2013年5月31日金曜日

ついつい出てしまう“上目線”の言葉


ある会合でのパネルディスカッションで、ワークライフバランス、ダイバーシティ(多様性の意味で、 企業で人種、国籍、性別、年齢を問わない人材活用のこと)の話題になった時、パネリストのお一人が「“女性の活用”という言い方がそもそも上目線であり、自分は“女性の活躍”と言い直している」とおっしゃっていました。

“活用”という言葉をあえてかみしめてみると、確かに「使ってやるよ」「使い方を考えてやるよ」というニュアンスがあるように感じます。私は男性の立場で、何も気にせずに使っていましたが、お話を聞いてなるほどと思いました。

こんな話との関連ですが、最近いろいろな人から発せられる“上目線”の言葉が、結構気になっていました。政治家、芸能人、経営者、その他社会的に影響力がある人たちばかりですが、伝わってくるニュアンスとして「どうせ気がついていないだろう」「お前たちじゃ理解できないだろう」「代わりに言ってやってるんだぞ」「俺って頭いいだろ」・・・その他もろもろですが、そんな感じを受けることが多々あります。

ご本人は意識していないかもしれませんが、やっぱり深層心理の本音で、どこかそういう気持ちがあって、それがちょっとした振る舞いや態度、言葉選びに出てしまっているのではないでしょうか。

本音を隠せとは言いませんし、自分の意見をはっきり述べるのは大切なことですが、どうも主張することばかりが強調され、聞いている相手の事情や心情、関係者への配慮、そして何より他者へのリスペクト謙虚さを欠いているように感じてしまいます。攻撃的なばかりでは、かえって自分の主張は通らなくなってしまうと思うのですが・・・。

いずれにしても、ちょっとした態度や言動、そして特に「言葉選び」には、気をつけなければならないと感じているところです。
年を重ねればなおさら、「オレ様」な態度にならないように気をつけないと!


2013年5月29日水曜日

「やりたい仕事」の見つけ方


就職活動をする学生さんの間から、「やりたい仕事が見つからない」という言葉は、結構よく聞きます。実は多くの人が、「本音では何をやりたいのかよくわからない」と思いながら活動しているのではないかと感じます。

就活もほぼ終息した秋口でも、学生さんに「どんな会社を回っているの?」と聞いたら、「やってみたいことが見つかっていないので、とりあえず視野を広げるためにいろいろ回っています」といわれたことがありますが、それくらい迷いがある人もいるということです。

それでは、いま社会人として仕事をしている人たちで、本当に「自分がやりたい仕事」に就いている人はどのくらいいるのでしょうか。また、「これが自分のやりたい仕事だ」とはっきり意識している人は、いったいどれくらいなのでしょうか。私はそんなに高い比率ではないように思います。

私自身のことでいえば、今は人事のコンサルタントとして、自分の知識や経験を通じて、クライアントに貢献することが「自分のやりたい仕事」になっていますが、これはいろいろな経験をしてきた上での、結果論としての「やりたい仕事」です。
「まぁ何となく興味は持てるかも・・・」という程度でご縁のあった会社に入り、紆余曲折の結果で今の「やりたい仕事」があります。

学生の頃で言えば、漠然と「人とかかわる仕事」などとは思っていましたが、はっきりとした姿が描けていた訳ではありません。「やりたくない仕事」はたくさんあったけど、「やりたい仕事」はよくわからなかった、というのが正直なところです。

最近の就職活動では、皆さん自己分析などを一生懸命やりますが、人と接するのが好きだから営業職だとか、コンピュータに興味があるからエンジニアだとか、機械の勉強をしたからメーカーだとか、うわべの自己分析結果をもとに、うわべのつながりで思いつく仕事と単純に結び付けているだけで、本当の意味での「自分の得意なこと」と、それを活かせそうな「世の中にある仕事」を、うまく結びつけられていないように感じます。

また私の経験では、実際に仕事に活きた「自分の得意なこと」というのは、とても小さなことだったり、偶然に経験があることだったり、すごく間接的な事だったり、事前に予測できないようなことが多かったように思います。実際にやってみないと、いったい自分の何が活かせるのかはよくわからないところがあります。

「やりたい仕事」を見つけた上で就職活動をしようというのは、実は難しいように思います。ここにこだわってしまうと、本音ではそう思っていないのに、「これはやりたい仕事だ」と自分に言い聞かせるようになり、就職はしたものの、「やっぱり違う」ミスマッチになってしまうように思います。

今、世の中にある職種を自分の力で増やすことはめったにできないでしょうから、自分がどんな職種に合うのか、合わせられるのかを考えなければなりません。
まずは自分の「得意なこと」「好きなこと」「興味が持てること」を細かく見つめ直し、それが活かせる場面はどこにありそうかを考える方が大事だと思います。「漢字が得意」がデータ入力の仕事で活きたり、「趣味の食べ歩き」が接待の多い職場で活きたりというようなことは多々あります。

初めから心に決めたやりたい仕事があれば、これは素晴らしいことです。でもそうではない人もたくさんいるはずです。
「やりたい仕事」は、初めに決めなければならないものではなく、仕事をしながら徐々に見つけていくものではないかと思います。


2013年5月28日火曜日

スキルアップは会社の責任?本人の責任?


IT業界の人材育成に関するお話をうかがってきました。
いろいろ参考になる内容でしたが、中でも印象に残ったのは、ある調査の結果で「業務時間外に自主的に勉強を行っている技術知識等は?」との質問に「業務時間以外に自主的に勉強することはあまりない」と回答した割合が、20代でやや高くなっていたそうです。「自主的に学ばない若手」という傾向があるのだそうです。

一方、企業側に「年間総人件費に対する教育研修費の割合」を尋ねた結果、「0%」(教育研修費を支出していない)と回答した企業が21%、「0.1~1%未満」16.6%だったとのことで、年間の総研修時間についても同じような傾向だったそうです。「企業の学ばせる力が弱い」ということでした。

IT業界は技術者比率が圧倒的に高く、技術進歩も速いので、学んで身につけなければならないことがとても多い業界ですが、この状況は少々よろしくないです。
どうも社員の側は「会社がもっとスキルアップを支援すべき」と考え、会社側は「スキルアップは本人が自発的に行うべき」と考えているようです。

私の立場からすれば、どちらの言い分も理解はできます。
会社にとって教育は投資であり、本人にその気がなければいくら研修しても身につかないですから、そんな無駄なことはしたくないと考えるのは当然です。
逆に社員からすれば、「どんなスキルが必要か自分で考えろ」「勉強するのは自分の責任だ」などといわれても、何の方向性も示されないままでは、一体自分が何をしたらよいのか簡単にはわからないでしょうし、わからないままではなかなか行動には移せないでしょう。

会社と社員それぞれのWin-WInを考えるなら、お互い相手のせいにせず、協力し合わなければ始まらないと思います。きちんと教育投資をすれば、会社には中長期的には業績となって返ってくるし、本人が自発的に勉強に取り組めば、自分自身の人材価値を上げることにつながります。

どんな仕事でも、学ぶことをやめたら終わりです。どっちの責任などと言っている場合ではないと思うのですが・・・。


2013年5月25日土曜日

求人応募者との相互理解不足の害


 経営者の方々、人事担当の方々の多くは、せっかく苦労して社員を採用したのに、短期間ですぐ辞めてしまったというような経験をお持ちだと思います。

この大きな原因の一つは、採用時の会社理解の行き違いです。応募者から見れば「初めの話と違う」「思っていたのと違う」ということ、会社からすれば、「もっとできると思っていたのに」「期待はずれだった」などという例がこれに当たります。

応募者と会社側のお互いの理解不足ですから、当然双方に問題がありますが、採用活動の主導権というのは、一般的に会社側にある場合がほとんどですから、応募者側の努力にはおのずと限界があります。早期の退職に至ってしまうようなミスマッチの原因は、どちらかといえば会社側の情報提供のしかたに問題のあることが多いと感じます。

例えば、「こんな事を知ったら辞退されてしまうのではないか」と、現実をはっきり伝えなかったり、入社の直前直後に状況が変わって、当初の約束と話が違ってしまったり、そもそも伝えるべき事項を認識していなかったり、情報提供する意識が希薄だったりして、純粋に意思疎通が不足している場合などがあります。

いくら言いづらいといっても、肝心なことを隠すのは、後から問題になるに決まっていますし、様々な事情で最初の話と違ってしまったというような場合も、事前に状況変化の可能性を伝えておくことや、話が変わった段階で速やかに誠意を持って話し合うことなどが必要でしょう。

伝えるべき事項を認識していない、意識が希薄などというのは、悪気がないゆえに最も問題で、これは逆の立場でいえば「応募書類が整っていない応募者」と同じことになります。こういう人を採用したいと思う会社はないでしょうが、これは応募者側から見ても同じことになります。自社の情報を積極的に提示しようとしない会社には、あまり信頼感を持てないでしょう。

また、「期待はずれだった」というような、会社側から見たミスマッチにも、情報提供不足が関係しています。
応募者からすれば、自分にやっていけそうもない仕事、合わなそうな会社に入社しようと思わないのは当然で、入社するということは、少なくとも自分では大丈夫と判断したということです。

その応募者を採用するか否かは、会社側が面接などの選考によって決めることではありますが、もしも会社側がしっかり情報提供をして、お互い会社理解での行き違いを極力少なくする事ができたとしたら、採用基準に合わない応募者は、たぶん自分の方から辞退していくはずです。やはり自分のことは自分が一番わかっているという面があります。

早期の退職者が出たり、能力の見込み違いがあったりすると、それを事前にどうやって見極めるかという議論になりがちですが、採用活動は実際にはお互いに選び選ばれる行為です。いかに応募者を選ぶかということばかりでなく、自分たちのことをより知ってもらおうと努力すれば、「早期退職」「期待はずれ」もずいぶん少なくなるのではないかと思います。


2013年5月24日金曜日

日本の長寿企業数は世界一


あるセミナーで、「100年続く強い企業にするためには」というお話をうかがいました。
日本には、創業200年を超えるような長寿企業が3千数百社あるそうです。これは、世界中の長寿企業の4割を占めるそうで、千年を超える企業も7社とかあるそうです。ちなみに2位のドイツでは千数百社ということでしたので、日本がいかに突出しているかがわかります。
また、そのほとんどが従業員300人未満の中小企業であり、多くが家族経営のような企業だそうです。

日本に長寿企業が多い理由について、いろいろな方が述べられている内容を調べてみましたが、出てきたものは以下のようなことでした。

・本業重視(多角経営が少ない)
・信頼経営(長い歳月をかけて勝ち取った信頼を財産として、企業リスクに対抗している)
・目先の利益を追わず、細く長く経営するという理念を持つ(過度な成長、過度なパワーを望まない)
・徹底した職人気質(現場を大切にする)
・血縁を越えた後継者選び(婿養子などで財産の分散を抑え、血縁関係がなくても後を継げるようにする。)
・保守的な企業運用
・顧客や地域を重視し、「社会の公器」という志を持っている。
・危機への創造的な適応(守るものは守り、変えるものは大胆に変える)
・品質への限りないこだわり
・後継者の育成への注力
・「終身雇用制」と「年功序列制」

どれもそれなりに納得できることですが、共通するのは「ちょっと前の日本的企業」という気がしました。そう考えれば、最近の日本企業の弱体化は、グローバル化という大きな流れの中で、本来は持ち続けるべきだった強みも捨ててしまったためというような感じもします。

うかがったお話の中で、最も印象に残った「100年続いている企業の共通点」というのは、以下のようなものでした。

・創業者の理念を脈々と伝えている
仰々しい言葉で語られた理念などではなく、例えばおいしいものを食べさせたい、世の中を便利にしたい、といったような、誰が見てもわかる簡単な言葉や言い方で伝えられていて、創業者の思いが今でも明確なメッセージとして活きている。

・次の世代にどうやって引き継ぐかを常に考えている(100年先を見て経営している)
老舗の味とか、昔ながらの製法とか、職人の技術とか、絶対守るべきものは守り通す一方、IT化だったり、話題の場所への進出だったり、技術を活かした新商品だったり、新しいことへの感度が高く、いかに時代に合った経営をしていくかを常に考えている。

私も言葉の大切さというのはいつも意識していますが、経営理念となると、どうもカッコよくしたいとか思ってしまうのか、独りよがりのこだわりに陥ってしまうのか、さんざん考えた挙句に、ありがちなきれいな言葉になってしまって、いまいち他の人の心には響かなくなってしまっているように感じます。
また、何を守って何を変えていくかの判断は、本当の究極の課題だと思いますが、リストラやコストカットなど、少し短期的な視点に偏り過ぎ、結果的に力を失ってしまっている気がします。

あらためて、伝えたい思いは「ストレートな言葉で表現する」ということ、そして「出来るだけ遠くを見て判断する」ということの大切さを感じているところです。


2013年5月22日水曜日

「会社」って誰のこと?


「会社は・・・」「会社が・・・」「会社として・・・」.etc・・・。
「会社」主語にした会話が社内や社員同士でされる機会があります。
でもこの「会社」っていったい誰のことを、何のことを指しているのだろうか、と思うことがよくあります。

社員がこういう言い方をする場合、指している相手は、社長個人だったり、役員クラスほか経営陣の何人かだったり、部長課長といった自分の上長だったりといろいろですが、自分が所属している「会社」にもかかわらず、自分自身はそこには含まれていないニュアンスが多いようです。

経営者、その他上位の職制の者が言う場合は、「会社」に自分は含まれているものの、必ずしも社員を指していないことがあります。社員がいてこその「会社」なのに、です。

中間の管理職では、これは人によってですが、社員がいう「会社」でも、経営者ほかがいう「会社」でも、どちらでもないような態度の人がいらっしゃいます。

社員が「会社は・・・」と言う時は、批判的な内容の話が多く、経営者ほかが「会社は・・・」と言う時は、“経営上”という名目での一方的な都合の話が多いと思います。でも経営者も管理職も一般社員も、みんなが揃って初めて「会社」な訳で、本来はみんなが「会社」の当事者であるはずです。

「会社は・・・」という主語での会話が、批判や一部の都合ではなく、一体感を持った同じようなニュアンスで語られるようになれば、もっともすばらしい事だろうと思います。
そのためには、まず「会社」に関わっている一人一人が、「会社」に対する当事者意識を持つことがスタートではないかと思います。


2013年5月21日火曜日

受け身はそんなに悪いのか?


最近よく「今の若い人達は受け身で指示待ちだ」という話を聞きます。私も確かにそんな傾向は感じますし、自分でどんどん仕事を見つけて自律的に動いてくれる部下がいたら、どんなに良いだろうかと思います。
ただ、受け身指示待ちって、そんなにいけないことなのでしょうか? もし自分の部下が、自分の判断でどんどん動いてしまったらどうなるのでしょうか。

多くの人は、「受け身で指示待ち」批判はするものの、その前提として「自分の意図を汲んで」「自分が指示するであろうことを先回りして」など、「自分の思った通りに動く」という条件がつくはずです。本当に「能動的に指示を待たずに」行動されると、実はとっても困るはずです。

また、「言われないと動かない」と言いますが、逆に、「言われると素直に一生懸命動く」とも言えます。実はやる気もあって、会社や上司や世の中の役に立ちたいと、真面目に思っています。こんな気持ちで指示を待っているとしたら、それはいけないことではないはずです。

「受け身で指示待ち」ということは、確かに指摘される側(多くは若手社員、部下)にも問題はあります。しかし、指摘・批判する側(多くは上司、、先輩、管理者)は、自分の一方的な都合思い込みで、そのように言っているところがあります。

少子化で、小さいころから大人たちとの関係作りが大切で、大人たちの言う通りにして、できるだけ失敗しないようにと、家庭でも学校でもそれを心掛けて育ってきた人たちならば、社会に出た途端に「自分で考えろ」と言っても、それはちょっとかわいそうです。

「受け身で指示待ち」の背景を理解して、一日も早く一人前になれるように一つ一つ教えていくのが、私を含めた社会人の先輩たちの務めではないかと思います。


2013年5月18日土曜日

社員も会社に投資している


経営者や管理者の方々から、「研修とか福利厚生とか、会社は社員にたくさん投資をしているのに、社員はそれが理解できない」「これだけ手をかけているのに退職者が減らない」というお話(グチ?)をうかがうことがあります。

そうおっしゃる会社は、確かにいろいろな研修機会を設けたり、社員をねぎらうためのイベントや、その他さまざまな機会を積極的に作っているところが多いです。「会社からこんなにいろいろしてやっているのに!・・・」という、ちょっと恨みめいた感情的な部分も感じます。

ある講演で、「社員も会社に投資しているんですよ」というお話を聴く機会がありました。
「ともすれば、会社は社員に対して一方通行で投資している感覚になるけれど、社員だって自分の人生で最も大切な“自分の時間”“能力”を会社に投資している」というお話でした。「社員が辞めるというのは、その社員が投資する先を変えるということで、どんなに相手に尽くしたからといっても100%避けられるものではない。だから一方的に恨むものではないし、投資し合う者同士として良い関係が継続できればよい」ということでした。

特に中小企業では、社員のことを「仲間」「身内」「家族」という捉え方をする経営者の方は多いです。そんな思い入れを持っている相手が、自分たちから離れていこうとするのは、心の中の正直な気持ちとして、許容できないのも無理はないと思います。
でも、お互いに投資し、投資されるというイーブンな関係と捉え、もしも辞めてしまうことになっても「家族から巣立って独立する娘、息子」と思えば、ビジネス上の「良い関係」は続けていけるのではないでしょうか。


2013年5月17日金曜日

「応募者が多い」と喜ぶが・・・


今のような雇用環境であっても、一般的な中小企業であれば、応募者の数を集めることに苦労することも多いと思います。たくさんの応募者があると、経営者や人事担当者はそれだけでうれしそうにしているものです。

これは、「応募者が多ければ人数は確保できるだろう」という“数”の皮算用と、「良い人材が混じっている確率が上がるだろう」という“質”の皮算用の両方です。
こんなことから、まぁ普通に考えれば、「応募者の数は多いに越したことはない」「多い方がいいに決まってる!」となるのでしょう。

でも、本当に応募者は多ければ多いほど良いのでしょうか?

ちょっと見方を変えて、採用活動の作業効率を最優先に考えると、最も良いのは採用人数ピッタリの応募で、全員が採用基準に達している場合になります。その人たちが全員「御社が第一志望です!」と言って、全員が入社するというのが最も良い状況です。条件に合った応募者が最小限の人数で集まることが、一番望ましいということになります。

そう考えると、応募者の中で、自分たちが採用したいと考える人材の比率が高ければ良い採用活動ということができます。いくら応募者がたくさんいても、条件に見合わない人、不採用になる人が多いならば、採用活動としては非効率ですから、良い活動とはいえないはずです。
望ましい人材が集まらないということは、事前の情報提供の方法、内容などに問題があるかもしれないという見方もできます。応募者が多いといって喜んでいる場合ではないでしょう。

ちょっと視点を変えるだけで、今までよいと思っていたことが、全然違う形で見えてきます。目の前の状況を一方的な見方だけで一喜一憂するのは、あまり意味がなさそうに思いますし、問題の本質を見失うなど、デメリットになる事さえあり得ます。
こんな採用活動の例だけでなく、いろいろな場面で心しておく必要があると思います。

2013年5月15日水曜日

退職理由を調べても・・・


「××さんは辞めちゃったんですよ・・・」
「あれ! そうなんですか・・・」
などという会話をすることが、最近結構あります。せっかく知り合いになったのに、縁遠くなってしまう気がして寂しく思ったりします。

また、いろんな方々から、転職独立起業のご連絡も頂きます。
それぞれの人が自分なりに考えた上での選択ですから、そんな皆さんには是非頑張って頂きたいし、一緒に何かできれば良いなぁなどといつも考えていますが、一方で私は企業側のお手伝いをする立場でもあるので、きっとこういう方々は会社にとっては残ってほしい人材だったんだろうなぁと思い、どうすれば残ってもらえたのかということも考えたりします。

今のような雇用環境であっても、人材流出に悩んでいる企業は意外に多いです。悩んでいるのを通り越して、どうせそんなものだとあきらめてしまっているような会社もあります。
それぞれの会社で、自分たちなりにいろいろ原因や対策を考えています。
やり方として多いのは、退職者に退職の理由や原因をヒアリングし、そこから原因を探って対策するということですが、実際にこれが効果的な対策に結びつく事は多くはありません。

「どうせ辞めていく人が本音を言う訳がない」という面はありますが、もう一つはっきり言えるのは、「退職理由が要素分解できて、整理して説明できる場合は少ない」ということです。

明確に説明できる退職理由というのは、例えば「行きたい会社に内定した」「やりたいことがある」「給料が上がる」「家庭の事情」などで、どちらかといえば会社としてはどうしようもない、要は対策のしようが無いことがほとんどです。

他の多くの場合は、“そこに至った理由はいろいろあるが、何が一番とか言えない”、“あれもこれも理由なんだけど、どれがということで整理して説明できない”ということです。感情的な要素も含まれますし、それまで問題なかったことがあるきっかけで理由になったり、そもそも自分でもよくわかっていないこともあります。
もちろん「本音を言うと誰かを傷つける」「今後の人間関係に不利益になる」とすれば、当たり障りのない理由をその場しのぎに説明するということになってしまうでしょう。
そんな情報をそのまま真に受けても、あまり有効な対策にはつながらないのは当然です。

私も人材流出に関する相談を受けますが、これを止めるには、結局は組織のムードを良くすることに尽きます。対症療法ではなく体質改善ということです。「とりあえず定例でお茶会でもしようか」なんていうレベルの、ごく初歩的で身近な事が有効な対策であることも少なくありません。
退職理由から対策を探るだけでなく、組織そのものの体力測定、健康診断のように、今一度自社の状況を総合的に見直してみると、意外に見えて来る対策があると思います。

もう一つ、どんなにりっぱな会社でも、どんなにすばらしい経営をしていても、辞める人は必ずいます。そんな人を笑顔で送り出し、良い関係を保ちながら応援できるようであれば、これも素晴らしいことなのではないかと思います。


2013年5月14日火曜日

「格差の境目」はどこにあるのか?


ここのところ、「格差」の問題がいろいろな場面で取り上げられています。
「格差」というワードでネット検索してみると、経済格差、所得格差、賃金格差、資産格差、情報格差、健康格差、教育格差、雇用格差、世代間格差、地域間格差、企業間格差、学校間格差、一票の格差など、本当に数限りなくたくさんの言葉が出てきます。

まあ同じような要素が複数あれば、その間には当然違いというか差がある訳で、その差を「格差」とすれば、どんなことでも「○○格差」となってしまいますから、何事にも格差はつきものということになってしまうのでしょう。

私はどんな事にも差があるのは当たり前と思いつつも、行き過ぎた格差は問題であると思っています。たぶん多くの人は、総論ではこんな感じだと思うのですが、ではいったいどこからが「格差」なのかを考えると、ずいぶん難しい問題であると思います。

例えば、地域間格差を考えた時、私は神奈川県在住ですが、「東京と神奈川に格差がある」とはあまり思いません。もちろん違う意見もあるでしょう。これが「東京と静岡」だったらどうなのでしょう?格差というほど違わないように思いますが、実際は良くわかりません。では「東京と九州」「東京と四国」だったら・・・? さすがに格差はあるのかなぁと思いますが、でもよくやっぱりわかりません。

経済格差も情報格差も教育格差も、結局許容しきれない格差は存在するが、それが具体的にどの程度なら許せてどの程度以上はダメなのか、誰もわかっていないはずです。きっとみんな違うし、その境目を線引きすることはそう簡単ではないのだと思います。

これは私の人事コンサルタントとしての仕事の中で、人事制度を作る時にもまったく同じことがあります。例えば“評価による処遇の格差はどの程度が適切なのか”、というような議論です。
だいたいどこの会社でも、「ガッツリ差をつける派」「やりすぎは好ましくない派」に分かれ、喧々諤々の議論をします。最終的にはどの会社も、自社の業態、社風、社員の性格特性などまでを考慮して落としどころを決めています。やっぱりある程度の時間をかけて議論して、一定の共通認識を得ないと「格差の境目」は決められないと思います。

最近はこの「格差の境目」を議論しようという空気もあるようですが、どちらかというと強い人たち主導の議論のように思います。ちなみに人事制度の場合も、「ガッツリ差をつける派」は圧倒的に経営者や役員クラスが多いです。
いろいろな立場の人たちを網羅して、バランスの取れた議論が行われ、「格差の境目」がうまく見つけ出せればよいと思います。


2013年5月11日土曜日

逆の立場で初めてわかること


お付き合いしている会社から、「○○みたいなことをしなければならなくて、対応できる専門家の方を知りませんか?」と聞かれました。

依頼したいことの概略は理解していたし、まぁいろんな方々とつながりもあるしと、タカをくくって気軽に請けたのですが、いざ誰かを探そうとすると、これが意外に難しい・・・
あの人かこの人かといただいた名刺をひっくり返し、いろんな人が頭に浮かんでは消え、結局意外に身近な方に行き当たって、何とか対応していただけそうで一安心です。

私たちは、本来は専門家として、逆にこうやって探される立場です。「こういうことなら自分に言ってくれれば・・・」などと思うことも多いのですが、実はお客様にこんな面倒をかけながら、多大な手間ヒマをかけた上で探し当てていただいているのかと思うと、恐縮するやら申し訳ないやらです。

また、専門家という立場もわかっている私が探しても、こんなに右往左往するのですから、普通に探していたら、いかに大変かということもわかった気がします。

もう言い尽くされていることですが、「逆の立場で初めてわかる」ということは、やっぱりたくさんあります。そして、そういう意識を持っていたとしても、やっぱり実際にその立場になってみないとわからないものだと、あらためて思いました。

ついでにもう一点、自分や自社のこと、できることや専門性をしっかりブランディングして発信するということは、お客様に探す手間を取らせないためにも大事なことなんだと感じているところです。


2013年5月10日金曜日

指示命令をされる側の気持ち


ある大企業で上級の管理職をされていた方が定年でリタイヤされ、その後すぐに住んでいる地域の自治会運営に関わることになりました。しかし周囲の人からあっという間に総スカンで嫌われてしまいました。大きな組織をまとめていた経験をお持ちで、人望もあろうはずなのになぜなのか・・・。

何をしたかというと、自治会に参加してすぐに「君はあれをやって!」「あなたはこの担当で」「これはこうすべき」などと矢継ぎ早に周りの人に指示命令を発して仕切りだし、なおかつ自分は実際の作業には手を出そうとしなかったそうです。

この場面だけを見れば「そんなことすれば、そりゃあ嫌われるでしょう」と思いますが、実は大きな組織で大人数をまとめている管理職の仕事って、これと同じようなことが多いのではないでしょうか。この元管理職の方も、それまで仕事でやっていたことと同じペースで、当たり前の感覚で動いた結果だったようです。

組織の中でリーダー的な立場になると、“指示命令”という形で人を動かすことも増えると思いますが、これをされる側の心理として、「肯定的に捉えられないことが多い」ということは肝に銘じておくべきだと思います。

私が管理職の方々によくお伝えするのは、部下やメンバーの人たちは「指示命令に従っている」のではなく、「この指示命令には従おうと本人が判断して従っている」ということです。
“本人が判断して”の中には
「アイツは嫌いだが仕事だから仕方ない」
「言う事を聞いておいた方が得だろう」
「上司を助けたい」
「あの人に言われたら断れないなぁ」も、
いろいろな基準での判断が含まれます。

勘違いしがちなのは、指示される側は「職務上の立場として指示命令に従っている」ことが圧倒的に多いのに、指示する側は「自分は尊敬されている」「能力を認められている」「信頼されている」など、人として全面的に認められていると思い込んでいたりすることです。こういう人に限って、退職した途端に年賀状が数えるほどしか来なくなったなんていう、笑えない話を聞くことがあります。

前述の元管理職の方は、その後会社でやっていたことと地域社会での感覚のギャップに気づき、上から目線の態度を改め、実際に自分で手を動かしながら、少しずつ周りの人たちと信頼関係を作っていったそうです。そして信頼関係ができた時に初めてそれまでの組織をまとめてきた経験が活き、その地域のまとめ役になっていったそうです。

指示命令をされる側の気持ちとして、決して納得して喜んで従っているばかりではないという事、心から納得して従ってもらうには、信頼関係作りが大切だという事を、今一度心に留めて頂ければと思います。


2013年5月8日水曜日

「規則正しく」も悪くはないが・・・


通勤時間帯の駅の通路は、たくさんの通勤途中の人が歩いています。
あるコラムを読んでいて、外国の方がその様子を見た感想で、そこを歩いている人たちがみんな同じ姿に見えてしまい、ギョッとしたそうです。

似たスーツに同じようなカバンを持って、毎日決まった電車に乗り、決まった時間に出社するような、毎日あまり違いがない規則的な生活を続けている。それ自体が悪いと言うつもりはないが、そんなルーチンのような生活環境の中からは、ワクワクするような新しいアイデアは生まれないだろうし、新たなイノベーションが起こりづらいだろうということでした。

私もそうですが、ふと気がつくと、いつもと同じようなことだけをして、それで満足している自分がいます。規則正しく継続しているだけで良しとしているようなところがあります。無駄をなくすとか、効率を考えると、やはり自然とそうなってしまいます。

ただ、規則正しいことも継続することも大事ですが、その意識ばかりだといつの間にか行動がルーチン化してしまいます。そして同じことの繰り返しばかりでは、新しい発想は確かに生まれづらいと思います。

日本の会社では、「なかなか新しいアイデアが生まれてこない」という悩みがあるといわれます。
「規則正しく」「継続する」「積み重ねる」ことは大事にする一方で、毎日の行動に変化をつけ、知らないこと、新しいこと、いつもと違うことにも意識的に取り組む必要があると感じます。

会社勤めの方々にとってはなかなか難しいかもしれませんが、無駄も非効率もいつもの生活と違うことも、新しいアイデアを生み出すためには重要なことではないかと思います。
私も少しは、不規則、非継続を意識してみようと思います。


2013年5月7日火曜日

「望ましい人材像」と食い違う「社風」


どこの会社でお話をうかがっても、「自分で自律的に動ける人材」「自発的で積極性がある人材」「気が利いて先回りできる人材」が望ましいとおっしゃり、「そういう人がなかなかいない」ともおっしゃいます。

しかし、おっしゃる言葉は同じでも、それがどれくらいなのかという程度は、会社によってとらえ方が違います。よくよくお話をうかがうと、言葉で望ましいと言っている人材像と実際のところが、ずいぶん違っていると感じる時があります。たぶん、「望ましい人材像」を、今いる社員との比較で表現していて、世間一般でいう尺度をあまり意識していないためではないかと思います。

どういうことかというと、例えば、口では「自律人材」と言いながら、会社の制度や規則が細かく決められていて、社員はいかにしてそれを守るかが求められ、実際にはそんなに自律的である必要がない、なんていう場合です。自分の判断で仕事を進めようとすると、「手続きを守らない」「規律を乱す」「組織的な動きができない」などと批判されます。
本当の意味で自律的な能力がある人材ならば、こういう組織は本人にとって、最も居心地が悪い組織と感じるでしょう。

また、チームで動いて成果を出す仕事なのに、個人目標に対する成果だけで評価される、なんていう場合も同じような事が言えます。チームワークや協調が必要なのに、仕組みがそれとは反対の部分を強調しているようでは、望ましい仕事の進め方が定着することなどあり得ません。

特に社風や日常の仕事というような、当事者である経営者、管理者、社員にとって当たり前になっていることの場合、言っていることとやっていることの食い違いに、自分たちは気づきづらいものです。そんなつもりはないのかもしれませんが、いて欲しいはずの人材に嫌われるような制度、風土、雰囲気を作り上げてしまっている会社は意外に見かけます。

会社の望ましい人材にとって居心地が良く、共感できる制度、仕組み、風土でなければ、望ましい人材が会社からどんどん流出してしまうかもしれません。
こういう食い違いを無くすには、自分たちの考えていることと、実際にやっていることのギャップを、客観的に常に確認し、そのギャップを減らす努力を続けていくことしかありません。

皆さんの会社でも、言っていることとやっていることに食い違いがないか、制度、仕組み、社風といった面から、あらためて確認してみてはいかがと思います。本末転倒というようなことが、意外と見つかるかもしれません。ついでに宣伝させて頂くと、私たちのような社外人材を活用することも、そのための一つの手段です!


2013年5月4日土曜日

人材紹介会社とのお付き合いで(2)


前回の続きで、人材紹介会社とのお付き合いの中で、「自分たちの会社に応募者を紹介したいと思ってもらうにはどうするか」ということについてです。

実際に取り組んだことの一部は、以下のようなことです。

・紹介された方には、よほどずれていない限りはできるだけお会いする。
 会わずに断る書類選考NGは、紹介した側にとって好ましいはずがない

・接する態度、会社説明、その他の情報提供など、できる限りの誠意を持って行う。
 「良い会社を紹介してくれた」と思ってもらえれば、紹介会社にとってもプラス評価になる。

・選考結果は早めに通知し、詳細なフィードバックをつける
 紹介会社が転職希望者に対して説明がしやすいように結果を伝える。自社と紹介会社の認識合わせにも役立つし、合格であれば応募者のモチベーションアップに、不合格であれば今後に活かす材料にできる。(不合格理由の説明があいまいでは、転職希望者が紹介会社に不信感を持って当たり前) 

取り組みは他にもありますが、要は紹介会社の顔をつぶさず、「あの会社は応募者の評判が良い」と思ってもらおうということです。 結果として、紹介会社との信頼関係ができ、スペックに合わない紹介は減って選考の効率は上がり、紹介数も増えていきました。

ちょっとくだけた例ですが、合コンに自分の友達を連れて行って、そいつが相手から不評だったら、たぶん次は誘わないですよね。逆に評判が良い人次も誘おうと思うでしょうし、自分の評判が良ければ、次も誰かに誘ってもらえるでしょう。そんなことと同じ気がします。

人を介して他人を紹介してもらうことは、仕事上では多くの場面があると思います。通常の人付き合いならば、相手の立場を気にして行動するはずなのに、人材紹介のようなビジネスの形になったとたん、「こっちは客なのに紹介してこない!」となってしまいます。これではWin-Winの関係にはなりづらいでしょう。

たとえビジネス上の取引としての関係であっても、人付き合いの原点に戻って接し方を考えれば、より多くの良い出会いやチャンスがもらえるようになるのではないかと思います。



2013年5月3日金曜日

人材紹介会社とのお付き合いで(1)


ある会社でしていた採用活動に関する話の中で、社長さんが「人材紹介会社にも頼んでいるんだけど、なかなか紹介してもらえないんだよね」とおっしゃっていました。
特に中小企業にとって、人材紹介会社を利用するのは結構高価な投資という捉え方になるので、かなりの決断を要してのことだと思いますが、実際の紹介が思いのほか少なくて、拍子抜けと失望とあきらめが交錯しているようなニュアンスのお話でした。

私も企業で採用活動をしていた頃、同じように思っていたことがあります。会社に知名度がある訳でもなく、給料が高い訳じゃないし、仕事だってそんなに特徴がある訳でも画期的に面白そうでもないし・・・などと考えていました。外部環境のせいにして「まぁ仕方ない」と思っていた訳ですが、ちょっとしたきっかけで考え方を変えたら、ずいぶん状況が変わっていった経験があります。

考え方を変えたといっても、ごく当たり前の単純な事で、「どうしたら自分の会社に応募者を紹介したいと思ってもらえるか」を考え始めたということです。

人材紹介会社との契約は、多くの場合は成功報酬で“想定年収の○%”というものですから、先方からすれば「給料の高い会社に多くの人が決められる」ことが最も良いはずですが、こちらとすれば知名度給料事業内容も、そう簡単に変えられるものではありません。

・・・で何を考えたかというと、人材紹介会社にとってもう一方のお客様である、“転職希望者にしっかりと対応する”ということです。人材紹介会社は転職希望者と企業のマッチングをする立場で、お金をもらうのは企業からですが、一方で転職希望者のニーズを満たすこともとても重視しています。自分たちも、この人材紹介会社の立場を考えようということです。

実際に何をやったかということですが、これは次回のブログへ。


2013年5月1日水曜日

「雰囲気が良い」の勘違い


昨年のロンドン五輪で、サッカー男子日本代表がベスト4になりましたが、オーバーエイジ枠で参加し、主将を任されていた吉田麻也選手が、その頃に語っていた新聞記事が印象に残っています。

彼は、本番前の国内での壮行試合で、国立競技場へ向かうバス内の雰囲気が「フワフワしている」と感じ、「明るさと軽さは紙一重。一歩間違ったら危ないと思っていた」と、若いチームに潜む危うさを察知していて、その後のミーティングなどで引き締めを図っていたというコメントが出ていました。

私も自分の仕事上で、同じような「フワフワ感」を感じる機会が、意外にたくさんあります。
例えば社内研修中に、必要以上におちゃらけて笑いを取ろうとする受講者。厳粛さが必要な式典の最中に、やたらと私語をしたり騒いだりする子供や若者。ピリピリした上下関係をやけに嫌う部活動やその他組織活動。みんな仲良しだけど全然業績が上がらない会社など。

なぜそういう状況が起こるのか、私が思っている原因は二つあります。

一つは他人が真面目にしている、厳しい表情をしている様子が怖かったり、その場の空気に耐えられなかったりするために、そういう行為になってしまう場合です。
要は真面目な場を、本人が意識しているか否かにかかわらず、怖い、居づらいと捉え、そこから逃れようとしているということで、幼い子供がよく取る行動と同じということです。交友関係の狭さや経験不足から、その時々の状況を読み取れない、子供っぽい人が増えているといってしまえば、それまでなのかもしれません。

もう一つは、今回の表題の通り、「雰囲気が良い」という状態を勘違いして捉えている場合です。
例えば連戦連敗のチームがあったとして、私はそんなチームの雰囲気が良い訳はないと思いますが、それでも雰囲気が良いと言い張るのであれば、それは「雰囲気が良い」ことと、結果を出そうとしない馴れ合い単なる仲良しとを混同しているのではないかと思います。

「うちの会社はみんな仲が良くて雰囲気が良いんですよ」という話を聞くことがありますが、もしかすると、本当は厳しく言わなければならないことを言おうとしていない、必要以上にお互いを干渉しない希薄な関係、他人にするべき要求をしない、目標レベルが低い、向上心がない、なんていう問題が潜んでいるかもしれません。

やはり「結果を得る」ために必要なのが「雰囲気の良さ」であり、結果が出てこその「雰囲気の良さ」でもあります。
単に気楽で居心地が良い状態を「雰囲気が良い」と言っているとしたら、「雰囲気が良い」ということを勘違いしていると言わざるを得ないと思います。
最近少し強まっているように感じるこの傾向、皆さんの会社でもご注意を!