相変わらず、「今どきの若者論」のような話に定期的に出会います。古代エジプトの頃からそんな記述が見つかるといいますから、これはもはや人間の本能ではないかと思えてしまいます。
つい最近目にした記事には、こんなことが書かれていました。
・管理職や年長者に対して、言葉遣いがなれなれしい
・メモを取らない
・自分で考えずに答えだけを聞こうとする
・同じことを何度も聞いてくる
・話が取り留めなくまとめられない
・仕事での昇進や昇格など、上を目指す意欲がない
など。
記事では、あるマネージャーが伝えたいことをメモで準備して、それを話していても相手は何も反応がなく、話が終わったところで「そのメモした紙をください」と言われて唖然としたなどというエピソードが語られていました。
「さすがにそれは…」と思う気持ちもわかりますし、挙げられたことはそれぞれ確かにそういうところはあるかもしれないと思いますが、そもそもこれはすべての若者に当てはまるわけではなく、さらに若者だけに限った話ではありません。
言葉がなれなれしかったり、話がまとまらなかったりするのは、どちらかといえば高齢者の方がその傾向が強いです。自分が敬語を使わず相手にそれを要求するのは、本音では相手を見くだしているからで、不遜と言われても仕方ありませんし、自分が理路整然と話せないのに相手を批判するのは理屈が通りません。
メモを取らない人は年齢問わず大勢見かけ、これは管理職クラスの人でも同じです。そういう人に限って同じことを何度も聞いてきたり、大事なことを忘れていたりしますが、若者が指摘されていることと似たようなものです。
上を目指す意欲がないのは、若者がそのことに意義や魅力、メリットを感じないからで、これはただ辛そうに仕事をしている(させられている?)上の世代にも責任があります。
「今どきの若者」の話が時代を問わずに年長者から出てくるのは、一つは自己評価だけで「自分はできている、そうやってきた」と思い込んでしまっているからです。
「自分はいちいち指示されなくても、自ら考えて行動していた」と思っている人でも、周りから直接「気が利く」「指示待ちでない」などと評価された経験がある人は少ないはずで、誰にも自分勝手な解釈による思い込みの可能性があります。そうだとすれば、客観的事実は年長者も若者も大差がないかもしれません。
もう一つは「自分の昔を忘れていること」です。
私自身のことで振り返ってみると、昔はまあまあ生意気だったので、態度や話し方を注意されたことは何度もあります。メモする習慣なんて社会人になるまでありませんから、先輩に言われて渋々始めたことです。その後の業務経験を重ねる中で、「書いておかないと忘れる、間違う」と感じて、自然にメモするようになっていったと思います。
今となっては教える側の立場もわかるので、「本人に考えさせたい」と思いますが、自分も若い頃にはさっさと答えを教わった方が楽だし効率的なので、そういう行動をしていたと思います。
「今どきの若者」と言い出す年長者の多くは、「自分のことを棚に上げている」か、もしくは「自分も大差ないことに気づいていない」かのどちらかに見えます。きっと人間の能力ではそこから抜け出すことが難しいため、同じことが太古の時代から繰り返されているのでしょう。
「今どきの若者」のような世代間ギャップの話は、絶対になくならないものです。そうであるなら、そこで違いばかりを嘆くより、お互いが気分良く付き合えるように、うまく折り合う方法を考えていく方が建設的です。また、それを実践できている人たちは大勢います。
自分の行動を振り返ってみれば、気づけることがいろいろあるはずです。
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