2012年7月4日水曜日

褒めることの難しさ(余談)

  前回の褒める話は、少し綺麗ごとといえなくもありませんので、今回はちょっとした余談です。

ある会社で新人研修を担当した社内講師が、新人に対して少し厳しい指導をしたところ、「僕たちは今まで褒められて伸ばされてきて、そういう指導には慣れていないから、萎縮して成長が止まってしまうかもしれないので、やり方を変えて欲しい」と言われたそうです。

  にわかに受け入れづらいかもしれませんが、実話としてこういう話があり、しかも当人は本当にそう思っているわけで、今の企業の現場ではこういう人たちであっても否定せずに指導し、戦力にしていかなければならないのが実情なのです。

こういう発言の背景は、とても複雑です。全体的な傾向や社会的背景や、個人のキャラクターもあるでしょう。つい“今時の若い者は・・・”と言いたくなりますが、やっぱり人それぞれですから、一括りに語ることはあまり適切でないと思います。

この件で思ったことは、
  自分に都合のいいことだけ主張する。(褒めると甘やかすを混同)
本人が嫌なことを我慢できないということ、そうしてしまった親、教師、社会的風潮を含め、周りの大人にも責任があると思います。

  自分の内面に踏み込まれたくないための予防線。
他人から自分のことをとやかく言われたくない、意見の異なる人との煩わしい人間関係は避けたい、という傾向があるようです。(でもこういう人は、煩わしいほどの人付き合いをしたことはないと思いますが・・・)

  厳しくされることに本当に慣れていない。
社会的な関わりに消極的で未熟であるということ、経験値が少ない、成功体験が少ないゆえに打たれ弱いということです。自主性を強調し過ぎて、イヤイヤでも経験してみる機会を失っているように思います。

このような基本的な人間力は、大人になって教育しても、やっぱりなかなか変えられません。前提となる人間力が足りない者を、単に褒めることで果たして育っていくのか、褒める事が大事とわかっていても、本当にそれで良いのかと考えてしまうような話でした。

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