2020年5月28日木曜日

自社なりの価値観で考えるコロナ後のワークスタイル


新型コロナの第一波はとりあえず収束に向かったとされ、少しずつですが日常に戻そうという動きになっています。

ただ、ある意味やむを得ず強制的に始めざるを得なかった、在宅勤務をはじめとしたリモートワークですが、もうそのまま元に戻ることはないでしょう。多くの人が一度経験して、メリットとデメリットを明確に感じ取りました。これからはその経験を活かしながら、よりよい形を目指していくことになるのでしょう。



アフターコロナ、ウィズコロナといった言葉で表現されていますが、これからのワークスタイル変革は、様々な会社から取り組みの方向性や考え方が示されています。

これを機に、リモートワーク中心に大きく舵を切った会社が多数あります。

出社は週1、2日以下、会議はすべてウェブ会議に置き換え、オフィスフロアの一部解約と賃料の削減をおこなうなど、職種問わず全社的な移行を進めようという会社が出てきています。

出社日数や出社人数に制限を設けたり、事前申請制としたり、一時的な対応の位置づけだった在宅勤務を、恒久化するという会社もありました。

出社して勤務することが普通だった今までとは、正反対の考え方になっています。



その一方、かなり先進的な志向を持った会社でも、リモートワークについてはかなり慎重なところがあります。

ネットサービス大手のサイバーエージェント藤田晋社長は、自身のブログでこれからの働き方について書いています。



全社員が原則リモートワークだった約1ヶ月半で、やろうと思えば大部分の仕事がリモートワークでできることがよくわかったということで、会議の利便性、移動コスト削減、通勤ストレス軽減、オフィス賃料見直しなど、メリットはたくさんある一方、一体感やチームワークは損なわれたと評価しています。

リモートワークではかなり極端に成果主義、個人主義にせざるを得なくなり、それは自社のカルチャーと相性が悪く、強みが失われかねない由々しき問題だとしています。



結果として、通常の勤務体制に戻すこと、ただし会議は社内であってもテレビ会議を推奨し、社員の心身リフレッシュの機会を増やすため、毎週月曜日は全社員原則リモートにするとのことです。

みんなで一斉にリモートにしてこそ効率が上がるという考えによるものであり、うまく機能すればこの先ずっと続けていくとしています。

他にも、基礎疾患がある人や家族をサポートする必要がある人などは、在宅勤務が強く推奨されます。

役員間でコロナ後の働き方の方針を話し合ったものの、様々な視点から検討すればするほど、最適な答えを求めれば求めるほど混迷を深めたとのことで、まずはやってみて様子を見た上で、やり方は柔軟に変えていくとのことでした。



新型コロナ以前から、在宅勤務を廃止したIBMや米ヤフーのような会社もありますし、GAFAも実はそれほど在宅勤務を前向きに進めているわけではなく、コロナの影響でやむなく実施しているようなところがあります。



また、日本生産性本部が最近おこなった調査で、コロナ収束後もテレワークを続けたいかを聞いたところ、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の前向きな意向が6割を超え、その一方、在宅勤務で仕事の効率は、「やや下がった」「下がった」の回答が同じく6割を超え、働き方の希望と成果は矛盾する結果となっています。システム化の状況や各家庭での作業環境など、様々なことが影響しているようです。



これらのことからわかるのは、これからのワークスタイルというのは、どこかの会社の真似でなく、すべてそれぞれの会社が持つ基本的な価値観、カルチャーに基づいて決めていかなければならないということです。それぞれの会社がよく考え、試行錯誤をしながら、よりよいバランスを探っていく必要があります。また、そのバランスも状況によってどんどん変わっていくでしょう。

ただなし崩しに、リモートワークがどんどん進んでいくといった状況ではないと思います。



この件に関しては、私自身も何か正解を持っているわけではありません。支援する会社の方々と一緒に、その会社の現場をよく見続け、走りながら考えることになるでしょう。

何を優先するかはそれぞれの会社によって事情が違い、それは理屈だけでなく感情や感覚も含んだものになります。他社事例はあくまで参考程度で、自社なりの価値観をもとに、やり方を考え出さなければなりません。

コロナ後のワークスタイルは、私も学び、観察し、様々な方法を考えながら支援しようと思います。




2020年5月25日月曜日

あるマネージャーの「寛容性」への導き方


新型コロナの感染状況は落ち着きつつあり、自粛が解除されはじめました。
規制が緩和されるにつれて、「自粛ばかりでは生活が成り立たない」「可能な経済活動はできる限り進める」という人と、「感染の再拡大が心配」「まだまだ自粛が必要」と正反対で考える人が出てきています。

これは、経済重視と自粛重視の二極化というよりは、何がどこまで大丈夫でどこからがダメかという線引きが一人ひとり違っていて、百人百様の考え方になっています。
外食一つをとっても「店内飲食は絶対避けたい」という人から「短時間なら」「距離を取れば」「横並びならば」「余計なおしゃべりをしなければ」など、いろいろな条件、基準を言う人がいます。
これからの研究結果で変わってくることもあるでしょうが、現状でどの考え方が間違っているということはありません。それぞれの人がそれぞれ判断することでしょう。

ただ、気になるのは「自分の基準に合わない他人の行動」「自分と異なる他人の考え」を強く批判する話が多いことです。誰でも感染したくない、他人に移したくないと思うのは共通していますが、優先しなければならないことは、それぞれの事情によって違います。
ごく一部の非常識な話は抜きにして、それ以外はどれが正しくどれが間違っていると共通的に言い切れるものではありません。ここには、やはり自分と異なる意見を排除せず、納得しないまでも理解して受け入れる「寛容性」が必要です。

「寛容性」というのは、実行しようとするとなかなか難しいことですが、ある会社で見かけたマネージャーの振る舞いが、これも「寛容性」への導き方の一例なのだと印象に残っていることがあります。

わりと若いメンバーが多いチームでしたが、個性も主張も強いメンバーがそろっていました。そんなメンバーたちを強引に押さえつけてチームをまとめる方法はあるのかもしれませんが、このマネージャーはメンバーたちに徹底的に意見を言わせる方法を取っていました。当然ぶつかり合いますし、放っておいては何も物事が決められません。

このマネージャーは、テーマの大小を問わず、よくミーティングをしていました。メンバーたちは意見の言い合いですが、ここでマネージャーは自分の意見を一切言いません。リーダーシップ不足のようにも見えてしまいますが、そのかわりメンバーの意見に対して徹底的に質問をし続けていました。
「なぜそう思うのか」「こういう時はどうするのか」「こういうことはあり得ないのか」など、それぞれのメンバーに対して聞いていくのですが、そうしていくと、どこかで必ず「自分と反対側の意見」に向き合い、考えなければならない場面に行きつきます。

メンバー同士で意見が相違しているような部分ですが、否が応でも「相手の立場」で考えざるを得なくなり、そうなると自分の意見での足りないところに気づいたり、反対に「やっぱりこれだ」と自分の意見に自信をつけたりすることもあります。
このプロセスをメンバー全員が共有することで、お互いが無意識のうちに他の人の考え方を理解し、結論としての落としどころが決まっていきます。頃合いを見てマネージャーが結論をまとめますが、相手の考え方を理解する「寛容性」でメンバーたちを導いていることは確かです。

このミーティングを繰り返しているうちに、メンバーたちは自然に「この人はなぜそう考えるのか」を意識するようになっていったそうです。マネージャーは「初めは時間がかかって大変だったけど、今は相手の意見を排除せずに聞く習慣が身についたので、手間がかからなくなった」と言っていました。

最近は、日本の社会全体から「寛容性」が失われてきているという話があります。好ましいことではありません。
もちろん、社会規範に反するような非常識が受け入れられないのは当然ですが、そうではない一般的な考えや意見には、必ずその人なりの背景や事情があります。
そのことを理解して受け入れる「寛容性」は、それぞれの価値観が多様化したこれからの時代では、特に大事になってくると思います。

2020年5月21日木曜日

「モチベーション」に頼ると「継続」ができない


「モチベーション」という言葉は、仕事の現場で結構よく聞く言葉です。多くの場合で「やる気」「動機付け」といった意味で使われます。

モチベーションが上がったとか下がったとか、さらに自分のことだけでなく、部下など他人のモチベーションを「上げるには」とか「下げないように」などと気にします。
ある会社のマネージャーは、会社批判のニュアンスで「なぜ社員のモチベーションを下げるようなことをするのか」と憤っていることがありました。
みんなが「モチベーションを盛り上げること」が重要だと言います。

何か行動を起こそうとするとき、やる気がなければできませんし、周囲への気配りやチームの雰囲気づくり、盛り上げに気を配るのは良いことですが、私はそこで「モチベーション」というキーワードを強調しすぎることには、少し違和感を持っています。

そんな中、たまたまSNS上で見かけて、とても共感した話があります。
今まで一つのことを続けられたことがないという主人公が、毎日腹筋100回、勉強2時間、ブログ2000文字書くと決意して、3日後にはすでに続かなくなった時の言い訳が「モチベーションが上がったらまたやる」とのことでした。

それに対して友人は、「そんなことでは一生何も続けられない」「モチベーションに頼った時点でアウト」と指摘します。
モチベーションとは「その日の気持ち」のことであり、毎日筋トレや勉強がしたいという気持ちが保てる訳がなく、何かを続けるには「モチベーション」に頼ってはいけないといいます。
何かを続けるために必要なのは、自分が「行動したい」という意思であり、その意思は誰でも弱いものなので、そのための方法があるとして言ったことは、「小さすぎて失敗しようがない行動から始めること」でした。腹筋は1日1回、勉強は1分、ブログは1行でいいといいます。

半信半疑の主人公も、やってみるとその程度なら続けられ、続けることで何となく自信もついてきます。腹筋1回だけといっても、ついでに20回くらいはやってしまったりします。
1日1回でも、続けられると人間は自信を持て、反対に1日100回が続けられないと自信を失うそうです。
そうやって2か月続けられれば、今度はその行動が習慣になり、逆にやらないと気持ちが悪いと感じるようになるのです。歯磨きなどと同じことです。

私もこの話と同じく、「モチベーション」はその人の気分の問題であり、他人がどうこうするものではないと思っています。あくまでその人の気分なので、昨日は高まったモチベーションが、今日も周囲の環境はまったく同じだったとしても、昨日と同じように高まるとは限りません。
毎日同じことを続けるのは、飽きる、マンネリ、刺激がなくなったなど、「モチベーション」は逆に下がっていくことの方が多いでしょう。
行動することのベースに「モチベーション」を持ち出すのは、「気が向いたらやる」と言っているのと同じです。特に仕事はそれでは成り立ちません。

私は「モチベーション」というのは、あくまで自分でコントロールするものだと思っています。「自分の機嫌は自分で直せ」ということです。
そして、「失敗しようがない小さなことから始める」というのは、習慣化するにはとても良い方法だと思います。習慣にするための日数は、ある説では66日といったり、心理学では3か月といったりしますが、それくらいの期間続けられれば、間違いなく自分の習慣として日常生活に溶け込みます。
何かを継続するためには、「モチベーション」に頼ってはいけません。