マスクの着用が個人の判断に任されたとのことで、その様子は少しずつ変わり始めているようです。
先日、ランチタイムにある飲食店へ入りましたが、スタッフは全員マスクを外していました。同じ店内でスタッフによってばらばらというわけにはいかないでしょうし、店の方針でそうやって統一したのでしょう。
その一方、医療機関などはまだこれまでと同じところが多いようです。ただ、病院というのは病気の人が集まるところなので、もともとマスクを使うことが多い場所ですから、そういう判断も理解できることです。
ただ、このどちらの場合も、「個人の判断」とは少し違ったところで決められているのは確かです。
会社でも対応の仕方はいろいろで、まだしばらくの間は着用を求めて様子を見るというところ、社外の人と接するときだけは着用するようにするが、それ以外は着用しなくてもよいことにしたところ、あえて会社からは指示せず、本当に個人判断に任せようというところなどがあります。
ただこちらも、「自分で決めてよい」と言われていても、何となく同調圧力を感じながら、現状では様子を見ている人たちが結構いるように思います。
ある会社では、部門長ごとの判断ということにしたそうですが、マスク嫌いの部長は配下の全メンバーに外すことを求め、外すことに慎重な部長は現状維持でいるそうです。
外したいメンバーが続けて着用を強制されれば、それを不満に思うことが想像できますが、逆にマスク嫌いの部長のもとでは、「花粉症なのでマスクをしたいけど、着用して部長に反抗しているように見えても嫌なので、仕方なく外している」という人がいました。もはや個人の判断で決めている状況とは言えませんが、「自分で判断」を可能にするには、それなりの環境整備が必要ということがわかります。
いま、社員に「自律・自立」「判断・決断」を求める会社が増え、その不足が問題だと話す経営者や管理者が多くいます。もちろん社員本人たちの自覚や能力向上は必要ですが、合わせてそれができるような環境づくりが不足している会社が多いと感じます。
やはり経営者や上司からの言葉や無言での圧力がありますし、同調圧力、昔からのしきたり、不文律、その他さまざまな環境があり、みんなその中で「自分の判断」をしています。本当の自分の意思によるものとは限らず、自分なりに考えたものではない可能性もあり、それは自律性からは少し離れたものです。「自律・自立」が不足するに決まっています。
最近よく取り上げられる「心理的安全性」は、お互いが遠慮や気兼ねをせずに何でも言い合える関係性を言いますが、自分で判断できるようにするためにも同じような環境が必要です。
環境が整わないと、自分で判断することはできず、自律した人材を育てることはできません。
0 件のコメント:
コメントを投稿