2017年1月30日月曜日

「抜け落ちている基礎」には注意が必要



最近ある会社で実施した研修でのことです。内容はビジネスマナーを中心としたものです。少し時期はずれと思われるかもしれませんが、こちらの会社では中途入社であっても、若手社員には必ずこの部分の研修を受けてもらうことにしています。
ただ、今回は30代の方もいらっしゃり、事前に聞けば前職でもそれなりに研修を受けた経験があるとのことだったので、自分の知識の確認というレベルになるのだろうと思っていました。

しかし、研修後のアンケートを見ると、意外に知らないことがあったとか、理屈ではわかっていてもうまくできなかったとか、それなりに新しい学びがあったという感想でした。

前職の話を聞いてみると、社外の人とはほとんど接することがない部署だったというような話があり、そうなると社外の人との接し方に関することが中心であるビジネスマナーというのは、ほとんど実行した経験がないということになります。あらためて学び直してみることで、自分の抜け落ちていた部分がわかって良かったということでした。

こういうことは、実は誰でも、どんなに博識な人でも一つや二つはあるのだと思います。なおかつそれが基礎的なこととなれば、そんなことは当然知っているものだとされて、周りから指摘されることもないでしょうし、直接接する場面がないとすれば、なおさらそうなってしまうでしょう。

最近の国会答弁の中で、首相がある漢字を読み間違えたということで話題となりました。一部からはずいぶん攻撃されているようですが、このレベルのことはきっと私たち自身にも起こりうることです。あまりそこばかりを言いすぎるのはどうかと思います。

ただ一方で、首相は今までの人生で、該当の漢字を人前で読み上げることは一度もなかったということで、たぶん誰からも指摘される機会はなかったということです。首相ももう62歳ということで、なおかつ一国の首相ともなれば、やはり「そんなことも知らないのか」と軽蔑されてしまうのは仕方がないでしょう。

一概に言い切ってはいけませんが、同じ間違いであったとしても、やはり30歳の人と60歳の人では重さが違いますし、社長と一般社員の間でも同じだと思います。

こういう基礎的なことは、年齢が上になるほど、立場が上になるほど指摘されるような機会が減り、いざという時のインパクトは大きいと思います。若いうちであれば「可愛いもんだ」と笑ってすまされることでも、年齢を重ねてからとなると、失笑や軽蔑しかうまれないでしょう。

「抜け落ちている基礎」の一番の問題は、それが抜け落ちていることを本人が気づく機会がとても少ないということです。
これを防ぐためには、自分はすでに知っていると思うことでも、確認の意味でいろいろな人の話を聞いて、自分なりに気づくしかありません。
「基礎」を軽く見ていると、痛い目に合うこともあるということのようです。


2017年1月27日金曜日

かん口令を敷いていた管理職を食い止めたある社内制度の話



ある中堅企業であったことです。
その会社は国内で数か所の地方営業所を持っていて、基本的には現地採用で人材を集めています。ただし、営業所長だけは本社採用の人材が異動していく慣例となっていて、本社への報告事項以外の日常的な営業所の運営は、各営業所の裁量に任されています。このあたりはどこの会社でもよくある組織運営だと思います。

そんな中で、この会社のある特定の営業所で、顧客トラブルが立て続けに起こりました。発注ミスをはじめとした社内処理の不手際で、顧客に迷惑をかけてしまったようです。
お付き合いの長い顧客だったこともあり、幸い大きなトラブルにはならずに済んだようですが、ここで最も大きな問題だったのは、この事実が一切本社サイドに報告されておらず、発覚したのは最後のトラブルがあってから半年近くが経ってからだったということでした。

あとから分かったことですが、ここの営業所長が、営業所の管理職を中心とした全所員に「本社には余計なことを言うな」というかん口令を敷いていたということでした。そしてそのことが発覚したのは、意外な社内制度がきっかけでした。

その制度とは、実は人事制度の中に設けられていたフォロー面談制度でした。
この会社では半期に一度、上司との面談を通じて全社員の人事評価を行いますが、その際の不公正や不満を防ぐ目的で、人事部門が直接、一部社員を選抜したフォロー面談を行っています。各部門から数名ずつ直接話を聞くことで、人事評価の話を中心にしながら、現場の問題把握と早期対応をすることが目的です。今回の問題発覚まで半年近くを要したというのは、その面談が半年に一度実施されるものだったからです。

今回結果オーライだったのは、問題の営業所はあまり業績が良くなく、全体的な評価も低いものとなっていたため、「不満が大きいのではないか」ということで、営業所の全員から話を聞くことにしたということがあります。そのことによって、この営業所長から「誰が本社に言った」「誰が告げ口した」という特定がされないという環境がたまたま作られたということでした。
比較的オープンな風土と自負していた会社側としてはちょっと信じられないことだったようですが、それほどのパワハラ的な締め付けがあったということです。

何人かの営業所員から同じ指摘が出され、問題に気づかなかった会社のことはずいぶん批判されたようですが、それでも話せる機会が作られたということは会社として幸運なことでした。

この営業所長は事実を認め、その理由は自分のマネジメント不足と、それが営業所の業績不振につながっているのを隠したかったということのようで、懲戒処分は受けることになってしまいましたが、その後は改心して、周囲のサポートを受けながら真面目にやっています。

その後この会社では全社的なクレーム管理の仕組みを入れ、末端からの情報が誰でもすぐに見ることができるようにし、さらにクレーム情報を上げた者を責めるのではなく、逆に評価するような施策をとりました。
提案制度や目安箱のような制度は、ともすれば形骸化して機能しないことも多いですが、この会社では情報共有が円滑になり、今でも良い効果を持続しているということです。

権限委譲というのは大事なことで、特に地方拠点のように物理的に離れた場所をマネジメントする上では必要性が高いことですが、適切な監視機能がないと、このような問題が起こってしまうことがあります。

いろいろな立場の複数の人間が、フォーマルとインフォーマルを使い分けながら、直接間接に話を聞くことは大切です。この会社ではたまたま人事制度の一機能からでしたが、こんなことを想定したマネジメントの仕組みの必要性を改めて感じた一件でした。


2017年1月25日水曜日

「論理的でない仕事」を論理的だと思い込んでいないか?



長時間労働の規制を求めるネット署名を呼びかけた「長時間労働撲滅プロジェクト」の発起人のメンバーが、外国特派員協会で記者会見を開いたというニュースがありました。

会見では外国人記者から日本の生産性の低さと長時間労働との関連について質問があり、発起人メンバーの一人である株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長の小室淑恵氏は、「生産性が低い原因は、論理的ではない仕事が非常に多いこと」と語り、「限られた時間でやらないといけない仕事を増やすことで、プレッシャーが高まるのではないか」との質問に対しては、「生産性が上がっても、プレッシャーが増えて大変になることはない。非合理なことを排除できるので、仕事のモチベーションを上げる効果がある」と答えたということでした。

この「生産性が低い原因は、論理的ではない仕事が非常に多い」という点は、私もなるほどその通りだと思います。私が現場を見ている中でも、売上至上主義のような、とにかく量を積み上げようという仕事のしかたであったり、長時間労働を美徳とするような心理であったり、それが生活のペースになっていてダラダラと時間をすごしていたり、なかなか給料が上がらない昨今では、手っ取り早く収入を増やすには生活残業が必要というような事情もあります。
このように、時間当たりの生産性を高めようという発想がないと思えることがたくさんあり、それが「論理的ではない仕事」であることは間違いないのでしょう。

一方、企業の現場で働く管理職や一般社員が、「自分たちは論理的でない仕事をしている」と自覚をしていることは、実はあまりないのではないかと思います。自分たちなりの仕事の論理があり、それは生産性を高めてはいないけれども、自分たちの論理には合っているのではないでしょうか。

ある会社の管理職に、「あの人が仕事に関わってくると、時間と手間ばかりが増える」と言われている人がいます。私が見る限りでは、とても真面目で決して仕事ができない人ではありませんが、あまり重要とは思えない枝葉の仕事を、あれもこれもと何でもやろうとします。
その人にとっては、たぶん「やらなければならない仕事」なのでしょうが、周りから見ると、それは「不要な仕事」というものが数多くあり、その意識のかい離が大きいということです。

ですから、「生産性が低い原因は、論理的でない仕事が多いから」と言われれば、なるほどその通り、そうだそうだとなるでしょうが、では論理的でない仕事は何かと言ったとき、たぶん人によって言うことはまったく違うでしょう。

長時間労働や労働生産性の問題に対して、このところ世間の注目は高まってきていますが、個々の働き方の話になってくると、ほとんどの人が「自分以外の何か」に原因を求めます。上司、職場環境、人手、設備、仕事量、その他いろいろ挙げられますが、「自分の仕事のしかたが悪い」という人は、実はあまり見かけたことがありません。要は「自分は論理的でない仕事のしかたではないが、他ではそういうことがある」という捉え方です。

最近は、自分の仕事のしかたを自分なりに見直して、生産性を高めている人たちが増えてきたように思いますが、未だに新しい技術や新しい仕事のやり方を拒むような人も目にします。
何が論理的でない仕事なのかという共通認識と、仕事のしかたをもっと自己改革していく意識が必要ではないかと思います。