2020年5月25日月曜日

あるマネージャーの「寛容性」への導き方


新型コロナの感染状況は落ち着きつつあり、自粛が解除されはじめました。
規制が緩和されるにつれて、「自粛ばかりでは生活が成り立たない」「可能な経済活動はできる限り進める」という人と、「感染の再拡大が心配」「まだまだ自粛が必要」と正反対で考える人が出てきています。

これは、経済重視と自粛重視の二極化というよりは、何がどこまで大丈夫でどこからがダメかという線引きが一人ひとり違っていて、百人百様の考え方になっています。
外食一つをとっても「店内飲食は絶対避けたい」という人から「短時間なら」「距離を取れば」「横並びならば」「余計なおしゃべりをしなければ」など、いろいろな条件、基準を言う人がいます。
これからの研究結果で変わってくることもあるでしょうが、現状でどの考え方が間違っているということはありません。それぞれの人がそれぞれ判断することでしょう。

ただ、気になるのは「自分の基準に合わない他人の行動」「自分と異なる他人の考え」を強く批判する話が多いことです。誰でも感染したくない、他人に移したくないと思うのは共通していますが、優先しなければならないことは、それぞれの事情によって違います。
ごく一部の非常識な話は抜きにして、それ以外はどれが正しくどれが間違っていると共通的に言い切れるものではありません。ここには、やはり自分と異なる意見を排除せず、納得しないまでも理解して受け入れる「寛容性」が必要です。

「寛容性」というのは、実行しようとするとなかなか難しいことですが、ある会社で見かけたマネージャーの振る舞いが、これも「寛容性」への導き方の一例なのだと印象に残っていることがあります。

わりと若いメンバーが多いチームでしたが、個性も主張も強いメンバーがそろっていました。そんなメンバーたちを強引に押さえつけてチームをまとめる方法はあるのかもしれませんが、このマネージャーはメンバーたちに徹底的に意見を言わせる方法を取っていました。当然ぶつかり合いますし、放っておいては何も物事が決められません。

このマネージャーは、テーマの大小を問わず、よくミーティングをしていました。メンバーたちは意見の言い合いですが、ここでマネージャーは自分の意見を一切言いません。リーダーシップ不足のようにも見えてしまいますが、そのかわりメンバーの意見に対して徹底的に質問をし続けていました。
「なぜそう思うのか」「こういう時はどうするのか」「こういうことはあり得ないのか」など、それぞれのメンバーに対して聞いていくのですが、そうしていくと、どこかで必ず「自分と反対側の意見」に向き合い、考えなければならない場面に行きつきます。

メンバー同士で意見が相違しているような部分ですが、否が応でも「相手の立場」で考えざるを得なくなり、そうなると自分の意見での足りないところに気づいたり、反対に「やっぱりこれだ」と自分の意見に自信をつけたりすることもあります。
このプロセスをメンバー全員が共有することで、お互いが無意識のうちに他の人の考え方を理解し、結論としての落としどころが決まっていきます。頃合いを見てマネージャーが結論をまとめますが、相手の考え方を理解する「寛容性」でメンバーたちを導いていることは確かです。

このミーティングを繰り返しているうちに、メンバーたちは自然に「この人はなぜそう考えるのか」を意識するようになっていったそうです。マネージャーは「初めは時間がかかって大変だったけど、今は相手の意見を排除せずに聞く習慣が身についたので、手間がかからなくなった」と言っていました。

最近は、日本の社会全体から「寛容性」が失われてきているという話があります。好ましいことではありません。
もちろん、社会規範に反するような非常識が受け入れられないのは当然ですが、そうではない一般的な考えや意見には、必ずその人なりの背景や事情があります。
そのことを理解して受け入れる「寛容性」は、それぞれの価値観が多様化したこれからの時代では、特に大事になってくると思います。

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