2016年8月31日水曜日

麻雀での採用試験に思う「人材の選び方」のそれぞれ




最近の話題で、採用試験で麻雀をさせる会社の話がありました。
「麻雀で勝つには勝負勘や決断力と運も必要で、それはビジネスも同じ」
「長い時間、卓を囲んで話すことで、人間性がわかる」
などという理由だそうです。
この取り組みを高く評価する声がある一方、少し不謹慎という見方もあるようです。

私はこういう取り組みは面白いと思いますし、これはこれで肯定的にとらえていますが、かなり異色な方法であることは確かでしょう。

この方法を考えた人は、きっと麻雀が大好きで、麻雀に対してたくさんの経験とこだわりがあって、それが人材を選ぶ視点として適切だと思ったのでしょう。なんだかんだと理由をつけても、結局は麻雀をする人との方が価値観が合わせやすく、要はそういう人の方が好きだということでしょう。

これと同じことは、例えばゴルフでもしかり、酒席での振る舞いでもしかりで、そのことに対して、同じように「人脈が広がった」「人間性がわかる」「性格が出る」などといいます。
実際にやっている人はこういう意見に肯定的ですが、その一方でやらない人にとっては、そもそも経験自体が少ないでしょうし、あまり肯定的にはなれないようです。

私が企業の採用活動の中で体験したものや、どこかで伝え聞いたものの中で、異色の採用試験ということでは、例えば「食欲は体力の源」ということで、会社が提供した弁当を早く食べ終わった順に採用するという会社がありました。
また、お寿司の食べ方には育ちや性格が出ると言って、最終面接では寿司を食べさせて、食べるネタの順番や所作を観察するという会社もありました。
それ以外にも宴会につれていく、レクリエーションに参加させて行動を見るなど、本当に様々な考え方があります。

ここまてではなくても、「スポーツ経験者は礼儀正しい」「お酒が飲める人の方が付き合いがいい」などの価値観から、面接でそのような質問をすることは大いにあるでしょう。
他にも、水商売の経験がある女性は、企業幹部にあたる年齢層の男性への接し方がうまいので、営業で力を発揮するなどという話も聞いたことがありますし、さらには、学歴、出身地、あまり聞いてはいけないとされる親の職業など、すべてのことで同じような価値観があります。

これらのことで判断することが本当に正しいのか、私は何とも言えません。こういうことは、自分の価値観と合致したことを鮮明に覚えているもので、一種の思い込みに近いところがあります。

しかし、だからダメかというと、そんなことはないと思っています。
採用活動というのは、結局は自分が一緒に働いてもよいと思う相棒探しであり、自分の価値観や趣味が合う人、自分が好きになれる人を探している活動だと思うからです。ただ、個人的に好きな人を探していては、会社全体に示しがつかないので、何かを取り上げて優秀だとか能力が高いとか、いろいろ理由をつけているのだと思います。

採用活動の根本が、価値観の合う人、趣味に合う人探しだとすれば、その物差しが麻雀であろうとその他のことであろうと、その活動が否定されることはありません。むしろ積極的にやるべきなのかもしれません。

あえて言うなら、麻雀の試験には麻雀をしない人は応募しないでしょうし、お酒が飲めない人に宴席を課しても応募しづらくなります。ゴルフ好きの気持ちはゴルフ嫌いにはわかりませんし、お寿司が好きな人ばかりの世の中ではありません。

異色の採用試験では、その入り口で人材の幅を狭めている可能性はあります。当然ですが、集まってくる人の志向には偏りがあるでしょう。
そういうことを理解した上での取り組みであれば、あえて何も言うことはないと思います。
採用手法への意見はいろいろあると思いますが、自社で働く人をどうやって選ぶかの、考え方はそれぞれだと思います。

2016年8月29日月曜日

「自信過剰」と「自信過小」はどちらが扱いやすい?



最近、いくつかの会社での雑談の中で、まったく正反対のような相談を受けました。それぞれある上司が、自分の部下をどう指導したらよいのだろうかというような話です。

一つ目は、とても積極的で何でも自分から手を上げる部下ですが、自己評価が甘いのか、どう考えても任せられるレベルにないことを、「任せてほしい」「それならできる」と言ってくるのだそうです。上司から見れば「自信過剰」ということです。

もう一つは、何事にも慎重なのか謙虚なのか、仕事を任せようとすると「自分には荷が重い」「自信がない」など、初めからできないという発言が多い部下です。上司にとっては真面目で信頼できる人材のようですが、「自信過小」ということです。

前者の「自信過剰」の場合、まだ任せられないことを納得させようとすると、どうしても「まだ早い」「能力が足りない」など、ダメ出しと取られても仕方がないことを言うしかありません。当然本人のモチベーションは下がりやすいので、その伝え方には工夫が必要で手間もかかります。
自己判断で暴走することがあり得ますから、行動は常に見ておかなくてはなりません。

これに対して後者の「自信過小」な場合は、能力を肯定する、褒める、勇気づける、サポートの約束など、前向きな話が中心になります。上司は話しやすく、違和感もないでしょう。
勝手に行動する心配がないということでは、いつも見張っている必要もありません。

ただ、「自信過剰」の方には、自ら積極的に行動するという良さがあるので、善し悪しを客観的に説明していけば、過剰な自信を適正にすることはできます。そうなれば暴走する心配はなくなり、積極的に自分で判断していくことが強みとなってきます。

一方「自信過小」の方は、行動力や判断力が足りているとは言えず、「言わなければ動かない」、さらには「言っても動かない」というようなところがあります。行動したくない人を行動させるように仕向けるのは、意外に労力がかかるものです。

ここで、あえてどちらかが好ましいかを何人かのマネージャーに聞いてみたところ、若干「自信過小」の方が多いような感じでした。自分の管理下に置いたときにはその方がコントロールしやすいということがあるのだと思います。
結局はどちらも一長一短で、両方ともに扱いは難しく、同じ様に日々の指導を続けていくしかありません。

「自信過剰」や「自信過小」であるよりは、やはり中庸でバランスが取れていることが好ましいと思いますが、適切なバランス位置の捉え方というのは、人によって違っています。「自信過剰」「自信過小」と言われている人たちも、たぶん自分が偏っているとは思っていないでしょう。

さらに、上司たちとこの話をしている中で気づいたことがあります。それは、上司ご本人も、どちらかと言えば自分と似たタイプの方を扱いやすいと答えているということです。そうなると適切なバランス位置の捉え方は、上司と部下それぞれの性格や志向などの距離感にも左右されるということになります。

こうやって見ていくと「適切なバランス」というのは、何が対象であってもやはり難しいものだと思います。

2016年8月26日金曜日

「批判していること」を自分も無意識でしてしまっていること



組織風土調査と、課題改善の人事施策企画というテーマで、ある会社にうかがったときのことです。上下間にある溝が大きく、コミュニケーションギャップやモチベーション低下などにつながっているのではないかという問題意識です。

実際に調べていくと、その溝は思いのほか深く、特に若手から中堅クラスの社員は、会社への不信、不満を強いニュアンスで持っています。「こんなことがあった」「あんなことはおかしい」といった内容の、上司や会社全体の動きに関する批判ですが、その根底で共通していたのは「強制されることがあまりにも多い」ということでした。

この会社は、社長がかなりワンマンなスタイルの人で、周りの意見をあまり聞かず、一方的な調子で指示を出すことが多いようです。それに嫌気がさして辞めていく人も多いようですが、社長は「嫌な奴は辞めればよい」などと意に介するところはありません。

他の経営幹部や管理職の人たちは、社長のそんな姿勢を大いに批判しますが、この階層と一般社員との間にもかなりの溝があります。社長のことは批判しているにもかかわらず、この人たちの部下との接し方も、社長のスタイルと近いのです。
昔の部活動で、上級生のいじめで嫌な思いをした下級生が、自分が上になったら同じように下級生をいじめている例と似ています。自分がそれしか経験していなければ、無意識のうちにそれに染まってしまっているのは、よくあることだと思います。

さらに、不信と不満がいっぱいの若手社員や中堅社員に、「この状況をどうやって解決していくか」という考えを尋ねたところ、かなり多くの人が私に対して、「社外の専門家として社長や管理者を説得してもらいたい」といいます。要は「社外からの権威を使って抑えてほしい」ということです。

実際に社内の様子を観察していて、要所要所で見られるのは「有無を言わさず従わせる雰囲気」「上意下達の強い風土」です。
上司の指示命令の仕方は少々乱暴に見えますし、部下たちは部下たちで、何か問題が起こるとすぐに「上司からその人を指導してもらう」「上司を通して依頼する」などといい、自分たちの課題や要望は、上司の権威を使って抑えつけてもらおうという姿勢が見えます。

「強制される」ということを批判している一般社員たちも、他人を「強制すること」で、問題を解決しようとしているのです。やはり、自分がそういう環境しか経験していないので、無意識のうちにそれに染まっているということでしょう。

例えば、自分の親を批判していても、自分の子供には同じことをしていたりします。最も身近な親のモデルは自分の親であり、日々の生活がOJTとなって刷り込まれているので、よほど気にして反面教師にしていること以外は、無意識に同じ行動になりがちです。
これは会社の上司でも同じで、上司の行動を批判してきた人が管理職になると、それまで批判してきた上司と同じような行動を取っていることがあります。やはり上司のモデルとして自分の引き出しに残るのは、批判してきた上司のことが中心になるので、特に無意識の行動では同じようなことになりがちです。

これを解決するには、無意識の部分を「意識すること」に尽きると思います。自分の行動を振り返り、同じことをしないように自覚するしかありません。
無意識が蔓延すると、いつの間にかそれが全体の風土になり、なかなか変えられなくなっていきます。
「人の振り見て我が振り直せ」といいますが、実際にはなかなか難しいことのようです。