歌手の安室奈美恵さんが自身のブログで1年後の引退を発表し、いろいろ話題になっています。
引退を惜しむ声は数多くありますが、彼女の引き際や、自身の信念に基づいて行動する様子を称賛するものも同じように多数あります。あらためて影響力が大きな人だということが良くわかります。
この話とは別に、最近「引退」ということに関して、いくつか目にした記事や話題があります。
これは、ある時期音楽で生計を立てようとしていた人の引き際が書かれていた記事ですが、この人は自分で年令を区切っていて、それまでに芽が出なければあきらめようと決めていたそうです。
「ミュージシャン」の場合、運、才能、実力が必要な点では「アスリート」と同じですが、“体力の限界”というけじめがない点が違っているそうで、自分で見切りのつけ方を決めておかないと、いつまでもずるずると引きずってしまいがちなのだそうです。
辞めるタイミングを逸してしまうということは、次の人生のスタートが遅れるということで、そうなると再スタートを切ることがどんどん難しくなってしまうということでした。
また、これはある芸能人の話ですが、この人は「芸能人の引退」というのは自分が決めるというよりは周りが決めるものだと思っていて、要は仕事の依頼がなくなれば、本人の意思の関わらず引退せざるを得なくなるという話でした。仕事の依頼があるうちは、まだ自分に何かが求められている、何かしらの価値があるということなので、自分は仕事をすると言っていました。
さらに、サッカーの各国代表選手の話で、これも代表に選ばれなくなれば、自然に引退と同じことになるのに、まだ望まれているにもかかわらず、代表引退を先に自分から言ってしまうことの是非というようなものでした。
企業における引退の話で言えば、最近は事業承継や後継者の問題で困っている経営者がたくさんいますが、これも自分は辞めたいが、状況が許されずになかなか辞められないという話です。
ただ、逆にこういうことを、世代交代を阻害する動きと見る向きもあります。実際にいろいろな組織では、年長者ばかりが既得権を盾にはびこって、老害などと言われている例を数多く目にします。「自分で引退を決める」とは言っても、適切な時期に自分の意志で身を引くことは、なかなか難しいということでしょう。
そして、ここまでの話はすべて、自分の意志で引退するか、引退したくても許されないか、続けたいならば続けられるということなど、「引退を自分で決める」という話でしたが、唯一違う例は、「企業の定年」による引退です。最近は継続雇用などで65歳までは働くことができますが、ある決められた時期に、本人の意思にかかわらず引退をしなければならないことに変わりはありません。
企業に勤める形で働いている人が圧倒的に多いため、「自分で引退が決められない」ということがいかにも当たり前のようになっていますが、「引退の仕方」ということでみていくと、自分の意思にかかわらず辞めなければならないのは、実は結構特殊な形だということがわかります。
最近は働き方改革で副業の推進などが言われ、生涯現役のような話も数多く出てきていますが、そうなると、今度は「引退は自分で決めなければならない」ということが増えてきます。
そして、この「企業の定年」のように強制的に引退を迫る形が薄れていくと、周りから見ればもう引退してほしいのに、本人が認めないケースはこれからどんどん増えていくことが考えられます。
引退してほしくない人が辞めてしまうことより、引退してほしい人がいつまでも辞めないことの方が、問題は大きいように思います。こんなことを言っている私自身も、ひと昔前であれば定年といわれる年齢になりますから、他人のことばかりを言っている場合ではありません。周りから「引退してほしいけど辞めない」などと、自分が言われないようにしなければなりません。
あくまで「引退は自分で決めること」ですが、その適切な時期を自分の意志で決めるのは本当に難しいことです。
あくまで「引退は自分で決めること」ですが、その適切な時期を自分の意志で決めるのは本当に難しいことです。
安室さんのような引き際は、そう簡単に真似できないことだとあらためて思います。
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