2023年8月28日月曜日

人を育てるための「許容」と「責任」という言葉

 ある企業で今のマネージャーに続く、次世代リーダー人材の育成を進めようという取り組みをしています。人材育成に悩みがない企業に出会うことはほぼなく、その中でもリーダー、マネージャーといった中核人材をレベルアップしたいと考える企業は非常に多いです。

 

人材が育たない理由には様々なものがあり、例えば「仕事は見て覚えるもの」などと言われて、自分が上司から教わった経験もないために、同じことを部下にしているようなことがあります。それでもみんな自分で何とかしようと努力するので、何となくつじつまが合ったような結果になることはありますが、育成と称した放置なので、理にかなった効率的な人材育成ということはできません。

 

多くの企業の現場を見ていて、人材育成が進まない大きな原因の一つに「経験させていない」「任せていない」という権限委譲の問題があります。その理由は上司が「自分でやった方が早い」と考えていたり、「任せるだけの信用がまだできない」「失敗されると困る」と思っていたりするなど様々です。

もちろん、まったく理不尽ということはなく、上司もいろいろ考えていますが、どちらかというと任せることに慎重で、部下がいつの間にか年令ばかりを積み重ねていたりします。

 

今の支援先で実施しているのは、権限移譲を計画的に進めて、その進捗状況を確認しながら、目標見直しと実践を継続していくことですが、そんな取り組みを進めている中で目についた言葉に、「許容」と「責任」というものがありました。

最近話題になった髪型自由など、高校野球のあり方について書かれた記事の中にあったものです。

 

チーム作りに関する考え方にはいろいろなものがあり、「監督の指示通りに動く選手の育成」という方法もあるが、それではこれからの時代に通用する人材育成という面で足りておらず、一人一人の個性や主体性、多様性などをもっと追求する必要があるとされていました。

その中で、ただ何でも自由にした方がいいということではなく、選手主体で自分たちの置かれた環境ではこれがいいと決めて、前に進めていくことが大事であり、そこからもたらされるのは「許容」と「責任」だという話でした。

指導者が選手らに自由を与えて「許容」し、その代わりに選手たちは「責任」を持った行動を求められるとのことでした。

 

この「許容」と「責任」は、前述の企業における人材育成でも同じことがあります。

どこまで「許容」して、どこまで「責任」を持たせるのかは、まさに権限委譲のさじ加減を指していますが、今見ている中で多いのは、やはり指導する側の「許容」が足りず、育成される側に「責任」が生まれていないことです。

「指示通りに動く人材」の方が、目先の結果が想定しやすく指導する側の安心感もあるため、どうしてもそちらに偏りがちになっています。短期的な目標達成のプレッシャーがきついなど、全社的な環境の問題もあるかもしれません。

 

多くの企業で自律人材を求めていると言いながら、実際には自律させようとしていないかのように見えることが多々あります。特に次世代人材を育成していくためには、この「許容」と「責任」のバランスを考えていかなければならないと思います。

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年8月7日月曜日

契約したらきっと「パワハラ的」だったと思われる会社の話

 私が独立して仕事をするようになって16年目になりますが、幸いなことに「困ったクライアント」には出会ったことがありません。

しかし、他の人に話を聞くと、意外に困った経験をしている人が多くいます。

 

最も悪質でひどいのは報酬の踏み倒しですが、例えば事業再生など企業のマイナスを食い止めるような仕事をしている人は、結構そういう目にあっている話を聞きます。基本的にお金がない会社、負債がある会社との取引なので、そういうトラブルに巻き込まれやすいのでしょう。

 

もう一つの困りごとは、様々な形で「パワハラ的」な振る舞いをする会社です。多いのは契約にない無償労働の強要とか、事後の一方的な値切りとか、脅しやマウントを取るといったような、まさにパワハラの王道のような話もあります。

 

なぜ私がこういう困ったクライアントに出会わなかったかというと、確かに運はありますが、そういう様子がありそうなクライアントとは、仕事の話があっても断ってきたからです。

 

まず、私の場合は専門分野が人事や組織の改革改善なので、そういうニーズがあるのはビジネスが伸びていて真面目に組織を作ろうと考えている会社です。成長している会社なので、不払いなどの金銭トラブルになる心配はほぼありません。たまにリストラ的な話が来ることはありますが、私の専門ではないので仕事を請けることはありません。

 

もう一つの「パワハラ的」なところでは、相手とやり取りしている中での自分の勘のようなものがあります。単純なものでは、交渉相手が何とか強い立場を取ろうと駆け引きをしてくるときです。強く出たり、反対に急におだてたり、高額報酬の話をしてきたかと思えば、その前段は無償でやるべきだと言ってきたり、ごくまれに恫喝のような態度を取られることもありました。

私の仕事は、お互いのパートナーシップで協働することが重要なので、駆け引きが必要になるような関係では成り立ちません。お話をいただいても結果的にお断りすることになります。

 

なぜこんな話をするかと言うと、某大手中古車販売会社の「パワハラ」の話が連日話題になり、さらに不動産や金融など、他の業種でも同じような経験をした人の話がたくさん出てくるようになり、なぜそんなことが普通に行われて、しかもそれに耐えている人がなぜこんなに大勢いるのだろうかと考えていたことがあります。

 

たぶん私のように、危うい相手を事前に気づく人はきっと大勢いて、ただし自分の上司は私が契約先を選別するように選ぶ自由はなく、解決するには社内異動を待つか転職するかのいずれかしかありません。それまでの一定期間は「パワハラ的」なものを受け入れざるを得ない環境に置かれてしまいます。やはり会社と社員の間には力関係の問題があります。

 

ただ、これから先は少し様子が変わってくるかもしれません。人材の売り手市場が普通となり、転職先の選択肢は増えていくでしょう。それがしやすい環境が進めば、あえて「パワハラ的」な理不尽を我慢しながら働き続ける必要はなくなります。そこで働く人がいなければ、おかしなことをする会社は淘汰されていきます。パワハラが市場原理の中でマイナスであれば、それをするところは減っていくでしょう。私がクライアントを選ぶのと同じことができるようになります。

 

パワハラが起こるのは、それにつながるメリットが何かあるからです。個人の感情を満たすことや会社の利益になることなどいろいろですが、そんなメリットがなくなって逆に損することが増えれば、おかしな行為はかなり減らすことができそうです。すべてなくすのは無理でも、ずいぶん良くなる感じがします。対等な関係というのは、やっぱり重要なことだと思います。