最近はずいぶん意識されるようになり、改善もされてきたように見えることですが、日本の会社で相変わらずみられる傾向として、「始まり」には厳しく「終わり」にはルーズというものがあります。
典型的なのは就業時間に関することです。始業時間という仕事の「始まり」の遅刻にはとてもうるさく、これを守らないと上司から厳しく注意されたり、評価上のペナルティーがあったりします。
しかし、それとは逆に、仕事の終わりになる終業時間に関しては、最近でこそ過重労働対策や残業削減の流れで、早く帰れと指導している様子を見かけるようになりましたが、それでも遅刻の場合ほど厳しく言われることはありません。いまだに遅くまでの残業を「頑張っている」と言う会社もあり、「終わり」の時間に関してはルーズな傾向が見られます。
会議などでも同じような傾向があります。開始時間は厳守ですが、終了時間はルーズになりがちです。最近はずいぶん改善され、終了時間の決められた会議が多くなりましたが、時間意識の低いマネージャーが主導していたりすると、相変わらずエンドレスなミーティングが行われていたりします。
企業の現場ではずいぶんマシになってきたとは思うものの、最近世の中で起こっていることを見ていても、その病根に似ていることが、まだまだ起こっていると感じる場面があります。
例えば、昨今の感染症対策では、いまだに「終わり」の時期を積極的に示そうとはしません。対応の仕方は少しずつ変わってきているかもしれませんが、法律上の扱いは結局変更されず、相変わらず毎日の感染者数が惰性のように発表され続けています。
どこかにそれを重視している人たちがいるのかもしれませんが、少なくとも私自身はそれを気にすることがほぼなくなりました。普通に生活している中では、もう不要の情報だと思うからです。
今となっては、「終わり」を示すことで何か起こってしまった時、責任を負うことを避けるために「終わり」をあいまいにしようとしているように見えてしまいます。
これは日本人の特性なのかもしれませんが、「終わらせる」「終わりを決める」「撤退する」といった判断を、先延ばしにしたりあいまいにしたりしがちな傾向を感じます。「終わりにルーズ」という点と共通しています。
その理由を考えてみると、「終わり」を決めない、決まっていないという状況が、自分たちにとって楽で都合が良いからではないかと思います。納期や締め切りという「終わり」が決まっていなければ、仕事はずいぶん楽になります。もし自分の締め切りを自分で勝手に決められるなら、あえて明言せずにできるだけ先延ばしすることを考えるでしょう。そういうことの蔓延が「終わり」にルーズということにつながっているのではないでしょうか。
この点は、特に企業の中では最近間違いなく改善されてきているので、「終わり」をはっきりすることができる能力は、たぶん多くの人が持っていると思われます。問題はそのことを意識しているかどうかの違いです。
「始まり」だけでなく「終わり」にも、相応の厳しさが必要です。
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