2012年10月31日水曜日

研修の後日談でうれしかったこと


ある会社で行った研修でのことです。
その時のテーマは「フォロワーシップ」ということで、自分自身が部下でもあり上司でもある中堅層の人たちを対象に、主に上司との関係作りを考えてもらう内容だったのですが、その時の受講生だったリーダークラスの女性が、その後お会いしたときにこんな話をしてくれました。

「あの時言われたことを参考に、部下にとってどんな上司だったら良いのかを意識して、部下との接し方を変えてみたのですが、やってみたら相手の反応が今までと全然違ってきたんです。できるだけ自分から声をかけるとかやったことは一般的なことですが、今までなかったような会話ができたり、向こうからもコミュニケーションを取ってくるようになったりと効果がありました。これからも続けてみようと思います。

私がコミュニケーションとか他者との関係作りの研修をした時に必ずお伝えする内容として、「相手を変えたければ、まず自分が変われ」ということがあります。

相手の非や弱みを一方的に責めても、その理屈がいくら合っていても、人はそう簡単には変われない(人は感情の生き物だから)、自分が行動や接し方を変えて相手に歩み寄ると、自然と相手も変わらざるを得なくなる、というような話ですが、この方はこれをご本人なりに実践してくれたということなのだと思います。

研修した内容について、こんな具体的な形でしかも短期間のうちに、「効果があった」などと言って頂けることは実は案外少ないものですが、自分が手助けしたことが役に立ったなどと言って頂けると、やはりとてもうれしいものです。

こんな言葉をかけて頂ける機会が増えるように、私もさらに精進しなければいけないなと思っています。


2012年10月30日火曜日

ある会社説明会での説明担当者


以前、ある会社で新卒向け会社説明会を見学させて頂いた時のことです。

業種はIT系で、私の出身業界でもあったので、内容はある程度の予想できるつもりでいたのですが、意外に新鮮に思えたことがたくさんありました。
その中でも特に印象的だったのは、主に説明された方が業界知識の少ない女性だったのですが、この人が非常にわかりやすい説明をしていたことでした。

多くの会社では、説明する人は相応の業界経験があり、仕事にそれなりに詳しい人と思いますし、知識のある者でなければ説明できないと考えるのはある意味当然だと思いますが、一方で本人がわかりきっていることだと知識を持たない相手の立場に立つことはなかなか難しく、素人にはわかりづらい説明になってしまうことも多いのではないでしょうか。

この時見学させていただいた説明会では、もともとは知識が無かった説明者本人が、そんな自分自身でもわかるようにと説明をしていたので、業界を知る人にとっては物足りないのかもしれませんが、業界知識など持っていない学生さんにとっては、結果的に相手の立場に立つこととなり、とても良い説明内容だと感じました。

特に新卒採用などは、ともすれば例年通りの流れとなりがちで、一度型を作ってしまうと、そのまま思考停止になってしまったり、自分たちの経験則などによる固定観念から、型を破れないことも多いと思いますが、このように自分達が常識と思うような視点を、少し変えてみる工夫も大切だと思いました。

「決め付けない」「考えることを止めない」ということの大切さを感じたエピソードでした。


2012年10月28日日曜日

コンサルタントの立場、社員の立場


私のようなコンサルタントは、組織に対して第三者的な目で客観的な立場でかかわる事ができる所がメリットで、多くのクライアントもそのような中での情報提供や問題解決を望まれることが多いです。

一方で、実際に課題の原因が見えても、組織の外からではなかなか手を出せないことがあったり、窓口になっている人の問題認識に引きずられて、本質的な部分に関われない事も多々あります。契約期間によってはやりっぱなしの状態で終わってしまい、せっかくの取り組みがまた元に戻ってしまうということもあります。

これが、組織に属している社内人材、社員の場合、メリット・デメリットは概ねこの逆で、問題の本質に迫りやすい立場にいて継続的に取り組むことも可能だが、どうしても視点が狭くなったり解決のための引き出しが少なかったりということになります。様々なしがらみや過去の経緯から、当事者や担当者が問題解決に取り組もうという熱意を失ってしまっているようなケースも見受けます。

私の場合、自分自身は組織に属していないので、その身軽さを活かしてできるだけ現場の実務にもかかわっていくことで、これまでのコンサルティング経験を活かしながら、組織内からも改善、改革に取り組むということができ、コンサルタントと社内人材の両方のメリットを産み出せることになります。やはり、その企業を深く知る事ができればできるほど、コンサルタントとして貢献できることも増えていきます。

もちろんこういうやり方では、コンサルタントの動き方次第でメリット・デメリットの比率は左右されますし、そもそもコンサルタントが現場実務までかかわることが好ましい事なのか、やはり組織内のことはできるだけ社員が対応した方が良いという考えもあります。

いずれにしても、組織改善のために取り組もうとするテーマは、すぐに結果が出るものではないことがほとんどですから、中長期的な取り組みが必要になってきます。
それぞれの企業によって望ましいと考える形は違うでしょうが、コンサルタントの立場、社員の立場のそれぞれのメリットが、より大きくなればそれが一番良いはずです。

私の場合は、やはり今までやってきたように、できるだけ社員の立場に近づきながら、かかわらせて頂いている組織に貢献していきたいと思います。


2012年10月27日土曜日

労働組合の存在意義


数年前になりますが、「労働組合の組織率低下が、今後どうなっていくか」というインタビューを受けたことがあります。

その時は「派遣切りなど非正規労働者への扱いなど個別労働紛争の増加傾向に伴い、それらに関しての相談、対応窓口としての役割はむしろ増えてくるのではないかと思うが、それが組織率向上につながるかは何ともいえない」との話をしました。基本的な考え方は、今もほとんど変わっていません。

以前、ある会社の方から聞いた話で、その会社は100名にも満たない会社でしたが、一応労働組合があったそうです。

俗に言う御用組合的で、労働組合があるから何が大きく変わるということではなかったそうですが、それでも従業員からの要求事項に、会社側が正式に回答するというプロセスは踏まなければならないですし、それなりに要求が配慮されることもあったとのことで、その方は一定の存在意義があったのではないかと評価していました。

昨今のように労使協調が難しくなる中では、労使間の対等で正式な意見交換、交渉を行うということでの労働組合という形は、それなりに意味があるのではないかと思います。(もちろんあまりにも形骸化していたり、一方が過激すぎたりしていては問題外でしょうが・・・。)

私は、どんな形であれ、「経営者と社員が信頼関係で結ばれ、お互いの事情を理解し、思いやりを持ちながら仕事をする場である“会社”を作っていけること」が一番だと思っています。


2012年10月26日金曜日

今の学生さんは優秀


最近、急きょ新卒採用を、という会社がいくつかあり、そのお手伝いで、学生さんと接する機会が多くなっています。

私が採用活動に関わる中でいつも感じるのは、「自分が学生の頃よりみんなよっぽど優秀」ということです。もちろん程度の差はありますが、総じて真面目で、いろいろことをよく考えていると思います。

自分のことを振り返ってみると、大学卒業の頃なんて大した事も考えておらず、将来に向けた目的意識や職業意識も、ほぼ皆無だったような気がします。

今より子供の数が多かったので、野放しという部分も多かったですし、今のように個別の手厚いサポートもないし、ネット環境などある訳もなく、情報量は今に比べて圧倒的に少なかったですから、仕方が無い面もあったのかもしれませんが、平均値は今の方が確実に上ではないかと思います。

自分だったら「面倒くさい」「別にいいや」と思うようなことに取り組んでいる方がたくさんいらっしゃり、感心させられることが良くあります。
そんな方々が、就職氷河期ということで、社会に出ることが難しくなってしまっています。社会的には大きな損失だと思います。

しいて今の学生さんたちのマイナス面を言えば、みんな平均化されていて、個性的な要素は減っている気がします。

かつては変わったアルバイト、変なサークル、先輩や後輩、友人との面白い付き合いなど、個性的なエピソードを聞くことがあったり、訓練されないまま面接に来るので、かえって人となりがわかる面白い話ができたりということがありましたが、そういう機会は少なくなりました。

これも社会全体の流れですから仕方ないのかもしれませんが、自分なりにちょっとの個性を考えてみても良いように思います。

私のようにいいかげんな学生でも、今は無事に仕事ができるようになっています。それよりは確実に優秀な今の学生さんが、同じようにできない訳はありません。
就職活動中の方は、悲観せずに是非頑張って頂きたいと思います。


2012年10月25日木曜日

心の自己管理


メンタルヘルスの専門家にうかがうと、自分の心の不調について、それに気づけるかどうか、まずは自己管理が大切だと聞きます。風邪気味など体調が悪いと感じた時に、早めに休もうなどと考えるのと同じだそうです。

私も、メンタルダウンしてしまった方々への対応は多々経験していますが、自分で早めに気づき、自己管理する術をつかんでいった人ほど、その後の経過は良いように感じます。

真面目で責任感が強い人ほど心の不調に陥りやすいと言われます。何でも自分で抱えてしまったり、自分を責めたりする傾向が強いからだそうです。

しかし冷静に考えれば、例えば指示された仕事がうまく進められなかったとしても、それは指示された側だけの責任ではなく、相手の能力、性格、その他状況を適切に判断せずに業務指示をした上司の側にも責任があります。

自分だけで責任を背負い込まない思考パターンを日頃から訓練することは、「心の自己管理」の一環になります。
できることは「できる」できないことは「できない」と、はっきり伝えることも必要になります。ただし、一方的にできないと言うだけでは自分の評価に関わりますし、場合によると今度は上司の方がメンタルダウンしてしまうかもしれません。

「ここまではできるがこれ以上はできない」「こんな支援があれば可能」「こんな環境が作られればできる」など、条件を提案しながら話す習慣づけも、「心の自己管理」につながります。

心の問題は、それほど単純に解決できることではありませんが、自己管理する術を知り、それを意識して習慣づけていく事で、予防や早期発見につながる余地は大いにあると思います。

人それぞれのやり方になるのでしょうが、自分なりに「心の自己管理」を考え、日頃から取り組んでおくのが望ましいと思います。


2012年10月24日水曜日

「人間力」とは…


ある研修専門会社の方とお会いした時のお話です。

その方が最近いろいろな企業を回る中で、「人間力を高める研修」という話が良く出るそうです。
ではその「人間力」とは何かを突っ込んでいくと、当然といえば当然ですが人によって言うことが違います。ある人はコミュニケーションと言い、ある人はカリスマ性と言い、ある人はリーダーシップと言うといった具合です。

なかなか真意がつかみづらいため、その方は「人間力」にかかわりそうな要素とその定義をチェックシート化し、ニュアンスをまとめることができないかという試みをしていらっしゃいました。

実は私も同じように「人間力を高める」とか「人の器を大きくする」といった内容を研修目的としてオーダーされることが増えている感じを受けていました。

チェックシートを頂き、それを眺めながら「人間力とは何か」を自分なりに考えていたのですが、今の段階で出ている答えは、「人間力とはその人の知識、経験、人格などを総合したふところの広さであり、すべての学びは人間力につながっている」ということです。

この理屈だと、どんな研修でも人間力を高めることにつながっていることになってしまいますが、「人間力」とは結局そういうものではないかと思います。

「人間力を高める」という研修テーマが出るということは、人としての幅の広さが失われているということであり、かつては自然と身に着けてきたことが出来づらい環境になっているのでしょう。専門性や難易度が増した業務、人間関係の希薄化など、経験できる事柄や幅が減少しているようにも思います。それ以前の教育の問題、人生経験もあると思います。

「人間力を高める」ということの定義を標準化することは難しそうです。結局「人間力」自分たちなりに定義し、自分たちなりの優先順位をつけて、出来る取り組みをしていくことになるように思います。
私もそんな視点で、それらの取り組みをお手伝いしていければ、と思っています。


2012年10月23日火曜日

相手を変えたければ自分が変われ!


表題の言葉、ずいぶん前になりますが、著名な医師である日野原重明さんの講演を聞いた中で印象に残った言葉で、私がいつも心に留めている言葉です。

最近、自分の都合で相手に対して一方的に「変われ!」というようなケースが多いような気がします。
国の都合で地方に、会社の都合で社員に、上司の都合で部下に、学校の都合で生徒に、親に都合で子供に、などなど・・・。
どちらかというと力の強い者が、より力を前面に出して振る舞うことが多くなっているのかもしれません。自己中心的、個人主義的風潮で増幅しているようにも思います。

私の身近では、労働トラブルに関する話を聞くことが増えてきました。双方のちょっとした行き違いが積み重なった結果であることがほとんどですが、力が強い側の一方的な態度が火をつけてしまい、大きなトラブルになってしまっていることも多々あります。

組織内においても、例えば部下指導の場面では「ここが悪い、あそこが悪い、だからお前が直せ」というようにダメ出しばかりの指導だったり、上司に対するコミュニケーションの場面では、部下からの一方的な苦情、指摘、要望ばかりだったりと、どうも「相手だけを自分に都合よく変えよう」という態度が目に付きます。

どんな人でも、ともすると自分の都合にこだわり、他者批判に傾きがちになってしまいます。でもそんな時には一息置いて、「相手を変えたければ、まず自分が変わる」という意識で相手に接すると、今までと違った結果が得られるように思います。
結局はお互い様、ということなのではないでしょうか。


2012年10月21日日曜日

「部下力」の大切さ


「部下力」という言葉を聞いたことがありますか? これをテーマにして出版された本が、ここ数年のうちでは結構たくさんあります。私も人事、組織という切り口での研修や、その他様々な組織改善の取り組みをしますが、その中でとても重要視しているキーワードです。

「部下力」は上司、リーダーの指導力を引き出し、上司のやる気を支える力とされ、卓越したリーダーシップの陰には必ず優れた「部下力」があるとされます。一言でいってしまうと、「上司に信頼され、応援される力」ということになります。

ある書籍に書かれていた内容によれば、組織が出す結果に及ぼしているリーダーの影響力は、平均して20%にすぎず、逆にいえば80%は、リーダーの下で活動する部下たちの出来によって決まるのだそうです。

組織では、よくリーダーシップの重要性ばかりいわれますが、この「部下力」のように、逆の面から見た発想も、とても大事なことです。

出版されている書籍には、いろいろ手法なども書かれていて、私もずいぶん参考にしますが、これを読まなかったとしても、上司、リーダーという立場の方は、自分が部下であったならばどう見られるのかを、一度よく考えてみることも良いのではないでしょうか。

また上司、リーダーに対して、「話がわからない」「仕事を任せてくれない」「必要な資源、情報を与えてくれない」「とにかく無能」などと嘆いている部下の方々は、「人の上に立つのだから有能であるべき」などと考えず、上司が力を発揮して自分たちに協力的に動いてもらうために、どのように接して行けば良いかを考えてみてはいかがでしょうか。

でも、これって「相手の立場になって考える」という人間関係のごく当たり前のことで、基本中の基本なのでは、という気もします。
あえて「部下力」といって、それを強調しなければならないこと自体にも、問題があるのかもしれません。


2012年10月20日土曜日

働く喜びと成果主義


賃金制度や評価制度の見直しを行おうとする理由として、「仕事への意欲を高める」「社員の貢献を給与に反映する」などということが多いと思います。
ただ、実際に制度を見直した結果として、社員にその納得度を聞くと、「あまり納得していない」ということも多いです。

私は、成果主義そのものを悪とは思っていませんが、様々なところで見聞きする制度の運用については、問題が多いと思っています。
制度の運用がうまくいっていなかったり、社員の納得度が低い企業は、多くの場合で短期的な結果第一主義に陥っていて、労務管理がノルマ管理的であり、「就業意欲を高めるために制度見直しをした」という目的に大きく矛盾していると感じます。

私が、成果主義において重要と思うのは、「成果の定義」「プロセスの評価」です。
“成果”というとすぐに売上、利益となりがちですが、部下育成、顧客開拓といった数字に表れづらいことも広い意味では“成果”と言えます。自社にとって何が“成果”なのかを見直し、共通認識する事が「成果の定義」です。

また、「結果の評価」は、数字を見れば誰でもある程度はできますが、「プロセスの評価」は、現場の業務や周辺事情を良く知らなければできません。評価者にとって負担になるために、疎かになっているのかもしれませんが、社員の意欲を高めるためにはとても重要な事です。

「株価を維持し、経営を安定させるには短期業績を追いかけるしかない」という話を聞くことがあります。本当にそうだとすれば、働く者にとってあまり喜ばしい事ではないと思いますし、私は絶対にそうではないと思っています。


2012年10月19日金曜日

「指示待ち」は企業文化かもしれない


組織の中で上司から指示されたことは、基本的にはやらなければなりません。では指示されていないことをどうすればよいのか、これは考え出すと案外難しいことです。

指示されるであろうと予測してやったなら、褒められることなのかもしれません。「自発的に行動できる」「指示待ちでない」「積極性がある」などと評価されるでしょう。

でも、上司がやって欲しくないと考え、あえて意図的に指示しなかったのだとしたら、命令違反の余計な行動になってしまい、「上司の指示に従わない」「組織的動きを乱す」「自分勝手な行動をする」とされてしまうでしょう。とても大きな違いです。

このあたりは、組織風土や文化にかなり影響される部分です。組織や仕組みが固まっていないベンチャー企業などは概ね前者の捉え方をし、官僚的な大組織、大企業だと後者の捉え方をすることが多いようです。

もちろん部門、職種、対象となる事象などによっても違い、その時のシチュエーションによっても変わってくるので、これも一概には言えません。ただ風土、文化なので、社員の価値観、感じ方の部分になります。過去からの積み重ねによって作り上げられてきたものだということです。

そう考えると、例えば「うちの社員は指示待ちばかりで困る」などと言っても、今まで脈々とそういう文化を作り上げてきたということも言えます。
上司に部下管理を強く要求し、強いリーダーシップ、マネジメントで仕事を進めることを志向してきたとすれば、部下は上司の指示通りに的確に仕事をすることを求められますから、指示待ちスタイルになるのは当然といえます。

それまで社員個々の自主性に任せて野放しだった組織に、いきなり仕組みやルールを導入してもなかなか機能しないという状況も、「そんな形式的なことを良しとする文化が無い」ということですから、また逆の意味で同じようなことでしょう。

会社として望ましい人物像の社員が育ってこない原因は、社員個々の問題にされがちですが、会社の組織風土や文化の問題もあるということを意識する必要があると思います。
会社として望ましい人物像は、組織風土や文化の中で作り上げていくものだということです。

もしも思うような社員が育ってこないと感じているならば、組織風土と文化の面からも原因を考えてみてはいかがかと思います。


2012年10月18日木曜日

人事制度は「作る過程」が大事!(後編)


私が人事制度作りについて相談を受けた中で、うまくいっていなかった二つのケースを前回紹介しました。
これらのケースには、実は共通点が二つあります。それは以下の通りです。


《実際に運用する人が検討に参加していない》

どちらのケースも、実際に運用する人は検討に参加していません。
コンサルタントは人事担当者が現場状況を認識していると考えていたのかもしれませんし、制度構築担当者も自分でわかっているつもりだったのかもしれませんが、現場の人たちは自分たちが検討過程を知らないために当事者意識がわかず、制度の意義や必要性も理解できず、制度の浸透に協力する気持ちになってくれず、結果として意図した運用ができないということになりました。

「運用するのはあくまで現場の人たちだ」と言う認識が薄かったように思われます。


《自社のレベルにそぐわない内容だった》

どちらのケースも、その当時の最新の論理を取り入れ、理想的な制度を作ろうとしていたと思われます。

大手のコンサルタントは新しいものを取り入れたがる傾向がありますし、自分で作ろうと考えて一生懸命勉強するほど、“制度はこうあるべき”との意識が強くなります。

しかし、オリンピック選手と同じトレーニングをしたからといって、前提となる基礎が無ければ記録は伸びないように、いくら理想的な制度を入れたからといっても、運用できなければ意味がありません。運用するためにはそれなりの基礎が必要ですが、それを見誤ったように思われます。

現場とのコミュニケーションが少なかったことも、実情を見誤る一因だったと思われます。


このように人事制度構築については、出来上がった制度の内容だけでなく、どのような手順、過程を経て作り上げたかという点も成功させるにあたっては重要になります。
原理原則はありますが、各社の事情(社風、組織構造、問題意識、キーマンの存在など)によって左右される点も非常に多くあります。

作り上げる内容とともに、検討の進め方についても十分な配慮をして進めると、良い結果が得られると思います。

これから人事制度改訂を考えられている企業は、ぜひ参考にして頂きたいと思います。


2012年10月17日水曜日

人事制度は「作る過程」が大事!(前編)


今回の内容は、以前に別のメールマガジンに書いたものですが、最近もまた同じことを感じる場面がありましたので、2回に分けて改めて掲載させていただきます。

私が手掛ける人事コンサルティングの中で、「人事制度を何とかしたい」というご相談をよく受けます。何らかの制度はあるが機能していないというケースがほとんどで、多くは制度改善を行っていくことになりますが、中には制度そのものにそれほど問題があるとは思えないケースがあります。
このような場合によくお話をうかがうと、どうも人事制度を作った過程に問題があると思われるケースが比較的多いのです。

以下は私が相談を受けたことがある一例です。

《ケース1》
きちんとした人事制度を作りたいと思い、大手コンサルティング会社に人事制度構築を依頼。コンサルティング会社が持ち込んでくる原案を、人事担当者が検討会議を通じてチェックしながら、1年近い期間をかけて作り上げていった。

定期的に役員報告を行い、最終決済も得て社員向けの説明を行ったが、そこで疑問や不満が噴出。当初はコンサルタントも説明に参加していたが、契約満了後は、すべて人事担当者が対応することになる。何とか運用開始まではこぎつけたが、その後の様子を見ると意図した運用がされず、効果も出ていない。


《ケース2》
社内で新たな人事制度を作ることになり、その主担当に任命された。初めての経験なので関連書籍を何冊も買い込んで勉強し、最新の方向性などの情報を仕入れる。勉強するほどに自社の制度に対する問題意識が高まり、何とか理想的なものにしたいと思う。

理想に近いと思えた本の内容を参考に制度を作り、役員承認を受けて運用を始めるが、まったく思った通りに機能しない。制度構築担当としては「社員のレベル、意識が低い」と思うが、現場からは「現場を知らない」「実態と合わないから運用できない」などの意見が出て収拾がつかない。


上記の例では、どちらも作り上げた制度は決して悪いものではありませんでしたが、うまく運用することができませんでした。

これらのケースには、実は共通点があるのですが、もしお時間があれば、ちょっと考えて見てください。

答えは次回に・・・。


2012年10月16日火曜日

内定式から入社までの取り組み


この10月初旬には、来年度の新入社員の内定式を行った会社も多かったようです。

これから来年4月の入社までの間、事前研修で業務知識を詰め込んで、できるだけ早く戦力化しようというところ、入社に向けて社会人の心構えを整えさせようというところ、仲間意識を盛り上げるために定期的に顔合わせをしようというところ、別に何もしないというところなど、各社いろいろだと思います。

人事担当の方々は、過去の新入社員の状況を考え、今年採用した人達の様子をながめ、外野からいろいろ言われたりしながら、毎年どうしようかと悩まれていることと思います。なぜ悩むかといえば、どうすれば良いかという絶対的な正解がある事柄ではないからでしょう。

私の経験で一つだけ言えるのは、内定者への対応は、やり過ぎでもやらな過ぎでもなく、「ほどほどが良い」ということです。これから入社しようという人達自身が許容できる内容でなければ、せっかくの取り組みがかえって逆効果になってしまうこともあります。

ただ問題は、この「ほどほど」という程度が、個人によっても会社によっても全く違うということです。
ではどうすれば良いのかを考えると、会社は採用時にある程度自社の価値観に合う人材を選別している訳ですから、その採用した人達の様子を見ながら、自社の状況を重ね合わせて考えるしかないということになります。

結局、人事担当者が毎年悩まなければならないのは、変わらないのかもしれません。


2012年10月14日日曜日

「結果主義」と「人材育成」のバランス


野球やサッカーなどのプロスポーツでは、よく「結果」と「育成」のバランスということを言われます。

以前、オリンピックの野球競技で、日本チームがメダルが取れなかった時の論評で、当時の代表監督だった星野仙一さんについて、「星野監督は育成型の監督なので、選手に情をかけ過ぎてしまった」というものがありました。

それまで監督をしたチームでは、失敗した選手にもチャンスを与え続け、情をかけて選手を育て、チームを作り上げていきましたが、それは長いペナントレースだったからこそで、オリンピックのような短期決戦では戦い方として適当ではなかったということでした。

会社で仕事をする中でも、これと同じことがあります。短期的に結果だけを出そうとすれば、能力のある人、できる人に仕事を集中する方が効果的です。

一方将来を考えれば、多少の失敗があっても、経験させて育てることが必要です。短期と中長期の取り組みのバランスを考えなければなりません。またそのバランスは、その時々の状況によって変わります。(例えば切羽詰った仕事を、できるかわからない新人に任せたりしないですよね。)

昨今の成果主義では、個々が目先の成果を追う傾向が強まり、結果として個人主義を助長して人材育成がおろそかになってしまいました。その反省から、最近は再度チームワーク、人材育成を重視しようという揺り戻しが起こっています。

「結果」と「育成」をどうやってバランスしていくかは、結局は永遠のテーマで、これからも「結果主義」と「人材育成」の間を行ったり来たりするのだと思いますが、少なくともこのバランスを取っていこうという意識だけは、常に持っていなければいけないのだと思います。


2012年10月13日土曜日

「楽しい飲み会」でなければ行かない


最近は上司や先輩、その他同僚の飲み会の誘いを断る若手社員が増えているといいます。
「最近の若いやつは飲まなくなった」というオジサン達の声も聞きます。

確かにアルコール消費量は減っているといいますし、飲まないとの指摘も間違っていないとは思いますが、実は彼らも仲間うちでは案外飲みに行ったりしています。

では、なぜ会社の人たちとは飲みに行きたがらないのか・・・。
それは、彼らにとって飲み会は“気の合った仲間”と一緒に“楽しむ場所”であるということです。あまり親しくない人と表面的に付き合う場でも、説教されたり陰気な愚痴をこぼしたりする場でもないのです。

娯楽の延長ですから、他にやりたいことや優先することがあれば行きません。
また、自分にとって楽しそうだと感じなれば参加しません。飲み会は仲良くなった人たちと行くものであって、仲良くなるために行くものではないと思っているように見えます。

ですから「とりあえず飲みに行って仲良くなろう」「団体行動として参加するのは当たり前」というのは通用しないのです。

上司の世代は、
「飲み会をやる」→「話ができてコミュニケーションが取れる」→「信頼関係が作れる、増す」と考えがちですが、若手社員の世代は違います。

若手社員の世代では、
「コミュニケーションを取る」→「信頼関係が徐々にできてくる」→「飲み会をやる」→「さらに気さくに話ができてコミュニケーションが取れる」→「信頼関係が増す」なのです。

飲み会をうまく利用してコミュニケーションしていくためには、信頼関係を作る順序の世代間の意識の違いを埋めることが必要だと、私は思います。

若手社員も、上司や先輩と交流を深めたいという意識は十分に持っています。でもその第一歩がいきなり「飲み会」というのは、彼らはちょっとハードルが高いと感じているかもしれません。


2012年10月12日金曜日

「朝令暮改」を歓迎する


ある本を読んでいる中で、部下が上司の信頼を得る行動の一つとして、「上司の朝令暮改を歓迎する」というものがありました。

部下の立場からすれば、上司の指示が度々変わったり、突然何か言われたりという事があると、「初めからそう言えよ!」とか「もっと早く言えよ!」とか「あの人はいつも思いつきだ!」とか、肯定的に捉えるのは結構難しいものです。私などはまさにこんなタイプの部下だったので、今思うに、上司にしてみれば、すごく扱いづらい部下だったはずです。

冷静に考えてみれば、「絶対に朝令暮改をしない上司」「一度決めたことは絶対変えない上司」とも言え、それが良い上司なのかと言えば全くそうではないと思います。
部下からすれば「あいつは融通が利かない!」とか「柔軟性がない!」とか「まともな判断ができない!」などとなるのでしょう。
状況に合わせた判断や指示命令を放棄しているという事で考えれば、実はこちらの方がタチが悪いと言えるのではないでしょうか。

初めから適切な判断と指示命令ができるに越したことはありませんが、今のように変化が激しい時代、先の先まで見通して行動することは大変難しいことです。その時その時に見えている情報の範囲で逐次判断していくというやり方にせざるを得ず、そういう点では朝令暮改は必須ということになります。

朝令暮改が否定的に捉えられるのは、上司の側にも責任があります。「なぜ変わったのかの理由や背景をきちんと説明しない」、「変更内容やその理由に納得性がない」、「意見を聞かずに一方的」などがあるでしょう。部下と認識共有する姿勢が希薄なことが多いように思います。

私は自分が上司という立場になり、上司と部下の両方の立場が分かるようになってから、徐々に理解できるようになったということもありますが、その当時、もう少し相手の立場(朝令暮改をしなければならない上司の立場)を理解できる視野があれば良かったのに、などと今更ながら思うこともあります。結局相手の立場を考えながらの相互理解に尽きるのではないかと思います。

もし朝令暮改ばかりの上司にイラッとくることがあったら、一歩引いて「なぜそうしなければならなかったのか」という上司の立場を考え、その立場を理解した上で上司に確認してみるというようなことをしていくと、案外良い関係が作られていくようになるかもしれません。


2012年10月11日木曜日

人事同士の悩み


以前、ある研修専門会社のセミナーに参加した時のことです。

いろいろな会社の人事、人材開発、研修担当の方々が集まり、パネルディスカッションや参加者の懇親会などがあり、とても良い情報交換、交流の場になっていました。

人事関連の方々が集まる場でいつも思うことで、自分もかつては全く同じだったのですが、皆さん求められる仕事の幅は広く、いろいろな制度や企画、課題解決を考えなければならず、多くの知識、経験、ノウハウが必要にもかかわらず、社内で同じ担当はごく少数か自分だけ、身近な相談先は限られ、情報収集といっても個別にできる範囲には限度があり、やむを得ず自分たちの限られた知識、経験、ノウハウ、情報の中で、試行錯誤と創意工夫を繰り返し、悩みながら仕事をしている、という点が共通していることです。

ですから、このような交流の場ですと皆さんおおむね積極的で、「あ、それいいですね」とか「今度うちでも試してみたいんで、詳しく教えて下さい」などというやり取りが、あちこちで聞こえてきます。

そもそも私が独立したのも、こんなに悩み多き人事の人たちを何とかサポートできないか、という思いからでした。
私自身、人事関連の仕事をされている方たちの交流会を企画できないかと考えたことがあるのですが、自分の力だけではあまりにも広がりに欠けたため、とりあえず断念していました。

この時は、主催者の方に「今回みたいな人事の方々の交流は意外に場が少ないので、結構皆さん望んでいる」というようなお話をしたところ、折りを見て継続して頂けることになりました。
自分だけの力では難しいことでも、周りを巻き込んでいければ少しは前に進められるものだと思いました。(実力があるコンサルの方は、皆さんご自分でいろいろなコミュニティを作られていますよね・・・)

やはり、同じような悩みを持つの方々、共感し合える方々とのつながり作りや交流は、とても大切な事だと、本当にいつも感じています。


2012年10月10日水曜日

確信が持てると行動できる


ある小学校の運動会での出来事です。

徒競走で審判役の子がいました。その子の目の前で、走りながら帽子を飛ばしてしまった子がいました。審判役の子は帽子を拾いましたが、一瞬どうしたら良いか迷っている様子でした。たぶん、持ち場を離れてはいけないということと、帽子をどうすれば良いか、自分で手渡そうか誰かに頼もうか、いろいろ考えたのだと思います。

結局周りに頼める人もおらず、その子はゴールした帽子の持ち主の子に向かって恐る恐る走っていき、自分で手渡していました。

急いで走って戻ってきたその子は笑顔でした。別の審判役の子と何か言葉を交わしてうなずいています。もしかしたら帽子の子にお礼でも言われたのかもしれませんし、別の審判役ともこれで良かったのだと確認し合ったのだと思います。

次の組で走った子の中にも、同じように帽子を飛ばしてしまった子がいました。今度は素早く帽子を拾い、ダッシュで届けて持ち場に戻りました。最初からすれば3分の1くらいの時間でした。

小さな出来事ですが、「人は自分の行動に確信が持てれば素早く行動できるようになる」ということの一例で、確信を持つ過程にあったのは「否定されない」、「感謝される」、「確認し合う」ということでした。他にも「褒められる」などがあるでしょう。

仕事の上でも、部下や後輩に良い行動、素早い行動を促して定着させるためには、本人に「これでいいんだ」という確信を持たせることが必要で、特に自主的な行動に対しては助言と指導が重要だと思います。

もしそれが良い行動だったならば、本人がそれを認識できるようにしてやれば、次に同じ事が起こっても「こうすれば大丈夫」という確信につながると思います。自主的に行動できるようになり、いちいち指示する必要もなくなります。

良く言われることですが、「肯定する」、「褒める」、「感謝する」などというようなことを意識して行うことがやはり重要だと、今回のちょっとした出来事の中で改めて思っています。(実際にやるとなると難しいことではありますが…。)


2012年10月9日火曜日

会社の都合、働き手の都合

最近は雇用環境が厳しいためか、「会社の都合」で翻弄されたと言う働き手が増えているように思います。労働条件の引き下げ、無理な異動命令、リストラ、新卒切りや内定切り、入社したら話が違うなど、挙げればキリがありません。
ギリギリの厳しい環境ですからやむを得ないところもありますが、それでもあまりにも人扱いが乱暴になっているように感じます。

ただ、景気が良かった頃のことを考えると、せっかく一生懸命仕事を教えてもすぐに転職してしまう、採用活動をしても内定辞退などは日常茶飯事、社員は会社に要求して会社は社員をつなぎ留めるためにそれに応える、会社の経費で飲み食い、なんて事がたくさんありました。「働き手の都合」に会社が翻弄されていたのかもしれません。

そんな時代もあったことを考えていると、最近の乱暴な「会社の都合」は、昔のかたき討ちをしているようにも思えてしまいます。(今つらい目にあっている人は、昔おいしい目にあった人ばかりではないですから、理不尽なことは間違いないですが・・・)
何が言いたいかというと、やっぱりお互いがイーブンな関係でないと、おかしなことになってしまう、何とかうまくバランスが取れないものだろうか、ということです。

こんな環境でも「本当に社員に助けられている」と心の底からおっしゃり、良い会社にするために、社員との良好な関係作りに腐心している経営者の方は、本当に大勢いらっしゃいます。
相手の立場を考え、認め、尊重する、せめてこんな基本的なことだけでもできれば、今のような嫌な風潮は少しマシになるように思うのですが・・・。


2012年10月7日日曜日

組織防衛の第一優先


労務トラブルを抱えていたり、また俗に言う不良社員(あくまで会社側の立場からの一方的な言い分ですが)の対応に困っている企業は多いと思います。

弁護士さんのような法律の専門家に相談したり、就業規則などの社内規定を精緻に整備したり、いろいろな対策をされていることでしょう。それぞれ多大な時間、労力、お金をかけていることと思います。それでも組織防衛の観点から考えれば、重要な事ではあるでしょう。

私もいろいろなケースに遭遇したり、相談を受けたりしますが、その度に意を強くするのは、「組織防衛の第一優先は、やっぱり採用段階だ」ということです。

トラブルになってから振り返ってみると、多くの場合でそうなのですが、「そういえばあの時・・・」、「気にはなったんだけど・・・」という点が採用段階で必ずあります。
これは採用時に立ち会った人たちの話を聞くと、ほぼ100%の方が、多かれ少なかれ何らかの引っかかりを感じることがあったとおっしゃっています。

でも、その時は入社させればすぐ仕事につけられるとか、現場で人が足りずに切迫しているのが解消できるとかの皮算用が働いて、感じた引っかかりがいつの間にか優先順位が低くなってしまっていたということです。危険は察知できていたのに活かせなかった、ということになります。

採用するかしないかの判断については「こうすれば確実」ということは無いので、とにかく採用にたずさわる人が感性を磨くしかありません。ただこれも、「何となく引っかかる」だけではダメで、感性を言葉にして説明し、他の人に伝えて納得させる事が必要になってきます。観察力も洞察力も、表現力も経験も必要です。

採用に関わる方には是非このような能力を高めていって頂き、組織防衛の第一線を担って頂きたいと思います。


2012年10月6日土曜日

「やってみせ、言って聞かせて…」

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」とは、かの山本五十六元帥が仕事を教えるにあたって、指導者の心得を説いた言葉として有名です。リーダー、マネージャーといった人への研修でも、よく引用される言葉です。

さらに「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」と続きますが、頭ではわかっていても実践しようとするとなかなか難しい・・・。私自身も、そこまでは根気が続かないというのが本音です。

人を指導している中では、「なぜこんな常識的なことを知らないのか」「なぜこんなことまで言わなければわからないのか」「なぜ自分から動こうとしないのか」等、「なぜ?」と思うことに沢山遭遇します。「最近の奴らは・・・」などとイライラする事も多いと思います。

なぜイライラを感じてしまうのか。そう思う裏には「自分はここまで酷くなかった」「自分はもう少しやっていた」などという思いがどこかにあるはずです。
でも良く考えて見て、本当に自分はできていたのでしょうか? 今教えられている立場の人たちより、本当にマシだったのでしょうか? 実はそうでないことも多々あるはずです。

また自分が指導された内容を、心から納得して取り入れた事がどのくらいあったでしょうか? 他人から言われて自分を変えたということは、実は案外少ないものです。(イヤイヤ従っているのは、変わった事にならないです。) 逆に言えば「人を動かす」ということは、それくらい労力がかかる大変なことなのです。

今回お伝えしたいこと、それはちょっと指導するくらいで人を変えよう、動かそうなどと思わないこと。
ちょっと気持ちを入れ替えて冒頭の言葉を見直すと、今までと違う部下や後輩との接し方が見えてくるような気がします。


2012年10月5日金曜日

「この仕事に向いてない」と辞めるけど・・・「では何に向いてるの?」

会社を辞めていく人に理由を聞くと、「この仕事に向いていないと思うんです」と言われることがあります。それに対して、私は「じゃあ何に向いているの?」と聞きますが、その場ではっきり答えられる人はとても少ないです。

仕事が思い通りに進まなかったり、やりがいや喜びを感じられなかったり、その他うまくいかないことを、「この仕事は向いていないから」と自分に言い聞かせている所があるように思います。

採用試験の中で適性テストを行う会社も多いと思います。それなりに納得できる結果は出てきますし、その後を追跡していっても、確かにテスト結果で指摘された傾向は出てくるように感じます。

その一方、適性テストでは図りきれない部分はたくさんあります。テスト結果と実際の成果が特に大きく異なるのは、グループやチームでの仕事であることが多いと感じます。
やはりそれぞれのメンバーがお互いに刺激や影響を受け、補完し合いながら仕事をするでしょうし、その中で自分だけでは思いもしなかった発想や価値観に遭遇することもあるでしょう。

個人として向いていなくてもチームとして成功すれば、自分なりに喜びを感じるでしょうし、そんな体験を積み重ねれば、成功に到達する方法論も身につくはずです。そもそもそういう環境ならば、「向いていない」などとは考えないでしょう。

仕事の適性に、最低限の知識や実務能力は確かにありますが、経験を積むことによる後天的なもの、周囲の環境に左右されるもの、そして何より自分の思い込みによる主観的なものが、総合してあると思います。

もし「この仕事には向いていない」と思った時、それが自分の能力の問題なのか、思い込みではないのか、補完し合う事で改善の見込みは無いのかなど、もう一度考えて見ることが必要ではないかと思います。

「向いている」と思い込んで続けていくことで、ひらけてくる道もあるのではないでしょうか。

2012年10月4日木曜日

職業選択の自由って・・・

以前、政治家の世襲が批判されていた頃、「それらを制限することは、憲法で保障された職業選択の自由に反する」という話が出ていました。
「政治家」「職業」と言われると、「政治を生活の糧としてやっているの?」と思い、ニュアンスに若干の違和感を覚えましたが、憲法で保障された権利といわれれば、まあそうなのでしょう。

そもそも「仕事を選ぶ」ということを、すべて個人の自由で行なっているかというと、案外そうではないと思います。

就職ということで考えると、どの会社に入社するかは自由でしょうが、その中でどんな仕事をするかは必ずしも自分の希望通りではありません。部署の異動があったり、やりたくない職種に回されたりすることもあるでしょう。上司から「君はこちらの方が向いている」などと勧められることもあるかもしれません。

社会人経験を積んできた方々では、昔思い浮かべていたキャリアプラン通りに進んで来た人の方が、むしろ少ないのではないかと思います。

以前も書いたことがありますが、どんなキャリアになるかは、偶然の要素に大きく左右されるということです。「自分で選んで就く」というより「他人に選んでもらう、選ばれて就けてもらう」という部分も多いのです。

では、成り行き任せで良いかと言うとそうではありません。他人に選ばれるためには、認められて信頼されなければなりません。そのためには、今与えられている仕事に出来る限りの取り組みをすることです。今やっていることが認められ、自分を選んでくれる人が増えてくれば、それだけチャンスが増えると言うことです。

今現在、自分の本意でない仕事をしているとしても、それに真面目に取り組むことが、自分にふさわしい仕事への第一歩になっているかもしれません。また、本当に自分にふさわしい仕事が、今自分が思っているものと違っていることは、大いに有り得ると思います。いずれにしても「今、目の前にあることをやる」というのが重要なことだと思います。

余談ですが、政治家の世襲がどうのこうのと言う話が出て来るのは、報酬や特権などの面で「政治家がおいしい仕事」と思われる部分が多いからではないかと思います。政治家が「相当の使命感が無ければ、どう見ても割に合わない仕事」だとすれば、こんな議論は出ないように思うのですが、皆さんの考えはいかがでしょうか。

2012年10月3日水曜日

「他人の考え方を変えたい」というけれど・・・

上司、部下、友人、家族、その他自分の周囲にいる他人を見ていて、「もっとこうすれば良いのに」と歯がゆく感じることがあると思います。

先日クライアントと雑談している中で、必要以上に仕事とプライベートの線引きを主張して、周りから浮いてしまいがちになる社員がいるが、どう接したらよいかと言う話が出ました。

決して社交性や協調性が無い訳ではないし、もっと自然体でいれば本人にとってもプラスになることが増えるだろうと、折りを見ていろいろな働きかけやアドバイスをしているそうですが、かたくなでなかなか受け入れようとしないのだそうです。何とか本人の考え方を変えられないだろうかということでした。

これを自分が言われる側になって考えた時、その働きかけやアドバイスを受け入れるかどうかは、結局自分のその時の問題意識や、自分の価値観に合っているかどうかで決めていると思います。

そもそも人間は、自分の考え方に合う事象を選択的に捉えます。自分の問題意識にタイムリーかどうかというような、タイミングの問題もあります。
受け入れられる幅に個人差はありますが、どんな人でも基本は同じです。自分の価値観に合わないことは、基本的に排除しているはずです。
その価値観は、その人の生い立ちや家庭環境、個人の性格、職業観、人生観という所まで関わりますから、そう簡単には変わりません。

自分の考え方が変わることがあったとして、そのきっかけは本で読んだ内容だったり、他人のアドバイスだったりいろいろでしょうし、人との出会いや生活の変化など、偶然の要素に左右されることもありますが、少なくともそれは自分で変わろうと納得して行動しています。他人にとって価値があることでも、自分にとって同じとは限りませんし、逆の場合も同じですから、他人を変えようとしてもそう簡単にいく訳がありません。

月並みな結論ですが、相手の価値観も認め、簡単に変わらないのは当然、変わらなくても仕方ないと思いながら、きっかけとなる刺激は与え続けるという根気が必要なのだと思います。

他人が良い方向に変わる手助けができたとしたら、それは自分にとっても大きな経験になると思います。

2012年10月2日火曜日

ある会社の内定式にて

数年前の今と同じような就職環境の頃、お付き合いしている会社で新卒者の内定式に出席させて頂いた時のことです。

式の中で、内定者の方々がそれぞれ自己紹介をするのですが、本当に式の直前で内定した方がいて、その方が「周りのいろいろな人に支えてもらって頑張ってきて、ようやくご縁があって内定を頂いたが今でもまだ決まったことが実感できない。でも早く恩返しが出来るように頑張りたい。」というお話を、周りの人への感謝の言葉とともに涙ながらに語っていました。

私も採用活動に関わってきた経験は長いですが、内定者がそれほど感謝の気持ちや苦労を語る場面に遭遇したのは初めてで、その様なことを語れる内定者、そう思ってもらえる振る舞いをしてきた会社、大変な中を支えてきたご両親や友人を始めとした周囲の方々のことを考えながら、その年の就職活動は本当に厳しかったのだと実感したことを思い出します。

このような経験は将来に絶対活かせると思うのですが、一方でこれから希望を持って社会に出て働こうとする人材が、そのスタートラインに着くだけのために、これほど苦労をする必要があるのかということを感じています。

成功するためのチャンスの頻度や成功確率の度合いについては、その人の努力や能力によって差が出てしまうのはやむを得ないことだと思います。しかし、そのチャンスすらもらえない人がたくさん出てしまう世の中というのはどうなんだろうかと感じ、改めて一刻も早い雇用環境の改善を期待するところです。

また、たった一人であっても採用できる余力のある企業は、是非若い人材にチャンスを与えて頂ければ、などと思っています。