リーダーになるうえでは、必要な素養があると言われます。
よく言われる筆頭は、たぶん「人望」です。しかしこの定義を一言でいうのは難しく、人によって挙げられることは様々です。しいて言えば「他人から好かれたり慕われたりする何か」を持っていることでしょう。
この「何か」は、人情に厚い、論理的、冷静、優しい、温和、誠実、謙虚、公平、律儀、熱血、実力がある、その他好ましいパーソナリティーととらえられることは何でも挙げられるでしょうし、一方そのどれかを持っているからと言って、必ずしも好かれ、慕われるとは限りません。
さらに、このパーソナリティーがある上で、さらに組織全体のバランスを考えながらリードできるとか、責任感を持って行動できるとか、リーダーとしての能力の問題があります。みんながみんな、優れたリーダーというわけにはいきませんが、リーダーとなる人には、それなりの人間性とそれなりの能力が必要ということになります。
問題はこの「それなり」というところで、これを明確な基準で言うことは難しいです。ただ、その評価に多少の主観を含んでいるものの、人間性と能力のどちらかもしくは両方が、「それなり」には達していないと思われるリーダーを見かけることは、残念ながら度々あります。そして、その存在確率が高い組織というのも、また残念ながら存在します。
あくまで私個人が見てきた中でのことですが、そういうリーダーが生まれやすい組織には特徴があります。それは社員同士の「序列意識」が強い「上意下達」の組織です。悪い意味で官僚的、軍隊的ともいえます。
こういう組織では、組織内で圧倒的に力が強い上位の人がリーダーを決めます。実力は判断するでしょうが、その上位の人が認めているかどうかが重要で、自分が使いやすい人や気に入った人、上に忠実な人がリーダーに選ばれやすくなります。
また、こういう組織では、ある属性に基づいて機械的にリーダーを決めるところもあります。年齢や勤続によって順番にリーダーになっていくような年功序列は典型ですが、これがかなりの効力を持って忠実に実行されます。
伝聞なので真実かはわかりませんが、昔の軍隊などは入隊順に序列が決められるので、それだけで威張り散らす無能な上官の存在などを聞いたことがあります。人間性も能力もない人がリーダーになって、組織を壊してしまうのは、こういうことが典型でしょう。
ある意味で古いと言える組織運営の中では、リーダーに必要な素養を持たない人がリーダーになる可能性が大きくなります。
ここで感じる問題は、当事者である社員たちが、そのことにあまり気づいていないか、その状況に自分も順応して、同じことを繰り返していることです。上級生からハラスメントを受けていた下級生が、自分の後輩ができても同じことをする様子や、上には媚びて下には威張るヒラメ社員などは相変わらず目にしますが、本人たちはそのことにあまり問題意識を持っていません。それが組織文化として、脈々と受け継がれていて、それが当たり前のこととして身についているからです。
悪い組織文化を断ち切ることは実は単純で、組織のトップが率先してやめさせることです。無能なリーダーが恥をかく組織文化になれば、それだけで素養のないリーダーはいなくなります。ただ、過去からの様々なことの積み重ねで、そういう動きが具体化することはそれほど多くありません。
「素養のないリーダー」が生まれる大きな要素の一つに、必要以上に序列が重視される組織文化があります。それに気づいて変革しなければ、その組織の将来にはあまり期待できないと思います。
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