2021年5月31日月曜日

「強制」は嫌われ「自律」は難しいが「支援」はどちらにも必要

企業の組織改革に取り組む際に、よくキーワードとして用いられるのが「自律」「自己管理」という言葉です。それぞれの社員が自分の行動を考えて、適切なものを選択して実践できれば、組織にとってはそれが最も効率的であり、所属する者にとっても好ましい風土です。自己決定したことであれば、なおさら前向きに取り組むことができます。

 

理想的な形ではありますが、現実にはそう簡単ではありません。決められる権限がない、決めるにあたっての情報が足りない、そもそも判断できる経験と能力がないなど事情は様々です。特に権限の問題は本人だけではどうしようもなく、情報についても立場によって格差のあることが多く、こちらも本人の力だけではどうしようもありません。

 

また「自律」や「自己管理」には人間の甘えという問題もあります。安易な方向に流れる、ついサボる、手抜きや先送り、依存や他責、その他不作為といったことです。

これらを防ぐために「命令」「規則」といったもので強制的に縛る方法があります。ただこちらもうまくいくことばかりではありません。「命令」や「規則」の必要性を納得していないと、人は必ず抜け道や手抜きの方法を考え始めます。仕組みの運用が、時間が経つにつれてルーズになったり、いつの間にか消滅したりすることは、どの会社にも見られることです。

 

最近は「自律」による組織運営が正しくて、「強制」は誤りという感覚がありますが、この両方がなければ組織が回らないのが実際のところです。「強制」のみではただのブラック企業ですが、「自律」のみでうまくいくことも極めてまれです。全社員の意識がよほど高くなければ難しく、少なくとも私はまだ実際に見たことがありません。「自律」の割合をいかに高めるかは大事ですが、「強制」も状況に応じて必要な手段です。

 

「自律」であっても、「強制」であっても、これらを機能させようとすれば、どちらにも絶対に必要なのが、周りからの何らかの「支援」です。

例えば、自身のダイエットや健康管理というのは、「自律」や「自己管理」の要素が強いものですが、自分だけではなかなかうまくいかないことが多いものです。家族、医師、トレーナーといった第三者がかかわってくれて、助言や指導、アドバイス、励まし、叱責などをしてくれることで、本人の甘えやサボりの歯止めになり、挫折せずに続けることができます。

「強制」は基本的に誰からも嫌われることですが、その必要性を納得できれば受け入れることができます。この時、他人からの説明や説得、その他の働きかけがあった方が、より受け入れやすいでしょう。

 

自己管理能力が非常に高いはずの超一流のアスリートでも、それが個人競技だったとしても、今は選手が自分一人だけでトレーニングをし続けることはほとんどありません。コーチと一緒、他の選手と一緒、誰かの門下生など、何らかのチームで活動していることがほとんどです。その理由は周りからの「支援」がある方が、より自分のレベルアップにつながりやすいからです。

単に技術的指導を受けたい、ノウハウを得たいということだけでなく、甘えや過剰な負荷の防止、メンタル面でのサポート、その他自分以外の客観的な視点があることによる問題発見や対応ができます。

 

「強制」という部分でも、例えばルールを守るということでは、誰も見ていなければついルーズになりがちなのは仕方ありません。ここで周りから視線やチェック、確認、その他監視があるかどうかは重要です。「見つからずに済んだ」「何も言われなかった」ということが続くと、ルールはどんどん守られなくなっていきます。やはり周りからの関与をはじめとした「支援」が必要です。

 

こうやって見ていると、人間というのは「群れで生活する生き物」ということをあらためて思います。

 

 

2021年5月27日木曜日

「支配型リーダー」の限界

最近は出会うことがずいぶん少なくなりましたが、「従来型」「古い」と言われてしまうタイプのリーダーは今でも存在します。自分が先頭に立ってトップダウンで指示をして、メンバーはそれに忠実に従うことを求める「支配型」と呼ばれるリーダーシップスタイルです。

見かけることがあるのは、40代後半以上の中高年世代がほぼすべてで、それ以下の若い世代で見かけることはほとんどありません。たぶん年功序列、高度成長やバブルなど、その人が育った時代背景と、それに基づいた成功体験が影響していると思われます。

 

「支配型」のリーダーが少なくなったのは、単純にそれではうまくいかないことが増えたからです。今でもそのスタイルを変えようとしない人を見ていると、やはりあまりうまくいっているとは言えないことがほとんどです。

メンバーたちから煙たがられて意見具申もありません。あまり人が寄って来ず、コミュニケーションが少なく、リーダーは情報が不足してきて判断を誤りやすくなります。メンバーの意見を聞かない、進め方が強引という姿勢の結果として、メンバーたちのモチベーションは下がり、当事者意識はなくなり、動きは鈍くなり、すべて言われた最低限のことだけで済まそうとします。

 

ただ、リーダー自身は意外にこの状況に気づいていません。それ以外に振る舞い方を知らないから自覚できないこともありますし、もともと支配欲が強いなどの資質を持ったリーダーでは、自分の支配的な姿勢に一切問題意識がなかったりします。結局自分の問題には気づきづらく、気づいたとしても直せないということになります。

 

「支配型」のリーダーにも強みはあります。ある程度明らかな成功パターンが見えている環境の場合や、リーダーの知識経験が他のメンバーよりも明らかに上という場合、リーダーが正しい答えを見つけ出している場合などでは、支配型リーダーでも十分に機能します。

ただ、最近うまくいかなくなったのは、支配型が機能するようなこれらの環境になることがほとんどなくなったからです。

世の中の志向やニーズが多様化して、画一化された成功パターンが見えることはほぼありません。環境変化が激しい中では、過去の経験が必ずしも正解とはなりません。これは働く人の志向でも同じで、みんなに同じことを言って一斉に「右向け右」とできることはほとんどありません。

このように、リーダーが自分だけの判断で、的確な指示を出し続けることはかなり難しくなっています。変化が激しい、未知の経験、選択肢が多いなど、多くの知恵が必要な場面では、支配型リーダーは立ち行かなくなります。

 

この「支配型リーダーシップ」に対して言われるのが「支援型リーダーシップ」または「サーバントリーダーシップ」です。コミュニケーションのしかたが「指示」ではなく「傾聴」であったり、「自分が引っ張る」のではなく「一緒に成長する」「相手に奉仕して導く」であったりする点で違いがあります。リーダーが一方的に決めて押しつけないので、メンバーは当事者意識を持って行動するようになり、結果としてチーム力が上がって結果もついてきます。

新人や未経験メンバーのみといった特殊なチーム状況や、短期で成果を出さなければならない緊急事態のように、「支配型リーダーシップ」が必要な特別な状況を除き、今は「支援型リーダーシップ」の方が機能しやすい場面が多いことから、こちらが取り入れられることが増えています。

 

今でも「支配型」で通そうとするリーダーは、この困難な環境を超越するほどの高い能力を持っていて十分に機能しているか、自分の指示が的確でないということに気づいていないかのどちらかで、多くの場合は後者となります。

いかにもリーダー的に見える「支配型リーダー」ですが、そこに限界があることは理解しておく必要があります。

 

 

2021年5月24日月曜日

採用活動での気遣いの逆効果

ある会社で数年前にあった話ですが、主に新卒入社の早期離職が直近で増えているとのことでした。

当時の売り手市場といった状況はありましたが、それまでは比較的定着率の高い会社だったので、その理由をとても気にしていました。

 

私もいろいろ話を聞いていて、その中で気づいたことや気になったことがいくつかありました。一番は「会社の風土と必ずしも相性が良くない人材を集めていないか」ということで、主に採用活動に関することです。

 

もう少し突っ込んで聞くと、少し前から採用活動を進める際の考え方を、「応募者に対してよりフレンドリーに」という形にあらためたそうです。主な目的は、昨今の厳しい採用環境の中で応募者数を増やすことと、今まで以上に定着率を高めることでした。

具体的には自社への応募者に対して、「どんなことでもできるだけ相手に親身に寄り添うこと」だといいます。スケジュール調整をはじめとした先方からの希望にはできるだけ合わせ、それ以外でもいろいろ先回りして世話を焼くそうです。それは内定してから入社後の集合研修まで、人事担当がかかわっている間はずっと継続されるとのことです。

 

私がその当時に入社内定した新入社員を見て、その全員に共通した印象は「真面目で素直そうだが、活発さや行動力はあまりなく受け身の姿勢が強い」というものでした。

この会社がもともと持っている企業風土は、わりと専門性が高い業務内容ということもあり、自ら学ぶ姿勢であったり、自分発信の行動であったり、わりと自律を強く求めているところがありました。新入社員たちの印象は、それとはあまり相性が良いとは思えません。

 

私からこの状況を見ると、原因はやはり採用活動の進め方にあります。手取り足取りで世話を焼いてくれることが心地よいと感じる人には、受け身で依存的な資質の人が多く含まれがちで、結果的には自分たちの会社に合わないタイプの人材を集める形になってしまっている感じがしました。

 

実際に、新入社員がそれぞれの現場に配属されると、私から見れば育成意識はとても高い部類の会社です。もちろんいろいろ指導はされますし、接し方が厳しすぎたり放置されたりすることはありません。ただ、それまでのように手取り足取り、身の回りのことまで先回りして世話を焼いてくれることはありません。その段階で過保護な状態を好んで入社した新入社員は、会社の通常モードに接してそれまでとの違いに驚いてしまい、「ついていけない」と辞めてしまったケースが多かったということでした。

人事担当は当初の目的に沿って、ただ親身に気を遣って世話を焼いていたわけですが、その気遣いが裏目に出てしまっていました。

 

採用活動では、自社の良いところも良くないところも含めて理解してもらったうえで入社してもらうことが、その後の定着にはとても重要になります。この会社では応募者のことを思ってしていた気遣いが、現実とのギャップを大きくしてしまい、それが定着率に良くない影響を与えることになっていました。意図したことではありませんが、結果的には「釣った魚に餌はやらない」と同じようなことになり、「思っていたのと違う」となってしまっていました。

 

その後は「自社のことをいかに正確に、さらに前向きに理解してもらうか」ということを主眼として採用に取り組むようになり、早期離職の問題はずいぶん改善されていきました。

 

この話では誰一人として悪気はありませんでしたが、そんな善意の気遣いでも逆効果を生んでしまうことがあります。特に採用活動では「ありのまま」を理解してもらうことが重要です。

 

2021年5月20日木曜日

その人なりの一貫性

いろいろな会社とお付き合いをしていると、法律にルーズな社長に時々出会います。残業代の計算や有給休暇の話でよく出てきて、「そんな法律守っていたら会社がつぶれる」などといいます。そう言いながら、発覚すれば確実に行政から指導を受けるような取り扱いをしています。

私も様々な形で指摘はしますが、あまり真面目に受け止めようとしないことが多いです。順法精神が薄いのか、それともやむを得ない事情があるのか、そのあたりは何とも言えません。

 

その一方、ある会社で「このままでは法律違反」と指摘すると、社長は本当に知らなかったようで、しばし愕然としていたことがあります。その後の最初の一言は「それで他の会社は成り立っているのか」でした。

しかしこの社長は、「ダメとわかったら直すしかない」と言って、即日で自社の規定を直し、社員に知らなかったゆえの不利益な取り扱いを詫び、期間をさかのぼって対応する旨を伝えていました。本来あるべき姿なのかもしれませんが、正直言って普通はできない立派な姿勢だと感心しました。

 

この社長は、その他のことでもルールやマナーを守って行動します。たばこやお酒のマナー、テーブルマナー、その他どんなことも同じです。知らないことは「知らないから教えて」と周りに聞き、その時の雰囲気を壊さないように気を遣います。そういう人なので、私はこの社長をどんなお店にも、どんな集まりにも誘うことができます。行動が信用できるからです。

 

一方、前者の「法律なんて守っていられない」という社長は、やはり他にも同じようなことが多々あります。一概に決めつけてはいけませんが、他人が決めた規則には従わず、しかし自分が決めたことに対しては、それに従わない者を叱責します。口癖は「それくらい常識だろう」です。自分が決めたルールには厳しいです。

この人とはずいぶん前に接点がなくなりましたが、どうもその後に病気をして、療養しながら仕事を続けているという噂を聞きました。思い起こすと、その当時から医者に言うことはあまり聞かず、効果がよくわからない健康食品を愛用していました。その後も医者からいくら強く言われても、生活習慣は変えず薬も続けなかったようです。

 

どちらの社長も、それぞれの価値観や行動を見ていると一事が万事で共通している感じがします。

なぜ急にそんなことを思ったかというと、その理由はコロナ禍の中での人々の行動や言動からです。それぞれの人たちの意見が大きく割れて多様化していますが、それぞれの考え方の道筋と到達した結論の内容が、その人がもともと持っている価値観や考え方によって、意外にパターン分けされていると思ったからです。

厳密に整理はできていませんが、自信家やイケイケの経営者、政治や医療やマスコミが不信の人、楽観主義者や悲観論者など、それぞれの考え方と行き着く先の主張がかなり共通しているように思いました。

 

それぞれの意見に対してどうこうということはありませんが、様々な事柄について「この人はきっとこう考えるのだろう」ということが何となく予想できて、どんなことでもその人なりに一貫性があるものだということを、あらためて感じました。

人の考え方が多様化していて、その心理を前もって推し量ることが難しくなっていますが、それまでの行動や言動、態度を知れば、意外に予想することができるのではないでしょうか。

 

 

2021年5月17日月曜日

「テレワーク」だからサボるのか?

多くの会社でテレワークが一般的になりましたが、そこで必ず言われる問題は、「コミュニケーション」と「生産性」です。

このうち「コミュニケーション」は、上司と部下をはじめ、一緒に仕事をするメンバー同士の作業場所が物理的に離れているために懸念されることで、実際にいろいろ工夫が必要な課題です。

これに対して「生産性」と言っている中身は、「進捗遅れ」といったこともあるでしょうが、本音は「仕事の進捗状況が把握できないから、サボるのではないか?」という懸念というよりは疑念です。

 

この“疑念”を払拭するために、様々なルールを設けている会社があります。中には常時カメラONや離席する度に理由を申告しなければならないなど、行動監視に近いものもあります。

また、パソコンの稼働状況を監視するようなツールを導入する会社もあります。ログイン時間やCPUの稼働状況、カメラの遠隔起動による在席確認、SNSや業務外のサイトアクセス、利用アプリやキー入力のログを取得する機能などがあって、各自の仕事振りが監視できるそうです。

部下の「サボり」を心配する管理者の一部からは、そのメリットを評価する声もあるようですが、通常の勤務以上の過剰な監視でストレスが増す、かえって信頼関係が失われるなど、総じて評判は良くないようです。

 

この「サボり」は、決してテレワーク特有の問題ではありません。出社勤務でも、人目を盗んでのネットサーフィンやSNS利用、頻繁な喫煙室通い、やけに長い昼休み、長時間の雑談、外回り営業での喫茶店や車内ほかでの時間つぶし、その他サボり行為はいろいろあります。そして程度の差はあれ、ほぼすべての社会人は、これら何らかのサボりをした経験があるはずです。

 

これがテレワークになったとして、サボりの中身はそれほど変わりません。同じように仕事と関係ないネット利用や動画視聴、長時間の休憩や私用外出といったものです。しいて言えば、テレワークではサボりが見つかる可能性が減るので、行為がエスカレートしやすいことはあるかもしれません。

 

人がなぜサボるかといえば、端的に言えば「サボっても大丈夫だから」です。とりあえず仕事はこなせている、サボりがばれない程度の成果が出ている、指示があいまいなので言い訳ができる、明確な目標や指示がないなどといったことは、「サボっても大丈夫」の気持ちが助長される条件です。

そもそも仕事の成果が出ているなら、ネットサーフィンをしようが時間つぶしをしようが、その人の行動モラル以外の問題はありません。

例えば、トップレベルで連戦連勝のアスリートが全然練習していなくても、結果が出ている限りはそれを批判することはできません。ただし、どんな天才でもそれでトップを張れるほど甘い世界ではありません。天才がさらに人並み以上のトレーニングをして、高い成果を得ようと努力して初めて結果が得られるのです。

 

「サボっても大丈夫」ということは、指示している仕事が簡単すぎるか、仕事の成果があいまいで評価できないか、いずれにしても目標設定や動機付けに問題があります。これは通常の出社勤務でもテレワークでも、問題点に変わりはありません。たぶん以前からあった問題が、テレワークでより明確になったに過ぎません。

これをプロセス監視だけで解決しようとしても、それには明らかに限界があります。これまでは直接見ている目の前で「仕事をしている振り」をされていて、かえってサボりを見抜けず欺かれていたのではないでしょうか。

 

さらに、ほとんどの社員は、そんな余裕でサボれるほど仕事をしていないことはありません。多少の息抜きはあっても、成果に向けて真面目に仕事に取り組んでいます。こういう人たちの監視を強めることには何のメリットもなく、かえってやる気を失わせて生産性を下げる恐れもあるでしょう。

 

サボる人は、どんなに監視を強めても、必ず隙を見てサボろうとします。周りからひんしゅくを買わずに済みそうな、バレずに済みそうなギリギリの線でサボり行為を展開します。監視する側の負担は増し、その割には成果につながりません。これは出社でもテレワークでも変わりありません。

必ずしも「テレワークだからサボる」というわけではないことを、認識しておく必要があります。