2016年5月30日月曜日

気弱だった新入社員のあまり良くない変化



ある会社で、新入社員の頃から見ている社会人5年目の若手社員と、久しぶりに話す機会がありました。

新入社員の頃は本当に気弱で、採用してもやっていけるのかどうかをかなり迷ったような経緯がある人ですが、久しぶりに話す中で、昔のままの礼儀正しさを持ちながら、仕事に自信がついたのか、その様子はずいぶん成長したものだと頼もしく、人は変われるものだと感心しながらみていました。

ただ、周りで一緒に働いている人たちの話によると、彼の評判は必ずしも良くありません。上司である課長は、成長してきたということでは、私が感じたことと同じ捉え方でしたが、「周りからの信頼はまだまだ足りない」とおっしゃいます。部下や後輩たちからは話を聞く機会がなかったので、はっきりしたことはわかりませんでしたが、どうも彼のことをあまりよく思っていないようです。

そんなことがあってからしばらくして、彼が後輩や女性の派遣社員と打合せをしている場面を、偶然目にすることがありました。ちょっと驚いたのは、彼のその時の態度や言動が、びっくりするほど高圧的で横柄なのです。気弱で礼儀正しいと思っていた彼とは、まるで別人のように見えました。

そのことを課長に尋ねると、「実はそういう話は別の部下からも聞いているが、自分の前では従順でそういうそぶりを見せないので、まだ直接的に注意できたことはない」とのことです。私が見かけたのはちょうど良い機会ということで、急きょ課長と私とで彼を面談して指導することになりました。

彼は素直に自分の非を認め、反省している様子でしたが、実際にどうなっていくかは、もう少し観察していく必要があります。性格的な傾向であると考えると、改善が難しいという可能性もあります。

このようなタイプの人は、心理学的には「権威主義的パーソナリティ」などと言われ、どんな会社でも見かけることがある人です。
ちなみに、性格傾向としては、以下のようなものがあるそうです。

・強い者に従順で、弱い者に強圧的。
・偏見や差別意識にとらわれやすい。
・自分が所属している集団への帰属意識が極端に強い。
・善か悪か、敵か味方かという二価値判断におちいりやすい。
・思考がステレオタイプ。
・人を内面でなく肩書きなどの外面で評価する。
・縦の上下関係に敏感である。
・権力や金力を正義と結びつけやすい。
・容易に人を信用しない。

気を付けなければならないのは、こういうタイプの部下がいたとして、これが上司の立場からはなかなか見えづらいということです。
今回は、私が社外のコンサルタントということで、上下関係の認識があいまいだったのか、社内の人ではないということで油断をしたのか、その事情は分かりませんが、たまたまその場を見かけたことで指導することができました。
ただ、普通であれば、こういう話は別の社員からの伝聞くらいしか情報が得られないので、実態をつかむのがなかなか難しくなります。

これはあくまで私の経験上のことですが、これを見極めるための視点の一つとして、「自分に自信のない人、コンプレックスがある人ほどこの傾向がある」ということです。自信がない、認められていないなどと思っている人ほど、虚勢をはる必要にかられます。
管理職に任命した途端に威張り始めるなどという人は、相変わらずどんな会社にもいますが、それはやはり会社として人材の見極めが不十分だったということだと思います。

上司の立場では、自分にとって従順で扱いやすいと感じる部下ほど、二面性や裏がないかに注意する必要があると思います。

2016年5月27日金曜日

他人の残業は無駄で、自分の残業は必要・・・?



少し前の話になりますが、ある会社で「残業を減らすにはどうしたら良いか」というテーマで社員のヒアリング調査をしたことがあります。

それを実施した理由は、必ずしも良い解決方法を見つけたいというほどのことではなく、どちらかといえば、社員にお題として与えて自分たちで考えてもらい、そこから当事者意識を持たせることで、それが個々の残業削減に向けた動きにつながるのではないかと考えたということです。

そのヒアリングの中でのことですが、「なぜ残業が減らないのか」という質問をしていて、その答えとして最も多かったのは「みんな生活残業をしている」というものでした。

大して忙しくないのに、残業代が欲しいから仕事を引き延ばして残っている者が大勢いるといいます。人によっては「例えばアイツが・・・」などと個人名を挙げます。「休日出勤しているくせにのんびりくつろいでいる」「年中喫煙ルームに行っていて、仕事をしていない」などと、働いている様子への批判もあります。

ただ、そういう人たちに自分自身が残業になってしまう理由を尋ねると、ほぼ全員が「仕事量が多くて終わらないから」といいます。帰れるならば帰りたいが、仕方がないのだそうです。中には、自分の仕事の進め方次第でもう少し改善できる、という人はいましたが、それは圧倒的に少数派です。

つまり、「自分以外の他人の残業は無駄が多くて非効率だ」と見ていて、その一方で「自分は精一杯の仕事をしており、必要以上の残業はしていない」と思っているということです。他人のことは厳しく見ている割に、自分の働き方への問題意識はあまりありません。

ヒアリングで思いがけず明らかになったのは、「残業が減らない理由の一端」です。自分の働き方は少なくとも人並み以上で、それなりに効率的に仕事をしていると思っている人が、今以上に働き方を工夫して時間を短縮しようなどと思う訳がないということです。予想以上に当事者意識はなかったということでした。

この時におこなった対策は、結局はそれほどの工夫もなく、一方的に時間制限をしてその中で終わるように仕事をマネジメントさせるというものでしたが、本来はもっと自律的な提案や活動を期待していたものの、それが難しい実態がわかってしまったので、こういうやり方くらいしか実施できなかったということです。

残業というのは、確かに常習者のような人もいますし、時間数は人によってまちまちですが、そのほとんどの人は、「自分の仕事は非効率」とは思っていません。終業間際の作業指示も、エンドレスの会議も、それをやっている本人にとっては普通のことであり、仕事上必要なこととして疑問などは持っていません。

最近はあらかじめ決めた時間で強制的に消灯したり、退社させたりするような施策を取る会社が増えましたが、こういう様子から考えると、実は有効な方法なのかもしれないと思っています。


2016年5月25日水曜日

「あきらめる」には「明らかに見る」という意味がある



先日、何となく見ていたテレビ番組で、興味深い話がありました。

その時のテーマは依存症についてで、薬物だけでなくギャンブル、ネット、スマホなど、依存の対象になるものは無数にあって、誰でも何かしらに依存しながら生活しているのだということでした。

それが度を越した「依存症」になってしまうのは、「目の前の現実を受け入れられないから」なのだそうです。過去の実績や影響にすがる、そのための現実逃避をするために何かに依存するのだそうです。

そこで出てきたのが表題の話でした。
依存から脱却するためには「あきらめる」ということが必要で、「あきらめる」というのは、「明らかにする」「明らかに見る」「つまびらかにする」というのが本来の意味なのだそうです。決して「途中で投げ出す」という意味ではないそうです。
今の自分を明らかに見て、己の限界を知り、そこから新たなステップに進むことができれば、依存症は克服していけるということでした。

私自身、今まで「あきらめる」は「途中でやめること」だと思っていたので、自分を「あきらめない人間」と言いたい気持ちがありました。
ただ、この話を聞いて、今までの自分を冷静に考えてみれば、「最後までやり遂げる」という意味であきらめなかったことは、実際にはほんのいくつかのことしかないように思います。興味がないということも含めて、はじめからやろうとしなかった「あきらめ」か、ちょっと手掛けて面白くないのでやめてしまった「あきらめ」が多いように思います。

しかし、「あきらめ」が「明らかに見る」だったとすれば、その時の自分のスキルとメンタルから、「身にならない」と自分を客観視した結果だということもできます。私自身、物にも人にも依存性が低いと思っていますが、こういう思考があるせいなのかもしれないと思いました。

「あきらめる」という言葉は、ネガティブなニュアンスで使われることが多いですが、「あきらめる」が「明らかに見る」という意味であれば、まったくイメージが変わると思います。そうなると「あきらめが肝心」も「あきらめが悪い」も、感じ方がずいぶん違います。

「あきらめる」というのは決して悪いことではない、人の精神衛生上でも必要なことなのだと知りました。