2014年1月31日金曜日

成果が反映できない成果主義


最近では、やれ成果だ、結果だといって、そればかりをあおるような成果主義の制度はずいぶん減りましたが、それでも成果主義的な要素を一切持たない企業はあまりないと思います。何が成果かという定義はいろいろありますが、それが何らかの形で処遇にかかわる企業は多いと思います。

これは私が見てきたいくつかの会社でのお話ですが、やはり社員をきちんと評価することが大事と考えて、公平さ、公正さを考慮した評価制度を作り、制度の運用でも、個人の恣意的な感情が入らないように複数の評価者が評価し、相互チェックの機能を設けるなど、評価に関してかなり真面目な取り組みをしています。当然、相応の時間も労力もかかりますが、これも会社のため、社員のために必要なことだとして、会社ぐるみで取り組んでいます。

ただこれらの会社は、実はまだまだ中小規模の企業で、はっきり言って大企業のような安定性も資金力もありません。実際の給与や賞与をどうするかは、その時その時の業績に大きく左右されます。会社規模から見ればかなり頑張ってはいるものの、そこまで高い給与水準ではないし、昇給や評価反映のための原資も、それほど潤沢にある訳ではありません。

そうなると、例えば誰かに多くの評価反映をしようとすると、誰かからその分を削らなければなりません。実際に箸にも棒にもかからないような、どうしようもない評価になるような社員というのは、そんなにいる訳はなく、そうなると誰かの給料を削るということをできる余地もあまりありません。

給与水準が一般に比べて高い企業ならば、低い評価でも給与水準は世間並みだったりしますので、まだ給与に差をつける余地がありますが、これが並みの給与水準の中小企業では、給与を大きく変動させるのは、それこそ基本的な生活基盤にも関わってしまいます。あまり大きな評価反映ということは難しくなってきます。

そんな環境の中で、真面目に手間ひまをかけて社員の評価をしていると、時間が経つほどにだんだんと「こんなことやっても無駄じゃないか・・・」というムードが出て来ます。手間をかけている割に、大して自分の実入りに影響がないということで、評価制度自体が形骸化していきます。

結局これは「制度と実態のギャップ」ということで、自社の状況に合わないような、俗にいうオーバースペックの制度を入れてしまうと、こんなことが起こってきます。また、こういうムードが社内に一度定着してしまうと、そこから立て直すには大きな労力が必要になります。今はオーバースペックでも、会社が成長していく中では将来的に必要になってくる制度かもしれませんが、その制度が本当に必要な時に、それに対する抵抗感が社内にあるというのは非常に問題になります。

真面目に制度を作り、真面目に運用することは大事ですが、その労力に見合った効果が得られなければ、せっかくの取り組みが逆効果になってしまいます。そればかりか、会社が発展した先の将来にも禍根を残すことになりかねません。

これもある種の費用対効果を見る必要があります。何でもかんでもきっちりやるというばかりなのは、ちょっと考えものです。


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