2019年5月23日木曜日

自分の都合で「相手の選択」は変えられない


最近よく聞く話題で、御朱印ブームによるトラブルがあります。
御朱印は、参拝の証しとして一人一人に手書きの書で頂けるそうですが、そのために時間がかかることに対して「早く書け」「遅い」などと苦情を言ったり、神職や巫女さんに暴言を吐いたりする者がいるそうです。
また、スタンプラリーの感覚なのか、一方的に御朱印帳を神社に送り付けて返送を要求してきたり、高額で転売したりする例もあり、頒布をやめた神社もあると聞きます。

ある神職の方は、「初穂料は頂いているが、一人一人とお話をしながら、心を込めて一つ一つ丁寧に書いているのに、罵声を浴びせられてまで書く必要はないと思ってやめた」と言っていました。
明らかに御朱印をもらう側の人が、自分の都合だけを一方的に押しつけて相手を責めていることで、マナーが悪化しています。

この御朱印の話からは外れますが、一方的な自分の都合という話で、以前こんな話を聞きました。
ある大手企業に勤める部長ですが、知人のお子さんがその会社に就職を希望していて、縁故での紹介を頼まれたそうです。
紹介とはいっても、何か採用結果に影響を及ぼせるはずもなく、ただ人事部に書類を渡すくらいしかできません。そもそも大手企業は、縁故や紹介などでつながりがある応募者でも、採用を厳格に行うための応募手続きなどが、きちんと決められていることがほとんどで、社長であっても権限がない会社もあるくらいですから、頼まれた人ができることはほとんどありません。

しかし、この部長に対して、応募者の親である知人は、遠回しな物言いですが「親身でない」「冷たい」「もっと面倒を見てくれてもいいではないか」などと言ってきたそうです。そこまで深い付き合いの知人ではなかったそうですが、その一方的な苦情に「そもそもこちらには紹介するメリットは何もないし、たいした付き合いでもない人からあれこれ言われるのは不快だ」と憤慨していました。
これも、自分の都合だけで一方的に相手を責めています。

私は企業の中で、様々な人事に関わる施策を、その企業の人たちと一緒に考えますが、必ず意識するのは「会社と社員の両方にメリットがあるか」「お互いがWin-Winになれるか」ということです。
人事施策というのは、往々にして会社の都合で一方的な話になりがちですが、社員にとっては、自分たちにメリットがなければ、前向きに行動することはありません。

人事制度などの運用が形骸化している会社は数多くありますが、それは人事制度が社員にとって「ただ面倒な手続き」になっているからです。「評価されれば報酬が上がる」は確かにメリットですが、そのメリットは享受できる人とできない人がいて、制度運用のしかたとは直接リンクしないので、形骸化は防げません。
それよりは、「マネジメントがしやすくなる」とか「コミュニケーションが取りやすくなる」とか、真面目に運用した方が報われる仕組みでなければうまくいきません。
「賞与一律減額」などというのは、社員にとってはデメリットしかありませんが、少しでも納得してもらうには、その背景にある業績回復や雇用維持といったことを、社員にもメリットと捉えてもらえるように説明するしかありません。

そういうことを抜きにして、一方的な上意下達の指示命令で、会社や自分の意図に沿った行動を求める経営者や管理者は大勢いますが、社員はそれで表面上は従っているように見えても、本質的なところでは違います。

心理学に「選択理論」という考え方があって、「すべての行動は自らの選択である」とされ、行動は「自分がその時に最善だと思ったものが選択された結果」だと考えられています。
ただ「命令に従った」のではなく、「命令に従うことをその人が選択した」のであり、それが最善の選択でなくなれば、その人は命令に従わなくなります。最善となるようにメリットを提示し続ける必要があり、メリットが片方にしか存在しなければ、その状態を続けるのは難しくなります。

一方的な自分の都合でねじ伏せようとするような態度は、決して長続きしません。また、相手の選択は威圧、罵倒、強制、命令などでは変えられません。
どんなことでも「相互メリット」「Win-Win」を考えることが、特に最近は必要になっている感じがします。


0 件のコメント:

コメントを投稿