2013年9月28日土曜日

「お荷物社員」に見る“協働”と“依存”と“責任”の関係


バブル期前後に入社した50代の社員が、「お荷物社員」と化していることが書かれた記事を読みました。
私自身は会社員ではありませんし、“お荷物になることイコール仕事が無くなること”なので、あまり当てはまらないと思いますが、自分の同世代にこういう状況の人たちがいることは、何とも寂しい気がします。

コンサルティングの仕事を通じていろいろな会社を見てきて、「高年齢であまり仕事をしない社員」は、残念ながらときどき見かけます。やる気がないのか、力尽きてしまったのか、もう上がりの気分なのかはわかりませんが、比較的業績が安定した中堅以上の企業に多いと感じます。

この人たちに共通しているのは、“協働”“依存”“責任”の関係を自分の都合でゆがめていることです。
どういうことかというと、「組織での“協働”の名のもとに、多くの部分を周囲に“依存”し、自分の“責任”を回避している」ということです。要は「自分の責任においては、できるだけ何もしない」ということです。

こんな「お荷物社員」が出てくる理由は、会社によっていろいろあるでしょう。そもそも“荷物を持つ人”がいなければ、「お荷物社員」は成り立たないはずですが、たぶん事はそんなに簡単ではなくて、荷物を無理やり持たされている人、それを拒絶できない人がたくさんいるから、こんなことが起こっているのだと思います。

これにちょっと似た構図として、自分ではあまり働かない社長がいます。ただ、その社長を指して、「お荷物××」と言うことはあまりありません。やっぱり経営者としてのリスクは取っている訳で、そういう意味では最終的な“責任”を回避できないことを周りがわかっているからだと思います。こう考えると、「お荷物」というのは、“協働”と“依存”と“責任”の関係が、三拍子そろって初めて起こってくることではないかと思います。

そうだとすれば、この“協働”と“依存”と“責任”の関係を崩せば、「お荷物社員」は出てこないということになります。
“協働”ではない業務分担
“依存”させない人間関係
“責任”から逃れられない立場 など。

もちろんこれも簡単ではないかもしれませんが、現場の裁量でも少しは対応できることではないかと思います。「お荷物社員」を嘆いているだけよりは、だいぶんマシではないでしょうか。

私のように独立した人間には、他に荷物を持ってくれる人がいないので、お荷物になりたくてもなれません。会社勤めの人が事業主と同じ感覚になることはできないと思いますが、自分の不作為が最終的に自分に直接降りかかってくるならば、「お荷物社員」なるものは出て来づらいはずです。

「“協働”ではない」「“依存”させない」「“責任”から逃れられない」のいずれの条件に持ち込めば、「お荷物社員」の数も少しは減るのではないかと思います。
繰り返しますが、「お荷物社員」を嘆いているだけよりは、だいぶんマシではないでしょうか。


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