2015年8月31日月曜日

「人材採用のために社内制度を整備する」は本末転倒でダメなこと?


多くの業界で、最近は人手不足で苦労しているという話を聞きます。
そのせいもあってか、私も採用活動に関する相談を受けることが多くなりましたが、この状況を一気に変えるような特効薬がある訳ではありません。様々な細かい工夫を重ねながら、それをコンスタントに継続していくことが基本になります。

意識的に取り組めば、改善していくことは必ずできますが、それなりに時間もかかり、瞬発力がある対策はなかなか難しいところがあります。こればかりはコツコツとやっていくしかありません。

もう一つ、最近よくご相談をいただくことに、評価制度をはじめとした人事制度、その他社内制度の見直しに関するものがあります。実はこちらのテーマも、特に最近の問題意識の入口は、採用活動にかかわっています。

例えば、人事制度にかかわるような「どんな取り組みが評価され、それによってどんな処遇が得られるのか」といったことや、社員交流や組織風土改善の取り組み、福利厚生に類する社内制度などといったことは、外から人を迎え入れるのあたっての“採用競争力”にかかわってきます。

自分が入社後にどんな待遇を得られるのかは、制度を見て確認するしかありませんが、このあたりが不透明であったり、努力のしがいが無かったりするようでは、その会社に入ろうと思う人は少ないでしょう。
会社の雰囲気は良いに越したことがないでしょうが、これも実際に出会う社員の様子とともに、会社でどんな取り組みがされているかを判断材料にするでしょうし、福利厚生の整備状況は、これまでの会社業績とつながる部分もあります。

これらのことを少しでも改善しなければ、「いい人材が採用できない」ということで、その取り組みを始めたいということです。
 
こういう話に対して、ある会社の社長は「採用がきっかけなどというのは動機が不純だ」とおっしゃっていました。
「自分の会社をレベルアップするためには、そんな外部からの目に左右されずに取り組むべきだ」ということでした。

建前として、それは確かにその通りだと思いますが、自分たちの意志だけで、外からの圧力なしに改革を進めるということは、実際にはなかなか難しいことです。取引先との関係でISOなどの認証を取ったとか、業務上の都合で顧客先と勤務体系を合わせたとか、そんな話はたくさんあるでしょう。

ですから、社内制度の整備を進めようと考えることは、そのきっかけが何であれ、私は好ましいことだと思っています。外圧であろうが何であろうが、やろうとするだけ立派だと思います。

問題は、この外圧があっても、何も変えようとしない会社です。こういう会社は、自社の現状を対外的には何とか隠そうとしたり、ウソをついてごまかそうとしたりします。企業の不祥事はみんなこういうところから起こりますし、ブラック企業と言われるような労働環境を軽視する会社も体質は同じです。

最も素晴らしいのは、自らの意志のもとに、着実に取り組みを重ねていく会社ですが、そうでない会社をすべて非難することはできません。イヤイヤであったとしても、必要に迫られて仕方がなかったのだとしても、取り組むこと自体は好ましいことです。

仮に“いい人材が欲しいから”がきっかけだったとしても、それでその会社が良くなるならば、こんなにいいことはないのではないかと思います。

2015年8月28日金曜日

決して楽ではないはずの「週休3日」が、なぜ好ましく感じるのか


ユニクロが、この10月から、転勤のない“地域正社員”を対象に「週休3日制」を導入するとのことです。事前ヒアリングの結果では、対象者の約2割が週休3日制を希望しているのだそうです。

この週休3日制は、スポーツ用品販売大手のアルペンが1989年からこの制度を導入して草分け的な存在となっています。これをアピールして採用活動に生かしているということもあるそうで、ユニクロでも同じように「魅力が増して入社する人が増えてくれると良い」などと考えているようです。

週休3日制といわれると、たぶんほとんどの人が、「そんな制度があってうらやましい」などというのだと思います。ただ、よくよく考えると、そんなに良いことばかりではありません。
ユニクロの場合で言えば、現在は必ずしも出勤ではない土日祝日が、原則として出勤日になるほか、通常は1日8時間の勤務時間も10時間に増えます。
仕事の進め方によっては、週3日も休むと、逆に仕事上の支障が自分に降りかかってきてしまうかもしれません。

なぜ、それでも希望する人が大勢いて、多数の人がうらやましいと思うのでしょうか。
これは私がサラリーマンと自営業の両方を経験しているため、よけいに思うことなのかもしれませんが、人間の根本的な心理として、「時間の使い方を制約されること」というのは、実は人間にとって最も苦しいことの一つだからではないかということです。

例えば、今の自分の働き方は、サラリーマンだとしたら相当にブラックですが、クライアントとの間の約束を守り、決められた生産物やコンサルティングを、品質と成果を伴う形で提供してさえいれば、そのやり方は一切問われません。

時間が足りなくて、夜中も週末も仕事をしなければならない時がある一方で、やる気が出ない時には、平日昼間からボヤっとしていたり、遊んでいたりすることもあります。もちろん、仕事以外の自分の時間も、ほぼ問題なく取れます。
そして、これらの時間配分は、すべて自分で決めていることなので、忙しいとか時間が足りないと思うことはあっても、縛られている感覚はまったくありません。

これがサラリーマン時代は全く逆で、仕事が忙しくても暇でも、所定就業時間には必ず会社にいなければならないので、そんな基本的なことが結構イヤだと思っていました。

通勤では、多くの人が一斉に動くせいで、移動の時間効率が悪く余計な体力を使いますし、残業も、みんな帰らないから自分も帰れないという、付き合い残業のような合理的でない話もあります。

私の感覚ほど極端ではなくても、誰でも多かれ少なかれ、時間の自由を縛られている感覚を持ち、それが好ましくないことと本能的に思っていて、それが働き方としては大変であっても、時間的な自由度が増えそうに見える「週休3日」を望む理由ではないかと思います。

会社で雇われて働く限り、すべてが自由になることはありませんし、「週休3日」で、本当に自由度が増すのかはわかりません。
それでも、“時間の使い方で本人に委ねられる部分が増える”という心理的な要素は、意外に大きいのではないかと思います。現実にそうなれば、なおさら好ましいことでしょう。

「時間の自由度」というのは、実は万人にとって、最も大切な物なのではないかと思います。

2015年8月26日水曜日

「将来なくなる仕事ランキング」は、将来本当にそうなるのか



最近よく見かけるもので、「将来なくなる仕事ランキング」のような記事があります。つい先日も目にしたものは、「機械が奪う職業・仕事ランキング」というものでしたが、その上位10位は以下のようなものでした。

1.小売店販売員
2.会計士
3.一般事務員
4.セールスマン
5.一般秘書
6.飲食カウンター接客係
7.商店レジ打ち係や切符販売員
8.箱詰めや積み下ろしなどの作業員
9.帳簿係など金融取引記録保全員
10.大型トラック・ローリー車の運転手

会計士のような専門職が入っていることが、ちまたでは話題になっていたようですが、記事には「会計士の仕事の8割は機械に代わる作業かもしれない」というコメントがあり、会計士の重要な仕事である決算数値の誤りの発見まで、今後、人工知能を用いた機械が取って代わる可能性はかなり高いだろうとありました。

それ以外に挙げられている職種も、機械化しやすい部分が含まれていることは確かなので、それはそうなのかもしれないとは思います。
 ただ、これが本当にその通りになるのかどうか、私自身はやっぱり先のことはわからないと思っています。

あくまでそれは、今のままの役割、枠組みが前提であり、それがこれからどうなっていくかわからないですし、それぞれの当事者も、今の場所に立ち止っている訳ではありません。仮に機械化が進んで行ったとしても、それに合わせて人の役割は変わっていきます。

例えば、最近のスーパーのレジでは、すべてバーコード読み取りになり、昔のレジ打ちでは重要だった、数字を手打ちする能力は、今は必要ありません。
代金を機械に入れれば、お釣りも自動で出てくるものが大半になり、お金の計算もいりません。
セルフレジを導入しているところもありますから、技術的にはレジ係がいなくても対応できるところまで来ています。

それでもレジ係が無くならないのは、やはり人の役割の中心が変わってきているからだと思います。人間同士が接する言葉を通じた接客、異なる商品に合わせた人手を介した取り扱い、相手の状況に合わせた対応など、機械ではできないことがたくさんあります。

小売店の販売員でも一般事務員でも、それは同じです。機械は決められたことを繰り返し対応するのは得意ですが、異なる条件にも対応させるには、それぞれをパターンにはめ込んで、定型化しなければなりません。
機械が人間と同等の領域に行くまでには、まだまだ時間がかかるでしょう。

また、当事者である人間も、環境変化に合わせて変わっていこうとします。
話は少しずれますが、大手企業である富士フィルムは、それまで主力事業だった写真フィルムの製造技術を活かして、医薬品や化粧品の製造分野に事業を移行して行きました。確実に見えた将来の環境変化に対して、自らが変わっていったということです。

さらに、古くからの価値を守っている人たちもいます。伝統工芸の職人さんなどは、大変に忙しい人もいると聞きます。大きな市場ではないが、それを必要とする人が確実に存在し、簡単には機械化できない世界があるということです。

この手のランキングは、危機感をあおる話題作りの感もあり、これからも折りに触れて出てくるのでしょうが、あまり一喜一憂をすることはないように思います。
もちろん危機感を持っておく必要はあるでしょうが、環境変化に合わせて、人は必ず変わっていけると思います。



2015年8月24日月曜日

偶然の出会いは本当に偶然なのか?


私自身、情報交換会や経営者交流会のような場に参加することが良くあります。ある時期はいろいろな場所に幅広く出ていましたが、最近は自分にとって望ましい場、効果的な出会いの多い場がある程度わかってきたので、いくつかの決まった会合に絞られてきました。

そういう場では、多くの人との新たな出会いがある訳で、その中ではその場限りになってしまう人もいますし、お付き合いが継続的につながっていく人もいます。
この境目が何なのかは、はっきり言ってよくわかりません。もちろん、話す時間が長く取れたとか、共通の話題があったとか、具体的な仕事の話ができたとか、そういう部分はありますが、それがすべてという訳でもありません。

そんな感じですから、お互いに付き合いが深まっていくと、「偶然の出会いって不思議だね」などという話になります。確かに何か一つタイミングがずれていたら、その人と会うことがなかったかもしれませんから、そういう話もうなずけるところです。

ただ、私が最近よく思うのは、「偶然の出会いは本当に偶然なのか」ということです。実はそう思うようになったのは、SNS等を通じてお互いの行動パターンや、共通の知り合いといったことが、お互いにわかる機会が増えてきたからです。
一見偶然のようであっても、実は同じようなコミュニティにかかわっていたり、同じような会合に参加していたりと、出会う確率がもともと高く、出会いは単に時間の問題だった、偶然というより必然だったのではないかと思うことが増えてきました。
 
そう考え始めると、それが例えば仕事という切り口であれば、会社での上司との出会い、取引先との出会い、担当することになる仕事そのものであっても、一見すると偶然と思える中に、かなりの必然が含まれているように思うのです。

以前書いたことがありますが、「キャリアは運に左右される」ということがあります。

自分のキャリアについて、どんなに緻密な筋書きを作ったとしても、実際にはその時その時に出会う人、たまたま周りにいる人たちからの見られ方、会社業績や景気動向、市場そのものの変化、その他偶然の要素に左右される部分が多く、思った通りに行くことはそれほど多くはありません。自分の思いより、他人からの目の方が、本人の適性をより的確にとらえているという面もあります。

そうであるならば、自分で決めた道筋にかたくなになるよりも、流れに乗ることや流れを活かすことを考えていった方が、より良いキャリアを積むことができるということです。

この基本的な考え方は変わりませんが、人との出会いのことなどを見ていると、ただ偶然と思っていたことの中には、必然ということも数多く含まれているように感じます。その仕事には出会うべくして出会った、なんていうことがたくさんあるのかもしれません。

 どんなことでも、「ただの偶然」と思ってしまえば、そこで考えることを止め、思考停止になってしまいます。それでは何の蓄積もありません。
「偶然の中にある必然」を見つけようとすることは、意識をしておかなければならないのではないかと、特に最近思います。


2015年8月21日金曜日

「忙しいからできない」は理由になるのか



ある会社で目標管理の社員面談をお手伝いしています。

目標達成が見込めること、順調な進捗がわかることであれば、特に問題はなく、スムーズに話は進みますが、そうはいかない場合も多々あります。

目標達成が難しい理由、取り組みが進まない理由を聞いている中では、もちろんそれなりに納得できるものはありますが、意外に多いのは、「忙しかったからできなかった」というものです。他にやらなければならないことがたくさんあった、時間がなかった、などといいます。

本人が「忙しい」といっている人の様子を見ていると、確かに皆さん頑張って仕事をしていて、時間の余裕は少なそうです。ただ、そうは言っても「忙しいからできなかった」というのは、私は少し考えものだと思います。
なぜなら、「忙しかったからできなかった」ということは、目標達成につながる取り組みよりも優先する仕事があったという意味になるからで、本来であれば、そんなことは滅多に起こらないはずだと思うからです。

こういう中でよく思うのは、有名な七つの習慣で出てくる緊急性と重要性の話です。
「忙しいからできなかった」という人に、具体的な事情を聞いていると、必ずしも重要なことを優先していないように思います。
建前ではありますが、目標管理で設定される目標というのは、その期間に取り組む重点目標ですから、それを置き去りにしても優先しなければならないことというのは、常にあるとは思えません。
実際に様子を見ていると、特に日々のルーチン業務や、単に期限が迫った事務作業など、とりあえず目先にある緊急なものを優先していることが多いようですが、端から見ていると、後回しにして良いことが混じっているように感じます。
七つの習慣の中でも言っていますが、特に、ついつい優先してしまいがちな「緊急性は高いが重要性は低いこと」については、“やらなくても良い不要なこと”が混じっている可能性があります。最も注意が必要なところです。

「忙しかったからできなかった」というご本人たちは、そんなことは思っておらず、ただ目の前の仕事に一生懸命取り組んでいます。
ただ、そう言ってしまうのは、自分のタイムマネジメントや仕事の優先順位付けがダメなこと、自分の能力の無さを公言しているようなものです。

私自身は、本当に「忙しい」と思っても、そうは絶対言わないようにしていますが、何かにつけて「忙しい」ということをできない理由にする人は意外に多い感じがします。やはり言い訳としては便利な言葉なのかもしれません。

私の昔からの知り合いの中にも、「忙しい」が口癖のような人がいます。仕事ができない人ではなく、能力が高い人ですが、それを口にしていると、自分の価値を下げてしまうような気がします。
私は「忙しいからできない」とは言わないように注意したいと思っています。

2015年8月19日水曜日

「私語厳禁」の職場を見ていて感じたこと



仕事中の私語、あなたはどう思われますか?

職場の雰囲気を和ませるような、ほどほどの内容のものを、ほどほどの時間で行うなら、一概に悪いものだという印象ではないでしょう。

ただ、中には、いつまでもダラダラと話し続けるまったく時間のケジメが無いもの、仲間や会社の悪口や、不快に思う人もいるであろう下品な話などの不適切な内容のもの、その他困るようなことはあるでしょう。
リーダーやマネージャーの立場であれば、できるだけ自由にさせてやろうとは思っても、度が過ぎていて注意せざるを得ないようなこともあると思います。また、その対処のしかたには個人差もあったりして、なかなか難しいことがあるのではないでしょうか。

真面目に考えると、扱いが一筋縄ではいかない「仕事中の私語」ですが、私がうかがう機会があったある会社で、仕事中の「私語厳禁」というところがありました

システムの保守・運用系の会社で、その中のある部署でしたが、そこの部門長が決めたことだったようです。
その部門の仕事内容としては、確かに継続的な集中力が必要で、私語をしていることはあまり好ましくなさそうな感じはします。

ただ、工場のラインのように黙々と作業するような配置になっている訳でもなく、すぐ隣に人がいる一般的なオフィス環境の中であるにもかかわらず、少しでも話をしている様子が見られると、部門長自ら飛んで行ってすぐに注意をしてやめさせます。
私語の禁止を始めたばかりの頃は、「仕事の話をしている」と反発する者もいたようですが、「そういう話は会議か打ち合わせの時に済ませろ」と問答無用の対応です。

その結果、私が知っている一般的な会社からすれば、ちょっと驚くような静けさですが、この部門長は、あくまでそれが当然という考え方のようです。
こんな様子を見ている中で、気になったことがあります。やはり、社員同士のコミュニケーションの総量が、圧倒的に少ないということです。
お昼休みに入ってこれから食事というような時でも、お互いに会話を交わさず、個別にぞろぞろ移動していきます。
仕事が終わってからの帰り道でも、みんな何となく口数が少なく、端から見れば気持ちが沈んでいるように見えます。

当の本人たちは、あまり自覚していないようですが、一日の大半である就業時間を無言で過ごしている訳ですから、とにかく話をしないことに慣れてしまっているように見えるのです。

私がこれを見ていて思ったのは、コミュニケーションを極端に制限すると、不要なものや大事でないものばかりが減る訳ではなく、必要なものも大事なものも、同じように減っていってしまうということです。コミュニケーションが減れば、お互いが意思疎通をしなくなり、仕事上の協力関係も減り、ミスや行き違いが増えます。

こう考えると、仕事中の私語もある意味での必要悪として、状況に応じてうまく活用していくことが、一番利口な方法のように思います。
良し悪しの線引きが難しいですが、「私語厳禁」の会社の様子を見ていると、適度な私語も必要なのではないでしょうか。


2015年8月17日月曜日

「計画」に力を入れ過ぎるマイナス


最近いくつかの会社の方々から、「計画作りの作業が大変だ」という話を聞きました。9月が半期の区切りという会社も多いと思いますが、上期の状況を見た上での年度計画の見直し、下期の活動計画といったことを指して言っているようです。

年度初めや決算期、その他区切りの時期は、様々な計画作りや見直しをする時期だろうと思います。その中身は、事業計画、予算計画、生産計画、人員計画、教育計画、その他いろいろなものがあるでしょう。
私がお話を聞いている限りでは、どちらかといえば大手企業や社歴の長い老舗企業の方が、計画作りを早い時期から始め、時間をかけて行う傾向があるように思います。

そうやって計画作りをすること自体は、事業を進めていく上では当然必要なことだと思います。
“計画的”の反対語を考えると、“無計画”、“突発的”、“場当たり的”などとなりますから、良いイメージの言葉ではありません。計画を立てて行動することを、悪く言われることもあまりないでしょう。

ただ、今のビジネス環境から考えると、「計画をすることに力を入れ過ぎていないか」と感じる場面を見かけることが多々あります。時間をかけて緻密に計画をすればするほど、現場の環境変化の速さについて行けなくなっているように思うのです。

一見よさそうに見える“計画的”ということも、それに力を入れ過ぎることによるマイナスがあります。
まず、かなりの時間をかけ、大変な思いをして作った計画であればあるほど、それを変えたくないという心理が働きます。「また大変な思いをしたくない」とか「あれだけ時間をかけたのだから」となってしまうのは当然だと思いますが、それはすでに状況が変わっているにもかかわらず、もともと決めたことを守り通そうとしているということなので、目標達成に向けては確実にマイナスです。

また、そもそも計画というものは、これからどうなるかわからない将来の見えないものを見ようとしていることなので、必ず予想や推測が入る訳ですが、ここでは過去実績や前年比といった情報が使われ、これを参考にすることも多いでしょう。
ただ、こういうことをやり続けていると、過去からの情報や数字の意味を考えなくなったり、まず数字ありきの本末転倒な計画になったりしがちです。「計画の形骸化」ということです。
 
計画することに労力を使いすぎると、このように変化に対応しづらくなり、最も大事な実行フェーズでの余力がなくなってしまいます。

カーナビに例えれば、出発前に多くの情報を集めて最適ルートを設定したからと言って、それをかたくなに守ろうとしているようなことです。ただ、最近のカーナビには、渋滞情報などをリアルタイムで監視しながら、最適ルートが変わると直ちに新しいルートにリルートするような機能もついています。
出発後であっても常に見直しを続けているということであり、“計画”と“実行”の理想的な関係は、実際にはこんな形ではないかと思います。

プロスキーヤーの佐々木明氏が、あるウェブサイト上に書いていた記事の中に、「無計画とはゴールの方角だけ決めて、そこまでの道をその都度決めて進んで行くこと」という言葉がありました。

今の時代に必要な“計画”というのは、実はこの“無計画”に近いのかもしれません。


2015年8月14日金曜日

若者の3割が「できれば働きたくない」というのは、そんなにおかしなことなのか?


電通総研が、週3日以上働いている18~29歳の男女計3000人を対象に行った、若者の現在の働き方、働く目的、働くことに対する意識調査によると、働くことへの意識については、「働くのは当たり前」という回答が約4割だったのに対して、「できれば働きたくない」との回答も3割に達したとのことです。

また、働く目的については、約7割の人が「安定した収入のため」と答えていて、仕事は生活のためと割り切る傾向が鮮明になっているとのことでした。

この結果を見て、何か危機感を持つ人もいるのかもしれません。「今の若者は甘い」「仕事の意味を分かっていない」「先が思いやられる」などと、否定的な感情を持つ人もきっといるのでしょう。

ただ私はこの結果を見ても、「まぁそんなものだろう」と当然のことのように思います。その理由は簡単で、私自身がこの世代の頃に、この結果で挙げられている「できれば働きたくない」「仕事は生活のため」と思っていたからです。

なぜそう思うようになったのか、考えてみたところでの理由は一つだけ、それは子供の頃に「楽しそうに働いている大人をあまり見たことがなかったから」ではないかと思います。

多くの人がそうだと思いますが、子供の頃の一番身近な社会人は両親だと思います。
私の父は、内科の勤務医という専門職だったので、一般的なサラリーマンとは少し違うかもしれませんが、宿直勤務があったり、夜中に急患で呼び出されたり、とにかく大変そうな仕事だと思って見ていました。仕事に取り組む姿は尊敬していましたが、楽しそうに働いているとは見えなかったですし、子供からみて、本人のやりがいなどは理解しようもありませんでした。

そんな自分が就職しなければならない時期に思っていたのは、やはり「できれば働きたくない」ということでした。自分がやりたくないことでも、それを業務命令で強制的にやらされるのが仕事で、そんなものが面白いはずがないと思っていました。

多くの家庭で、子供の目から見た両親の仕事ぶりは、たぶん朝早くから出かけ、夜遅くに疲れた表情で帰ってきて、たまに仕事の話をしてくれたとしても、つらくて大変だという内容が多いのではないでしょうか。一緒に旅行に行ったり遊んたりしているときの両親は楽しそうなのに、仕事からはそういう様子が感じられず、そんな姿を見ていれば、自然に「できれば働きたくない」となってしまうように思います。

こういう調査結果が出ても、私は特に驚きはありませんし、危機感もありません。たぶんこれからイヤイヤでも社会に出て仕事をし始めれば、気持ちはいろいろ変わっていきます。
私自身、今は昔とまったく違うメンタリティーになっていますが、それはいろいろな経験をする中で変わってきたことであり、自分で独立したことは、一つの大きなきっかけになっています。

もしも「できれば働きたくない」「仕事は生活のため」という考え方がが変わらなかったとしても、そういう人が、特に無能という訳ではありません。そのまま仕事と取り組んでもらえば良いことです。
 
もしもこういう意識に対して危機感を持ち、それを変えたいというのであれば、方法はただ一つ、「楽しそうに働いている大人を増やす」ということです。

そもそも、みんながみんな、そんなに勤労意欲にあふれている訳がありません。若者だけでなく、「できれば働きたくない」という中高年もたくさんいるでしょうし、それが人間の本質という部分もあります。

どうもこの手の話は、「今どきの若者批判」と結び付けられて語られがちです。そんな扱いにならなければよいと思っています。


2015年8月12日水曜日

プライベートがあってこその仕事、仕事があってこそのプライベート



ソフトバンクのスタンリッジ投手が、第三子の出産予定日と登板ローテーションが重なったため、監督の配慮でチームのローテーションを全面的に組み替え、登板を一日前倒しにしたそうです。

通常、外国人選手の妻は母国で出産することが多いですが、日本で出産することもあり、できるだけフォローしてあげたいということだったようです。

以前、あるプロスポーツ選手が言っていたことですが、試合直前に父親が危篤となってしまい、監督からも外れて良いと言われたにもかかわらず、「自分を見に来てくれたお客さんのためには試合に出なければならない」と言って試合に出場し、父を看取ることはできなかったという話を聞いたことがあります。
こんな話が当たり前だった頃からすれば、時代もずいぶん変わったものだという印象です。

一昔前は、このスポーツ選手のように、「この人がいなければ」という人に限らず、とにかく仕事が優先という光景が多く見られました。
会社員では、さすがに親に死に目に会えないようなことまではないにしても、家族や友人の記念日やお祝いごとなどを、仕事のせいで参加できなかったりキャンセルしたりということは、誰でも一度や二度はあるでしょう。

私のような小規模事業者であれば、代わりになる人がいないということで、それもやむを得ない部分がありますが、そもそも組織で仕事をする理由には、誰かがいなくてもそれを他の誰かがカバーして、仕事を止めずに円滑に進めるということがあります。会社に雇われている立場からすれば、「自分がいないと回らない」ということ自体がおかしいはずですが、なかなかそうも言えない会社が多いと思います。

ただ、今回の件を見てもわかるように、これはリーダーが決断すればできることです。リーダー自身が仕事優先は当たり前だと思っていれば、個人に対する配慮はされづらくなります。
やはりこれからのリーダーは、「プライベートがあってこその仕事である」ということを、理解していなければならないと思います。

しかしその一方で、最近は個人の事情をあまりにも強く要求しすぎる社員を見かけるようになりました。周りが忙しくても、それにはお構いなしの休暇取得、大した事情とは思えない理由での残業拒否、言われたこと以外はやろうとしない仕事に対する消極性など。中には、「彼女に振られた」などとプライベートでの感情を持ち込み、それで仕事が手につかないような者の話を聞いたこともあります。
やはり、「仕事があってこそのプライベートである」という部分も、考えなければなりません。

私が思うのは、よく「仕事とプライベートの切り分け」のようなことを言う人がいますが、仕事とプライベートは切れ目なくつながっていて、はっきり切り分けることはできないということです。
仕事でうれしいことがあればプライベートも気分が良いですし、プライベートで落ち込めば、仕事の進みも良くないでしょう。いろいろなことがその時々のバランスの中で揺れ動いているはずです。

スタンリッジ投手も、プライベートで落ち着いて出産に立ち会い、その喜びは必ず仕事にも良い影響をもたらすはずです。
「プライベートがあってこその仕事」「仕事があってこそのプライベート」ということがうまくかみ合っていくと、人生がもっと楽しくなっていくように思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。