2021年9月6日月曜日

「うれしい電話」と「面倒な電話」

最近は、人と対面で会うことが、なかなか気軽にはできなくなっています。

そんな中、メールなどではたまにやり取りをしていながら、ほとんど会うことも話すこともできていなかった知人と、実はたまたまの間違い電話がきっかけで久しぶりに話をしました。

携帯のアドレス帳を間違って押してしまったというだけですが、まったく用事はないもののお互いに声を聞くことができて、そんな消息確認だけですが、やけに「話せてよかった」という気持ちが湧いてきました。

会えれば本当はそれが一番ですが、こういう時期では電話であっても声を聞いて会話することが、とても意味があるのだとあらためて感じることができました。

 

その一方、私自身は「電話が面倒だ」と思うことが最近増えてきています。特に仕事上でのことが多いですが、単純に「その話は電話じゃなくても良くないか」「できればメールにしてほしい」といったことです。

「電話したいけど大丈夫?」「何時ごろなら出られる?」などと事前に聞いてもらえることが増え、やはり「電話は相手の時間に割り込んで奪う」ということに気を遣う人が増えたのだと思いますが、それでもやっぱり何でもすぐ電話で済まそうとする人は、少数ですが相変わらずいます。だいたい決まった人です。

 

先日も電車での移動中に何度も着信が入るので、急いでいましたが仕方なく下車して折り返してみると、案の定あまり急ぎの話ではなく、しかもこちらがメモを取らないと聞き取れないような話を取り留めなくしてきます。

「移動中でメモを取れる状況ではないので、内容をメールで送ってください」といって電話を切りましたが、こういうことがちょくちょくあります。

私の中では「この人からの電話はたいして重要でも急ぎでもない」とインプットされていて、電話応対ができない時はほとんどそのまま放置していますが、それで困ったことは今のところありません。

そもそも、先方が文書を書いてメールしてくれればそれで済むことを、電話してこちらにメモさせようとしているのは、明らかに自分が面倒だからそうしているわけで、そのせいで私の時間は余分に奪われています。

 

私が「電話が面倒」と思うことが増えたのは、メールやチャット、ショートメッセージなど、それ以外のコミュニケーションツールが増えたことで、電話をしてくる人が「相手に時間を取らせること」に対してどのくらい気を遣っているかが、はっきりわかるようになったからです。

 

折り返しても相手が出ない、折り返されてもこちらが出られない、それでいつまでも行ったり来たりするような非効率は電話ならではのことですが、電話で話さなければ伝わらないことは、仕事の中ではごく一部しかありません。

要件を言わずに「折り返してほしい」というだけの伝言が入っていることがありますが、いつ連絡するかは要件によって自分で決めたいのが私の本音だったりします。その判断ができるか否かが相手の伝言の仕方次第になってしまう「電話」というツールは、私にとっては不便で仕方がありません。

ただこれは、代表電話などで誰かが取り次いでくれていた時にはなかったことで、携帯で本人に直接かかるようになったからでしょう。

 

私の感じ方は少し極端かもしれませんが、これからもいろいろなコミュニケーションツールが増えてくる中では、その使い方に関するマナーもどんどん変わっていくのだと思われます。私自身も気をつけていないと、いつかついていけなくなって、知らないうちにいつの間にかマナー違反や非常識な行動に陥らないとも限りません。

 

少なくとも電話に関しては、うれしいものが増えて面倒なものが減ってほしいと切に願っています。

 

 

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