2012年8月31日金曜日

「和」の功罪

日本は「和」を重んじる文化といわれます。行き過ぎた成果主義を見直す中で、やっぱり組織の「和」が大切だというような言い方もされてきました。

私がずいぶん前に聞いた講演で、「和」には、「積極的な和」「消極的な和」があるというお話をうかがったことがあります。

「積極的な和」とは、文字通りチームワーク、協調性、他者へのリスペクトといった、一般的な「和」として言われるところですが、負の要素ともいえる「消極的な和」があって、これには隠蔽体質、非効率、競争を避けるといったものがあるとのことです。

欧米や中国などの諸外国は、程度の差はあれ個人主義、多民族、争いの文化であり、そのような文化的背景の中で社会や組織の統制を保つためには、法令やルールの整備、情報公開、他管理システム作りという形がとられてきているので、「消極的な和」に見られるような事象は必然的に排除されているが、日本は「和」の文化ということで、「消極的な和」のような負の要素が温存されがちな文化的背景がある、ということでした。

その方は「和」の維持と「和」の転換の両面が必要とおっしゃっていました。

私は「和」という言葉は好きでしたし、その当時は、「和」は全面的に維持しなければならない大事なもの、という捉え方をしていましたが、このお話を聞いて、たとえ原則と思われているようなことであっても、一方的な視点だけに固執せず、バランスが取れた見方をすることが重要だと強く思った記憶があります。

こんな見方で見直す必要がある事柄は、案外たくさんあるのかもしれません。

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