2022年2月14日月曜日

「総合評価」の良し悪しと「評価基準」が必要になる時期

北京冬季五輪のスノーボード・ハーフパイプで、平野歩夢選手が金メダルを獲得しましたが、史上最高と言われる3本目の滑走と、ほぼ同等のクオリティーだった2本目滑走での採点の低さが問題指摘されています。

 

スノーボード・ハーフパイプの採点は、フィギュアスケートのように一つ一つの技に決まった点数がついているわけではなく、6人のジャッジが難度、高さ、着地ほか所定の着目点に対して、それぞれの基準で総合的評価をする「オーバーオール・インプレッション方式」という採点方法だそうです。

平野選手自身のコメントとして、「スノーボードはいろいろなスタイルがある魅力、自由さが良いところだが、採点はそれとは切り離し、他競技のように採点システムをしっかり構築する時代になってきたと思う」と言っていますが、やはり競技のレベルが上がって、注目度が増してきて、そこで採点結果が説明できないような総合的評価では、公平性が保てなくなっているということでしょう。競技に関わる人や見る人が多くなってくれば、内輪だけで何となく通用する総合評価ではダメで、具体的な評価基準が必要になってきます。

 

同じような話が企業の評価制度にもあります。組織が少人数のうちは、例えば社長一人が社員みんなを総合評価して、その基準がはっきり示されていなくても、何となく内輪のニュアンスで納得してしまうところがあります。

しかし、組織規模が拡大してくると、そういう訳にはいきません。一人だけでは全体に目が届かなくなり、評価者を分担しなければならなくなります。そこであいまいな基準の総合評価のままでは、評価者によって結果がばらついたり、結果説明ができなかったりして評価の公平性を欠き、本人の納得も得られません。どこまで決めるかはともかく、何らかの評価基準は必要になってきます。

 

カリスマのオーナー社長がすべてを見ているような会社であれば、評価基準が明確でない「総合評価」でも社員は不公平と感じず納得してくれます。その時の事情を勘案して、臨機応変な対応ができることがメリットになることもあるでしょう。

しかし、評価者が複数になってその人数が増えてくると、「総合評価」はだんだんうまくいかなくなります。「評価基準」として、個々の基準作りが必要になり始める時期だといえるでしょう。私の経験では、一つの組織体の人数が30名くらいを超えてくると、「評価基準」が必要になってくるケースが多いです。

 

「評価基準」を作ろうとするとき、そのことに抵抗感を示されることがあります。ほとんどは社長、役員、上位の管理職など、それまで最終決定を下してきた人たちです。抵抗する理由は、「総合評価」のように自分たちの裁量でその都度決められる方が都合がよく、それが自分たちの既得権となっているからです。そんな抵抗反応が出てくる組織は、私には逆に「評価基準」が必要な組織の証明に見えます。

 

最近はコロナ禍における国や自治体の対策で、「総合的判断」という言葉がよく聞かれますが、臨機応変さが保てるメリットはある一方、「自分たちの判断で決めたい」「裁量を維持したい」という最終決定者たちの都合も感じます。また、事前に基準が示されていても、やはり「総合的判断」といって基準を無視する動きもあります。こちらも、より具体的な「評価基準」が必要な時期になっているように思えます。

 

 

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