2019年6月20日木曜日

「世代の違い」を理由にすると思考停止になる


部下や若手社員の指導、育成に悩んでいるマネージャーは多いですが、そういう時にわりと高い確率で「世代に違い」の話になります。
つい先日も、ある会社でそんな話になりました。

その会社では、年令的には50代以上の人がほとんどで、「仕事に向き合う姿勢が甘い」などと言い出したので、そもそも建設的な話にはならないパターンです。
なぜかというと、この手の話の展開は、自分たちと「違っていること」ばかりが強調され、それが「良くないこと」だと決めつけられ、さらに解決や改善のための具体策は見つからないままで終わるからです。
あたかも具体策のように、「もっと厳しく指導する」などの話が出て、そういう研修に行かせるなどと言う会社がありますが、それは根拠がないただの精神論で、解決策でも改善策でもありません。

世代の違いと語るとき、こんな話を聞いたことがあります。
それは、自分の10代後半から20代の、俗にいう青春時代に接した文化や社会背景を、年令を重ねても引きずるものだという話です。その当時に聴いていた音楽や、流行っていたファッションなどは、時代が変わっても何となくそこから離れられないといいます。そう言われると、自分にも思い当たることがたくさんあります。
人間の気質にも、同じくそういうところがあって、バブル世代や就職氷河期世代など、みんな時代背景それぞれの気質があり、それは教育などで簡単に変わるものではありません。世代間で「違っていること」に注目すると、こんなことから解決の糸口が見つけづらくなります。

ここでちょっと見方を変えて、「世代が違っても共通していること」に注目してみます。
例えば、「きれいな景色」は世代を問わずに共通ですし、「おいしい食べ物」は確かに時代のはやりはありますが、世代というよりは個人の好みの違いです。
人とのかかわり方でも、「褒められたり認められたりするとうれしい」とか、「他人にやさしくすると良い」」とか、世代を問わずに共通する気持ちがあります。

こういったことで、世代によって違うのは、その「基準」とそこに至る「道筋、やり方」です。
例えば「顧客満足」のとらえ方のレベルが低いとすれば、その基準が違っているということなので、そこに対する指導や働きかけはできます。ちなみに年長者ほど意識が高いとは限らず、「そんなことは適当でよい」などと言って若手に幻滅されることもあるので、注意しなければなりません。

例えば「他人にやさしく」は、どんな形で接するかは人によって感じ方が違い、そこに世代の差はあります。しかし、こんな方法がある、こんなことを気にする人がいるなど、違っている基準ややり方をはっきりさせれば、お互いに認識して歩み寄ることができます。

これらはあくまで一つの考え方で、実際にそう単純でないことはたくさんありますが、人材育成などの場面で、うまくいかない理由を「世代の違い」に求めてしまうと、そこにステレオタイプなイメージが重なって、それ以上の思考が止まってしまいます。

部下が報告したいことがあっても、忙しそうな上司を邪魔してはいけないと気をつかって、話しかけるのを躊躇していて、その上司は「なぜすぐ報告しないのか」と部下を叱責し、「今どきの若いものは責任感が足りない」などと怒っていたりしますが、これは報告する基準ややり方をはっきりさせれば済むことで、「世代の違い」による問題ではありません。

世代が違っても、実は総論では共通していることの方が圧倒的に多いです。確かに「世代の違い」と言える感覚の違いはありますが、根本の価値観の違いに原因を求めても、そこに解決策はありません。そこで、「基準」と「道筋、やり方」の違いを見つけて調整すれば、思考停止に陥らずに済みます。
「世代の違い」を理由にしてしまうことには注意が必要です。

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