2015年12月21日月曜日

「情報共有」に自信を持っている社長のちょっとずれた感覚



私の考え方として、会社全体での情報共有、認識共有は、業績向上のために重要な要素の一つだと思っています。

そんなお話をしたとき、それに賛同してくれる社長とそうでない社長がいますが、あまり肯定的に捉えてくれない社長が言うのは、ほとんどの場合が「情報を伝えてもどうせ理解できない」ということです。

そんな時に私が必ずいうのは、「情報を出さなければ理解者はゼロだが、出せば少数でも理解できる人がいるかもしれない」ということです。情報共有、認識共有のためには、まず伝える努力をしなければ何も始まりません。

そんな中、先日お会いしたある会社の社長と、社内の情報共有に関して話をしていた時、この社長は、「うちの会社はどんな情報も隠さずに社員に公開している」と自信をもっておっしゃり、胸を張ります。
ただ、一見したイメージでは、そういうタイプの方には見えなかったので、もう少し細かく聴いてみました。

そこで公開していると言った資料は、期末の財務諸表のB/SとP/L、あとは月次の売上と利益の集計値という資料で、それもエクセルシートにただ数字が並んでいるようなものでした。

この資料に対する社員からの問い合わせは未だかつて一度もなく、これをベースにした議論も無いようで、社員がこの資料の内容を理解しているとは言い難い状況のようですが、社長がおっしゃるには、「これだけの情報を見せているのだから、これを理解できない方が問題」「これくらいのことは読み取れるように勉強することが当然」とのことです。

社長はこの発言のように、社員たちが自分と同等のレベルで会社状況を理解している前提で振る舞うようですが、社員たちの意識は当然そこについてくることができません。
それに対して社長は、「うちの社員は意識が低い」「理解力が足りない」と言い、ご自身の発想に基づく施策を、わりと一方的に打ち出します。そうなると社員たちはさらにそこについていけないという悪循環になっていますが、社長自身はこの状況に対して改善が必要という意識はありません。

確かにこの社長の言う通り、公開している情報を読み取る力が社員には足りないという言い分はわかります。ただ、結果的には会社全体での情報共有、認識共有にはつながっていません。

ここでの一番の問題は、社長自身が持っている様々な会社情報を、結局は「伝えようとしていない」ということにあります。
決算時の財務諸表では、様々な会計上の調整もされるので、仮に読み取り方を勉強していたとしても、実態を知るには、その内容について相当突っ込んで聞かなければわからない部分がありますし、ただ数字が並んだエクセル帳票を見せられて、さらにその解説も無しでは、特に一般社員などはまったく意味が分からないだろうと思います。

この会社での情報共有の中心を担っているのは社長ですが、「伝えようとしていない」というような情報開示では、実施する意味はほとんどありません。

これは極端な例かもしれませんが、情報共有、認識共有を考える時、「伝えたか」よりも「伝わったか」ということが重要になります。この結果は、結局業績として経営者にはね返ってきます。
こんな所にも、「相手にしっかり伝わったか」という相手目線の意識が必要だと思います。

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