2015年6月22日月曜日

天職が常に天職であり続けるとは限らないという話


今の仕事が自分にとって“天職である”と思えるならば、それはとても幸せなことだと思います。
「自分はそもそも天職なんかに出会っていない!」という人も大勢いると思いますが、天職に出会ったという人も、それが常に天職であり続けるわけではないというお話です。

私の知人に、エアロビクスのインストラクターをしている女性がいます。昔から体を動かすことが大好きで、友人の誰からも「天職だね」と言われるそうです。

ただ、ある時本人に話を聞くと、「最近、運動するとストレスがたまる・・・」などと言います。聞けば、どんなに体調が悪くても、どこかが痛くても、気分が乗らなくても、みんなの前で目一杯の笑顔で、誰よりも元気に、仕事としてエアロビクスをしなければならないことが、とてもつらいと思うことがあるそうです。

実は同じ職場の中で、他のインストラクターにも同じようなことがあるらしく、みんな自分たちの仕事とは正反対の、例えばスポーツクラブの案内状を送る事務作業などがあると、それをやりたがって仕事の取り合いになるそうです。その事務作業をやりながら、「私って事務職が天職かも・・・」などと思うのだそうです。

これは、何人かのプロスポーツ選手が話していたことですが、周りからは「好きなことが仕事にできていいね」と言われ、その競技が好きで好きでたまらないのだと思われ、いつも楽しくて仕方がないのだろうと言われるのだそうです。
でも、本人たちにしてみれば、好きな仕事ではあるけれど、競技することは仕事であり、毎日が楽しいなどという感情はないと言うのを聞いたことがあります。

同じくカーレーサーの人も、周りから「レースのスリルが味わえていい」などと言われるそうですが、本人にとっては、レースは日常の仕事であり、レース中は車をいかにコントロールするかばかりを考えていて、怖いと思うことはあっても、楽しいとかスリルとか、そんなものを感じる余裕はないそうです。

こういう職業の人たちは、それぞれ特別な才能があってのことなので、その人にとってはまさに天職と言って良いのだと思いますが、それでも仕事としてたずさわっている中では、常に天職と思ってやっている訳ではありません。

自分に向いていると思って始めた仕事でも、周りの誰から見ても天職と言われる仕事であっても、自分では天職と思えない時があると思います。
私が思うに、たぶん天職というのは、自分自身の主観的な捉え方であって、自分の感情によって常に揺れ動くものなのだと思います。うまくいっていなければ天職とは思えないでしょうし、ある日突然、今まで以上の天職に出会ってしまうかもしれません。

逆に言えば、今取り組んでいる“天職でない仕事”でも、それを天職と思って取り組めば天職になり得るということではないでしょうか。
「今の仕事がつまらない」という人はたくさんいると思いますが、今やっていることの視点をちょっと変えてみてみると、意外と天職らしきものが見えてくるのではないかと思います。
天職に出会っていない人の天職は、実はすぐ近くにあるのかもしれません。


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