2020年6月29日月曜日

禁止や強制を許容する心理


NHKの世論調査で、感染症の拡大を防ぐために、政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法改正が必要だとする回答が、約6割にのぼったという報道がありました。
当然とする声がある一方、自分たちの自由が制約されることに無頓着な姿勢に、懸念を示す声もありました。私の個人的意見は後者で、社会の秩序を保つことは大事ですが、権力者に自由を制約する権限を広い裁量で与えることは、信用もできないし単純に気持ち悪いというところです。

このことを「お上に弱い日本人」と表現している人もいましたが、これに関連する話で、一つ私の印象に残っていることがあります。
それは、「世界一幸福な国」と言われるブータン王国が、2007年あたりから始めた国王中心の絶対君主制から、立憲君主制や議会制民主主義への移行に関する話です。
珍しいのは、国王が主導した「上からの民主化」というところで、特に圧政でもなかった国民にとってはとまどいばかりで、「なぜこんなことをするのか」「王政のままで良い」という人が多かったそうです。民主主義を「国王が大切だというなら」と何とか受け入れている状況で、今でも「昔が良かった」という国民がたくさんいるようです。

ただ、国王は「自分一人に権力を集中させていては小国は生き残れない」と考えて始めたことで、近年のグローバル化の中では、「国民ひとりひとりがもっと自立しなくてはいけない」と話していました。

こんなところから思うのは、「お上に弱い」「管理されたがり」というのは、決して国民性などではなく、リーダーが良識的で自分に害がない前提ならば、従っていた方が楽だからではないかということです。

以前、ある会社でこんなことがありました。一般社員とのセッションで、いろいろ改革が必要な社内課題が挙げられましたが、その実現方法を検討している中で、半数以上の社員が言ったのは「(社長、部長、その他管理職に)指示、命令を出してもらう」ということでした。
トップダウンの風土が強い会社だったので、常にそうやって物事が決まってきたせいだと思われますが、上司や会社に対する不満を言っていた社員たちが、それを解決する方法として「(上司や会社に)命令してもらう」といったのは、自分で手を下さずに権威に頼ることが染みついてしまっているのだと、とても印象的でした。

私は、他人に迷惑はかけたくないし、自分勝手は慎んで、社会のルールは守るべきと思っていますが、基本的な自分の行動を自分で決められないのは耐えられません。だから「命令してもらう」というような態度は絶対に嫌です。命令する人がどんなに偉い人、人格者であっても、そこまで他人は信用できないからです。

この「お上まかせ」「管理されたがり」ということには、権威主義、同調圧力など様々な環境上の問題はありますが、私は「個人の自立不足」が一番大きいのだと思います。

最近話題の「自粛警察」も、他人の権威に乗っかって自分のプライドを満たそうとするのは自立不足の証拠ですし、「会社ブランドと自分の実力の混同」といったことも、広い意味の自立不足ではないでしょうか。
変化が激しく多様化した社会では、自分のことはきちんと自分で考える、「個人の自立」がより一層重要だと思います。


2020年6月25日木曜日

人事施策の効果は「他社比較」ではわからない


ある会社で「人事考課の自己評価には意味があるのか?」と聞かれました。
その人の会社では、一般社員は自己評価せずに上司だけで評価を行い、最終結果のみをフィードバックしているそうです。フィードバックの目的は指導、育成が建前ですが、実際にはただの点数伝達になっていることもあるようです。

別の人からは「評価面談は必要か?」と聞かれました。
部下の人数が多く、かなり多くの時間と労力を評価のために使っているようで、部下の平均年齢も高いことから、面談での指導といっても、あまり手応えがないようです。

自己評価や面談の仕組みが「絶対に必要か?」と聞かれれば、私は何とも言えません。会社ごとの事情がありますし、やらなくてもそれなりの業績を上げている会社はたくさんあるからです。
ただし、「実施した方が良いのか?」と聞かれれば、よほどのことがない限り、私はイエスと答えます。あくまで私が見てきた中ですが、やらないことのメリットは管理職が楽になるくらいで、それぞれの会社を時系列で見続けていると、面倒でも手間をかけてコミュニケーションを重ねている会社は、従業員満足、社員定着、組織活性化、能力向上、そして業績と、様々な面で向上しています。

しかし、こういうことは他社との比較ではなかなかわかりづらいところがあります。転職者が「前の会社はやっていなかったが、今やっている状況と大差がない」とか、「前の会社ではやっていたのに、この会社はやっていないからダメだ」などと言いますが、企業風土、職場環境、過去からの経緯など、すべての状況が違いますし、これは2、3社での経験をもとにした主観的な感じ方に過ぎません。

「働きやすい会社ランキング」という調査が行われていて、毎年その結果が発表されています。
その評価項目の中に「評価オープン度」というものがあり、内容は以下のようなものです。
・人事考課の評価基準の公開、対象者の範囲
・360度評価の仕組み、対象者の範囲
・考課者以外の第三者が検証する仕組み、導入状況や対象者の範囲
・人事考課の結果を本人に伝える制度の有無
・人事考課の結果について異議申し立てをする制度の有無
・評価結果や目標達成度のフィードバックに際して上司と部下の面談の義務付け
・目標に対する貢献度などを評価する仕組みの導入
・目標に対する貢献度の個人の給与(基本給)への反映

つまり、こういう内容を重視して取り組んでいる会社が、社会一般から好感度が高い会社として認知されているのです。

この内容に対して、現状でどんなレベルにあるかは、それぞれの会社によって違います。まったく取り組んでいない会社も、すでに長期間に渡って取り組んでいる会社もあるでしょうが、その両社を比較することにはそれほど意味がありません。今回は評価制度の話ですが、その他も含めた人事施策に関する効果というのは、他社との比較ではわかりづらいからです。どんな方法でもよいですが、自社で「定点観測」をし続けることが必要です。

ですから問題は、その会社が何も取り組みをせずにいる場合か、取り組んでいても「効果が見えない」などと代替策もないままでやめてしまうような場合です。同じことをやり続けていても形骸化で効果は薄まり、やっていたことを単純にやめてしまうのは、よほどマイナスの施策でもやっていない限り、状況が好転することはありません。
そして、会社の人事施策が「変わらない」「後退する」では、その施策効果は測れません。「変えた」結果を、自社に閉じて時系列で見ていかなければ、効果の有無はわかりません。

ただし、取り組み課題を見つける上では、外部情報や他社情報は参考になります。
「評価オープン度」のような内容は、世間で何が重視されているかがわかりますし、他社の取り組み事例なども同じです。

あとは「やって意味があるのか」ではなく、「意味があるようにするにはどうするか」を考えなければなりません。行動して初めてやるべきことが見えてきます。


2020年6月22日月曜日

「会社の事情に合わせるべき」の基準の違い


ある会社の新入社員ですが、実は内定していた会社から、当初の約束とは違う条件を急に提示され、かなり悩んだ末に辞退して、あらためて就職活動をした結果での入社だったそうです。
やる気満々でいろいろ準備していたそうですが、気持ちを切り替えて、残された時間や求人自体も少ない中で活動して、きちんと行先を決めたのは本当に大変だったでしょうし、よく頑張ったと思います。

私は、この内定辞退は、本人のためには良かったのではないかと思います。もしここで我慢して会社の提示を受け入れたとしても、たぶん同じようなことが入社後もまた起こると思うからです。
これは、元の内定先を非難しているわけではありません。先方にも様々な事情があったはずで、会社の存続がかかるような、どうしようもない中での決断だったのかもしれません。
ただ、どんな事情にしろ、最終的には「基本的な雇用条件の約束を覆す会社」です。辞退した新入社員とは、価値基準が食い違っています。
入社前にその基準の違いが明らかになったのは、逆に良かったのではないかと思うのです。

組織の中で働いている以上、自分の気持ちや意見を抑えて、会社の事情に合わせなければならない場面には、どこかで必ず出会います。「それが組織人として当たり前」という人もいれば、「社畜」などの言葉で卑下する人もいます。

この「会社の事情に合わせるべき」という基準の違いは、私が多くの会社に関わる中で、常に感じることです。この違いは、単に良し悪しでいえるものではありません。

これは、それぞれ採用活動のアドバイスをした会社でのことですが、ある会社は面接などのスケジュール調整は、できるだけ応募者の都合に合わせようとしていました。ただ、「いつでもご希望に合わせます」などと言ってしまうので、応募者からちょっと軽く見られてしまうようなところがありました。「とにかく採用数を確保したい」との意識が強かったようです。

これに対して別のある会社は、すべての予定を会社の都合でピンポイントに指定していました。「採用してほしいなら、これくらい会社の都合に合わせるのが当然だ」とのことでした。ただ、選考に進むのは、志望度が高い応募者というよりは、押しに弱い、相手の言いなりなど、強制されると流されがちなタイプが多かったようです。担当者は「いい人が来ない」と口癖のように言っていました。

極端な対比の両社ですが、社風もかなり違っていました。
前者は社員がフラットな関係で意見を言い合える自由さがあり、よく言えば活気がある、悪く言うとけじめが足りないという会社でした。現場の意見が強く、ともすればわがままが過ぎるようなところがありました。
これに対して後者は、上下関係が結構はっきりしていて、トップダウン志向が強い会社でした。上になるほど威張っているようなところがあり、社員たちも上の人に対して、何となくチヤホヤしている感じです。一見組織的ですが、何でも決めるのは上の人たちなので、自分で考えないことが習慣づいた思考停止の社員が多く、人材がなかなか育ちません。

「会社の事情に合わせるべき」の基準の違いは、私が見てきた中では、この「上下関係への敏感さの度合い」に比例しています。
上下関係に敏感な会社は、「上司には媚びるが部下には威張る」「発注元には言いなりで発注先には無理を言う」など、常に相手が上か下かを見ていて、それに合わせて態度を変えることが企業風土に染みついています。
逆にフラットな関係が身についている会社は、相手の事情をきちんと聞くので、こういうことは起こりません。ただ、指示通りに行動させるには手間のかかることがあります。

組織運営への考え方は、会社によってそれぞれで良いと思いますが、上下関係に敏感な会社ほど、「相手が下なら尊重しなくてよい」と考えがちです。それではたぶんこれからの多様性を求める考え方についていけず、応募者からは敬遠され、徐々に淘汰されて行ってしまうでしょう。
反対にフラットな関係の行き過ぎは、みんなが勝手な意見を言い出したりするので、適切なリーダーシップが必要になります。

最近言われる新しい組織モデルの方向性は、「階層に頼らない“自律型組織”」が取り上げられています。これが実現するかはともかく、少なくとも「上意下達で問答無用にいうことを聞かせる」のは、もう通用しないことだけは確かでしょう。

自社の「会社の事情に合わせるべきと考える基準」がどこにあるかは、あらためて見直してみると良いと思います。