2020年1月30日木曜日

社会人が「学生時代に戻りたい」と思ってしまう理由


「社会人の8割が“学生時代に戻りたい”」という記事の見出しが目に留まりました。
あるサイトで社会人を対象に、「学生時代に戻りたいと思いますか?」というアンケートを実施したところ、「とても戻りたい61%」「少し戻りたい21%」「どちらでも良い10%」「戻りたくない8%」という結果で、「戻りたい」の回答合計が82%だったそうです。

その理由として、「毎日同じことの繰り返しで仕事に充実感がない」「学生時代のような親密な人間関係を築けない」「あきらめきれない夢がある」などがあるそうです。
回答の様子を見ると、比較的若手の社会人が調査対象のようです。

見出しには「理想と現実のギャップ」などとありましたが、学生時代は行動の選択権が自分にあったのに、社会人になると特に初めは会社の指示で動くことが多いため、「戻りたい」となるのだろうとのことでした。
ちなみに、記事によれば約5年ごとに行われる「世界価値観調査」というものがあるそうで、その中で日本は「人生の自由度」が、調査対象55か国中最も低い点数だそうです。社会人になると一層自由でないことを実感してしまうのでしょう。

私は「学生時代に戻りたいか?」と聞かれたら、たぶん「ちょっと戻ってみたいかも」と答えます。それは理想と現実のギャップとか、今が嫌とかということでなく、単なる懐かしさで「あの頃は良かった」という感じです。
何が良かったのかといわれると難しいですが、やはり「自由度の高さ」だと思います。厳密にはいろいろ制約はありましたが、基本的には何でも自分で決めることができました。

学校をさぼるのも、一日中寝て過ごすのも、バイトをするのも、つらい練習に行くのも、みんな自分で決めることです。単位を取るためだけに嫌々受ける講義も、反対に興味津々で取り組む研究も、強制やしがらみ、興味の度合も含めて、最終的にどうするかは自分で決められます。
それが、社会人として就職すると、自分で決められないことが急に増えます。思っていることとのギャップが少なければ耐えられますが、それが大きいといつまでも我慢はできません。

この我慢できない感覚は、私は普通のことだと思います。さらにこれからは、今まで以上に「自分のことは自分で決めないと損をする時代」だと思っています。
終身雇用が成り立たなくなり、長いものに巻かれていれば、他人の言うことを聞いていれば、とりあえずどうにかなった時代は終わりました。
こういうことに若い世代はとっくに気づいていて、会社がどうなっても大丈夫な「ポータブルスキル」を求めます。転職理由は、不満ややりがいばかりではありません。

一方、企業が「決められる環境」を用意しているかというと、どうもそうではありません。「終身雇用は終わった」「自分のキャリアは自分で責任を持て」と言いながら、強制や命令は相変わらずです。
社員にとって、「自分で決められない環境にいること」は大きなリスクになりますから、そういう会社からはどんどん人材が流出します。

これからは「決められない働き手」と「決められる環境を与えない企業」は、どちらも敬遠されて淘汰される時代になります。
働き手が自覚を持つとともに、そこで企業がやるべきことは、会社の目指す方向性や理念を明らかにして、それに共感してくれる人材に集まってもらうことと、情報をオープン、クリアに示して働き手からの信頼を得ることです。
働き手に「自分で決めた」と実感させるには、オープンな情報と信頼感が大事であり、本人の判断を会社の意向と合致させるには、お互いがもともと持っている価値観が重要になります。

強制や命令をしなくても、働きかけ方次第で「自分で決めた」と納得させながら、お互いの考え方を合わせることはできます。
そのためには、「決められる働き手」と「決められる環境を与える企業」にならなければなりません。


2020年1月27日月曜日

「先に要件を言わないコミュニケーション」の不快


友人や知人から、要件を言われずに「明日時間ある?」などと先に予定を聞かれた経験は、多くの人にあると思いますが、あまり快く思わない人も多いと思います。
私も同じで、そういう時は必ず「なんで?」「何がある?」と聞き返すことにしていますが、それは要件を聞かなければ、そのことに充てる時間があるかないかの判断ができないからです。
仮に「予定が入っていない」としても、それも含めて自分の予定であり、その空いている時間をどう使うかは要件次第です。

「要件を言わない電話」もあります。明らかな営業電話は放っておけば良いですが、そうではない友人や知人からのものもあります。そういう人から伝言メッセージで、「折り返してください」などと言われることがありますが、私は相手によって対応を変えます。

日頃からメールやチャットなど使い分けて、適切なコミュニケーションをとっているような人からこんな電話が来たとしたら、よほど何かがあったのかと思って折り返します。
反対に、いつも要件を言わない電話ばかりしてくるような人の話は、だいたいがメールで済むことか、一方的な頼みごとか、私にとって面倒なことのいずれかです。そんな時は、ショートメールなど電話以外の手段で要件を確認して、「そういう話ならメールして」などと伝えます。

そもそもこういう人は、ほとんどが口頭か電話でのコミュニケーションです。要件が具体的でない、口で言いくるめたい、事前に言うと断られそうなど、メールやチャットなどの文字にしづらい事情があるからです。
こういう相手のペースに合わせると、長々と話されたりして余計な時間を取られるので、ちょっと冷たかったり失礼だったりするかもしれませんが、私はできるだけ後回しにするか放置します。

困るのは仕事の中で、特にマネージャークラスの人にこういうスタイルの人がいる場合です。
上司から「ちょっといい?」「いま時間ある?」などと投げかけられると、部下としては対応せざるを得ないことが多いでしょうが、その要件が自分にとってはあまり重要ではない会議だったり、こちらの業務状況を考えていない指示命令だったりします。
定時間際の急な業務指示、「とりあえず話そう」という結論のない打ち合わせなども、先に要件がわかれば回避できることがたくさんあります。こういう上司の行動が、実は企業の生産性を下げる多くの要因となっています。

「先に要件を言わないコミュニケーション」をしてくる人に共通するのは、「相手の事情への配慮が薄い人」ということです。

例えば、何でも電話してくる人を批判的に「電話野郎」などと言い、それは「電話は相手の時間を奪う行為」という批判ですが、これに対する反論を聞くと、「電話の方が早い」「直接話す方が伝わりやすい」などと言います。
電話というコミュニケーションツールは、絶対に必要な場面があるとしても、「電話の方が早い」「直接話す方が伝わる」という反論には、相手がそれを望んでいるかという視点がなく、電話する側の一方的な考えでしかありません。

今は様々なコミュニケーションツールがあり、仕事ができる人ほどそのツールを場面に応じて適切に使い分けています。
私がやり取りしている中では、年齢が上の人ほど「とりあえず電話」をはじめとして、コミュニケーションツールの使い方に偏りがあり、面倒に感じることが多々あります。もっと使い分けを身につけなければダメだと思います。

コミュニケーションはお互いに必要な情報のやり取りであり、「良いコミュニケーション」は、どちらかの一方的な都合では成り立たないものです。
「まず要件から伝えること」は、そのための大事な条件です。


2020年1月23日木曜日

「今日できることは明日に延ばすな」と「明日でもいいことは今日やるな」


「今日できることを明日に延ばすな」とよく言われます。ちょっとずつ言い方が違っても同じニュアンスが格言のような扱いで、いろいろなところに出ています。
先送りが結局は行動しないことにつながり、運も逃げて行ってしまうそうです。明日まで持ち越すと、明日やるべきことが明日にできなくなり、すべてが先延ばしになっていくのは、確かに好ましくありません。

私自身も、先延ばしするとどんどん面倒になってやりたくなくなるのがわかっているので、気づいたらさっさとやってしまうのが割と習慣になっています。「どうせやらなければいけないのだから」と、やるべきことはできるだけその場で片付けようと思っています。
また、それが良いことだと思ってきました。

ただ最近、「明日でもいいことは今日やるな」というタイトルの本を見つけました。
「だまされない」「踊らされない」「なめられない」という視点から見ると、「情報は早く、行動は遅く」を心がけることによって、誤った判断をすることを回避できるとあり、ここから「明日でもいいことは今日するな」となるそうです。
トルコには、「明日できることは、今日するな」ということわざがあるそうで、その解釈の一説として、遊牧民族のトルコ人は、不毛な土地にいても家畜も肥えないので、すぐ次の土地に移動するわけですが、「そんな不毛な場所でいかに努力しても空しい」という意味のようです。
確かに今日急いでやったことが、明日になったら実はやらずに済むことだったなどという話はあり得る訳で、ただ「先延ばししない」ということでは、無駄が増える可能性があります。

こうやって見ていくと、「今日できることは明日に延ばすな」も「明日でもいいことは今日やるな」も、どちらも正しい感じがしてきますが、思い出すのは有名な「7つの習慣」で出てくる「緊急性」と「重要性」の話です。

それぞれの高低のマトリックスのうち、「緊急だが重要でないもの」が「緊急でないが重要なもの」より優先されてしまいがちで、それではやる必要のないことが混じっている可能性があるという話です。「重要度」を優先すべきだということです。
同じく、著名な経営学者のドラッカー氏の語録にも、最も重要なことか始めよ」というものがあります。

どうも「明日に延ばすな」は緊急性を重視した話、「今日やるな」は重要性を重視した話のように思えます。

特に日本人は、勤勉を美徳とすることで、「今日できることは明日に延ばすな」を好むところがありますが、それは効率性という点から見ると、多くの無駄が含まれています。
例えば、残業が多い人や仕事が遅い人の仕事ぶりを見ると、「今日の分は今日中に」というタイプが多いです。「その仕事の重要性」に関する意識が薄いので、仕事が来た順に取り組んでいたりします。

私は、「先延ばししない」という心掛けはあるものの、よく考えればいろいろ後回しにしたり、ギリギリまでやらなかったり、手を付けずにやり過ごしたりということはいつもあります。「それは今やるべき仕事か」は、やはり考えています。
「催促されないから」と放置していて、結果的にそれは相手にとっても「催促するほどでもないこと」であったりします。

「今日できることは明日に延ばすな」と「明日でもいいことは今日やるな」は、どちらも肯定できる言葉ですが、こと仕事の中でと考えると、「明日でもいいことは今日やるな」がもっとあってもよいと思います。
「その仕事は本当に必要か」と、常に問いかけていく必要があります。