2018年11月15日木曜日

カリスマリーダーほど配慮が細かいという話


かつて早稲田大学のラグビー部を二連覇に導き、「日本一オーラがない監督」といわれた中竹竜二氏の対談記事が目に留まりました。

いくつかの興味深い話題の中で気になったのが、「カリスマリーダーは細かい配慮もしている」と言う話でした。

従来から評価されてきたカリスマ型リーダーの行動を細かく研究したところ、彼らはトップダウンの強力な言動だけでなく、それと同じくらい細やかな配慮もしていることがわかってきたといいます。

ラグビーでは、中竹氏の前の監督で、今はトップリーグのヤマハ発動機ジュビロを指導している清宮克幸氏は、トップダウン型リーダーの典型のように言われますが、実はものすごく繊細な気配りをする人だそうです。
また、前の日本代表監督だったエディ・ジョーンズ氏も同じくトップダウン型と言われますが、選手一人一人とバランスよくコミュニケーションをとるために、そのプランニングまでしていたそうです。
全体に向けては「俺の言うとおりにしろ」と強く発しても、陰では選手一人一人に「ぜひお前の意見が聴きたい」といって意見を求め、一対一のコミュニケーションを欠かさないそうです。
優秀なリーダーは、自分で引っ張るリーダーシップと、部下を支援するフォロワーシップを状況に応じて使い分け、その方法のバリエーションが豊かだということが、研究で明らかになってきているとのことでした。

最近、ある会社でこんな話を聞きました。新たに部門長に昇格させた者が、肩書がついた途端にパワハラ体質に変貌し、何でも高圧的な命令口調に終始して、部下たちが疲弊してしまっているそうです。
昇格推薦をした上司は、「そういうタイプの人間には見えなかったのですが・・・」と言って落ち込んでいます。

こちらは優秀でないリーダーの典型な訳ですが、優秀なリーダーかそうでないかの違いは、私は「リーダーが思っている目的の違い」だと思っています。

優秀でないリーダーでは、ほとんどの場合が、「自分の○○のため」に活動しています。
前述のリーダーのように高圧的な態度に終始するのは、支配欲や権威欲といった「自分の欲求を満たすため」ですし、無責任で腰が引けた態度に終始するリーダーがいたとすれば、「自分の保身のため」となります。
有無を言わせない態度は「自分の意見を通すため」「自分の思い通りに運ぶため」「自分のやり方にこだわるため」でしょう。指導するためのスキルが不足しているとも言えます。

これに対して優秀なリーダーは、「最高の成果を出すため」に活動します。強く引っ張ることや命令することが成果につながるならばそうしますし、人の意見を聞いた方が良ければそうするでしょう。
優秀なリーダーであれば、そのどちらか一方だけでは成果が出ないことを知っているので、その時の状況に合わせて様々な方法を使い分けます。個人的な欲求や感情には左右されません。そういう意味で、自分のことに対しては無欲と言えるのかもしれません。

スパルタ一辺倒で結果を出したリーダーも、かつていましたが、もしその人がもっと柔軟に、多くのバリエーションを持ってメンバーと接していたとしたら、実はもっと簡単に、もっと早く、もっと高いレベルで結果が出ていたのかもしれません。少なくとも最近の研究成果ではそういうことのようです。

スポーツ界では、相変わらずパワハラ的な指導が発覚し続け、問題になっています。こういうことが続くのは、結局は指導者のスキル不足と勉強不足であり、そこから始まる自己中心的な態度であり、「最高の成果を出すため」には活動していない証明です。
優秀なリーダーになりたければ、もう少しいろいろ学び直さなければいけないと思います。


2018年11月12日月曜日

「若者を認めないと上の世代は生き残れない」という話への納得


ある書籍の紹介記事に、こんな話がありました。
「最近の若いやつは・・・」という言葉に関するものです。上の世代がこの言葉を口にした段階で、終わりの始まりだと言います。

ご存知の方も多いでしょうが、この手の苦言はエジプトの古代遺跡からも同じことが書かれたものが見つかっていて、人類誕生の時期までさかのぼっても良いような、時代を問わずに共通した話だと言われています。

この昔からの苦言について書かれた一節に、とても納得してしまいました。
それは「あとから生まれてきた者の方が優秀なのは当たり前で、もしそうでなければ人間はとっくに絶滅している」というものです。
もしも「昔の方が優れていた」との言い分が正しいとしたら、それは進化でなく退化であり、スケールダウンを繰り返している生物が生き残るわけがないと述べられていました。

動物でも植物でも、時代や環境に合わせて成長を続けてきたから生き残れるわけで、後から生まれた「年下」の方が「種」として優秀なのは、自然界のルールだとされていました。
若者世代への批判は、ほとんどが「進化への乗り遅れ」であり、「年下の方が優秀」という事実は、認めたくないだろうが、認めなければならないとされていました。
「いや、そんなことはない」という年長者はいるでしょうが、私はその通りだと思いました。

例えば、「最近の子供はひ弱だ、体力がない」などと言われます。実際に体力テストなどをすると、そういう結果も見られるようですが、それでも人の寿命は延びています。もしも本当にひ弱で体力がなくなっているとしたら、それは人間が絶滅に向かい始めたことになる訳ですが、「人生100年時代」などと言われている今のところは、そこまでの兆候はありません。

「若者が本を読まなくなった」と言いますが、SNSやネット上の情報など、読んでいる文字数自体は結構多いという話を聞いたことがあります。情報の取り方が変わってきたということでしょう。

「文章が書けない」とか「会話が下手」などという人がいますが、その行為自体が他の方法に置き換わっていたり、必要性が薄れていたりしているのかもしれません。
「ナイフで鉛筆が削れない」「栓抜きで栓が空けられない」「缶切りが使えない」などは、今の時代でそれができなければ困る場面はほとんどないですから、そのことを取り上げて「今どきの若者は何も知らない」などと言うのはかなり筋違いです。

「昔の方が優れていた」「今の方が劣っている」と思っても、それは目の前に見えている局面の中だけのことで、実はもっと大きな進化の中で変わってきていることなのかもしれません。
もしも「最近の若いやつは・・・」と言いたくなることがあったとしても、いったん冷静になって、「なぜそうなのか」を考えると、若者の方が理にかなっていることが数多くあるはずです。

新しい物事への順応性は、若い世代の方が間違いなく上です。それは生き物にとっての「進化」です。
上の世代は、「年下の方が優秀」ということを、もう少し理解しておかなければならないと思います。


2018年11月8日木曜日

「高速バスでの運転拒否」で気になる指導者のこと


徳島から大阪へ向かう高速バスで、入社間もない59歳の運転手が、同乗していた53歳の指導員の指示に従わず、逆上して途中のパーキングエリアにバスを止め、運転をすることを拒否したという話題がありました。乗客17人は、後続便に乗り換えるまでおよそ1時間待たされたということです。

高速を走行中に、指導員が「エンジンが焼きつく」との理由で、ギアを上げて走るように注意したことがきっかけで、最初は穏やかな口調でのやり取りだったようですが、運転手は「低いギアで走るのが自分のやり方だ」と反発し、「これ以上運転できない」として、予定になかった最寄りのパーキングエリアでバスを停めたといいます。
入社してまだ2か月でしたが、他のバス会社で数十年の運転歴がある人で、トラブルの2日後に退職したということです。

この行動について、特にネット上では、ほぼすべての批判がこの運転手に向けられていて、「仕事への責任感がない」「いい年をして大人げない」「辞めてくれて正解」「運転手不適格」などと言われています。
行動の結果からすれば、そう言われてしまっても仕方がないでしょうし、この運転手自身の責任が大きいのは間違いありません。批判もやむを得ないでしょう。

ただ、いろいろな報道記事を読んでいた中に、「運転手に逆上した理由を聞くと『自分でもわからない』と泣きながら話した」という一節があり、自分の感情をコントロールできなくなっていた様子がうかがえます。何かよほどのことがあったのではないかと思えなくもありません。

さらに実際に乗車していたという人のツイートが目にとまり、そこでは何を聞いても答えず、謝罪もしなかった指導員への批判が出ていました。SNSなのでどこまでが真実かわかりませんが、指導運転手のパワハラで退職した別の人の話も出ていたりします。当事者同士の実際のやり取りを聞いていた人たちは、一般で言われている批判とは少し違うことを感じているのかもしれません。

ここまでこじれた例ではなくても、仕事の指導上のトラブルというのは、意外に多くの会社で起こっています。その原因は、指導する側、される側、もしくは両方の能力不足にあります。いくら教えても身につかないという苦労話はよく聞きますし、部下をつぶす上司の話も同じようによくあります。

特に後者の場合はパワハラを伴うことも多いですが、指導する側とされる側の相性が悪く、それでもその関係を続けざるを得なかったり、他の人の介在がなく、いつも一対一、もしくは少人数の閉じた関係になっていたりすると、パワハラは起こりやすくなります。

今回の件では、運転手のこれまでの経験からして、運転技術が全く不足していたとまでは思えず、そうなると私の経験上は、指導者側にも何らかの問題があったのではないかということになります。

当事者でもなく、現場の事情も知らない私が、これを誰の責任だとかどちらが悪いとか、そんなことを言う資格は一切ありませんが、一つだけ言えるのは、ここに至るまでには何かの前段があったのではないかということです。
人が「キレた」という状態になる時、ある日突然起こるよりは、少しずつ積み重なってきた不満があって、それがある時に爆発してしまうことが多いです。爆発のきっかけは些細な一言だったりするので、その場面だけ見た人は「なんであの程度でキレるのか」となりますが、実際にはそれ以前から問題があることが多いです。

こういったことを防ぐ方法は、周りからの健全な監視の目、良識ある第三者の関与しかありません。不正、いじめ、嫌がらせといったことは、他の誰かの目に触れる可能性があるだけでも、ずいぶん多くのことが防げます。

この運転拒否の件では、ここまでの問題にならずに済んだ方法が、何かあったという気がしてなりません。