2013年1月9日水曜日

セキュリティと組織の情報共有のお話(2)


昨日のブログに書いた通り、「情報を制限すること」だけによらない「適切な情報共有」は、セキュリティの話と同じように、円滑な組織運営をするという点についても言えます。

組織の情報共有ということですが、俗に官僚的といわれる組織ほど、階層ごとに与える情報を制限し、その情報格差によって権威を保とうとしたり、相手が判断できるだけの情報を与えずに、部下を思い通りに動かそうとしたりする傾向があります。自分たちにとって都合が良い情報だけを流し、全体の意識を誘導するなんてこともあります。

しかし、多くの情報が流通し、一般の人がそれらに簡単にアクセスできる今のような世の中となっては、どんなに情報統制しても、システムのセキュリティの話と同様で、完璧に思い通りに行くことはありません。

最近でいえば、震災や原発事故に関する一連の動きなどは、この典型のように思います。とりあえず隠す、後でつじつまが合わなくなる、中途半端に情報が漏れる、などで信用を失っています。初めから適切な情報開示と共有をしていれば、今ほど信用されない状況にはならなかったのではないでしょうか。

企業内での不祥事や不正といった事でも、今はインターネットなどを通じてあっという間に情報が拡散します。隠す、制限する、小出しにするなんてことはほとんど不可能で、いかに世間が納得するように情報開示をしていくかという事の方が重要になっています。

会社において、より多くの社員が自分たちで適切な判断ができて、それに基づいて適切に行動するようになれば、会社にとっては非常に良い事のはずです。

もしもあるシチュエーションにおいて、社長が判断しても、部長が判断しても、一般社員が判断しても、すべて同じ結果になるのであれば、その場にいる人(現場の一般社員)が判断した方が、即断即決で時間もかからないし、仕事は効率的に進みます。
理想的で究極の権限委譲ということになるのでしょうが、社員がそのように行動するためには相応の情報が必要で、情報共有、意識共有、価値観共有がなければ、このようなことは望むべくもありません。

また、社員が会社から何か大事な事を隠されていた、知らされていなかった、嘘をつかれていたと感じたとしたら、会社のことを二度と信用しなくなり、社員の心は離れていってしまいます。円滑な組織運営などできるはずもありません。

私は、個人情報やその他機密と言われる情報以外は、原則すべての社員が共有できるのが良いと思っています。役職者などでなくても、きちんと知らせることで適切な自己判断と行動ができる社員はいるはずで、情報共有しないということは、こういう人たちからその機会を奪っていることになります。

「不安を与えないため」「誤解を与えないため」と称して、あえて知らせないという場面を多々見かけますが、結果的には逆効果だと思います。不安や誤解を与えないように「どうやって知らせるか」を考えるべきだと思います。

組織の情報共有においても、「情報を制限する」より「情報を適切に開示して共有する」ということが、組織が力を発揮する上でも、組織内の信頼関係の上でも、とても大切だと思います。


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