2014年9月1日月曜日

結果優先主義の行き過ぎを感じる「宿題代行サービス」


夏休みの「宿題代行サービス」が話題になっているそうで、“宿題代行”とネット検索すると多くの業者が存在しているようです。

「子どもの学力を奪うごまかし」「お金でなんでもできるという歪んだ価値観を子どもに植え付ける」「教育犯罪そのもの」と厳しく批判する声が挙がっているようです。

こういう業者があること自体に驚きはありますが、確かに依頼しそう人がいるだろうということは想像できます。もし自分の子供時代にこういう話を聞いたとしたら、「頼めば楽だなぁ」と真剣に思っただろうし、依頼したいと思ったかもしれません。

私が思うに、結局は何を優先するかの捉え方の違いによって、こういうものが商売にまでなってしまうのでしょう。この根底にあるのは極端な「結果優先主義」だと思います。

学校の宿題というのは、各自の学力向上が主な目的であるはずです。そのためには、実際にその宿題に本人が取り組むというプロセスが重要であるはずです。
ただし、これを「宿題が良い出来で終わっている」ということだけを優先すれば、途中どんな取り組み方をしたかというプロセスは関係なくなります。誰がやっても、どんなやり方をしても、評価される内容で提出されればそれで良いという考え方です。悪い意味での「結果優先主義」といえると思います。

ここから私が思い起こすのは、企業において旧来の成果主義がうまくいかなくなった頃のことです。
「結果を重視する」というお題目のもとに、目先に見える結果ばかりで評価をするようになり、プロセスを軽視し、人材育成をはじめとする中長期の取り組みは後回しになり、数値目標ばかりを追いかけるようになった結果、こういうやり方ではダメだという揺り戻しが起こってしまいました。

私は成果主義という考え方自体は良いことと捉えていましたが、「何を成果とするか」という点が適切でなかったために、うまくいかなかったのだと思っています。
最近あらためて進められている成果主義は、このあたりの反省が含まれているので、かつての物よりは、ずいぶんマシになってきていると思います。

今回話題になり、批判されている「宿題代行サービス」も、期限までに適切なものを作り上げるということを最優先にすれば、当然あり得ることだと思います。いくら批判されても、これで良しとするような親子はいるでしょう。

「宿題代行サービス」は、かつてうまくいかなかった成果主義と、同じ根を持つ事柄のように思えて仕方がありません。


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