2013年7月13日土曜日

好奇心が足りないと感じる一つの理由


同じ会社や友人同士のグループなのに、お互いにほとんど会話をしない様子を見受けることがあります。こういうことが増えてきたと感じるようになったのはずいぶん前からです。

具体的には、昼食時のお店で見かけるグループや、ちょっと休憩でカフェなどに立ち寄っているようなグループを見ていてのことで、お互いにほとんど会話をしないで携帯やスマホをいじっている、雑誌やマンガを読んでいるというような光景です。全然会話をしないので、「あれ? 知り合いじゃなかったのかな?」と思っていると、お互いに目配せして一緒に席を立っていくので、仲間同士には間違いありません。

今さら始まったことではありませんが、こんな様子を一言で言えば「周囲への関心」が薄いということです。公園にみんなで集まっているのに無言でゲームをしている子供たちが結構いますが、これも同じ感じがします。電車内や公共の場でのマイペース行動なども、周囲の目をあまり気にしていないということなので、基本は同じなのかもしれません。

「周囲への関心」というのは、「好奇心」ともいえます。どちらも日常生活や仕事上の課題、テーマを見つける上では、その源泉ともいえることです。これが欠けていると、特にビジネス上では「問題意識がない」とか「ニーズをつかめない」などという大きなことばかりでなく、日常業務でのちょっとした行動にも多々影響があります。

例えば、人と一緒にいても会話しないことが普通の感覚になっているので、これから関係づくりをしようというお客様相手に、いざ世間話などをしようとしても話題が見つけられません。相手の気持ちをはかることに慣れていないため、往々にして“気が利かない”などと言われてしまいます。自分ではテーマが見つけられないので、自律的には動けません。
もちろんこういう人は昔からいましたが、やはりこの手のタイプの人が少しずつ増えてきているような気がします。

最近、定期的な「ランチミーティング」を義務づけている会社があるという話を聞きました。ついつい大きなお世話ではないかと思ってしまうのですが、仮に一緒に食事に行っても、本人たちの好きにさせておくと一言もしゃべらない訳ですし、場合によっては一緒に行動もしない訳ですから、こんな取り組みで強制的にやらせることも必要なのかもしれません。

特にコミュニケーションのように、今までは自然に任せていれば徐々に身についていたことが、それではなかなかうまく行きづらくなってきています。「周囲への関心」「好奇心」が薄いので、本人の意識だけではなかなか気づきにつながりません。コミュニケーションの取り方など、今まで自然に任せていたことでも、それらを意図的にやらせる工夫がますます必要になってきているように思います。


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