2020年3月5日木曜日

年令とともに「丸くなる人」と「怒りっぽくなる人」


新型コロナでいろいろ困ることだらけですが、マスクや消毒液などの不足から、ドラッグストアの店員さんに、無理を押しつけようとしたり、暴言を浴びせたりする人がいるのだといいます。

「入荷したら知らせろ」「取り置きしろ」など自分勝手な無理強いや、「商品を隠しているんじゃないか」「転売屋に売っているくせに」などの言いがかり、あとは腹立ちまぎれの罵詈雑言や、商品を蹴り倒していくなどというひどい話も聞きますが、話題の出どころは一つや二つではないので、本当にあちこちであることのようです。

50代、60代以上と見られる高年令者が多く、どちらかといえば男性に多いそうで、似たような世代の私としては本当に情けなく、もし私がその場にいたら、店員さんの代わりにブチ切れてしまいそうです。

よく、年令を重ねるとともに「丸くなった」と言われる人がいます。私の周りにもいますし、私自身もそんなところがあるかもしれません。昔はとがってカリカリしていた人も、今では「まあそんなもんだね」などと言って笑い、多少思い通りにならなくても穏やかにやり過ごしています。

一方、年とともに「怒りっぽくなった」と言われる人がいます。中には何らかの病気のせいという場合もあるでしょうし、年を取ると脳の働きが低下して理性が利かなくなるといわれますから、自分ではどうしようもないこともあるでしょう。しかし、それだけでは説明できない人もいます。

私の周りに、そんな人は幸い一人もいませんが、同じように年をとって、「丸くなった」「怒りっぽくなった」と正反対に変わるのは、どこに違いがあるのでしょうか。
もともとの性格をはじめとして、他にもいろいろな要素があるでしょうが、私は、丸くなったといわれる人は、年とともに「できることが増えた人」で、怒りっぽくなったといわれる人は、反対に「できることが減った人」ではないかと思っています。

「できることが増えた」の中身は、例えば時間的、経済的に余裕ができたなど、物理的な環境変化があります。それでやりたかったことができるようになります。
経験とともに物事を受け入れられる幅が増えたというのも、広い意味では「できることが増えた」にあたります。
自分でやるのが難しくなっても周りの助けがあれば、できることは増やせます。ですから、他人から何かしてもらうことには謙虚に感謝し、理想通りではなくても「他人がやってくれたことだから」と受け入れます。

反対に「できることが減った人」で、一番多いのは、定年で会社を離れたとか、役職を降りたとか、それによって自分を支えてくれた部下や同僚がいなくなり、自分の思い通りのことができなくなった人です。家族に対して部下のように指示をして嫌われる「家庭内管理職」は典型でしょう。
こういう人は、他人が自分のために動いて当然という意識が染みついてしまっていて、あまり自ら行動しません。そして、うまくいかないことは、指示通りに動かない周りのせいにします。
それでさらに周囲から人が離れ、できないことがさらに増え、自分の中の不満ばかりが増えます。

こうやって考えてみると、「丸くなった人」と「怒りっぽくなった人」の間には、「自責と他責」「他人目線と自分目線」といった違いも見えてきます。自責と他人目線を持つ「丸くなった人」と、他責で自分目線の「怒りっぽくなった人」です。自己肯定感、プライドやコンプレックスといったことも関係するでしょう。

いずれにしても、反論できない相手を腹立ちまぎれに一方的に責めて、自分が得することは何もありません。
「丸くなった人」と「怒りっぽくなった人」の、どちらの人生が楽しいかは明らかだと思いますが、自分も常に気をつけなければと思います。


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