2017年7月28日金曜日

「常識」は主観で、具体的に言わなければ伝わらない



ここ最近、SNSや動画サイトへのあまり愉快とは思えない投稿をよく目にします。過剰に攻撃的であったり、一方的なクレームであったりと感じてしまうことも多く、ついつい「どうしてこんな常識からはずれたことをするのか」と思ってしまいます。

常識ということで言えば、つい最近もある会社の役員から、「社員の行動が非常識」という話がありました。「なぜこんな常識的なことがわからないのだろうか」とおっしゃいます。
指摘していることは、挨拶であったり、言葉遣いであったり、ちょっとした日常行動の中でのことで、要は「気が利く、利かない」といったところに近いものです。「こんな当たり前のことなのに」「普通なら気がつくでしょう」とおっしゃいます。

この「常識」「基本」「普通は」「当たり前」といった言葉は、何かのたびによく使われる言葉ですが、はっきり言って具体的な基準は何もありません。
例えば「年長者を敬うのは当たり前」といっても、中には敬うほどの価値がない、尊敬できない年長者もいます。その他、可愛い子供ばかりではないですし、強い男性、か弱い女性ばかりではありません。

先日あるテレビ番組で、遅くなった夕食を簡単に済ませようということで、ご主人に食べたいものを聞いたら、「ではトンカツ」と言われ、簡単にと言っているのに揚げ物としろというそのチョイスが許せないという怒りの話がありました。確かに私も簡単とは思えませんが、それが非常識かどうかは、その人の感じ方次第です。

最近はずいぶん少なくなりましたが、この「常識」「基本」「普通は」「当たり前」という言葉を、会社でのマネジメントの場面で振りかざす人がいます。マネージャーである自分の指示通り、思い通りに物事が運ばないときに、そういう言葉を使って部下の行動にダメ出しをします。しかし、これらはあくまでマネージャーの主観に基づく言葉なので、特に世代の差が大きくなればなるほど、捉え方が違います。

最近あった有名な話では、「電話」に関するものがあります。
若い世代ほど、「電話は一方的に相手の時間を奪う失礼なもの」という感覚があり、この“常識”でいけば、“電話での謝罪”などはもってのほかということになりますが、もっと上の世代では「まずは電話でもよいから一刻も早く直接謝罪するのが常識」といいます。
現状ではたぶん後者が多数派でしょうが、では「電話が失礼」という考え方が非常識なのかといえば、そこまではっきり言い切れるかは疑問です。私自身もどちらかというと電話は面倒だと思う方なので、よほどの必要がなければメールや他の通信手段で済ませますし、私の周りにもそういう人は意外に多いです。

「常識」「基本」「普通は」「当たり前」などという言葉が出てくるときは、だいたいが相手の行動、態度を責めているときです。これが日常生活の中ならば、その場で終わらせて放置しても良いでしょうが、会社の中での上司部下の関係やマネジメントの場面であれば、そういう訳にはいきません。しかし、「常識」というような言葉で相手を責めても、結局は何も解決はしません。

指示命令が自分の思った通りに伝わらないのであれば、それが仕事を進めるために必要ならば、相手が理解できるように、こと細かに言うしかありません。一度でわからなければ、何度も言うしかありません。
「常識」「基本」「普通は」「当たり前」をむやみに使うことは、相手に対する責め言葉にしかなりません。自分だけを一方的に肯定する言い訳であり、相手を責めて解決することはほとんどありません。

誰かが「常識」や「当たり前」ということを言い出した時は、注意が必要です。

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