2020年1月13日月曜日

シニア男性の「マウンティング」で思ったこと


「マウンティング」という言葉を、最近よく聞きます。本来の意味は、動物が自分の優位性を表すために相手に馬乗りになる様子ですが、人間関係では、自分の方が立場が上だという主張やアピールすることをいいます。
他人と比較をして少しでも“自分が上である”ということを確認して優越感を持ち、自尊心を満たす行為です。

ここ最近、自分の身近で「マウンティング」のような態度に出会う頻度が増えた気がします。相手は私と同世代か、それ以上のシニア男性がほとんどです。気のせいかもしれませんが、そんな印象を持つことがここ数年で急に増えました。

よくあるのは、私の仕事にからんで「人事の仕事は自分もやってきた」とか「人事は経験があるから難しさがわかる」などと言ってきて、その裏側には「自分だってそれなりに知っているぞ」「対等レベルで話せるぞ」と張り合うニュアンスが含まれていることです。他にも「昔の自分たちの方が優れていた」とか、自慢話のようなものもあります。

最近何か変化があったのかと考えて思い当たるのは、接する人たちの年齢層の変化です。単純に自分も年を取っているので、それに合わせて周囲の人も年齢が高くなってきますが、それまで接することがあまりなかった役職を降りた人や定年で仕事を離れた人、引退した人が増えて、それに伴って様子が変わってきたように思います。

「マウンティング」をする理由は、他人との比較で“自分が上”と確認することで優越感を持ち、自尊心や承認欲求を満たすためだといわれます。自信がない、見下されたくないという気持ちを覆い隠すためだともいいます。
これらは自尊心が満たされていない裏返しの行動とも言えますが、確かにそうなってしまうような要素はたくさんあります。仕事で中心から外されていくような状況はそうですし、家庭での状況は人によって違いますが、仕事と会社にどっぷりつかっていた人ほど、家では居場所が見つけられないような話もよく聞きます。
いろいろ考えると、「マウンティング」でもしていないと、精神的なバランスが取れない人が大勢いるのかもしれません。

そんな「マウンティング」の様子を見ながら気になるのは、70歳定年とか、シニアの就業機会を増やすとか、働き続けることを要求していながら、その気持ちを阻害する仕組みがたくさんあることです。シニア男性を一律に社会から切り離していく仕組みが、未だにいろいろ機能しています。
例えば、役職定年では一定の年齢でその人の能力に関係なく肩書がなくなりますし、ある年齢を超えると、仕事を頑張っても頑張らなくても給料は切り下げられます。そのうち定年になって、仕事は続けられても給料はさらに下がります。期待されるよりは、「早く辞めろ」という追い出し圧力の方が強まります。
ここから生まれる「働かないオジサン」は、もちろん本人の姿勢にも問題はありますが、会社がそうなるように仕向けているところもあります。

「マウンティング」の行動を一切しない人の方が、もちろん圧倒的に多いですが、そういう人たちは、自分が生き生きと気持ちよく過ごせる場所を、何か必ず持っています。会社に依存せずに仕事を続けている人や、自分なりのコミュニティの中で趣味やボランティアに取り組む人など、自尊心も承認欲求も満たされている人たちです。

無用な「マウンティング」をすることを、私は反面教師として絶対しないようにと心がけていますが、そうなってしまう人の気持ちもわからなくはありません。
これからシニアの活躍を求めるならば、もう少し考え直さなければならないことがあります。シニア男性の「マウンティング」の姿を見ていると、よけいに思います。


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