2018年5月21日月曜日

アメフト不祥事で思う「組織の論理」から逃げられない怖さ


アメリカンフットボールで、日本大学の選手による危険なタックルと、何度も繰り返された反則行為に関する話題がなかなか収束する気配がありません。

私は初めツイッターの動画で見て、素人目でずいぶんひどいなと思っていましたが、その後競技経験者や指導者、くわしいファンなどの指摘を聞いていると、全員が口を揃えて「あり得ないプレー」と言い、最初の危険なタックルをした段階で、その選手をベンチに下げて叱責、指導をするのが当然だと話していることから、自分が思っていたよりも、さらにひどい行為だということを知りました。

今まで日本代表にも選ばれ、そんな乱暴なプレーをしたことのない選手が、なぜそんな行為に及んだのかという話でも、多くの関係者が監督やコーチから何かしらの指示、プレッシャーがなければそんなことは絶対しないと言っています。今後どこまで真実が明らかになるのかわかりませんが、今の段階での情報からみると、選手個人の単なる暴走ではない何らかの指示があったと考えることが自然でしょう。

私は今回の件を、企業で起こる不正や不祥事と重ねて考えてみましたが、たぶんそういう問題を起こす企業以上に、逃げ場のない閉塞された状況だったのではないかと思っています。

例えば上下関係の絶対的な点は、企業でもその組織風土によっては似たようなことがあり得ます。ただ、企業の場合は辞めて転職して、他の会社で同じような仕事を続けるという選択肢がありますが、大学の体育会の場合は少し事情が違います。
何か嫌なことやおかしなことがあったからと言って、転職と同じように他校の体育会に入り直すことはできません。体育会活動を辞めることはできますが、大学も合わせて辞めることまではなかなか考えづらく、それはその学校の体育会に在籍し続けなければ、競技自体を続けることがかなり難しいということになります。

競技を続けるには、卒業までの間は体育会に在籍するしか選択肢がないとすれば、その組織で多少嫌なことがあっても我慢し、理不尽な要求でも受け入れざるを得なくなります。監督、コーチ、上級生の言うことは常に絶対であり、どんなに曲がったことでも「組織の論理」に盾突くことは、企業の場合よりも一層難しいはずです。

さらに監督が大学や競技団体の中でも重鎮となれば、何か物申すことで反感を買ってしまうと、学生としても競技者としても、何かしらの不利益を被ることは明らかです。選手は年齢的にも二十歳そこそこですし、大人の言うことに毅然と立ち向かうのは難しいでしょう。

完全に干された状況になり、試合にも一切出してもらえないとなると、競技者としては非常に大きなマイナスです。これが企業の場合だと、こちらに非がないのに急に首になることはありませんし、仮に干されたり左遷されたりしても、給料がまったくゼロになることはありません。

また、非常に緻密な戦術と、選手の細かな役割分担をするアメリカンフットボールという競技の特性上、監督やコーチの指示が絶対的になりやすいという面もあるでしょう。
このように今回の件は、本人の意志に関わらず、「組織の論理」に従わざるを得ない側面が非常に強かったことは間違いありません。

「組織の論理」に引きずられ、自分が納得できない悪事を実行しなければならなくなったとすれば、それは非常に不幸なことです。今回はそれを拒んだときのデメリットがあまりにも大きいことから、選手は従わざるを得なかったのではないでしょうか。

あらためて「組織の論理」が乱用されることの怖さを感じます。まだ若くて将来がある選手には、何とか良い形で立ち直ってほしいと思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿