2012年12月28日金曜日

ワークスタイルが変わってきても・・・


在宅勤務、モバイルワーク、ノマドワークといった場所の制約を受けない働き方への関心が高まっていて、実際にそういう形で仕事をされている方も、ずいぶん増えているのではないでしょうか。

私は十数年前に、その頃在籍していた会社で試行的に在宅勤務制度を導入したことがあるのですが、その当時は環境的にまだまだ整っておらず、結局制度を利用していた本人が「やっぱり普通に出勤して働きます」ということになり、やはりなかなか難しいなぁという感想を持った経験があります。
今はIT技術の進歩も目覚ましく、その当時課題としていたこともかなりの部分は解決できるようになりつつあり、その気になりさえすれば導入しやすい環境になったと思います。

ただ、IT環境的にはそうなのですが、やはり働くのは人間ですから、仕事に求めるものや仕事のやりがい、価値観は人それぞれいろいろな物があります。

場所の制約が無くなることを「満員電車から解放されてラッキー」と思う人もいれば、「みんなに会えなくなって寂しい」という人もいます。
フリーアドレスで自席がない職場を「合理的」と思う人もいれば、「居場所がない」と感じる人もいます。
一人で作業することを「集中できる」「わずらわしさがない」という人もいれば、「活気が出ない」「相談できず不安」「サボってしまいそう」という人もいるでしょう。

やはり、制度や仕組みの整備とともに、働く人たちにその目的やメリットを理解、納得してもらい、不安をできるだけ取り除き、前向きな気持ちになれるように仕向けることも重要です。働き方が大きく変わるには、心の準備が必要です。もちろんこれを仕組みや運用の中でサポートすることも必要でしょうし、実際にやりながら試行錯誤する覚悟も必要だと思います。

ITシステムの導入、その他制度などの仕組み作りと、働く人の気持ちへの対応両立してはじめて、新しいワークスタイルが多くの人に受け入れられていくのだと思います。


2012年12月27日木曜日

「評価」と「考課」と「査定」の違い


いろいろな会社を回っていると、人事制度上のいわゆる“評価制度”のことを、「評価」と呼ぶところ、「考課」と呼ぶところ、「査定」と呼ぶところの、大きく三つの呼び方に出会います。

実際に皆さんは、それほど意識して使い分けているわけではないと思います。多分、会社内で使ってきた用語が何となく定着して、そのまま使っているようなことが多いのではないでしょうか。
私も皆さんの意識とほとんど同じで、何となくニュアンスの違いは感じながら、相手の会社に合わせて使っていることが大半なのですが、実際に言葉が違うということは、何か意味が違うはずです。

辞書で調べてみると、こんな感じでした。

【評価】
1.品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。「―額」
2.事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。「外見で人を―する」
3.ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。「―できる内容」「仕事ぶりを―する」
4.「教育評価」の略。

【考課】
1.公務員・会社員などの勤務成績を調査して優劣を定めること。
2.銀行・会社などの営業成績を調査・報告すること。
3.律令制における官吏の勤務評定。

【査定】
金額・等級・合否などを調査したうえで決定すること。「税額を―する」「勤務態度を―する」

どうも、「評価」は広い意味でいろいろな物の価値判断をすること、「考課」は主に勤務成績上の“優劣”を決めること、「査定」は金額や合否など、もう少し白黒はっきり決めること、という感じがします。

私がなぜこんなことを思ったかというと、実は昔から「査定」という言葉に何となく違和感があり、何か一方的に決められるというか、問答無用というか、言葉自体にそんなニュアンスを感じていたからのように思います。実際には一方的にされたわけでも問答無用でもなかったのですが、言葉のイメージでそんな風に思っていたということです。

言葉や用語というのは意外に大切で、例えば「精神力」とか「気合い」とか言われると共感できないが、「メンタル」などと言われるとすんなり入ってくる、なんてことがあります。
私が人事制度づくりをお手伝いする時、制度の中に出て来る言葉や用語の表現には、非常に気を使います。一般的に定着している言葉、とらえ方に差が出ない言葉は良いのですが、そうでない物で言葉や用語の選択を誤ると、そもそもの意義を理解してもらえなかったり、制度定着が滞ったりします。

言葉や用語には、人それぞれのイメージや先入観があります。今回は人事制度上の例ですが、それ以外のこと、例えば経営理念、事業計画、方針説明、日々の作業指示など何をするにおいても、すべてのことで“言葉選び”はとても重要なのではないかと思います。


2012年12月26日水曜日

内定者とのつながり作り


私がいつもお世話になっているクライアント企業では、少し遅めの先月に来年度入社の新入社員の方々が内定しました。
こちらの会社では、会社の旅行や忘年会などの社内イベントに、毎年の内定者を招待しています。今年も内定式と会社の忘年会の日程を合わせ、昼間に内定者研修を行った後、忘年会にも参加してもらいました。

その昔にあった囲い込みのような不純な意味は全くなく、ただ純粋な思いで早く社員たちと顔見知りになって、お互いのキャラクターを理解しあって、会社を好きになってもらって、少しでも不安を取り除いて、徐々に心の準備をして、スムーズに入社して活躍してもらいたいと考えての事です。少しでも早く仲間同士として認知し合いたいという事です。

内定者の方々にとっては、あまり面識がない人たちとの宴会にいきなり参加するわけですから、緊張もしていただろうと思います。本人たちに聞いたところでは、期待と緊張半々という感じのようでした。

実際に参加している内定者の様子を見ていると、もちろん不安が100%無くなるわけではありませんが、「こんな人たちと働くんだ」とか、「この人はこんな人なんだ」とか、会社全体の雰囲気、仕事を離れた時の社員の様子、それぞれの人間関係、その他いろんなことを直接経験して、たぶん自分のイメージが少し具体的になり、不安の軽減にはそれなりに役立ったのではないかと思います。

最近の世の中の傾向として、内定者研修や入社前のコミュニケーションは最低限、もしくはやらないという会社が増えているようです。
内定者側に聞くと、「入社日が近づいているのに会社から連絡がない」「本当に内定したのか不安になって自分から連絡した」「自分なりに入社に向けた準備をしたいけど、何をしていいかわからない」などと言う話も聞きます。

会社側としては、予算もないし手間もかかるし、このご時世で内定辞退もないだろうという事で、たぶん優先順位が低いのでしょう。メール連絡やSNSを利用することなどで終わらせているところも多いと思います。また「そんな手間をかけなければついて来られない人材では、メンタルが弱すぎだ」などとおっしゃる方もいます。

確かに私がお世話になっているこちらの会社でも、経費や手間がかかって大変だと思いますが、それ以上のメリットがあると判断して、このようにされているのだと思います。これからも都度イベントを案内し、内定者研修も行っていく予定とのことです。また内定者が何十人もいる会社ではないので、できることなのかもしれません。

考え方も事情も方針も各社それぞれですから、こういうやり方ばかりをお勧めするつもりはありません。
ただ、最近の傾向とは正反対のやり方で、その中にいる内定者たちの表情を見ていると、企業側として考えなければならないことは、いろいろあるのではないかと感じます。「すぐに辞める奴が多い」と嘆くだけではダメだと思います。


2012年12月25日火曜日

「日本人は過程を重んじる」らしい・・・


あるテレビ番組で「日本人は一見ムダと思える時間や労力、手間をかけることに、価値を見出す性質がある」と言う話がされていました。過程を重んじる茶道などを代表に、お金を払っているのに自分で調理する鍋やお好み焼き、わざわざ遠くまで出かけて自分で収穫する果物狩りなど、目的に至る過程(プロセス)で、楽しさを手に入れるというところがあるのだそうです。

確かに日本人は、過程を表す“○○道”という言い方を良くしますし、お好み焼きも果物狩りも、単にそれを食べる目的、手に入れる目的と考えると、どちらも効率的ではないですよね。でも何か楽しいと感じるところは、間違いなくあると思います。

これは人事評価や人材育成などにおいても同じで、結果だけでなくプロセスに目を向けることも大切で、両方のバランスが重要ということを常々感じています。日本の企業に結果中心で評価する“成果主義”がなかなか根付かないのも、このあたりの国民性に一因があるのかもしれません。

ただそうは言っても、グローバルな環境でお仕事をされる方もたくさんいらっしゃる昨今、日本人の心情を取り上げてくれる企業ばかりではありません。ビジネスの世界ではやっぱり結果を中心に問われます。
そんな中で、私自身がよくお話しているのは、「目標達成までをできるだけ細かい目標にブレイクダウンして、それ自体をプロセス化してしまう」ということです。

例えば営業目標の数字があったとすれば、「何か月で何件の受注が必要」などという計算はすぐにできるでしょうし、これをさらに細かくブレイクダウンしていくと、「今日は一日で何件電話しよう」とか、「今日は一日で何軒訪問しよう」とか、プロセスといっても良いところまで目標を落とし込めるはずです。大きな目標を意識しながらのToDoリストと言っても良いのかもしれません。

そうすると、それこそ一日単位で目標が達成できたかできなかったかはすぐわかるし、できたならば達成感があり、できなかったならば翌日取り返すことを意識する、なんてことができます。行動に対して常に結果が返ってくる状態になり、モチベーション理論でいう「行動と結果の随伴性がある」という状態ですから、その人のやる気にもつながります。ノルマ感も少なくなるので、意外にお勧めです。

私は本音では成果主義はあまり好きではありません。会社という同じチームなのに、他責になって攻撃し合ったり、助け合わなくなったり、目先のことしか考えなくなったり、お互いが足を引っ張り合ったりという、良くない部分を見てきたからです。それでも「しょせん結果がすべてだよね」などと言われると強く反論はできません。ある面では真実であるからです。

結果とプロセス、それぞれに対する考え方は、会社の風土によって様々でしょうが、自分自身の中で結果とプロセスのバランスをうまく取っていくことは、意識次第でできるのではないかと思います。


2012年12月23日日曜日

社員が会社のファンである素晴らしさ

世の中には「ファンの多い会社」があります。魅力的な商品やサービスのファンになってくれるお客様とともに、自社の製品や職場環境や人間関係に愛着や誇りを持ってくれる自社の社員も会社のファンの一員といえます。

会社に多くのファンがいるという事は、それだけ多くの喜びや楽しみや、やりがいや思い出を、会社という存在が周りに与えてきた証しだと思います。
働いている人たちやお客様にそう思ってくれる人たちがいるというのは、会社にとっては本当に幸せな事ですし、簡単には作り出せない財産です。また苦しい時ほどこういう人たちが力になってくれると思います。

社員と会社の関係というと、これは本当に千差万別です。愛社精神が目一杯旺盛な会社もありますし、働いている社員すら自社のファンでない会社もあります。私のように人事に関わる者が一番悲しいのは、この後者のような場合です。

本来「協調関係」にあるべき会社と社員が、「緊張関係」にあったりします。“きょうちょう”“きんちょう”は平仮名で書くとちょっと似ていますが、意味はやっぱり大きく違います。

そうなってしまう理由はいろいろあると思いますが、きっかけは会社側にある事が多いように感じます。会社と社員の関係作りの主体は、やはり会社側にあると思うからです。

例えば経営的に厳しくなり、社員にも負担を強いる施策を実施せざるを得なくなったとして、強く反発されたり理解を得られないという時、それ以前の関係作りが十分でないことに原因があったりします。
「良かった時は何もなかったくせに、困ったらこれか!」などと言われるとすれば、「困ったときはお互い様」と社員が思える振る舞いをしてこなかったせいがあるでしょう。利益還元、処遇改善、設備投資、人間関係作りなどが適切でなかったのではないでしょうか。

例えば今まで積極的に社内の情報開示をしてこなかったために「何か隠しているに違いない」と思っているのかもしれません。情報開示はしていても、それを理解できるだけの説明、教育をしてこなかったせいかもしれません。
他にも例はたくさんありますが、やはりいずれも、事の始まりは会社にある事が多いのではないでしょうか。

「ファンの多い会社」は基本的に業績も良い会社が多いです。そのファンの中には当然社員も含まれています。ファンを増やすことが業績につながると考えれば、「社員を会社のファンにすること」もとても大切な事であると思います。


2012年12月22日土曜日

一貫性と柔軟性


良い企業は、経営理念や企業理念など、自社の原理原則を“一貫”して守り、踏襲しているという所があります。老舗企業などはこういう部分を賞賛されたりします。

一方で“柔軟性”という部分の大切さも言われます。その時の状況に合わせて臨機応変に変わっていくという事です。変化対応力、適応力など、いろんな言い方もされると思います。その時々の判断、決断を賞賛され、良い舵取りをしている経営者が「カリスマ経営者」と言われたりします。

“一貫性”も度が過ぎると、硬直、官僚的、排他的、頑固などと言われ、“柔軟性”も度が過ぎれば優柔不断、(悪い意味での)朝令暮改、思いつき、ポリシーが無いなどと批判されます。
原理原則は一貫して守りながら、柔軟性を持って変化していくという事になるのでしょうが、よくよく考えればそれぞれ相反すること。守るべきか、変わるべきかの境目って一体どこなのだろうと、いつも思います。

世の中にたくさん出ている経営者や評論家、コンサルタントの方々の経験談や考え方、その他いろいろな事例を見ている中で思うのは、一つは「しょせんは結果論である」ということ、もう一つは「自分の感じ方との差による」ということでした。

「しょせんは結果論である」という所では、守ったことで結果が良ければ、やはり「一貫性が大切」となりますし、変化したことで結果が良ければ「変わることが大切」となるでしょう。いろいろな予測のもとに最善を尽くした上での結果と思いますが、うまくいくこともいかないこともあります。
良い結果でも悪い結果でも、それぞれ自分で判断したことだからと納得して、その経験則を糧として語っていると感じました。

「自分の感じ方との差による」というのは、自分が守るべきと思う事を変えたり、変えるべきと思う事を守り続けたりするなど、自分の意見と実際に起こっていることが異なる時には概して批判的になりがちで、うまくいかなければ「それ見たことか!」となり、うまくいってもあまり正当に評価したくないと思います。一方で守るべきもの、変えるべきものが自分の意見と同じであれば、うまくいけば「当然のこと」と納得し、うまくいかなければ「まあ仕方がない」と、これも納得した上で次の策を考えるのではないでしょうか。

どちらにも共通しているのは、自分自身の「納得」という部分で、守るべきか、変わるべきかの境目は、結局は自分が「納得」しているところが境目なのだ、というように感じています。

人事管理の中では「納得性」ということの大切さは良く言われます。人事評価も本人が結果に納得するかどうかがその後のモチベーションにおいて重要ですし、目標管理制度などは自己管理目標(自分が納得して決めた目標)をもとにマネジメントを行う仕組みです。仕事上の目標からその都度の作業指示に至るまで、納得しているか否かは仕事のパフォーマンスに影響し、結果を左右することもあります。

良し悪しだけで決められない事柄はたくさんありますが、その結果を肯定的に受け留められるかどうかは、「納得性」がかなり大きく関わっています。人とかかわる中で「納得」を得るためのプロセスというのは、できる限り大切にしていく必要があると思います。


2012年12月21日金曜日

続けていれば良いこともある


このブログを始めてからちょうと半年ほどになります。基本毎日更新してきたので、まぁよく続けたと思います。
他にも5年半くらい毎週定期的に書いているコラムと、あるサイトで連載を依頼されたコラムで2年くらい書き続けているものがあります。こちらも同じく、面倒と思う時もありながら良く続けたと思います。

なぜ面倒かというと、特に初めのうちは、読んでもらっているという実感があまり無かったからという事があります。
もちろんそれが当然のことではあるのですが、面白いもつまらないも、役に立つも立たないも、もっと言えば読者がいるのかいないのかも、書いている本人としてはよくわからないとなると、自己満足の世界に徹するか単なる宣伝のためと考えるしかなく、それが「面倒くさいなぁ」という気持ちにつながってしまいます。

しかし最近は、取引先や知り合いから「読んだよ」なんて言われることが少しずつ増えてきました。ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアのおかげもあります。

考えてみれば、そもそも連載依頼されたコラムだって、他の取材依頼のようなものだって、件数としてはごく限られていたとしても、書いていたものを目に留めて頂いたということで、やっぱり続けていた意味は、それなりにあったということだと思います。

よく「継続は力なり」と言います。「成功する人は最後まであきらめない人のこと」とは、かの本田宗一郎氏の名言です。

短期で目に見える成果がなくても見る人は見ている、やめてしまえば権利なしだけど、参加していればチャンスはあるということ、続けていれば目に留まることもあるという事です。

なかなか手ごたえが感じられなくても、続けていることで良いことは必ずあります。
皆さんも「もう無理かな」と諦めかけていることがあるならば、もうひと踏ん張り頑張ってみても良いのではないかと思います。
私も、自分の活動をもっと多くの人から興味を持って頂けるように、もっと役に立つと思って頂けるように、「続けて」取り組んでいきたいと思います。


2012年12月20日木曜日

権限移譲のつもりの放置、指導のつもりの過干渉


あなたは、部下や後輩にできるだけ権限委譲して、本人の判断でやらせようとするタイプですか?それともできるだけ経験やノウハウを伝えようと、細かく面倒を見て指導するタイプですか?

先日、ある会社で「きちんとした指導が受けられないので辞めたい」と退職を希望する社員が出てきたという話がありました。
どうも、それまで属していたグループの“細かく”関わるタイプのリーダーから、“良きに計らえ”と任せるタイプのリーダーのグループに変わり、その変化を本人が、「教えてもらえなくなった」と感じてしまったということのようです。

また別の会社の例では、「いつまで経っても細かく指示され、任せてもらえないし経験を積めないので辞めたい」と言う退職理由も聞いたことがあります。

部下や後輩への仕事のさせ方、関わり方は、自分はこうして欲しかった、こうされて良かったという経験はもちろん、こう思っていたけどしてもらえなかった、当時は反感があっても今思えば良かったなど、反面教師や意識が変わった経験も含め、「もともとの自分の価値観」と、「自分の時はどうだったか」の二点によって、どんなタイプになるかが決まってくるのだと思います。

リーダーとして人扱いの引き出しは多いに越したことはありませんが、その人の持ち味は簡単に変えられるものではないし、無理して変える必要もないでしょう。どんなタイプが望ましいなどと一概に言う事もできないでしょう。

ただそうは言っても、
“任せている“つもりなのに、“押し付けられている”と感じている・・・。
“余計な口は出さないでおこう”と思っているのに“放置されている”と受け取っている・・・。
“丁寧に教えている”つもりが“余計なお世話”と思われている・・・。
こんな認識の食い違いは、好ましいことではありません。

子供にはよく「自分が嫌な事は他人にもするな」などと言います。善悪の区別がはっきりつく事なら、自分の意識だけで判断すれば良いのでしょうが、良し悪しだけでは言い切れない、人によって感じ方が違うような事の場合は、それだけでは足りないと思います。

やはり、業務指示をしたり指導したりする立場であるならば、相手がどんなタイプか、どう感じているかを知っておく必要があります。自分がそうだから相手も同じだろうなどと思わず、「このグループではこういうやり方をするよ」「自分はこういう考え方で接しているが、君はどう思っているか」「ここまでは指示するが、ここから先は任せる」など、自分と相手の感じ方の違いを、お互いがしっかりと口に出して確認し合うことが必要だと思います。

自分の経験で良かれと思っていることであると、それを良かれと思わない人の気持ちには気づきにくいものです。
ただ気づかないままに、自分は権限移譲のつもりなのに相手は放置されていると思っていたら・・・。自分は指導しているつもりなのに相手は過干渉と思っていたら・・・。
何かものすごくもったいない事のように感じてしまうのですが、皆さんはいかがでしょうか。


2012年12月19日水曜日

埋もれている「社員のノウハウ」


「これはアイツに聞けば分かる」「これはあの人が詳しい」「彼はやったことがあるはずだ」など、誰に聞けば分かるか、誰なら知っていそうかという自分なりの「情報リソース」を、皆さんもそれなりにお持ちだと思います。自分の知識経験だけで何でも処理できれば良いですが、そう簡単にはいきません。

会社というのはまさにノウハウの塊のようなもので、社員一人一人の持っているノウハウを集めて、個人では到底できないような、大きなことを成し遂げようとするものです。組織力とかシナジー効果などといわれることです。

ただ最近、「社内にノウハウを持った人がいると思われるのに、これを活かしていないのでは」と感じる出来事がいくつかありました。ある取り組みテーマについて、社内に過去の経験があるはずなのに、社内の“誰か”が持っていると思われる知識、経験、ノウハウが、表に出てこないのです。

その原因として考えられるのは、大きく分けると周囲の人(主に上司や経営者)の問題と本人の問題の二つです。

前者でいえば、「そもそも相手を知らない」「相手が持っている知識、経験、ノウハウを見出す能力がない。(認める感性がない)」「その大切さに気が付かない」など、周囲の人(特に上司)が身近にあるノウハウを見つけて活用する能力がないということであり、後者では、「組織への帰属意識がない」「面倒なこと(余計なこと)に巻き込まれたくない」「信頼関係が欠如している」など、本人が自分の持っているノウハウ自体を表に見せようとしない(隠している)ということです。

そして本人の問題だけが起こっていることは稀で、多くは周囲の人の問題(要は気づかない、認めないということや、その状態が継続すること)をきっかけに、本人がやる気を失って、自分が持っているノウハウ提供に消極的になったり、やめてしまったりという場合です。

自分なりの知識、経験に自負があるのに、周囲から認められないこと、評価されないこと、無視されることが続けば、やる気をなくすのは当然です。周囲の人間が相手の持っている知識、経験、ノウハウを、潜在能力まで含めてきちんと見出すことはとても大切で、特に上司の責任は大きいと思います。アピールしない奴が悪いともいえますが、何でも本人任せならばそもそもマネジメントなんていらない訳で、そういう意味でアピールできる環境を作っていない方が問題と思います。

個々が持つノウハウは、単にその場の結果だけを見ていてもわかりません。その人が今までどんなキャリアを積んできたのか、そのプロセスを知らなければなりません。経歴書などを見るのは良いですが、その人が経験してきたことの“目次”でしかないので、きちんと聞き取りをして把握しなければ、実際のところはわかりません。

自分のことで忙しいプレイングマネージャーが増え、何でも結果しか見ていない傾向も増しているように思いますが、そのせいでずいぶん無駄なこともしているように思います。
「灯台下暗し」で「宝の持ち腐れ」になっていないか、たまには身近な人たちを見つめ直すことも必要ではないでしょうか。


2012年12月18日火曜日

慣れているがゆえの思い込み


少し前に、私よりも一回り以上年上の大先輩たちと、神田(東京)でお酒を飲んだ時のお話です。

その日のリクエストは「神田らしいガード下の店」という事でしたが、夕方5時になったばかりというのにガード下のお店は満席。(神田は飲みのスタートが早い!) 仕方なく行ったチェーン店の居酒屋は、隣の個室のカラオケが丸聞こえでうるさかったりして全く落ち着けず、おまけに2時間で追い出されてしまうというよろしくない状況でした。

とりあえずもう一軒行こうと店を探して歩いていると、なんと目の前にいかにも神田らしい居酒屋があるではありませんか。どうも「神田らしい店 = ガード下」という完全な思い込みと固定観念で、周辺にいっぱいあるお店に目が行っていなかったようです。(そのお店のおかげで、大先輩方はご機嫌でお帰りになりました)

今までいろいろな所でお店探しをして、そういう意味では慣れているはずなのに、中途半端に知っている場所、慣れた場所だったために、そのイメージで勝手に思い込んで視野を狭めてしまっていたということです。

「思い込み」というのは誰でも持ってしまうもので、自分なりに注意もしていると思います。それが、慣れているがゆえの思い込み」となってくると、より一層自覚しづらいものだとあらためて感じました。

仕事でもプライベートでもそうですが、経験を積んで知識があって、ベテランという状態になればなるほど、「思い込み」というのは助長され、なおかつ気づきづらくなるように思います。ベテランになれば、人から指摘されることもどんどん少なくなりますから、自分で気づけるだけの感性を持てるかどうかが、本当に重要になってきます。

自分の専門分野、得意分野、知識豊富な分野、興味を持っている分野であるほど、その道のベテランと言われる人ほど、「思い込み」には注意しなければと思います。私も人事の専門家として、肝に銘じなければと思いました。

事例が些細な飲み会の一件で申し訳ないですが、せめて学びが得られるように、ちょっと真面目に考えてみました。(でも飲み会では、きっとまた同じようなことが起こる気がしますが・・・)


2012年12月16日日曜日

仕向けて、気づくまで待つ・・・研修は根気が必要


私もいくつかの企業で社員研修をやらせて頂く機会があります。
経営者や研修担当の方は、当然何らかの効果を求めて実施されるわけで、こちらとしてもできるだけ早く、なおかつ高い成果が得られるように努力をしますが、中にとても短期的な成果を求める方がいらっしゃいます。
「その研修をやるとどんな効果が出るの?」などと尋ねられたりします。

今の世の中のスピード感から、結果を急ぐ気持ちは理解できるのですが、スキルや知識習得ならまだしも、意識改革や行動変革ということになると、一度や二度の研修で何かが大きく変わることは、残念ながらものすごく少ないと思います。

私自身も今でこそ研修講師という立場が多くなっていますが、昔は特に社内研修というのは大嫌いで、できれば出ないで済まそうとしていたクチでした。今思えば、興味もないことを強制されたくない、自分の時間を大して有益とも思えないことに費やしたくない、という気持ちだったように思います。

この気持ちが変わったのは、自分が聞いてみたいと思う人の話を聞いたり、興味がある内容のセミナーを受講したりということをするように(立場的にもそれができるように)なってからでした。

やはりそうやって参加したものは、そもそも自分の心構えが違いますから、仮に同じことを言われたとしても受け留め方が全く違います。そんな中で、自分が社内研修に否定的だった気持ちと重ね合わせ、単に「やらせる」のではなく、やって見ようという気持ちに「仕向ける」にはどうしたら良いか、ということを常に考えるようになりました。

私が心掛けるのは、「いかに自分のこととして考えてもらうか」、そのために「原理原則や一般論、事例に関する話はしても、直接答えになりそうなことや強制していると取られそうなことは言わない」ということです。
それでも興味を持って頂けない方やもともとやる気がなく心を閉ざしている方、適当にやり過ごそうとひたすら終わるのを待っている方はいらっしゃいます。私の力不足があるのは間違いなく、大いに反省している部分です。

しかし一方で、研修でできるのは、「気づきのきっかけ」を提供することしかありません。早く成果が出ればそれに越したことは無いですが、「気づき」は限りなくその人の主観に基づくもので、多くの場合はそれなりに時間がかかります。

あるところで聞いたお話ですが、教育(エデュケーション)の語源はエディカーレといって、ラテン語で“引き出す”という意味だそうです。もしその人に足りない物があったとしたら、それを与えてやるのではなく事実に気づかせ、気づかせた上で引き出すための手助けをする、これが本来の人材育成だということです。
人材育成において「早さ」を求めすぎるのは、実は「焦り」に近いのではないかと思います。

「やらせる」のではなく「仕向ける」、そして「気づかせる」ことが人材育成だとすれば、焦らずに「気づくまで待つ」ということが重要なのではないでしょうか。


2012年12月15日土曜日

「選択と集中」と簡単に言うけれど・・・。


もう一年ほど前ですが、最近よくテレビに出演されている、早稲田大学の池田清彦先生のお話を聞く機会がありました。

池田先生は生物学がご専門ですが、最近話題になるエネルギー問題に関する著書も多いことから、その日のテーマはエネルギー問題に関するものでした。テレビで拝見するままの気さくな語り口で視点も面白く、いろいろ考えさせられるお話を伺うことができました。
たぶん著書に書かれている内容も多いと思うので、興味があればそちらをお読み頂くとよいと思いますが、私が印象に残ったのは、何でも一辺倒になり過ぎたことに問題があったというような内容のお話でした。

「CO2排出がダメで、代わりは原子力だとやってきたところで今回のような原発事故になったが、それ一辺倒だったためすぐに代わるものがないから、当面足りない分は火力に戻すしかないだろう。」

「自然エネルギーも技術や採算性の問題で、有望なものもそうでないものもあるが、例えば風力は風下の生態系に影響したり、風車の騒音問題もあるし、安定した風力が得られるかの設置場所の問題もある。太陽光も日照時間の問題もあるし、日本の狭い国土での設置場所の問題もあるから、普及する中で環境的なデメリットもあるかもしれない。」

「地熱とかバイオマスとか、波力、小水力などもあるが、みんなそれぞれメリットデメリットがあるだろうし、技術の進歩で変わってくることもあるだろう。」

「結局はいろいろ試しながら、それぞれ少しずつ分散型でやっていくしかないのではないか」

というような概略でした。(「CO2がダメだというけれど、もしも化石燃料が無ければ、今頃日本中の山は木が切られてハゲ山かもしれませんよ」などともおっしゃっていました。)

会社経営において、「選択と集中」とおっしゃる方は大勢いらっしゃいますが、かつては「多角化」が是として語られる時期がありました。バブル崩壊が契機だと思いますが、GE社のジャック・ウェルチ氏が積極的に「選択と集中」を行って業績を高めたこともあり、少し前までは誰も彼もが「選択と集中」と言っていたような気がします。

「選択と集中」で事業の絞り込みがうまくいって、経営効率の上がった会社も多数あるでしょうが、選択肢を絞るという事はその分逃げ道もなくなるという事で、「選択と集中」間違って取り返しがつかないことになった会社も、実はそれ以上にたくさんあるのではないかと思います。

うまくいった会社は、自社の状況をしっかり客観視して、やはりある種のバランスを取りながら「根拠がある選択と集中」を行っていったはずで、注力するものを選ぶという事はかなり難易度が高い事だったと感じます。それができるから、優秀な経営者なのかもしれません。

私が書いているものには、「バランス」という言葉がしょっちゅう出てきてしまうのですが、特に最近、何かの事象を契機にして一方から他方へ、極端に振れ動くことが多いように感じます。
そうやって行ったり来たりしながらバランスを取っている側面はあるでしょうが、私はどうしてもバランス感覚が足りないと感じてしまいます。

私の専門分野でいえば、例えば新卒者の就活時の扱い、内定者の扱い、派遣社員の扱いなど、会社の都合でチヤホヤしたり粗末にしたりという事などがありますが、自分の経験上で感じるところでは、やっぱり一辺倒、極端、大きな振れ幅は結果的にあまりうまくいっていないように思います。

適切なバランスを見つけ出すには、いかに自らの状況を客観視できるかにかかっていると思います。
自らを客観視するのは難しいことですが、バランス感覚を養うためには常に意識しなければなりませんし、意識して努力している経営者、管理者の方はたくさんいらっしゃいます。

私たちのような立場の者は、自分のことと合わせて、顧客先の企業が自らの状況を客観視する手助けをするという役目もあります。どこまでできるかわかりませんが、自分のバランス感覚を常に研ぎ澄ます努力をしながら、仕事に向かっていきたいと思っています。


2012年12月14日金曜日

疑心暗鬼の組織


うまくいっている会社組織というのは、属しているみんながたいてい元気です。一部だけが元気でもうまくいくものではありません。

例えば経営者や上層部が元気な組織は、判断や決断が早い良さはありますが、現場の気持ちにかかわらず「ああしろ」「こうしろ」と強制する傾向が強いので、現場が指示待ちや思考停止に陥っていることがあります。
(私たちのような人事コンサルの立場では、やる気も元気もある経営者や責任者の方々からのご相談が多いので、このパターン、実は意外に多いです。)

中間管理職が元気な組織は、それぞれの管理者が自律的に動けて、より現場に近い判断で即決できる良さがありますが、自分たちの枠の中だけで解決しようとしがちなので、全体最適にはならないことがあります。上り調子の時は良くても、守勢に回って組織全体の結束が必要な時は弱さに直結します。

現場だけが元気な組織というのはあまり見たことがありませんが、あるとすれば現場は自分たちの意志で動いているが、組織的な統制が無い非効率な組織という事になるのでしょう。
良い組織であるためには、やはり組織全体がまんべんなく元気である必要があります。

組織が元気でいるための原点は、属している人たちがお互いに信頼し合っていることだと思います。いつ潰れるかわからない、いつクビになるかわからない、ハシゴを外されるかもしれない、裏切られるかもしれない、そんな“疑心暗鬼の組織”では元気でいることはできません。

業績不振の組織、人員整理やリストラ最中の組織、人間関係が悪い組織などがこの条件に当てはまってしまいます。業績不振とリストラと人間関係の悪化がつながったスパイラルは、組織が低迷に向かう典型的なパターンです。

疑心暗鬼の根本は周りが信用できないということで、裏を返せば自分しか信じられないということです。自分のことだけで精いっぱいで周りのことまで考える余裕がないために、人間関係が良くない方向に進んでいきます。そこでできる事と言えば、少しでも相手の立場を考えることしかありません。

・・・と簡単に言ってしまっていますが、これは余裕が無くなってしまった組織では、ものすごく難しいことです。人が周りに気を配れるようになるためには、自分自身に一定の気持ちの余裕が必要です。自分の明日が見えない人に、他人の事を気遣えるはずがありません。

疑心暗鬼のない元気な組織を作るためには、組織全体での気持ちの余裕を維持することが必要であり、そのためには企業として一定の業績を維持するという、本当に基本的な所に帰結します。
良い組織、良いチーム、良い会社にするために、組織に気持ちの余裕が必要であり、そのためにはやはり最低限の結果は必要になるということです。

私が組織づくりをお手伝いする中では、プロセスを見るように強調しなければならない場面が多いですが、きちんと結果を出していくことも同じように大切だということです。
「結果・成果」と「プロセス」とのバランスは、永遠のテーマのように感じています。


2012年12月13日木曜日

人任せ、人のせい


ある学校での話ですが、遅くまで残っていた生徒が、先生から「早く帰らないと警察に通報する」と言われたとか・・・。背景や事情があるかもしれないので一概には言えませんが、外の権威を借りて生徒の行動を何とかしようと考えたように見えてしまいました。普通に自分たちが注意すればいいのに、と思ってしまいました。

また、最近立て続けに「上司に○○をやめて欲しい」「会社に○○をして欲しい」という言葉を聞く機会がありました。まぁ普通によく出てくる言葉だと思いますが、やっぱり人任せ、人のせいの言葉です。

私自身も意外に無精な所があり、「自分のこだわりが無い事は人任せ」という所があります。開き直りでもないですが、本人にとってどうでも良いことは、それはそれで良いのではないかと思います。
でも自分に任されたこと、こだわりがあること、自分のミッション(要は仕事)は違います。相手の満足プラスアルファを考えます。力不足で必ずしもそうはできませんが、常にそういう気持ちで向き合って、絶対に人任せ、人のせいにだけはしないように心がけています。

しかし、これは今の立場になってからのことで、会社員時代を考えると絶対にそうではありませんでした。アイツが悪い、コイツが悪い、相手の意識が低い、環境ができてない、予算が無い、など。自分以外に原因を求めていたことが多かったと思います。

その違いとしてはっきり言えるのは、自分が組織に属しているかいないかです。組織であれば仲間もいっぱいいるし、自分の関知しない所で動いていることもたくさんあります。言い訳しようと思えばいくらでもできるのです。

組織に属していない今は、身近で起こることは、良いことも悪いことも全部自分のせいです。というより、責任をなする相手がいないといった方が正しいかもしれません。特にうまくいかない事や自分の気に入らないことがあれば、できれば人のせいにしたいのですが、それができないというだけです。

ただ、そういう環境に置かれるようになって、自分の考え方はずいぶん変わりました。相手に感じる理不尽も、入り口の段階では「何か事情があるのでは・・・」と思えるようになりました。
今思うのは、会社員時代にこういう考え方ができるようになっていたら、自分の社会人人生もずいぶん変わっていたかも、ということです。

結局、人任せ、人のせい、他責にしている限り、自分の状況を思った通りに変えることはできません。他人が自分の思い通りに動いてくれることなんてものすごく稀な事だし、どちらかと言えばラッキーです。でも人任せや人のせいということは、その起こるかどうかもわからないラッキーを、ひたすら待っていることと変わりがありません。それならば相手の事情を考えて、自分からできる事を何かやる方が、よほど見返りがあるはずです。

人間というのは、集団行動をするがゆえに、人任せにしたり人のせいにしたりということが、本能的にあるように思います。またそうすることで精神的な安定を保っているような面もあると思います。
それでも、そこから一歩踏み出してみると、絶対に違う世界で見えると思います。

組織の中で何か周りへの不満を抱えている方は、自分の目線を変えて、何か一歩踏み出してみませんか!


2012年12月12日水曜日

人事制度作り―社内「主」、社外「従」がベスト


人事制度作りをお手伝いすることは私の専門の一つなので、こういうことを言うのはあまり適切でないかもしれませんが、人事制度構築を社内で完結できるならば、私はそれが一番好ましいと考えています。

なぜかというと、人事制度作りには、それこそ個々の社員がどんな性格で何をどう考えているか、何が得意で何が不得意か、誰が発言力や影響力を持っているか、今の状態に至るまでの様々な経緯など、社内事情すべてが関わってきますから、やはりそのあたりの事情を裏表も含めて一番わかっているはずの社内人材が携わる事がもっとも相応しいだろうということです。

よくコンサルティング会社に丸投げして人事制度作りをする会社がありますが、大金を投じて制度を作ったのに、結局自社にフィットせず、大した効果も得られず、改めて制度作りをやり直さざるを得なくなった、などという話を聞きます。これは決してコンサルティング会社に能力が無い訳でもサボっていた訳でもなく、人事制度の場合、社外人材だけに多くのことを任せるには限界がある、ということだと思います。

もちろん私も「人事制度を作ってほしい」という丸投げに近い依頼を受けることがあります。その際は事前の状況把握が最も重要で、様々なデータ分析や調査、ヒアリングを通じて出来る限りの実態把握に努めます。

ただ、いくら専門家で状況把握に長けているとは言っても、社内の人が蓄積してきた情報量にはかないません。またどうしても時間的制約がありますから、結果として窓口となっていて話す機会も多くなる経営者、役員、人事担当者個人の問題意識や、声が大きく印象に残る社員の意見に引きずられたり、現状に至った背景、風土、その他事情などが把握し切れなかったり、客観的な実態把握がやりきれない部分が出てきます。これが社外人材の限界なのだろうと思います。

一方、社内人材だけで人事制度作りを進めようとした場合、その難しさというのは、一つは社内常識に引きずられて状況把握に客観性を欠く場合があること、もう一つは処方箋を描く上での経験や引き出しが足りず、対策を誤る可能性があることの、大きくは二点になります。そしてこれらを補完することを考えると、我々コンサルタントのような社外人材の出番があるということになります。

人事制度作りについて、一番望ましいのは社員主導で社内検討する枠組みの中でうまくコンサルタントなどの社外専門家を活用するという形ではないかと思います。私も「協働」という中で、より良い物が提供していければと常々考えているところです。


2012年12月11日火曜日

定例研修を継続してみての今


お付き合いさせて頂いている会社で、いろいろな階層の社員研修をさせて頂いています。

そもそも始めた時のオーダーは、「マネージャーや社員たちの人間の器が大きくなるような研修」という壮大なもので、大した器ではない私としてはとても難しいテーマでしたが、要望として「とにかくいろいろな事に接し、いろいろな事に興味を持ち、いろいろな事を知っていけるような場を作って、その中で人間的な幅が広がってくれれば・・・」とのことで、それではということで、「様々な切り口で様々なお題を用意して、それらに対しての講義、個人やグループでのワーク、ディスカッションといった様々な形で取り組んでもらい、その後の行動につながるように仕向ける研修を月一回ペースで行う」という事になりました。受講者にとっては3カ月に一度以上は必ず研修を受けるようなペースになります。

実はこの研修、もう丸3年以上に渡って毎月継続しています。
毎回のテーマや進め方を考え出すのはなかなか大変ですが、大切な事でも日常業務の中では考える機会がないというテーマは意外に多いもので、受講者の方々の本音はともかく、研修後のとりあえずの反応は良いようです。

“部下に対してこんな事をしてみた”など、行動として現れていることもあるようで、これはもちろん受講者の方々のもともとの意識が高かったことは確実にありますが、ちょっとしたきっかけになる刺激を与えるだけで、意外に効果はあるものだと感心しています。
実は多くの人は、本当にいろいろな事を真面目に考えていて、最後に行動に移すきっかけが見つけられないだけ、ということが案外多いのではないかと思います。

またこの研修での心配は、一にも二にも「マンネリ」ですが、これも思った以上に全く感じることがなく、研修受講ということは行事として定着し、内容については毎回違うので「今回は何ですか?」という感じで好奇心を持っていてくれます。継続の仕方さえ工夫すれば、マンネリは防げるものだということです。継続的に研修を行うことはなかなか難しいことですが、続けることができればそれなりの意義は十分にあると思います。

どんな会社でもこれと同じ事をすれば良い訳ではありませんが、私はこの取り組みを通じて、何かのきっかけを与えるということ、それをできる限り継続して行うということは、とても重要だということを感じています


2012年12月9日日曜日

その人なりのやりがいの感じ方


私がSEとしてシステム開発の現場にかかわっていた頃、某メーカーの女性リーダーとお仕事をしていました。さっぱりした性格の今でいう「男前」な感じの女性で、私としては付き合いやすい方でした。

その方は自分の習慣として、人よりちょっとだけ早く来て、みんなの机を拭いたり花を飾ったりというのが朝の日課だったそうです。(この話はご本人からでなく、周りの方から「あの人偉いんだよ」みたいな感じで聞いた話でした。)

それがある日から、「そういうことを一人にやらせるのは良くない」というような話で、朝その女性リーダーがやっていたことは、その部署のある年齢層までの社員の当番制になったのだそうです。
その後、女性リーダーの方と何となく世間話をしている時、ふいにボソッと「当番制なのでもうできなくなっちゃったんだよね・・・」と、少し寂しそうに言っていました。

たぶんその女性リーダーの方は、朝の習慣は「自分の仕事準備」として、「自分から進んで」のことであり、「感謝されればちょっとうれしい」程度の感覚だったのではないかと思います。
でも他の人から見ると、朝の習慣は「単なる雑用」であり、「普通はイヤイヤやるもののはず」で、「一人に押し付けるべきではない」ことだったのでしょう。

他人から見て「誰がやっても同じ」「単純作業」「無駄な手間」「時間を取らたくない」ことであっても、ある人からすれば「自分のこだわり」「大切なこと」「やりがいを感じる」ことであったりします。もちろん逆もあって、他人から見れば「面白そうな仕事」「やりがいがある仕事」であっても、本人はそれほどではないこともあるでしょう。本当に人それぞれです。

会社の仕事の中では、作業効率もコストも個々の適性も、その他のことも総合的に考えなければいけないので、「何でもお好きにどうぞ」というわけにはいきませんが、それぞれの個人が感じるやりがいはできるだけ認めた方が、“やる気”も出るはずです。また、その“やる気”というのは、意外に些細な所に転がっている感じがします。

自分の価値観だけで、これは「無駄なこと」「面倒なこと」、これは「やりがいがあること」「面白いこと」などと決めつけず相手の価値観をよく知り、それの活かし方をうまく見つけて認めてやることも、モチベーションを高める上では大切ではないか・・・。女性リーダーの何となく寂しそうな様子を思い出すと、そんな事を強く思います。


2012年12月8日土曜日

内定者教育・・・やる?やらない?


昨日、お手伝いしている会社の新卒内定者向けの集合研修を行いました。
そもそもやっている内容は、こちらから出したいくつかのテーマについて、ワークシートに考えを記入してメールしてもらい、会社からはそのフィードバックを返信するというやり取りを月一回、その他二か月に一回程度は会社で集合研修を実施するというもので、今回はその一回目という事です。(その後行った会社の忘年会にも参加してもらうという口実もありました。)

今回のテーマは、「就職活動の振り返り」「学生と社会人の違いは?」などといった社会人意識への切り替え準備を目的としたもので、内定者の近況を知る事、会社への帰属意識を高めてもらう事、内定者同士の交流を深めてもらう事なども目的です。

私は「内定者研修はやり過ぎもなさ過ぎも良くない」と思っています。会社理解を深め、社会に出る心の準備をし、一緒に働く先輩社員や同期を知る、などということは、内定期間のこの時期にしかできない大切な事だと思います。ただし時間的負荷、体力的負荷を強いたり、早期戦力化と称して知識やスキルを無理やり詰め込んだりというのはちょっとやり過ぎだと思いますし、数年前はこんな会社が多かったように思います。

最近は「内定者には手をかけない」「特に研修はしない」という会社の話をずいぶんたくさん聞きます。内定者の人たちと話しても、「内定者研修がまったく何もない」という友人が結構たくさんいるようです。内定した会社からあまりにも音沙汰がないので、入社前の研修などはないのか、まさか本当に内定したのかということまで心配になり、自分から問い合わせたという友達が何人もいるという話を内定者の人たちから聞きました。

「そういえば特に何もしてないなあ・・・」なんていう会社側からの話も時々聞きます。中には「新卒採用は行うものの、内定者教育まではノウハウがなく気が回っていない」などという会社もありました。確かに効果として見えづらい面はあるので、どうしても優先順位は低くなってしまうのでしょう。経費節減という影響がこんな所にも出ているのかもしれません。
経済原則とは言いながら、ずいぶん極端に揺れ動くものだなぁと思います。ほどほどというのは本当に難しいものです。

ここ最近、学生さんや内定者の方々に話を伺っていると、内定を得ることが難しいためか、また内定者教育に手をかける会社が減っているためか、入社前に教育されることを肯定的、前向き、善意に捉える人が増えているように思います。
そんな人たちですから、経費や時間をかけず、ほんのちょっとした集まりや、場合によっては電話やメールのやり取りだけでも、少しだけかまってあげることで内定者の心には大きく響くところがあるように思います。

目に見えづらくても効果は確実にあります。是非皆さんの会社にとっての「ほどほど」を実践して頂けると良いと思います。


2012年12月7日金曜日

社員旅行をどう思いますか?


社員旅行を行っている会社は、ずいぶん少なくなったといいます。一方で、社員同士のつながりが希薄になりがちな昨今では、その意義が見直されて復活しているような話も聞きます。

一般的な話では、「なんで毎日一緒に仕事をしている人と旅行をしなければならないのか」「仕事を離れてまで会社の人と付き合いたくない」「旅行くらいは気の合う仲間と行きたい」「オジサンたちとの宴会旅行はイヤ」など、特に若手社員は否定的な考えの人が多いと聞きます。

私が思うに、たぶん昔であっても行きたくないと思っていた人はたくさんいて、でもそんなこと言えないし、会社のしきたりだからとイヤイヤでも参加していたのではないでしょうか。今は若手社員であっても、「イヤなものはイヤ」とはっきり言うようになっただけのように思います。

私自身は、社員旅行は意外に好きで良く参加していましたが、それでも新入社員で初めて行く時はあまり気乗りがしなかった記憶があります。
当時の私の社員旅行イメージは典型的なオッサンの宴会旅行でしたから、今の若手社員と同じく「そんなもん楽しいはずがない」と思っていました。もし社員旅行についての意見を求められれば、たぶん否定的な事を言っていたに違いありません。

でも実際に行ってみると何のことは無く、社長も上司も先輩もその他仲間も日頃と違ってリラックスしていて、別にからまれるわけでもいじめられるわけでもなく、いろんな人の仕事と違う面が見えたり、あまり知らなかった人との親交が深まったり、旅行をきっかけにした共通の話題ができたりして、参加して良かったなぁという感じでした。初めはイヤイヤだったけど、行ってみたら意外に楽しかったという、まぁ良くあるパターンです。
そう思うと、最近のように若手社員に不評だからやめようなどと、初めからその場が無いというのは、なんだかもったいない気がします。

つい先日も、私の母があまり面識がない人たちと一緒に食事をしなければならないような話になり、「この年になって初対面の人に会って挨拶するのは苦痛だ、嫌だ」とさんざん言っていたのですが、いざ会ってみると共通の話題もあったらしく、「いい人たちで良かった」と言っていたことがありました。
私のその時二度と会いたくないほどイヤな人に出会う事は稀だし、面倒と思ってもとりあえず会ってみればいいこともあるんじゃない?」と言ったことがあります。

世代や立場が違う人、初対面の人との交流は、確かに面倒な感じがします。でもそれをそのまま避けてしまうよりは、とりあえず会ってみる方が良いことが多い気がします。会ってみた結果が「あのオッサン、やっぱりイヤな奴だったなぁ」であっても、自分の引き出しとしては増えるはずです。

もしも社員旅行のような行事があるならば、あまり毛嫌いせずにとりあえず参加してみると、意外に面白い発見があるのではないかと思います。


2012年12月6日木曜日

「望ましい人物像」の意見交換


ご支援しているクライアントでの新入社員受け入れのOJT準備の研修の中で、「新入社員の育成にあたって会社として望ましい人物像はどんなか」、「それに基づいて新入社員の1年後はどんなレベルまで到達していて欲しいのか」を、ワークショップの形で意見交換を行いました。
人材育成の中で、ゴールイメージや達成目標が具体的になっているとより行動がしやすいという事があるので、これをできるだけみんなで共通認識することが目的でした。

望ましい人物像と言われると、受講者の皆さんからは「前向きな人」、「素直な人」、「礼儀正しい人」、「積極的な人」といった、ごく一般的に言われる抽象的な内容が出てきます。これを参加者同士で意見交換をしながら、具体的にはどういう事なのかを掘り下げていきます。

例えばどういう行動が見られると前向きと捉えられるのか、そもそも前向きってどういうことなのか、素直とはどんな態度や行動が当てはまるのか、何ができていると礼儀正しいのかというように、できるだけ具体的になるようにブレイクダウンしていきます。私は講師ですが、あくまでファシリテートするだけで、議論が深まるように質問を投げかける役に徹します。

そんなやり取りをしていると、例えば「素直」と言っているのは「物事を肯定的に捉えられる人」のことであり、それもただ言われた事を鵜呑みにする訳ではなく、自分なりに考えて確認すべきことは確認できる人ということでした。

そうすると「前向き」とか「積極的」と表現されていた所とつながっていることがわかったり、人によって同じことを違う言葉で表現していたことが判明したりします。

「礼儀」と一言でいっても、接客であれば一流ホテルのレベルから近所の八百屋のオバちゃんの接し方までいろいろあるし、挨拶の仕方だって最敬礼から会釈まであります。そんな中で自分たちの会社で言っている礼儀正しさとはどういうレベルなのかを問いかけて確認して行きます。そうすると「相手から好感をもたれる挨拶」→「笑顔で目を見て声に出した挨拶」などと、どんどん具体的になっていきます。

このワークショップだけでは時間が足りなくて、本当の意味での具体化レベルまでは到達できなかったのですが、それでも自分たちなりに考えるきっかけにはして頂いたようです。

このように社員同士の間で、何となくの雰囲気や以心伝心で通じているつもりになっていたことを、あらためて掘り起こして話題にしてみると、案外違う事を考えていたことがわかったり、新しい発見があったりということがあるものです。

今回は「望ましい人物像」というテーマでしたが、それ以外でもこんな取り組みを社内研修や定例会などの機会を使ってしてみると、意外に効果があるのではないかと思います。


2012年12月5日水曜日

事務処理コストの本末転倒


ある会社から郵便物が届きました。やけにたくさん切手が貼ってあって金額も余分なようです。それとなく聞いてみると、郵便物の重さをいちいち図るのが面倒なのと、そのためのハカリを買うのがもったいないので、いつも多少余分に切手を貼っているのだそうです。余分に切手を貼る分でハカリなんてすぐに買えてしまうように思います。

コピー用紙の使用にとてもうるさい会社があります。裏紙の使用はもちろん、ミスコピーなどするととっても怒られます。でも紙の購入は近くの文具屋でどう考えても高い金額で買ってきます。たくさん買っても置き場所がないのと、遠くまで買いに行くのが面倒なのだそうです。別に出かけていかなくても通販で買えるし、置き場所を工夫してその分だけ買えばよいと思ってしまいます。

「安いから」と言ってわざわざ遠くまで買い物に行き、その交通費や人件費を考えていないなんていう話はよく聞きますが、ここに挙げたほど極端ではなくても、企業においてこの手のことはよくあります。手間をかける意味がわからない指示が下りてきたり、決裁や判断、その他処理を先延ばししたシワ寄せが現場に行ったり、経営者や管理者の朝令暮改で手戻りになったり・・・。相応の意義や目的があれば良いですが、本末転倒になっていると思うことも良くあります。

マネジメントにおいて、臨機応変さは絶対必要ですが、それによって発生する事務処理コストを経営者や管理者がきちんと把握した上で、総合判断しているケースは案外多くないように思います。これを把握するためには、現場で行われていることは細かな事務作業のたぐいであっても、経営者や管理者自身がある程度知っておく必要があり、やはり現場視点が重要だということになります。

もう一点、新たな事務処理コストが発生する時、その意義が理解されていないと実際に作業する現場のモチベーション、やる気は確実に落ちます。これは組織全体の生産性が落ちることを意味します。

経営者や管理者が原因のことも、現場の担当者が原因のこともあるでしょうが、本末転倒なやり方を見て「なぜこんなやり方をしなければならないのか」とため息をつき、やる気を失っている人がたくさんいるかもしれません。自分たちの会社がそうならないように、経営者や管理者は心に留めておく必要があると思います。


2012年12月4日火曜日

失恋?バーゲン?社内FA?


この表題でおわかりの方もいらっしゃると思いますが、こんな社内制度を取り入れている会社があります。よく紹介されているおなじみのものも含めて、ちょっと目に付いたところだけでもこんなものがありました。

・失恋休暇(独身の社員が失恋した際、年齢に応じて休暇が取得できる。年齢とともに休暇日数が増える)
・誕生日休暇
・バーゲン半休、二日酔い半休
・社内フリーエージェント(社内転職)
・非喫煙手当
・サイコロ給(毎月「(サイコロの出目)%×給料」が、+αとして支給される)
・社内恋愛目安箱(社長だけが鍵を持っている箱に、女子社員が意中の男性社員の名前を書いて入れると、相手の意思を確認し、場合によってはとりなしてくれる)

他にも社内バーを設けて利用は無料としたり、社員同士のホームパーティーを費用援助したり、社員旅行社内運動会といったかつての定番行事も復活してきているようです。
これらすべてに共通して言えるのは、社員のプライベートともいえる部分にもかかわろうとしているということです。

近年は成果主義、経費削減、仕事とプライベートをはっきり区別する風潮などもあって、効果がわかりづらいような社内行事や社員向け制度は縮小、廃止される方向でした。
しかし最近は、社員のプライベートに関わる部分も会社が支援したり、社員同士が仲良くなったりすることで、会社という集団への社員の帰属意識が増しチームワークが向上し、生産性も上がっていくという考え方が改めて見直されてきており、従来からある定番行事の復活はもとより、独自のユニークな制度を考え、導入する企業も増えてきています。

もちろん個人の価値観は多様化していますので、このような流れに必ずしも賛同しない向きもあるでしょうが、会社が人の集団で組織であるということを考えると、人の気持ちに訴え、チームを盛り上げることは絶対必要なはずです。

あまりコストをかけずに実施出来る、自社なりの名案もあると思いますので、皆さんの会社でも是非考えて見てはいかがかと思います。


2012年12月2日日曜日

目標へのこだわりの程度


何事にもしっかりと目標を立てて取り組むことは大切だと思います。それは前提として尊重した上で、若干それに反するようなお話です。

以前ある方から伺ったお話で、今の時代は「選択の時代」「オプションの時代」であり、それはどういうことかというと、今のように変化が激しくかつ複雑な時代では過去の事例が必ずしも役に立たないので、十分な情報を集めてその中から多くの選択肢を用意することは、時間的にも情報量としても行いづらく、その時々に手元にある情報の範囲で限られた選択肢、オプションの中で判断することを繰り返して行かなければならない。

だから、かつてのように中長期計画を立て、それに基づいた年度計画を立て、その計画に基づいて事を進めて行くというような、初めに計画や目標ありきという形を取る事が非常に難しくなっているということでした。
「計画や目標は常に見直しを行って行く柔軟性が必要である」とのことでした。

私も決して計画や目標を軽く考えている訳ではありませんが、初めに設定した目標、その中でも特に結果目標(会社でいえば業績目標など)にこだわり過ぎると、今のように先の結果を見通すことが難しい時代では、判断を誤ったり、対策が手遅れになったりする危険性が大きいように感じます。

一度決めたことを変えるということは、どこか後ろめたい感覚を持ってしまいがちですし、「目標未達などというのは気迫が足りない」というような経営者、上司もいるでしょうが、今のような時代では、あえて「目標にこだわりすぎない」という姿勢も必要ではないかと思います。


2012年12月1日土曜日

就活での仕事選択のやり方


今日から就活サイトがオープンなのだそうです。学生さんの就職活動はどんどん早期化し、その歯止めをかけた結果が今の時期ということですが、自分たちの頃と比べると、それでもやっぱり早いなぁと思います。

それでも学生さん達は、自分なりにどんな業種や職種、どんな仕事を選択するかということを考え始めていることでしょう。

その際の考え方について、ちょっと他人の受け売りですが、わかりやすい整理の仕方だったので紹介したいと思います。

まずある会社を志望したとして、その志望動機となる自分の気持ちを三つの軸「仕事」、「会社」、「人」に分けて整理するのだそうです。

三つの軸すべてが兼ね備えられていればそれに越したことはありませんが、ほとんどの場合はどこかに偏りがあります。志望している会社に対して、今感じている魅力がどの軸に掛かるものなのかを考え、その偏りを自分が許容できるのかを客観的に考えることが必要との事でした。

それぞれの軸に分けて整理することで、例えば社長や先輩社員という「人」に魅力を感じているが、「仕事」の内容についていけるか自信が無い、また「仕事」はやってみたい内容だが「会社」の体制が不安定など、一つの軸に目を奪われているが故に他の軸が見えなくなっているという自分の思い込みを冷静に見直すことができ、「入社してみたが思っていたのと違った」などというミスマッチを防ぐことにつながるということでした。

もし身近に就活中の学生さんがいらっしゃる方は、志望業種や職種選定にはこんな考え方もあるというアドバイスの一つに活用していただけると幸いです。