2012年11月30日金曜日

「言い訳」と「説明」の紙一重の違い


少し前のことですが、あるニュース番組を見ている中で、首相の側近という方がインタビューされていて、その方が首相に対して、その当時のゴタゴタしていることの事情をきちんと説明した方が良いと進言したところ、首相は「言い訳はしたくない」と言っていたという話がされていました。

その話を聞いて、私は昔の自分の上司がいつも「後から言ったら言い訳だけど、前もって言えば説明だから、常に説明するようにしていれば、相手に信用してもらえる」と言っていたのを思い出しました。

考えてみると「言い訳」「説明」の違いというのは、事前とか事後とか言いますが、実はその差は紙一重ではないかと思います。実際には連続線上につながっていて、明確な切れ目は存在しないのではないでしょうか。
「言い訳をしない」というのは美徳かもしれませんが、それを重んじ過ぎると、連続線上にある「説明すること」自体も不足してしまい、結果として信用を失ってしまうように思います。

企業内であれば、例えば

○部下に対して「言い訳するな!」と強く言ったために、その後、部下からの説明や相談など、コミュニケーション自体が減ってしまった。

○上司が指示を出す時に、きちんと説明をしなかったために良い結果が出ず、部下は言い訳的な報告をせざるを得なくなり、上司はそれを責める。(責めていること自体が実は自分の説明不足の言い訳)

○顧客との関係の中で、事前に意思疎通ができていなかったため、後追いで事情説明(要は言い訳)をしなければならなくなった。

その他、「言い訳」「説明」のつながりの間で起こる問題は、意外にたくさんあるように思います。

こんなことを避けるためにどうするかは、結局のところ事前に考えていることや想定していることはできる限り相手に説明し、理解してもらう事を真摯に続けるしかないのだと思います。
「言い訳」「説明」の切れ目が明確でないと考えれば、言い訳的になってしまう時でも、説明しないよりはした方がマシということではないでしょうか。コミュニケーションを避けることで、信頼が増すということはありません。

ちょっとしたきっかけで昔に言われたことを思い出し、意外に良い指導を受けたのかもしれないと、今さらながらかつての上司に感謝しているところです。


2012年11月29日木曜日

報告する?しない?


よく「報連相が大事」などと言います。確かに上司の立場からすると、部下が報告してこないと何がどうなっているか把握できないですし、何より管理することができません。
では報告してくる部下は「良い」部下と言えるのでしょうか? 

例えば、この「良い」「安心できる」に言い換えてみると、確かに報告してくる方が、自分は状況が把握できて安心でしょうし、報告がないと何がどうなっているかわかりませんから、不安になるでしょう。

次に「優秀な」と言い換えてみるとどうでしょう? 何でも逐一報告してくる部下は、自分で考えないで、何でも指示を仰ごうとする傾向がありますから、優秀かというと必ずしもそうではなく、逆にほどほどに報告しながら自分の判断で動いている者の方が、優秀といえる面はあるかもしれません。

さらに「仕事を成功させる」としてみるとどうでしょう? やはり必ずしもそうとはいえないはずです。また部下の立場から見たときに、上司に真面目に報告すれば仕事がうまく行くと思っているでしょうか・・・。 ものすごく知識と経験がある、神様みたいな上司や管理者だったら、きちんと報告する方が成功度合いは高いでしょうが、そんな人はめったにいないはずですから、きちんと報告していれば仕事がうまく行くとは限らないでしょう。
(もしもきちんと報告した方が自分の仕事がうまく行くならば、部下は進んで報告してくるはずですね・・・。)

報連相というと、原則的にはマネジメントをする上で大事なものですし、私もそんなテーマの研修をやったりします。
ただ、一般的な組織論では、上司が間違った指示を出す想定はありませんから、「報連相を確実にする」となるのですが、場合によっては、現場の事をよく知らない上司が、報告内容だけを基に指示を出すこともある訳で、的確でない間違った指示になることは多々あるでしょう。
実際の現場では、当事者で決めて事後報告だったり、上司の指示とは違う方法を取ったりなどということは、かなりの頻度であると思います。(震災での原発事故の件などは、まさにこの典型のように思います。)

いくらマネジメントの原則だからと言って、それをかたくなに遂行しようとすると、実際には効率的な組織では無くなってしまいます。
私が思う理想の組織は、現場ではいちいち指示されなくても適切な判断のもとに実務を回し、経営者や管理者はそれを見守りながら、それぞれの立場でなければできない仕事に徹し、もし現場だけでは手に負えないことが起こった時にはみんなでそれを支援するという形です。もしも経営者と現場で同じ次元の判断ができるなら、現場に任せた方が動きも早いし効率的です。可能な限り権限委譲を進めるという事です。

一般的なマネジメント手法というのは、管理する側の都合がほとんどです。知らないと不安とか、指示が出せないとか、責任が取れないとか・・・。
さらに言うと、自分の上司に報告するために部下から報告させるなど、成果に結びつかない無用な“管理のために管理している”というような、本末転倒の事がたくさんあります。

上司の側から「報告をしろ!」とうるさく要求するという事は、裏を返せば「自分は現場を知らない」と宣言しているようなものかもしれません。
ならば思い切って“任せてみる”、“信じてみる”、“見守ってみる”など、少し受け身と感じるような接し方が、実は良い組織作りにつながることもあるように思います


2012年11月28日水曜日

会議の値段


ある会社の若手社員向けの研修の中で、この表題のようなお話をする機会がありました。

内容はすごく単純で、「仮に時給2000円の人が5人集まって1時間会議をすると、その会議は1万円かかっているよね。もし会議準備のために何かしていればその分の時給もあるし、もっと細かく言えば場所代、電気代、資料代などもいるよね。」というような話です。

さらに「粗利益率20%と仮定すると、会議代1万円分の利益を上げるには5万円の売上が必要だよね」とか、「誰か一人のせいで開始が5分遅れたら、それで1000円くらいのロスだよね」というような話もします。
要は自分たちがなにげなく使っている時間にもお金がかかっていることを理解して、広い意味でのコスト意識を持ってもらうことが目的です。

この話はもう少し続きがあって、例えば安い業者に乗り換えたらサービスの質が落ちて大口の顧客を失ったとか、節電のために照明を消したら作業がしづらくなって不良品が増えたとか(必要な節電を否定しているわけではありません)、単に節約と称して目先のコストだけに注目してしまうと、その影響が違う形で出てしまうことがあり、何事も目先の事情だけでなく、広い視野でどんな影響があるのかを考えて、総合的に判断する必要があるということも話します。(特に今の若い世代は、根底に「消費はよくない」という心理があるので、あえてこんな話をします)

このように、身近なことをいろいろな形でお金に換算してみると、「ムダな会議」、「ムダな経費」などと何となく思っていたことが、改めて明確に捉えられるように思います。

たまには自分でもこんな見方をしてみると、周りを見直す良い機会になるのではないかと思います。


2012年11月27日火曜日

就活する学生さんへ-「社会人のことは社会人に聞け!」


就活サイトの本格オープンがもうすぐです。
ネットでの就職活動が一般的になってからずいぶん経ちますが、それ以前は辞書のような本で企業情報を調べ、ハガキで資料請求し、すべて電話で問い合わせる、とやり方だったのを考えると、情報量は圧倒的に多いし、検索もしやすいし、簡単にエントリーできてしまうのはすごく便利な事です。

一方で情報量が多いがゆえに、自分勝手にわかったつもりになっていることも多いように思います。本来はバーチャルなはずのネットでの情報と、リアルな情報との区別がつかなくなっているのです。

長い時間をかけて企業情報をネット検索していると、何かすごく活動した、という達成感を持ってしまうことがあります。
でも冷静に考えると、企業概要や説明文を読んでも、画像を見ても動画を見ても、その会社のバーチャルな情報に触れただけで、その会社のことを理解したとは言えません。ついでに言えば、エントリーなんてチェックボックスにチェックするだけで終わりのこともありますから、大したことをした訳ではありません。

また、ネットの情報量はそれこそ膨大ですが、すべて一方的に発信されたものです。人との会話であったり何らかの講義やセミナーのように双方向の情報交換があったりすると、その過程で情報の優先順位に気づいたり、認識が修正されたりという事がありますが、ネットの場合はそれがありませんから、何を信じて何を選択するのか、必要なものを決めるのは自分自身ということになり、どう選択するかはその人の感性にかかってきます。

要は選択や判断が偏り、大事な事を見落とす可能性があるということです。できればネットの情報に頼りすぎず、リアルな情報にアンテナを張って欲しいのです。

ではそのリアルな情報をどこから得るか、一番手っ取り早いのが「社会人のことは社会人に聞け」なのです。
学生さんがこれから社会人になるにあたって、知りたいのは社会人のこと。もし学校のことが知りたければその学校の先輩に、バイトのことが知りたければバイトの先輩に、いろいろ教えを請うと思います。ならば社会人のことを知りたければ社会人の先輩に聞くのが一番リアルな情報が得られるでしょう。

幸い社会人の先輩というのはそれこそすぐ身近に、必ず何人か何十人かはいるはずです。お父さん、お母さん、親戚の叔父さん叔母さん、近所のおじさんおばさん、バイト先の店長、学校の先生や事務の人、さらには応募した会社の人事や受付の人、面接官の人、みんな社会人もしくは社会人経験がある人たちです。そんな人たちにいろんな話を聞いてみて下さい。

もしかするとお父さんは「最近の事情は分からないなあ」というかもしれませんし、専業主婦のお母さんは「昔のことだから忘れたわ」というかもしれません。
あなた自身も「どうせ今の就活のことは知らないだろう」とか「自分の志望業種には詳しくないだろう」など、話を聞いてもムダと考えているかもしれませんが、それでも知っている事や意見や昔の就職活動はどうだったかなどを聞いてみると、どんな時代のことでも、先人の経験には必ず何か参考になる情報があります。

あとは話を聞く本人のアンテナの感度次第。何かに気付くことができれば、悩んだり迷ったりした時にきっと役立つことがあるはずです。


2012年11月25日日曜日

モチベーションも最後は自分次第


私が企業をお手伝いするのは、専門家としての自分の経験や、集めてきた情報やノウハウを、人事に関する制度や仕組みづくり、研修などを通じて提供していくという形になります。
その企業の課題解決や組織改革をテーマにするわけですが、課題の内容によっては、組織に属する人たちの基本的な考え方や価値観、行動を見直さなければならないようなこともあります。
社員一人一人の根本的な考え方を変えようという事になる訳ですが、そもそも他人の考え方や行動なんて、そうやすやすと変わる事ではありません。

コンサルタントという立場であれば、“こうすれば変えられる”と断言しなければならないのでしょうが、最終的に変われるか、変えられるかどうかは、やはり当事者の意識次第になってしまいます。

もし何か変われるきっかけを作ったならば「良いコンサルティング」となるでしょうし、きっかけを作る確率の高い人が良いコンサルタントなのでしょうが、一般的にコンサルティングへの満足度は高くないことが多いと言われますから、やはりなかなか難しいことなのだと思います。

難しいとは言っても何らかの良いきっかけを作れるよう、私も最善の努力をしているつもりですが、コンサルタントができるのは、その企業の皆さんに考える材料を提供し、納得してもらいながら意識を変えていく手助けをするところまでで、一人一人がどう考えるかは、結局最後は自分次第という事になります。
いくら制度を変えても研修をしても、その他いろいろな働きかけをしても、その心に響かず、考え方も行動を変わらなければ、やったことの意味は無くなってしまいます。

私が最近よく考えるのは、「自分のやる気の出し方を自分自身でコントロールできるようにするにはどうするか」ということです。「相手任せのきっかけ作り」から「自発的にきっかけをつかんで自己管理できる」ということです。

モチベーションというのは、「他人のモチベーションをどうやってアップさせるか」というアプローチで語られることが多いですが、それを100%自分のこととしてみると、自分が落ち込んでいる時には自分でそれを食い止めて自分を盛り上げる術を知り、自分にやる気があふれている時には自分でそれを継続する術を知り、自分が迷っている時には自分で方向を決められる術を知り、それをうまく実行できれば、何事も自分の力で良い方向に向けていけるようになるということです。

究極の自己管理かもしれませんし、もしかすると単なる気の持ちようだけでもできる事なのかもしれません。
私も自分なりの視点と経験で、「モチベーションの自己管理(セルフモチベーションマネジメント)」に関わっていくことができればと思っています。


2012年11月24日土曜日

本当の意味での「情報共有」


会社の中で働いていれば、会社に対する不満の一つや二つは誰にでもあるものです。「一つや二つなんてとんでもない! あまりにいっぱいあり過ぎて、こんな会社じゃやる気なんか出る訳がない!」なんて人もいるかもしれません。

会社不満が起こる大きな原因の一つに、情報共有の問題があります。これには「知らなかった」「知らされていなかった」という直接的なものと、途中経過や関連する事情抜きで結果だけが知らされるために、「なぜそういう結論なのか」「なぜそういうやり方なのか」が納得できない、という間接的なものがあります。どちらも間違いなく当事者のモチベーションは下がり、お互いの信頼関係にもマイナスになるでしょう。

ではどうするのか、となった時、基本的な解決策「情報をオープンにして共有する」ということになりますが、これは意外に難しいものです。
まず「オープンにする」というのは情報を見せる事なので、その気にさえなれば基本的にはすぐできる事です。(「そんなこと言ってもオープンにできないこともあるんだよ」という人もいますが、社員にすらオープンにできないことが多い会社は、あまり良い会社とは言えないと私は思います。)

一方「共有する」という事には、伝え方の問題があります。それによって理解の仕方が左右されるからです。定量的に測れる事実だけなら、単に伝達すれば良いことですが、内容によっては相手の知識、経験、立場、価値観などによって、受けとめ方が違ってきます。「共有する」ためには、社員が適切に理解、納得できるように伝えなければなりません。

本来は部長課長といった管理者やリーダーが、適切な解釈を含めて部下やメンバーが理解できるように説明すればよいのですが、もらった資料を配るだけ、聞いてきたそのままを伝達するだけ、なんてことも多いのが実際ではないでしょうか。

会社に対して持っている不満の中には、全体像を知らないことによる単なる誤解ということが意外にたくさんあります。会社は情報開示しているつもりなのに、情報の見せ方が適切でないために社員は理解できておらず、誤解を生んでいることもあります。“オープンにしている”のに“共有できていない”ということで、大変もったいないことです。

情報共有というと、ともすれば仕組みの話ばかりになりがちですが、これは情報を「オープンにする」方法だけの話です。「共有する」ということを考えた時、実は伝え方が最も重要だという事を肝に銘じておく必要があると思います。


2012年11月23日金曜日

他人を気遣えるスパイラル


とても勢いがある伸び盛りの会社と、業績不振で何かと厳しい状況の会社に、それぞれおうかがいする機会がありました。

伸び盛りの会社(以降A社とします)は初めての訪問で、ちょうど昼休みの終わり頃にうかがったのですが、受付スペース(結構広くて立派でした)で待っていると、通りがかる社員の方々が、みんな大きな声と笑顔で「こんにちは!」と挨拶してくれるのです。初めはお迎えの人が来たのかと勘違いするほどでした。

お会いしてお話した方々も、自分たちのビジネスの話を「こんな企画を考えている」「こんな計画がある」などと次々話して頂き、実に明るく前向きでした。私の仕事につながった訳ではなかったのですが、何となくすがすがしい良い気分になりました。

一方業績が厳しい会社(以降B社とします)ですが、お会いした方は何となく疲れている感じ・・・。ずいぶんお忙しいようです。とにかく目の前のことをこなすのが大変なようで、他の社員も自分のことで精一杯の様子です。先のことを聞いても、見通せないので何とも言えないとのこと。「自分もいつどうなるかわからないし・・・」と前向きとは程遠い感じでした。

この両社のお話の中で、私が感じた一番大きな違いは、“他人を気遣う余裕の有無”でした。
A社の挨拶などは一番わかりやすいのですが、挨拶それ自体の意味がそもそも相手の存在を確認しあう行為なので、しっかり挨拶ができる会社は他人への関心が高いといえます。
こういう会社は訪問者やお客様だけでなく、社員同士も積極的に挨拶します。もちろん日々の教育や指導もありますが、どんなに教えてもできない所はできません。最終的にはそれぞれの人が、他人に関心を持っているかどうかにかかってくるからです。

B社の方も、決して挨拶しない訳でも、礼儀がダメな訳でもありませんが、先のことが見えづらくなると人間は不安になり、まず自分を守ろうとし、その結果として他人を気遣う余裕がなくなってしまいます。
そうなると、たぶん社員同士での接し方がキツかったり、相手を責めたり、要求が一方的だったり、ということが日常的に起こっているのではないかと思います。会社はやっぱりチームなので、お互いがチームメイトのことを考えなくなったら、組織力は大きく下がってしまいます。

この状況を考えてみると、こんなスパイラルでつながっているのではないでしょうか。

○A社(良いスパイラル)
業績が良い(上がる)→ 余裕がある
  ↑              ↓
組織力が上がる ← 他人を気遣える

○B社(悪いスパイラル)
業績が悪い(下がる)→ 余裕がない
  ↑              ↓
組織力が下がる ← 他人を気遣えない

あるカウンセラーの方からうかがったことがあるのですが、「他人の相談に乗るには、自分の心に余裕がなければできない」とおっしゃっていました。
無理に多くの相談を受けようとして時間に追われたりすると、良いカウンセリングはできないので、ある程度余裕が持てるように、仕事量や時間の使い方を考えているとのことでした。

とはいっても、会社であれば自分の都合で勝手に余裕を持てる訳もなく、現実的にはなかなか難しい事です。でもスパイラルでつながっていると考えてみると、「卵が先か、鶏が先か」と同じで、どこから始めるかという話になります。

業績が上がれば、解決してしまうことかもしれません。でもそこが簡単にいかないならば、せめて出来るところから、例えば他人を気遣うことから始めると、業績アップにもつながっていくのではないかという気がします。


2012年11月22日木曜日

「感動サービス」を受ける側の態度


大した目的がなく書店をうろうろしていた時のことですが、ある書棚で、「感動サービス」「ホスピタリティ」という題名がついた本が、ずいぶんたくさんあることに気付きました。

本の内容は、こんな企業やこんな場で、こんな予想を上回る感動的なサービスが行われている、こんなすばらしいサービスを受けたというエピソード集がほとんどでしたが、ちょっと見た中でも、こんなことをされたり言われたりしたら、ホントに泣くかもしれないなと思うような、とてもすばらしいお話ばかりでした。

最近は本に取り上げられているほどではなくても、様々なお店や施設でのサービスのレベルは、すごく高くなっていると思います。厳しい環境の中で、サービスの質を競い合っている結果なのだと思いますし、日本人の特性でもあるのだと思います。

ただ、サービスの質が高まっているが故かもしれませんが、それが当たり前のように振る舞う、サービスを受ける側の態度が気になる時があります。

先日あるカフェで、隣に座った若い男女の会話が何となく聞こえてきてしまったのですが、その中身は、時間に遅れたり手続きを間違ったりして自分たちに非があったが、それを何とか相手に認めさせようと、あれこれ無理強いをしたという話でした。
苦情を言い続けて粘ったとか、逆ギレしたとか、上の奴を呼べと言ったとか、この程度なら文句を言えば通るとか、まあクレーマーと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、こういうことを当たり前のように話しているのを聞いて、ちょっと不愉快になりました。

またこれは3月11日の震災の日のことですが、私はあるJRの駅にいて、そこで駅員さんに食ってかかっている学生風の男性を見かけました。電車を早く動かせとか、タクシー代をよこせとか、客に迷惑かけてるんだからそれくらい当たり前だ、とか言っていました。言葉は悪いですが、「お前はバカか・・・」と思ってしまいました。(さすがに周囲の冷たい視線を感じたようで、すぐにどこかへ行ってしまいましたが・・・)

最近、自分の都合を一方的に主張する傾向が増えているような気がします。取りあえず主張しておけば、少しは自分の身になると考えている節もあります。

これは会社などの組織内においても同様で、全体最適を考えず、自部署や個人の利益ばかり主張する管理者や社員がいたりします。あたかもそうすることが当然とばかりに、いろいろな手段を使って自分たちの思い通りに近づけようとします。
もちろん相手を言い負かすことが必要な場面はあるでしょうが、特に同じ組織内では、お互いを尊重しながら、全体最適を見出すことの方が重要なはずなのに・・・です。

感動サービスの話を見ながら私が感じたのは、感動のサービスを受けるには、受ける側にも資格があるという思いです。私は一方的に自分の要求だけを通そうとする態度は嫌いです。もちろん難しいことが多いのも承知していますが、サービスを提供する側にも相手を選ぶ権利があると思います。

サービスのレベルが高まるほど、お客のわがままも増えるというのは、何か皮肉な感じがします。
組織内でのわがままも、それだけ主張できる環境ができてきた証明かもしれませんから、組織の活力としては、良い事なのかもしれません。

それでも私は、やはりどんな場面でも、お互いを尊重する姿勢が大切だと思います。日本人は自己主張が苦手と言われ、自己主張することが良い事のように言われていますが、やはり適切な主張の仕方があると思います、

最近の風潮、皆さんはどう思われるでしょうか。


2012年11月21日水曜日

役に立つ仕事って・・・


震災の直後だったと思いますが、あるラジオ番組でパーソナリティの方が、「今まで自分たちが重要な仕事だ、大事な打ち合わせだと言って、それなりの使命感を持ってやってきたことは、こんな時に困っている人の役に立たないし、人の命に関係ある訳でないし、実は自分たちが勝手に思い上がっていただけで、大したことをしている訳では無いのだと思った」と話されているのをたまたま聞きました。

そう言われると、私の人事コンサルタントという仕事も、人の命に関係がある訳でもなし、衣食住に貢献しているわけでもなし、困っている人を直接助けられるわけでもなく、無ければ無いで済んでしまう仕事ではないかと思いました。

今回のような災害の中で、自分が人様の役に立つには何をすべきかをよく考えるようになりましたが、考えれば考えるほど、自分にできるのは大したことではないし、自分がやっている程度の仕事は、あってもなくても大差が無いなぁなどと思ってしまいます。

もしかすると、プロスポーツ選手や芸能人、レジャー産業の人やその他さまざまなサービス業の人など、その当時はみんな私と同じような感覚だったのかもしれません。

「スポーツなんて、困っている人からすれば遊びの延長だろうから、こんな時にやっていてよいのだろうか」「こんな時に楽しんで笑っている場合だろうか」「遊びを勧めるなんて不謹慎ではないか」といったように、直接役に立っていない、貢献していないという思いで、自分の仕事そのものの価値や自分自身の存在意義まで疑う気持ちになっていたのかもしれないと思います。

少し時間が経った今考えると、直接は助けになっていないかもしれないけど、その人ができる得意分野の事を一生懸命やることが、間接的であっても、誰かに何らかの助けになるような気がしています。そしてそれを継続することが何よりも重要だと感じています。

結局私にできる事は、ご依頼いただいた企業の業績が少しでも伸び、働く上での環境が良くなるように、制度づくりや研修、その他コンサルティングなど、人事という側面を通じてお手伝いすることしかありません。
お客様から与えて頂いたテーマを精一杯こなしていくことが、間接的であっても何かの貢献につながると信じて、自分のできる事に取り組んでいこうと思っています。


2012年11月20日火曜日

嫌われる人事部門


以前、大手銀行出身の方と一緒に仕事をしていたことがあります。その方は「人事部門の人とはあまり付き合いたくない」とおっしゃっていました。なぜかをうかがうと、「ろくに面識が無い人が自分の評価や個人の事情を知っていることが嫌だ」とおっしゃっていました。

私は歴史ある大企業での人事経験はありませんが、その方にうかがったところでは、「人事は会社の中でも特別な位置づけで、社内でも人事は人事同士でしか付き合いが無い」などとおっしゃっていました。

人事部門の大きな役割として、会社の人的リソースが最大の力を発揮できるような環境を整えていくかということがあるので、そんなに嫌われる存在では大事な役割をこなすことが出来ないはずです。

私の経験としては、好かれる存在ではなかったかもしれませんが、そこまで煙たがられる存在だった経験も無く、社内のいろいろな人と幅広く付き合い、相談も受け、一緒に遊んだりしていました。私が現場経験を持っているということもあったのかもしれません。

「嫌われる人事」の話を聞いて、なぜそんなことになるのかを考えていたのですが、私の中での結論は、会社が人事の位置づけをどう考えているのかに尽きると思っています。

本来人事部門というのは、人という切り口で経営と社員を繋ぐ立場であることが理想だと思いますが、経営と近いところで動くことも多く、社員にとってマイナスに働くことでも手掛けなければならないことがあります。
内部的な情報に触れ、個々の社員の身の上に関わるようなことを決めなければならないこともあります。

会社が経営的な都合だけで人事部門を利用しようとすれば、社員から遠い存在になってしまうのは当然でしょうし、経営環境が厳しい昨今ではそのような傾向が強まっているように思います。また企業規模が大きくなり、組織化が進むほどに現場と人事部門の距離は遠くなり、同じような傾向が強くなっていくようにも思います。

どんな部門に属していても、多かれ少なかれあるのかもしれませんが、特に人事部門においては、そこに属していながら自分の信条に合った動きを取り続けるのは難しいことなのかもしれません。
それでも本来の役割を考えれば、経営からの要求に対して強く物申すことも、時には必要だと思います。

私自身が組織に属している時に、そのような行動ができていたかといえば全く不足だったと思いますが、「現場の人たちが持つ気持ちから遠ざかることは絶対にしない」ということだけは常に信条として持っていました。

人事部門が人を扱う仕事である限り、単純に嫌われる存在であってはならないということだけは強く思っています。


2012年11月18日日曜日

組織と個人


先日、サッカーワールドカップの最終予選があり、日本代表が勝っていよいよ本大会出場に王手となりました。

サッカーはやるのも見るのも好きなので、興味を持っていろんな試合を見ています。観戦する時は、どのチームを応援するというより、どちらかという冷静に試合内容を分析的に見てしまう方なので、それに関するいろいろな分析記事も読みます。

よく目にするのは「組織か、個人か」というような内容で、日本代表は組織力に優れているという言い方をされることが多いと思います。

私は人間がチームで何かを成し遂げようとするとき、組織と個人は二者択一の関係ではなく、バランスの違いはあっても両方とも必要なものだと思います。これは会社でもいろんなプロジェクトチームなどでも同じことだと思います。

ではどんなバランスが望ましいのかというと、これを一概に言うのはなかなか難しいです。一般論で言えば、大企業の方が組織的に整備されていて組織力があり、中小企業の方が個人の力に委ねられている部分が多いと言われます。

このマイナス面で言えば、大企業に属する人の方が、ともすれば組織の力(会社の看板など)を自分の力と勘違いしてしまいがちで、個人能力の不足を自覚しづらいということ、中小企業では一人欠けると仕事がまったく回らなくなるなど、組織として他の人をカバーしあうことが後回しにされがちであることがあります。

本当にそうであるならば、大企業では様々な研修や日々の指導などを通じて個人能力を高めるような取り組み、中小企業では会社の組織作りや仕組み作りが最優先ということになりますが、これも業務内容、チームメンバーの資質や性格、会社の理念や風土、経営状況など様々な要素によって左右されます。
エンジニア、デザイナー、ほかクリエーティブワークであれば個人能力の向上が重要ですし、定型的な仕事であれば徹底的に効率化した組織が必要でしょう。

結局は、チームの目標に応じ、メンバー構成や個々の能力など手元にあるリソースや周辺環境などを的確に把握し、自分たちにチーム(会社)に合ったバランスと取り組み方を見つけていくということだと思います。

サッカー日本代表も、かつては組織ばかりで個人能力が不足していると言われましたが、最近は個人能力の向上も目覚ましく、徐々に良いバランスに向かっていると思います。さらにベストなバランスに向かうことが、良い結果につながっていけばと思います。


2012年11月17日土曜日

それでもまだある内定取り消し


数年前に、新卒学生の採用内定取り消しが問題になりました。
最近はその当時より少なくなったようですが、それでもまだあるようです。「まだまだ同じことを繰り返している会社がある」という印象です。

確かに企業側にしてみれば、急激な情勢悪化があったり、やむを得ない事情はあるのでしょうが、新卒学生の内定取り消しというのは、本当にどうしようもなくなった時の最終手段ではないかと思います。

これから社会人としてのスタートを切ろうとしている学生にとって、内定取り消しのダメージは、職務経験がある既卒者や中途採用者の比ではありません。

新卒採用は活動時期が決まっているので、内定取り消しといわれてしまうと、その後対応するための選択肢が大きく狭まってしまいます。これは通年採用されている経験者の場合とは大きく異なります。

また新卒には職務経験が無いですから、社会的には子供と一緒で、育てることが基本です。内定取り消しは「自分達が一人前に育ててやる」と言っておきながら、「やっぱり無理」と放り出していることになります。親子関係なら「育児放棄」と同じです。

ちょっと言葉が過ぎたかもしれませんが、学生を採用するということは、それだけの責任を持つ覚悟がなければならないのではないでしょうか。
もちろん倒産してしまってはダメですが、内定取り消しをしてしまうような会社に、そこまでの気概があったのかということを、はなはだ疑問に感じます。

「人を採用する」ということは「その人の人生を左右している」ということ、「大きな責任がある」ということを、改めて考えて頂きたいと思います。


2012年11月16日金曜日

人事制度にどこまで書くか?


新たに人事制度を導入して、しばらくすると様々な運用上の問題が出てくるのは当然のことですし、これを見直しながらより良いものに作り上げていくのは当たり前に必要なことです。

しかし、その問題提起の中で、「もっと具体的に」、「もっと詳細に」、「もっとわかりやすい記述に」といった指摘ばかりが出て来るケースがあります。
私の経験上では、初めて人事制度を導入したような企業、成熟していない若い組織、マネジメント経験が少ない人が多い組織、技術系など何でも論理で考える傾向が強い組織にこのような指摘の出る事が多いように感じます。

話を聞いていくと、評価のバラつきを抑えるため、相手の納得感を高めるためなど理由はいろいろ出てきますが、要はあまり考えたり説明したりしなくて済むように、マニュアル化してくれということのように感じます。

人事制度の中の評価基準、職務要件といったものを具体化、詳細化、定量化するといった流れは十数年前にありましたが、その後はあまり定着しませんでした。

結局は会社全体の仕事内容をマニュアル化することになり、業務変化のサイクルが速い今の環境では、それを作り上げるために膨大な労力、時間、コストがかかり、目的に見合わないことがはっきりしたからです。

制度でどこまで決めて、どこから現場に委ねるかというさじ加減は、そこで働く社員の意識、経験レベル、その他環境で異なるので、どんな形が良いとは一概には言えません。ただ、何でもかんでも規則、基準、決まりを作るということは、一方では個々の社員が判断する部分を狭めるということです。

「制度として細かいことを決めて欲しい」という意見が出るということは、裏を返せば「自分が判断しなくて済むようにしてくれ」と言っているのかもしれず、制度の問題として指摘されている事柄でも、実は運用方法マネジメントスキルといった、制度とは離れた所に問題の本質があるケースが多々あることを考えておかなければなりません。

例えば法律の条文には、何でも詳細に書かれているわけではなく、一つ一つの事例ごとに判例を積み重ねていくことで基準を作り上げていっています。

フィギュアスケートや体操等の採点競技では、決められる所はかなり詳細な基準を決めていますが、それでも個々の審判に委ねられる部分はあり、前後のミーティングや各種講習などで常に目線合わせを行っています。

これを人事制度に置き換えると、例えばお互いの評価結果を持ち寄って検証しあう評価検討会議など、運用の中で発生した事例を意識共有する場を作っていくことで、判断事例が積み重なり、徐々に判断基準は醸成されていくはずです。

何でも基準が明示されているのは一見良いように感じるかもしれませんが、その事で判断する機会や経験を奪われ、自分で判断を下す習慣が付いていない訳ですから、そんな社員にいざマネジメントなどと言っても出来る訳が無いと思います。

安易に制度を直すことばかりではなく、本質的な問題が何かをきちんと捉えることが重要と思います。


2012年11月15日木曜日

日本人のDNA


以前見たあるテレビ番組で、日本人のDNAについての話をやっていました。

全人類の祖先のDNAから、その人の系統をたどるような内容だったのですが、出演されていた講師の先生が、番組の最後の締めのお話で、

「日本人の持っているDNAを見ると、他の地域では無くなってしまった古いタイプがずいぶん入っており、これは様々な所から日本に人が入ってきた時に、一方を滅ぼしたりするような争いが少なかったと考えられ、昔から日本では、色んな所から来た人たちが仲良く暮らしていたからだろうということをDNAが教えてくれる」

とおっしゃっていました。

この話への感じ方は人それぞれと思いますが、私はそれを聞いた時、「なるほど、そんな所あるよな」という感覚と、日本人の持っている資質の良さを改めて見直せたような気がしました。

もちろん「自己主張が下手」とか、「言うべきことを言わない」とか、日本人の弱点として批判されることはあるでしょうが、これを反対から見れば、「まず他人を尊重する」「相手の気持ちに気を配り、察することができる」などとも言えます。

日本人が、多くの価値観を持つ人たちと、穏便にうまくやっていくことができるということが、太古の時代から遺伝子レベルで育まれている特徴であると考えると、これは簡単に変えられる話ではなく、この特性の良さをいかに活かしていくかが大事なのだと思います。

私が人事に携わる者として持っている価値観でもあるのですが、企業というチームの中では「競争」も必要だけど、それよりも「共存」、「共生」がもっと大事だと思っています。やはり企業人事という中でも、そんな取り組みがしていければと思っています。

「“競”から“共”へ」なんてキーワードはいかがでしょうか…。


2012年11月14日水曜日

若手社員のやる気


「若手社員に何か良い刺激を与えられないか」というお題を、ある会社から頂いています。要は“彼らをやる気にさせて!”ということでしょう。

直近新卒3年目くらいまでの若手社員を評する言葉で、いろいろな所からお聞きする話としては、
「指示されるまで動かない」
「失敗を恐れて確実性が少ないと思う事には手を出さない」
「良くも悪くもマイペース」
「素直で言われた通りにやるが、それ以上はやらない」
「無理です、できませんと平気で言う」
「内輪では元気が良いが、輪を外れると別人のようにおとなしい」
「悪気がない世間知らず」
「礼儀に疎い」
  などなど。

若手社員のみんながみんなそうではないでしょうが、若手社員と関わっている先輩、上司の方々には、一つや二つは「そうだよなぁ」と思い当たることがあるのではないかと思います。

私が最近学生さんも含めた若い人を見ていてよく思うのは、「目標や目的を持っている人といない人の落差が大きい」ということです。

私自身が10代、20代の頃、目標を持っているなどと人様に言えるレベルでは到底ありませんでしたが、それでも「車が買いたい」、「美味しいものが食べたい」、「アイツよりうまくなりたい」、「試合に勝ちたい」などという気持ちは常にあり、だからバイトもするし、そのために必要な勉強も練習もするし、といった所がありました。
「目標」というより「欲求」と言った方が正しいかもしれませんが、それでもゴールに向けて、自分の意志でやりたいと思って取り組んでいたのは確かです。

これが今どきの10代、20代ではどうかというと、「その年で良くそこまで…」と心から感心してしまうくらい、少なくとも私の周りにはいなかったような、目的意識も意欲も向上心も持っている人に出会うことがあります。

しかしその一方で、スポーツをしても「そんなにうまくならなくてもいい」、「別に勝てなくてもいい」という子がいたり、とりあえず将来のためといって、ただ何となく貯金するためだけにバイトをしていたり、別に欲しい物も無いしやりたいことも無い、好きな異性もいないしそんな人は欲しくもないという、目標どころか本能と考えても良いような個人的な欲求すら持っていない人に出会う事があります。

前者の人たちはそのまま何もしなくても伸びていくのでしょうが、後者のような人たち、不景気で先が見えず夢が描きづらいという社会的背景はあるにしろ、「車もブランド品も高級品もムダだから欲しくない」「食べるものは安ければ何でもよい」「面倒だから異性とは付き合わなくても良い」、などという人たちと、どのように向き合っていくかはとても難しい問題です。

人のモチベーションを高める手法はいろいろありますが、そもそもの欲求を持たないということは、モチベーションを感じる糸口すらないということですから、小手先の手法でどうこうできるレベルではないのかもしれません。

「答えはその人の中にある」とはよく言いますが、人が変われるかどうかは結局自分次第です。
前述のように、本当に全く意欲が感じられなかった人でも、「ある事」をきっかけに大きく変わり、成長していった姿は今までたくさん見てきました。

「ある事」というのは、多くは結婚や出産、肉親や親友の死、大切な人との別れなど、自分の人生観に関わるような、人生の節目の出来事だったりするので、意図的にコントロールできることではありません。
ただそんな経験をしたがゆえに、昔言われた事がよみがえったり、その頃にはわからなかった意味が理解できたり、という事はあると思います。

「若手社員への良い刺激」には、そんな人生の節目に備えるというような、長い目も必要な気がしています。(いずれにしても、人材育成には時間がかかるという事ですね。)


2012年11月13日火曜日

いくつになっても…


昔の上司、先輩、後輩などと飲む機会がありました。上司先輩は、私より一回りかそれ以上年上の方です。

もちろんその当時の昔話になるのですが、ついこの間のように話している事が、ふと考えると実は10年も15年も前の話だったりします。私が生意気だったとか、チャラかったとか言われる訳です。(今となってはそれほどでもないと思うのですが…)

でも私から後輩たちを見ても、新入社員の当時を鮮明に覚えている連中が、もう30代半ばから40代です。「お前アホか」とどついた奴が、もう部長になっていたりします。

話変わって、うちの母はもう80歳になり、六人兄弟の長女です。一番年下の叔父さんももう65歳になろうかという感じですが、母はその叔父さんのことを「○○ちゃんは一人じゃ何にもできない」などといいます。そんなことある訳はないのですが、干支で一回り以上違う弟だと、いつまで経っても昔の子供の頃の感覚のままのようです。

何が言いたいかというと、本人は大きく成長していても、見る側が昔の感覚(固定観念)でいるため、客観的に正しく評価できていないことが結構あるのではないか、ということです。「昔から知っている人」であるほど、そんな傾向がある気がします。

もし自分の会社に「あいつはいつまで経ってもダメだ」などと思われている人がいたとすれば、今一度自分の感覚をリセットした上で、きちんと見直してあげてはいかがでしょうか。ダメだと決めつけていただけ、レッテル貼りをしていたなんて事に気づく場合があるかもしれません。

決めつけてそれを言い続けていたために、本人も周りもそう思い込んでいくうちに本当にそうなってしまっていた、などということもあるかもしれません。

「挽回できない環境はつらいだろうなぁ」と、最近の出来事でふとそんな事を思った次第です。


2012年11月11日日曜日

内定者との関係作り


数年前に、お世話になっている会社の社員旅行にご招待頂いたときのことです。

実はその旅行には、新卒の内定者の方々も招待(一応希望する人ということで)しており、10月1日に内定式を終えて、そのまま社員のみんなと一緒に行くという形でした。

かつてバブルの頃であれば「拘束日」などと称して内定者を宴会や旅行で豪遊させていた時期もありましたが、最近はセレモニーだけでパーティーや宴会すらやらない所も珍しくないと思います。たぶん旅行に連れて行くなんていう会社はほぼ無いでしょう。

内定者の人たちに聞いてみたところ、やはり周囲にそんな友人は一人もおらず、中には「バブリーな会社だね」なんてことを言われた人もいるようでした。

でもこちらの会社は決してバブリーに儲けているわけでも爆発的に儲かる事業でもなく、地味な仕事を真面目にコツコツ積み上げて、少しずつ一生懸命に収益を上げている会社で、内定者を旅行に招待したのも、できるだけ早く会社のことや社員のことを知ってもらい、できるだけ早く馴染んでほしいという純粋な気持ちからということでした。

幸い内定者の方々も変な先入観なく参加してくれて、それなりにいろいろな人とコミュニケーションを取りながら楽しんでいたようで、バブル期の不純な動機の「内定者旅行」を知る私としては、少しでも会社の純粋な思いが伝わったような気がして、本当に良かったなと感じました。

多くの会社で内定者向けの研修、行事などが企画されていることと思います。ただ最近の傾向として、「早期の戦力化優先」「予算削減」など、会社の都合優先で、内定者の不安な気持ちの解消とか、前向きな気持ちの手助けとか、そんな内定者の気持ちが少し置き去りにされている傾向があると思います。

内定者は基本的には会社に言いなりにならざるを得ませんから、「やれ!」と言われればやるしかないし、「やらない」と言われれば、待っているか自分でどうにかするしかありません。無理して会社の都合に合わせているところも多分にあるでしょう。ただこれも、今の景気動向を考えればやむを得ないことなのかもしれません。

旅行という手段が適切なのかはわかりませんが、内定者の気持ちに寄り添ってやる部分も、もう少しは必要のような気がします。(多くの人たちが、もうすでに思っていることなのかもしれませんが・・・)


2012年11月10日土曜日

自主性と強制


「自ら考え、行動する」「自分で判断する」「能動的にアクションする」など、望ましい社員像として自主性を重んじるという会社は多いと思います。

ただ、「自分で判断して行動する人」「組織的な動きが取れない人」と見る価値基準もありますし、総論で「自主性があることが望ましい」とは言っても、その程度は会社によって違いがあります。基本的にはその会社の尺度に応じて、自分で判断する、指示を仰ぐ、判断を委ねる、といったことを使い分けながら仕事をしていく事になるのでしょう。

中小企業の場合は、組織分掌や職務権限が確立できていないことも多いですから、自分の担当だけにこだわらずいろんな事に手を出して欲しい、関わって欲しい、仕事も課題も自分で見つけ出して取り組んで欲しいなど、より強く自主性を求められるように思います。
また自主的な取り組みを促進するという目的で、社員主導型の様々な仕組み、例えば社内の委員会活動、社員が幹事を務める各種社内行事などを行っている会社も多いと思います。

とても大切な取り組みではありますが、これを何年か続けているうちに、自主性を育む活動であったはずが、いつの間にか活動を強制する形になってしまっているケースを時々見受けます。作業指示が上から降りてくる委員会活動、社員旅行や飲み会の強制参加、などというものです。そんなルールは公式にはどこにもないのに、何となく不文律になっているような場合もあります。

こうなってしまうと自主性どころか、余計な事には参加したくない、関わりたくないという逆の心理が働き、全くの逆効果になってしまいます。
「自分で何でもできる環境なのに、うちの社員は自分から動かない」などという経営者の愚痴を聞くことがありますが、もしかするとこんな状況に陥っているせいかもしれません。

もしもこのような傾向が見られたならば、一度本来の目的に立ち返る、つまり自主性を育むためにはどんな活動が望ましいのかを見直すということが必要と思います。そもそもの趣旨を再周知するだけで良いかもしれませんし、おかしな不文律があればそれを取り払う必要があるかもしれません。

活動自体は会社の意向に沿って「やらせる」ことなので、ある意味では強制ですが、本人が強制と感じるかどうかはそれとは別問題で、指示の仕方、説明の仕方、納得のさせ方にかかってきます。社員主導の活動という名目ゆえに、この辺りがおろそかになっていることが多いのではないでしょうか。

せっかくの社員の自主性を育む取り組みですから、一度原点に立ち返ることで、是非効果を上げる活動にして頂きたいと思います。


2012年11月9日金曜日

「時間の大切さ」を自覚するために・・・


「遅刻はいけない」など、時間が大切ということは、ビジネスの上では常識ですが、新入社員などに理解してもらうために、あえてお金に換算して、「損失額」として話したことがあります。

例えば、たった一人がたった5分だけの遅刻をしたとしても、その遅刻のために10人集まる会議が始められなかったとしたら、5分×10人で50分相当のロスになります。

これを単純に時給として金額換算すれば、一般社員で千数百円程度、もっと偉い人ならば数千円程度のロスになり、これが毎日、社内のいろいろな所で発生しているとしたら、「塵も積もれば・・・」大変な損失額になってきます。

あるところで聴いたお話で、数億円規模の入札物件に半年以上かけて準備してきたのに、提出期限当日に電車遅延に合い、提出期限に5分遅れてしまったために、すべての話がダメになったという話があります。

電車遅延など社員の責任ではありませんし、普通はその理由でその程度の時間遅れても、責任を問われることは無いでしょうが、それほど時間、期限にシビアな仕事もあるということです。

最近の傾向で、時間や場所をきちんと決めない待ち合わせが増えているように思います。たぶん携帯電話が普及して、お互いいつでも連絡し合える環境だからだと思うのですが、その反面で時間や期限というものにルーズになってきている傾向があるように思います。

「ほんの○分くらい・・・」と思うことは日常たくさんありますが、たまにはそれを見直すことは必要でしょう。
よく「時間は買えない」と言いますが、あえて自分の無駄にしている時間をお金に換算してみると、自分の行動実態を実感するためには面白いかもしれません。


2012年11月8日木曜日

叱る新人研修


もう何年か前になりますが、あえて厳しく叱って指導するという新入社員研修が、テレビや新聞記事で紹介されていました。

最近の新入社員は、ゆとり教育世代で叱られることに慣れておらず、「積極性に乏しい」「おとなしい」「打たれ弱い」と言われることが多いため、実践さながらに厳しく叱って指導することで、配属後に感じる現実の厳しさを知り、精神的圧迫への耐性をつけるのが目的とのことでした。(もちろん具体的事実に基づいて叱るなど、叱り方のテクニックには十分配慮されているとのことです。)

私も最近の新入社員を見ていて、「叱られると過剰に反応する」「軽いニュアンスの物言いを深刻に受け止めすぎている」など、要はキツイ言い方に慣れていないと感じる事が往々にしてありますし、こういう研修をやりたくなる気持ちもわからなくはありません。

ただ、叱られ慣れていない理由として、「ゆとり教育世代だから」といっている点は、あまり理解も共感もできません。

なぜゆとり教育だとそうなるのでしょうか? 
「褒めて育てるが行き過ぎた?」「教師の質?」「親や家庭の教育のせい?」「少子化の影響?(大人たちの構い過ぎで自律を阻害する)」「個人主義的な風潮?(社会経験を積む機会が少ない)」・・・。

たぶん理由は一つでなく、ここに挙げたすべてのこと、それ以外のこと、その他様々な要素が絡まっているでしょう。なぜこういう人が増えてきたのかはよく考える必要があると思います。

認識しなければいけないのは、「昔なら当たり前ですんでいたことでも、教えて訓練しなければならない」ということです。これは当事者である新入社員たちの責任ばかりではありません。ただ単純に、経験した事が無いから知らないし、できないし、耐性も無いのです。

当たり前と言われるようなことは、会社は「学校で教えるべきこと」と考え、学校は「家庭で教えるべきこと」と考えるようですが、結局は社会の一員である自分たちが、次の世代に経験させたり教えたり出来なかったことが、社会全体の問題として返ってきているのです。
しわ寄せの先が企業まで達してしまったということですから、社会的責任として取り組んでいくしかないのだと思います。

これからの社員教育では「こんなことも知らないのか」、「そんなの常識だろ」などと言わず、社会性の基礎になる部分についても、教えていく覚悟が必要なのだと思います。

社会的責任ということでいえば、私も子を持つ親ですが、親の責任としてきちんとしなくては、でも出来ているだろうかなどと考えてしまいました。
教育と言うのは本当に難しいテーマです。


2012年11月7日水曜日

嫌われてしまう人の共通点


うちの二人の子供たち、「アイツ嫌いなんだよね・・・」「○○(人の名前)うざっ!」なんてことを年中言っています。
幸い相手を無視したり、いじめたりという事ではなく、嫌いとか言いながらもその相手と遊びに行ったり、ほどほどにうまく付き合っているようなので、その点は安心しています。

親からは「嫌いとか言ってると自己暗示でどんどん嫌いになるから、あまり口に出して言わない方がいいよ」と言っているので、そんな所を多少は理解しているのかもしれません。

理由はいろいろあるみたいですが、「わがまま」、「自分勝手」、「自分の思い通りにならないと泣く(またはキレる)」、「気に入らないと急に無視する」など、どうも自分の要求を一方的に通そうとする、思い通りにならないと相手を攻撃する、などという事が多いようです。(要はわがままという事ですかね・・・。)

このあたりは、大人の世界でも会社の中でも、全く同じだなと思います。一方的に部下に負担を強いる上司、無理難題ばかり要求する取引先、自部門の要求ばかり通そうとする部門管理者、自分の利益しか考えない経営者、などなど。結局、Win-Winの関係を作れない、作ろうとしない相手が嫌われるという事かなと思います。
ただ、そう理解はしていても、気づかないうちに自分の都合を強く要求していたり、自分はWin-Winと思っていても相手にとってはそうでなかったり、ということは多々あるように思います。自分自身も常に反省です。

相手の顔色をうかがってばかりでは、ビジネスは成り立ちませんが、特に私のような仕事では、クライアントとの信頼関係が命です。「好かれないまでも、嫌いと言われる人にだけはなるまい」ということだけは、いつも心に留めているつもりです。


2012年11月6日火曜日

では誰が新卒を育てるの・・・?


ここ数年、新卒の就職内定率が低い傾向が続いています。

その一因として、「企業が即戦力を求めて中途採用にシフトしている」という話がありました。
要は変化のスピードが速く、育成している間に市場環境は変わってしまうので、すぐに仕事を任せられる人でないと、企業として変化についていけないという事です。

理屈はもっともですが、即戦力といわれる人も当然新人の未経験者時代がある訳で、誰が戦力となるように育てたかと言えば、新卒もしくは第二新卒で採用した企業という事がほとんどでしょう。

中には学生時代に勉強して、即戦力となるようなスキルを身に付けている人はいるでしょうが、今の日本の教育環境の中ではごく一部の人でしょう。「勉強していないお前が悪い」と学生だけを責めることはできないと思います。

世の中全体が中途採用シフトをしていくと、人材が流動化して働く場を得るチャンスが増えるという面もありますが、一方で仕事を通じて育成される場は失われていく傾向になると思います。当然新卒者、職務経験の少ない人にそのしわ寄せが向かうでしょう。

今まで新卒を多く採用してきた、相対的に競争力がある大手企業までが中途採用に傾くと、その傾向はなおさら顕著になると思います。
「人材育成は学校の役目だ」という話もありますが、やはり実務を通じての育成(要はOJT)は不可欠ですから、学校だけで全てを帰結するのは無理でしょう。

こんな状況を私は、プロスポーツの世界でビッグクラブ、ビッグチームが財力で有名選手を買い集めるという状況に似ているように感じてしまいました。ただスポーツの世界だと、弱小クラブが選手を発掘、育成して大きなクラブに売って移籍金を得るというモデルがありますが、一般の労働市場だとそうはいきません。(もしもこんな事ができれば、中小企業の新卒採用意欲は高まるかもしれませんね・・・)

今も業績を伸ばしている企業は、新卒入社と中途入社のバランスが良い会社が多いように感じます。プロスポーツの世界でも、生え抜きと移籍組のバランスが取れたチームが、良い成績を上げているのではないでしょうか。
ある時期に育成軽視で有名選手をかき集めて失敗し、あらためて育成とのバランスを取り直してチームを立て直したという話は、野球でもサッカーでも沢山ある話だと思います。

今は少子化で、新卒者の数は減っているのに、それでも就職が決まらない学生がこれほど多いのを見ると、どれだけ雇用環境がしぼんでしまっているのか、少し恐ろしい感じがします。

せめて一つ一つの会社で、もう一度育成と即戦力の適正なバランスを考え、一人でも多くの若者に働く場を与えて頂ければと切に願います。


2012年11月4日日曜日

悲観が多い「社会人と学生の違い」


ある会社で内定者研修のお手伝いをしています。
「入社に向けての心の準備」が主なテーマで、ちょっとした読み物などを補足資料にして、学生生活の振り返りや社会人になる事に向けた心の準備につながるような設問の答えをワークシートに書いてもらい、こちらからはその答えに対するコメントやフィードバックを、それぞれメールでやり取りする文通のような形です。

その中で「社会人と学生の違いはどんなところだと思いますか?」という質問に対して出てきた答えは、「今までより責任が大きくなる」「時間に厳しくなる」「嫌いな相手でも向き合わなければならない」「苦手な事から逃げ出せない」「感情に左右されてはいけない」など、これからは大変だ、きちんとしなければいけない、気合を入れなければいけない、というような、希望に満ちているというよりは、プレッシャーに感じる、ネガティブに捉えている、ということが多い印象でした。(もちろん中には「自分で決められることが多くなる」、「出来る事の幅か広がる」といったポジティブなものもありましたが)

自分が社会人になる頃を思い出しても、やっぱりあまり前向きな気持ちではなかった覚えがあります。でもその後、実際に社会人になって思ったのは、そんなにイヤな事ばかりではないということでした。

私のいた環境が恵まれていたり、ゆるかったせいなのかもしれませんが、週休2日で案外自由な時間はあるし、安月給とは言っても相応の経済的基盤はできるし、仕事上の面白いことも出てくるし、それなりに仲間もできるし、ポジティブに思えることも沢山ありました。

初めは仕事とプライベートの区別とかを気にしていましたが、実際には仕事のような遊びもあるし、遊びのような仕事もあるし、職場の友達と遊びにも行くし、友人とはいっても真面目に仕事の議論もするし、といった具合で厳密にそんな区別もできません。

社会人経験を積んだ今になって思うのは、自分の道は自分次第で良くも悪くもなるということです。
もちろん結果オーライもラッキーも、他人の助けも他人のおかげもありましたが、それらも含めて社会人には夢も希望もあるはずなのに、それがあまり語られていないような気がします。
思えば「社会人ってこんなにすばらしい!」と語る大人には、あまり出会ったことがありません。

これから社会に出ようという人たちが希望を持てないのは、私も含めて社会に出た先輩たちに原因があるように思います。
確かに社会は厳しいし、学生気分から切り替えてもらわなければならないし、今どきの若者気質では困ることがあるのも間違いありません。ただ、少し脅かしが過ぎているのかもしれません。社会人はみんな普通の人間ですから、それほどきちんとした人格者ばかりではありません。

今の学生は本当に厳しい就職活動を経験し、厳しい現実を実感してきています。社会人の先輩としては、厳しい現実ばかりではなく、明るい未来や楽しさも語ってやる必要があるのではないかと思います。


2012年11月3日土曜日

心で思うだけでなく表現を!(あるラーメン店で感心したこと)


先日、あるラーメンの有名店に行きました。

ラーメンの味はもちろん評判通りでとてもおいしかったのですが、感心したのはその接客でした。最近は接客が素晴らしいお店は多いですが、このお店では一つ一つの言葉や振る舞いから、とにかくお客さんに対する感謝の心が伝わってくるのです。

例えばハキハキした応対だったり、食べ終わった丼ぶりを上げた時にお礼を言われることはよくあると思いますが、そのあたりの事はもちろん、ラーメン店ですから飲み水なんてセルフサービスで当たり前と思うのですが、お客が自分でお水を注ぐと、いちいち「恐れ入ります、申し訳ありません」と声がかかります。

私はどんなお店でも、布巾が置いてあれば必ずテーブルやカウンターを拭いていきますが、いつも通りにしていると、「そんなご丁寧にして頂いてすみません」と言われました。周りのお客さんを見ていても、内容は違いますが同じようなやり取りが多々ありました。

何となくいい気分になっての帰り道、他のお店の接客と何が違うのかを考えたのですが、気づいたのは感謝の「気持ち」を表現する「言葉」の量が圧倒的に多いのではないか、ということでした。
きっとどんなお店でも、お客さんに対する感謝の気持ちは持っていると思いますが、すべての感謝を相手に伝わるように表現しているかというと、なかなかそうはできていないと思います。

私たちの仕事でも日常生活でも同じで、自分の「心」や「感情」を相手に伝えられないことは多いと思いますが、やっぱり言葉や振る舞いで表す「表現」が足りないのだと思います。

もちろん相手に伝わらない方が良い感情もありますが、本当に相手への感謝や気遣いがあるならば、「心で思っているだけでなく形に表してきちんと表現する」ということの大切さを感じました。

一方で「それが自分に出来るかなぁ・・・?」と思うとなかなか難しいことで、それを実行しているお店のすごさ、素晴らしさにあらためて感心しています。


2012年11月2日金曜日

自分と他人のイメージギャップ


あるイメージコンサルタントの方のセミナーをお聞きした時のことです。

私たちは仕事柄、他人からどう見えるか、どう思われるかは常に意識しているつもりですが、自分が考えているレベルとは異なる視点での専門家としてのお話は、あらためていろいろ考える機会でした。

一番印象に残ったのは、「駅で電車を待っている時のような普通の表情のつもりで」という設定で、その表情を“自分撮り”したのですが、自分が思っていた以上に無愛想そうな、不機嫌そうな表情で、これでは道ですれ違っても、「あの人に声をかけよう」とか、「また会いたい」とは思ってもらえないなぁ・・・、と反省しました。

人のイメージは、いくら内面で思っていても表現しなければ伝わらない、また表現の仕方(服装、姿勢、表情、言動、その他態度、.etc)を誤ると、自分の思いと異なるイメージを与えてしまうというお話しがあったのですが、まさにそれを実感したという感じでした。

自分で認識しているのと、実際に他人から見た時の見え方は本当に違うものです。
私は、“自分撮り”なんてしたこともしようと思ったこともありませんでしたが、たまには皆さんもやってみると良いかもしれません。


2012年11月1日木曜日

「社員を甘やかさない」とはどういう意味なのか


「社員を甘やかす風土にしたくない」とおっしゃる経営者がいらっしゃいました。
私も総論では理解しますが、その方のお話として「不平不満は言わせない」「会社の都合で自分が判断する」というニュアンスがあったので、少々違和感を持ちました。

以前にも書いたことがありますが、「社員に厳しい」というのが要求内容や目標設定など、業務遂行や仕事のレベルへの厳しさであれば、それは当然に必要なことであり、組織の成果向上にもつながることですが、接し方や物の言い方のキツさ、無言の圧力やプレッシャー、問答無用という風潮を「社員に厳しい」とするのは、会社が社員に要求する厳しさとして、私は方向性が違うと考えています。
単に「接し方の厳しさ」であって、本当の意味での厳しさではないからです。(“ピリピリした空気”イコール“厳しさ”ではない)

「うちの会社は厳しいよ」という言い方をするところは結構多いのですが、その中身が「教える余裕はないから自分の力でやれ」という放置プレーだったり、「結果が出ないと会社にいられなくなるよ」という一種の脅しだったりということが、最近増えているように思います。

以前ある大手企業の社長様から講演で伺ったお話ですが、その会社では社員が身につけなければならないスキルや要求水準は非常に厳しい内容であると同時に、会社は研修など学ぶ場をたくさん設け、社長自ら数百人いる管理職全員と懇談して話を聞き、組織横断的にコミュニケーションが取れる仕組みを作っていくなど、様々な環境、風土作りを行ったそうです。

その会社の社長様は、「うちは社員を甘やかしていないし、逆に厳しいと思うよ」とおっしゃっていましたが、これこそが本当の「厳しさ」なのではないかと思います。

組織の成果向上を考えれば、社員が最大限の成果を出せるような環境づくりやサポートを、会社側からも行っていくのは当然であり、それをすべて自分でやれというのは会社としての役割放棄であり、これは「厳しさ」ではないと思います。

一方で、社員の側も、程度の差はともかく「組織の成果に貢献すること」は必須要件です。もし「すべて会社の責任」などという社員がいたとすれば、これも話が違うと思います。

皆さんの会社の「厳しさ」は、どんな「厳しさ」でしょうか。もう一度見直してみてはいかがかと思います。