「今日できることを明日に延ばすな」とよく言われます。ちょっとずつ言い方が違っても同じニュアンスが格言のような扱いで、いろいろなところに出ています。
先送りが結局は行動しないことにつながり、運も逃げて行ってしまうそうです。明日まで持ち越すと、明日やるべきことが明日にできなくなり、すべてが先延ばしになっていくのは、確かに好ましくありません。
私自身も、先延ばしするとどんどん面倒になってやりたくなくなるのがわかっているので、気づいたらさっさとやってしまうのが割と習慣になっています。「どうせやらなければいけないのだから」と、やるべきことはできるだけその場で片付けようと思っています。
また、それが良いことだと思ってきました。
ただ最近、「明日でもいいことは今日やるな」というタイトルの本を見つけました。
「だまされない」「踊らされない」「なめられない」という視点から見ると、「情報は早く、行動は遅く」を心がけることによって、誤った判断をすることを回避できるとあり、ここから「明日でもいいことは今日するな」となるそうです。
トルコには、「明日できることは、今日するな」ということわざがあるそうで、その解釈の一説として、遊牧民族のトルコ人は、不毛な土地にいても家畜も肥えないので、すぐ次の土地に移動するわけですが、「そんな不毛な場所でいかに努力しても空しい」という意味のようです。
確かに今日急いでやったことが、明日になったら実はやらずに済むことだったなどという話はあり得る訳で、ただ「先延ばししない」ということでは、無駄が増える可能性があります。
こうやって見ていくと、「今日できることは明日に延ばすな」も「明日でもいいことは今日やるな」も、どちらも正しい感じがしてきますが、思い出すのは有名な「7つの習慣」で出てくる「緊急性」と「重要性」の話です。
それぞれの高低のマトリックスのうち、「緊急だが重要でないもの」が「緊急でないが重要なもの」より優先されてしまいがちで、それではやる必要のないことが混じっている可能性があるという話です。「重要度」を優先すべきだということです。
同じく、著名な経営学者のドラッカー氏の語録にも、「最も重要なことから始めよ」というものがあります。
どうも「明日に延ばすな」は緊急性を重視した話、「今日やるな」は重要性を重視した話のように思えます。
特に日本人は、勤勉を美徳とすることで、「今日できることは明日に延ばすな」を好むところがありますが、それは効率性という点から見ると、多くの無駄が含まれています。
例えば、残業が多い人や仕事が遅い人の仕事ぶりを見ると、「今日の分は今日中に」というタイプが多いです。「その仕事の重要性」に関する意識が薄いので、仕事が来た順に取り組んでいたりします。
私は、「先延ばししない」という心掛けはあるものの、よく考えればいろいろ後回しにしたり、ギリギリまでやらなかったり、手を付けずにやり過ごしたりということはいつもあります。「それは今やるべき仕事か」は、やはり考えています。
「催促されないから」と放置していて、結果的にそれは相手にとっても「催促するほどでもないこと」であったりします。
「今日できることは明日に延ばすな」と「明日でもいいことは今日やるな」は、どちらも肯定できる言葉ですが、こと仕事の中でと考えると、「明日でもいいことは今日やるな」がもっとあってもよいと思います。
「その仕事は本当に必要か」と、常に問いかけていく必要があります。
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