2014年10月20日月曜日

どうしても好きになれない「人事権を持つ人たち」の勝ち組気分


最近の雑誌やウェブ記事で、「働かないオジサン」「お荷物社員」「出世する人・しない人」「再雇用される中高年と捨てられる人」といった、主に40代以上の年齢層の人材価値に関するものをよく目にします。「人事部は語る」といったたぐいのものです。

私もいろいろな企業の人事に関わる仕事ですから、記事の内容はついては「確かにそうだ」と思うことも多いです。現場で多くの人材を見ていると、使えない側に選別されてしまう人は、ご本人の意識や姿勢、取り組み方に問題が多いことも確かです。

一方で、そういう人材に育てたのは会社の責任でもありますから、今までの経緯を棚に上げて、急に自己責任だと言って会社から追い出そうというのは、少し虫が良すぎる話ではないかとも思います。

最近では、会社側もただ追い出すだけではなく、社員側もただぶら下がることではなく、双方が自らの問題と認識した上で、人材の再教育や流動化を進めようという取り組みが、いろいろなところで少しずつ始められています。この効果が徐々に出てくれば良いと思っています。

この話からは少し離れますが、「人事部は語る」というたぐいの記事は、いろいろな立場の方々によって書かれています。企業人事のOB、コンサルタント、大学教授、その他様々ですが、中には現役の人事担当や管理職の方もいらっしゃいます。

私は、この「現在は企業にいながら、この手の人材選別について語る人たち」のことが、どうしても好きになれません。他人を見下しているような雰囲気があったり、「自分は使えない人材ではない」と確信しているような、妙な勝ち組意識を感じてしまうからです。
この人たちの共通点は「現時点で人事権を持っている人たち」ということです。

これはある企業の採用活動でのことですが、若手社員が応募者の合否を決める場面で、相手をバカにしたような発言を、平気でしているのを見かけたことがあります。「こんな奴いらない」などの言い方は当たり前で、相手の容姿のことや差別的な発言をしていることもありました。

これは、どの企業でもあることですが、採用活動のように「人を選別する」という仕事をしていると、いつの間にか自分が上、自分が偉いと錯覚してしまいがちだということです。
社内で「人事権」を持って、人の序列決めや配置などに関わる人たちも、やはり同じような気分になってしまうのでしょう。

私自身は現場経験を経てから人事の仕事にたずさわるようになったので、変な特権意識や優越感とは無縁な人事部門でしたが、それでも「人事権を持つ人たち」の一員であったことは間違いありません。
「人を選別する」「人に序列をつける」という自分を勘違いしやすい仕事の中で、いつも心がけていたのは、「相手に対する尊敬は忘れない」ということでした。
具体的には、会社での業務上の評価はしても、相手の人格まで見下したような態度は絶対に取らないというようなことです。

企業内での自分の立場というのは、いつどういう形に変わるかはわかりません。さらに会社から離れれば、そんな社内の序列は関係ありません。会社で「使えない人」が人気者で、「できる人」が嫌われ者かもしれません。

「人事権を持つ人たち」が、自分を勘違いせずにいてほしいと切に思います。


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