気遣いをするようになるなど、形から先に変えることで、それによって人の行動が変わるということがあります。

オフィス環境は、経営者や社員を映し出す鏡のようなところがあります。あえてオフィス環境から先に変えてみることで、組織上の課題解決につながることがあると思います。


2013年6月1日土曜日

「相手の立場で考えること」の難しさ


ある日、朝イチからお客様先に向かう途中のことです。
8:30頃でしたが、いつもは全く混んでいない道路が、今日はやけに渋滞しています。渋滞の先を見ると、街路樹の剪定作業をしていました。作業用のトラックが一車線をふさいでいて、交通整理の人が交互通行で車を誘導しています。渋滞にはまった車の人たちを見ると、みんな「今ごろ何やってんだ?」という感じでキョロキョロ様子を見たり、時間を気にして不機嫌そうな顔をしています。

私も「みんな急いでいるに決まっているこんな朝のラッシュ時に、通行を妨げるような作業をするなんて、いったい何を考えてるんだ!」と思いました。「こんな時間帯に通行制限をしたら、どうなるかぐらいわからないのか」と思い、「どうせ役所の担当者か誰かが、状況も考えずに発注して作業させているんだろう」などと考えました。

・・・と、ここまでの話で、皆さんはどうお感じでしょうか? 私と同じように、批判的な気持ちを持たれたでしょうか? たぶん、そういう人の方が多いのではないかと思います。

私は、後になってもう一度、“何か理由があったのだろうか”と考えてみました。
「スケジュールの問題でどうしてもその時にしかできなかった」
「業者の予定がそこしか空いていなかった」
「いつまでにやらなければならないという時期の問題があった」
その他、予算消化の問題、事務手続きや決済の問題など、いろいろ思いつくことがありました。
勝手に「どうせ状況も考えずに・・・」と思っていましたが、もしかするとその時間帯を何とか避けられないかとさんざん考えて、その結果止むに止まれずのことだったのかもしれません。

私もいろいろな場面で「相手の立場を考えて・・・」という話をしますが、自分の価値観、感覚から大きく外れたことまでそう考えるのは、やはりなかなか難しいです。
結局は個人の「受けとめ方」次第なので難しい訳ですが、この「受けとめ方」はコントロールできるという部分もあります。

例えば、静かな部屋で大きな音を立てられたら「うるさい!」と思いますが、「音を立てたら1回につき100円の迷惑料を払います」という条件がついたら、逆に誰かが音を立てないかと楽しみに待ったりするようになります。前提が変わると「受けとめ方」が正反対になったりすることがあります。
今回の件も、「何か事情があったのではないか?」という受けとめ方にすると、ずいぶん感じ方が変わるはずです。

「相手の立場で考える」というのは難しいことですが、自分なりに「受けとめ方」をコントロールすることを心掛けるだけでも、少しはマシな捉え方ができるのでは、と思います。